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2012年11月12日月曜日

クィーン(‘06)       スティーヴン・フリアーズ



<媚を売る懦弱な自己像にまで堕ちていくことを拒んだ孤高の君主の物語>



1  10人目の首相の承認を遂行した連邦王国の女王




当時、発足まもない労働党政権の若き宰相の献身的なサポートに支えられなければ、物語の構成力の防波堤を構築し得ないほど、英国王室の権威の復権の物語を製作しなければならなかったなどという下衆(げす)の勘繰りを含めて、少なからず、プロパガンダ性の臭気を感受させたのは否定せざるを得ないところ。

然るに、中枢の情報を圧倒的に持つ者と、持たない者との決定的乖離によって、どこまでも検証困難な問題であるが故に、ここでは、そのような袋小路に搦(から)め捕られる愚を排して、そこで映像提示された物語の骨格のみに限定して、私の率直な感懐を記していきたい。

1997年のイギリス総選挙で圧勝した、労働党政権の40代の若い宰相の名は、言うまでもなく、トニー・ブレア。

オックスフォード大卒のエリート弁護士が、「党の近代化」の名のもとに遂行しようとした様々な改革は、「ポジティブウェルフェア」(失業保険を受けながら、職業訓練を義務づけるなど)という理念に象徴されるように、労働党の大看板である反資本主義的なスローガンの政策の提示を改め、自由市場経済に転換するという経済政策を骨格にした、「第三の道」という概念によって遍く知れ渡っている。

トニー・ブレアとエリザベス2世
王政廃止論者の妻を持つそのブレアが、首相の承認を得るために、初めて謁見した女王の名は、ここも言うまでもなく、エリザベス2世。

「あなたは、私の10人目の首相です。最初はチャーチル。あなたが生まれる前のことね」

征服王ウィリアム1世が建国したノルマン朝(現在のイギリス王室の開祖)から数えて、第58代英国王にあたり、既に、在位45年間に及ぶ主権国家(イギリス連邦王国)の君主であった事実は、以上のブレアに対する言葉の中に、その権威の高さを裏付けていた。

英国王のスピーチ」(2010年製作)で描かれた、「善良王」・ジョージ6世の長女である彼女は、父の夭折によって英国王に即位したのが、1952年のこと。(イングランド国教会の教会であり、戴冠式聖堂として著名な、ウェストミンスター寺院での戴冠式は翌年の6月)

夫の名は、フィリップ (エディンバラ公)。

エディンバラ公
英国王室の伝統で、ギリシャとデンマークの王を兼ねた夫の多面的なサポートを手伝って、ブレアとの謁見の際には71歳であった伝説的な人物が、物語の基幹ラインを最後まで引っ張っていくのである。

 以下、稿を変えて、物語の梗概をフォローしていきたい。



 2  「ダイアナ元皇太子妃の不幸」に翻弄されながらも崩さない女王の、凛とした振舞い ―― 物語の梗概



 「私も投票したいわ。投票するというよりは、たった一度でいいから、自分の意見を言いたい」

1997年のイギリス総選挙のテレビ放送を見ていた、エリザベス2世が洩らした一言である。

まもなく、労働党政権の若い宰相のブレアと謁見するが、そこで要した時間は僅か15分。

近代化を主張する若い宰相の熱意に対して、特段の反応を示さない主権国家の君主が、その在位期間に経験した最も重い出来事の一つに直面するのは、その三か月後のことだった。

事故現場のパリ・アルマ橋(ウィキ)
 既に私人となっていて、当時、アラブの大富豪の恋人であったダイアナ元皇太子妃が、パパラッチに追い駆けられた果てに、パリ・アルマ橋周辺で事故死するに至ったからである。

1997年8月30日のことだった。

「ダイアナは死んでも迷惑をかける」

これは、スコットランドの私邸にある、バルモラル城で夏季休養をとっていたエディンバラ公が、妹の言葉を代弁したものだが、この把握が、ダイアナ元皇太子妃に対する王室の共通言語として存在していたのである。

それが、ダイアナ元皇太子妃と最近接した王室の率直な思いであったろうが、彼女の逝去の報を、テレビを通して観る常勤職員から嗚咽する者がいた事実を、映像は提示することを忘れなかった。

このことは、「ダイアナ元皇太子妃の不幸」というイメージで印象づけられている一般国民にとって、まるで自らの身内の不幸のように悲しみ、それが、ケンジントン宮殿(ロンドンのダイアナの居住地)の門前を献花の無数の束で包み込むという、見るからに尋常とは思えない事態を招来するに至り、いつしか、そこで夜を明かす人々の反応を、当時のテレビ画像は執拗に映し出すのである。

ダイアナ元皇太子妃(ウィキ)
その反応は、ダイアナ元皇太子妃を追い詰めた過剰なメディアの振舞いではなく、彼女の事故死をプライベートな出来事であるとして処理し、一切のコメントを発表しないばかりか、バッキンガム宮殿に半旗を掲げる行為すらしない王室への不満から、厳しい批判の声が上がるに及んで、英国王室はかつてない危機に直面するに至る。

 ここで正確を期して言えば、これまでバッキンガム宮殿には半旗を掲げる伝統がないという事実を知る必要があるだろう。

加えて言えば、バッキンガム宮殿に掲揚される王室旗の目的は、国王が宮殿内に居住している事実を示すもの以外ではなく、その限りにおいて、当時、エリザベス2世はバルモラル城に滞在していたので、私人でしかないダイアナ元皇太子妃への葬儀に関わる英国王室の判断には、恣意的な振舞いなど一切なく、単に、旧来の伝統に従っただけの行為であるに過ぎなかったのである。

 ここで厄介なのは、少なからぬ英国民は、それがどこまで理知的であったか否かについては疑わしい限りだが、旧来の伝統に従っただけの行為を延長させている英国王室に対して、それまでの伝統を廃棄して、「近代化せよ」と要求しているという点にあった。

 そんな状況下で、ロンドンの首相官邸では、キャンベル首席報道官がブレア首相の演説草稿に、「国民のプリンセス」というポピュリズム色の強い言葉を挿入することで、これを読み上げるブレア首相への支持が一気に高まっていく。

バッキンガム宮殿(ウィキ)
更に、発足まもない労働党政権が、ダイアナ元皇太子妃の「国民葬」を発表したことで、バッキンガム宮殿前は献花の山で埋もれるに至った。

「バッキンガム宮殿に、半旗を掲げるべきです。なるべく早くロンドンへ。陛下の国民のためです。悲しむ彼らに安らぎを」

これは、未だ、バルモラル城に籠っているエリザベス2世に対する、ブレアのアドバイス。

無論、電話での遣り取りだが、英国民の理性を信じるエリザベス2世の意思に変化が見られずとも、陛下の秘書官であるジャンブリンから伝えられる女王の苦悩を、ブレアだけは理解していたという風に描かれていく。

しかし、王室に対するメディアのバッシングは日増しにエスカレートし、今や、ブレアのみが王室を擁護」という記事が出る始末。

再び、ブレアからの電話。

それを、バルモラルの調理場で受けるエリザベス2世。

「4人に一人が、王政の廃止に賛成しています」

ブレアは、歯に衣着せぬ物言いで言い切った。

提言するブレア首相
「バッキンガムや、他の宮殿に半旗を掲げる。なるべく早急にロンドンに戻る。個人的にダイアナの棺に祈る。テレビを通し、国民と世界に声明を発表する。首相が言うには、“これらを迅速に行えば、大惨事を免れるかも”と」


この時点で、相応の決断を果たした女王が、なお毅然とした態度を崩さない皇后陛下(エリザベス王太后)に、ブレアのこの提言を説明したのは、その直後だった。

弔意の花束を添える王室一族
エリザベス2世の説得が功を奏して、バルモラル城でも花束で埋まった中に、王室一族が弔意の花束を添えた。

それをテレビで知った、ブレアの喜びの表情が弾けていた。

懊悩の果てに、ブレアの提言を受容したエリザベス2世がロンドンに帰還したのは、その翌日だった。

人山を築く街路は、エリザベス2世の唐突の出現に興奮しているようだった。

テレビでの実況中継が流されて、それに見入る英国民

予想だにしない状況の変化に、賛辞を惜しまない英国民

空気が変容したのだ。


バッキンガム宮殿の前に築かれた人山に最近接し、そこに埋め尽くされた弔意の花束に書かれる文字を、丁寧に読んでいくエリザベス2世。

“彼らには、あなた(ダイアナ)ほどの価値がない”
 “彼らの手に君の血が”

殆ど悪意に満ちた、信じ難い文字の連射を眼にして、衝撃を受けるエリザベス2世。

しかし、その憂愁深い孤高の表情を、居並ぶ英国民の前に晒すわけにはいかないのだ。

エリザベス2世は、居並ぶ英国民の視線が集中する一瞬の間隙を縫って、自らの心を整え、後方を振り返り、気品に満ちた笑みに変えたのである。

そればかりではない。

居並ぶ英国民の前例にいた、一人の可憐な幼女が持つ花束を見て、優しく声をかけていく女王陛下

「こんにちは。お花を置きましょうか?」
「いいえ」

一瞬、悲しそうな表情を見せたエリザベス2世に対して、幼女は答えた。

「これは女王様に」
「私に?ありがとう」

存分の笑みを返すエリザベス2世。

その何気ないが、まさにそれこそが、16か国の主権国家(イギリス連邦王国)の君主である、女王陛下たる者の凛とした態度であるかのように、生放送が感傷含みに流していく。

「日曜日の悲劇により、我が国を始め、世界中がダイアナを喪った悲しみに包まれました。私たちは、その悲しみに耐えています・・・」

その直後の映像は、ブレアの用意した原稿を、そこだけはいつものように、特段の感情を交えずに、女王陛下たるエリザベス2世が「世紀のスピーチ」を繋いでいくのである。

ラストシーン。

「リアル」を仮構しつつ、現役バリバリの著名人の言動を特定的に拾い上げ、巧みに紡いでいった物語は、すっかり打ち解けた女王と宰相による、解放系の語らいの中で閉じていく。



3  世界を変えた「情報革命」の爆発的氾濫



1990 年代初頭辺りから出来した「情報爆発」の規模は、我が国の場合、2000年代に入る頃から飛躍的・且つ、長期的に進行していって、今や毎年ごとに、前年の3、4倍のペースで増幅していっているという報告に対して、正直言えば、実感的に理解し得る範疇にあると言っていい。

「本年度の情報流通センサス調査結果を10年前(平成年度)と比較すると、原発信情報量は27倍、発信情報量は21倍、選択可能情報量は410倍、消費可能情報量は15倍、消費情報量は13倍に拡大している。いずれも『情報爆発』と呼ぶにふさわしい急速な増加だが、中でも選択可能情報量の著しい増加が目立っている。過去10 年間の推移をみると、平成11年度以降、選択可能情報量の増加ペースが際立って上がっていることが分かる。

現在、広く語られている『情報爆発』は、この平成11年度以降の、選択可能情報量を中心とした情報流通量の増加を指していると考えられる。しかし、情報流通センサスの指標上では、平成11年度以前から既にこの『情報爆発』に繋がる情報流通量の増大を見ることができる。平成年度から10年度の3年間では、原発信情報量我2.5 倍、発信情報量が2.2倍、選択可能情報量が1.7倍、消費可能情報量が1.4倍、消費情報量が1.7倍に増加した。この時期の情報流通量増加の特徴は、平成11年度以降の情報流通量増加パターンと比較すれば明らかなように、選択可能情報量よりも原発信情報量や発信情報量の増加率の方が大きい点にある」(総務省情報通信政策局情報通信経済室・平成19年3月)

プラカードを掲げるエジプトのデモ参加者(ウィキ)
 2012年10月現在、インターネットの交流サイト・フェイスブックの利用者が世界で10億人に達したと発表される現在、以上の総務省の報告に対して、特段に驚愕することがないほど、「中東の春」の一つの推進力になった「フェイスブック革命」に象徴されるように、私たちは「情報爆発」の氾濫の中で殆ど不感性になってしまったようである。

 然るに、「情報爆発」の結果、何が起こったか。

情報を選択的に収集し、それを合理的に生かしていく能力を有する一群の者にとっては、自己の〈生〉の幅を広げることで精神世界を豊かにし得る格好のコンテンツとして、有効に利用できるが故に問題がないだろうが、情報を選択的に収集し得る能力に欠ける数多の人々にとっては、「情報爆発」の氾濫の中でジャンクな情報の洪水に呑み込まれ、自らの能力のサイズに見合った情報の有効利用が叶わず、却って、アイデンティティ確保に支障を来す事態に翻弄されるばかりであるだろう。

これが、情報社会に呼吸を繋ぐ私たちの、最も厄介な問題であると言える。

 グローバル化社会の宿命であると言ってもいい。

デジタルデバイド(情報格差)という問題の広がりは看過し難いが、それでも、私たちの棲む現実世界でコミュニティの崩壊が出来しても、SNSに象徴される疑似コミュニティを形成することで被浴する快感系のシャワーによって手に入れる利得は、かつて人類が経験し得ない欲望の稜線の広がりであるようだ。

世界は、居ながらにして繋がったのだ。

良かれ悪しかれ、それが、その本音において決して手放さないだろう、「文明の恩恵」の偽らざる風景の様態である。

 そして何より、サイバー・カスケード(集団分極化)という問題が内包されているとしても、インターネットの拡大的普及によって、自らが発信するという、それ以上ない「武器」を手に入れたことで、「有価値」の情報を占有してきたと信じるマスメディアが相対化される現象が惹起されたのである。

ロンドンのホワイトシティにあるBBCの社屋(ウィキ)
多分にインモラルな荒れ方を見せていて、その情報源も信憑性に欠ける粗雑さを晒しつつも、抹消されていく情報の群塊の現出を必然化するマスメディアの営業戦略のうちに、削り取られた情報の価値を拾い上げる真摯な態度によって、ネット社会の質をアップさせていく努力もまた掬い上げられているのである。

今や、マスメディアが、「何を伝えたか」によってではなく、「何を伝えなかったのか」という視線の投入がシビアに入り込んでくることで、「第四の権力」として振舞ってきた大手メディアの相対的劣化が進み、その欺瞞性が晒される時代を迎えるに至ったのだ。

「情報革命」の爆発的氾濫が世界を変え、人々の生活態度を変え、文化の前線をも変えていく。

一体、誰が、こんな時代の激越な到来を予想しただろうか。



4  媚を売る懦弱な自己像にまで堕ちていくことを拒んだ孤高の君主の物語 ―― まとめとして



ここでは、本篇を総括したい。

ダイアナ元妃の事故は「ダイアナ事件」という様相を晒しつつ、20世紀の終焉近くで、世界中をインボルブする影響力を持つ稀有な出来事だった。

パパラッチ(ウィキ)
それは、セレブリティを撮影したプライベート写真を、見知りのエージェントを介して、雑誌・新聞に売ることで身過ぎ世過ぎを繋ぐ、殆ど犯罪性を帯びたパパラッチたちを使嗾(しそう)しているイエロー・ジャーナリズムが、自分が狙ったターゲットをハンターの如く追い駆け、追い詰めていく傲慢な振舞いに終わりが見えない時代の、その攻勢終末点(攻撃限界点)に差し掛かった辺りだった。

メディアを相対化する現象を惹起させるに至った昨今では、彼らパパラッチの実名が特定され、動画サイトに投稿される悪意の集合が暴れ捲る別の危うさを内包するだろうが、そんな時代の到来への空隙に、あの異常なまでの「ダイアナ事件」が出来したのである。

「私の姉を殺したのはマスコミです」

これは、ダイアナ元皇太子妃の弟のコメントとして発信されたもの。

しかし狡猾なメディアは、「ダイアナ事件」を惹起させた背景には、英国王室による冷たい仕打ちがあると恣意的に報道してくことで、元妃でありながら、その死に対して半旗も掲げず、バルモラル城に逃げ込んで、優雅に狩りをする王家の一族を特定的に攻撃する世論を形成していく。

エリザベス2世とエリザベス王太后
 「私は誰よりも国民を理解しています。彼らが賢明であると信じているわ。国民は必ず拒絶するでしょう。このムードは、マスコミの煽動です。それぞれが静かに悲しみ、粛々と死者を哀悼する。それがイギリス国民です。謙虚で、品位がある。世界が称賛する国民性よ」

 これは、エリザベス2世の言葉。

 テレビを通じて流されるマスコミの煽動への苛立ちを隠せない、女王エリザベス2世にとって、唯一の矜持(きょうじ)は、誰もが「謙虚で、品位がある」と信じるイギリス国民であった。

彼女は、人前で感情を見せることを強く抑制する自己像を作り上げてきたのである。

 それを検証する最も重要な会話が、物語のラストに待っていた。

「1年は52週です。陛下が即位されてからは2500週。功績を語るとき、あの数字は忘れられます」

 このブレアの褒め殺しに対して、エリザベス2世はゆっくり吐露していく。

 「あんなに嫌われているなんて。今の人々は大袈裟な涙を求めるわ。でも、私は苦手なの。感情は抑えてきたわ。騒がず、厳然としていることが、国民の女王に対する望みで、第一の務め。自分は二の次だと。そう育てられ、信じてきたの。子供だった。世の中は変ったわ。だから、“近代化”よね」

 本作は、このエリザベス2世の言葉に到達するまでの物語だったのだ。

この率直なエリザベス2世の吐露には、自らがコントロールし得ない「嵐の一週間」で存分に味わった、「屈辱と反省」に関わる最も重い経験則が張り付いている。

ロンドンに帰還する機内で原稿に眼を通す女王
エリザベス2世にとって、たとえメディアに煽動されたとはいえ、4人に一人が王政の廃止を望んでいるという信じ難い現実を突き付けられることで、狼狽し、孤立していく心的状況は、自らの拠って立つ基盤の危うさを深刻に認知せざるを得ない現実に搦(から)め捕られた悲哀の、その極限的様相を露わにするものだった。


ここで想起されるのは、あの有名な「美しい大鹿」のシーン。

メディアのバッシングを回避するため、バルモラル城に滞在していた一族の中で、単身、 相当年季の入ったランドローバー・レンジローバーを自ら運転し、緩やかな山道を走行中、あろうことか、河にタイヤをとられて立ち往生するエリザベス2世。

ここで、人知れぬ自然の懐に抱かれて、エリザベス2世が嗚咽するカットが挿入された。

映像で初めて見せる、「女王の孤独」が極まった瞬間である。

そんな女王の抑制された嗚咽の表情が、笑み含みの驚きの症状に変容したのは、そのときだった。

なだらかな丘陵に、凛と立つ牡の大鹿が彼女の視界を捉えたのである。

「なんて美しいの・・・」

そう呟く女王。

その直後、ハンターたちの銃丸の音が聞こえ、女王は思わず、身ぶりを交えて、「逃げなさい」と促した。

間髪を容れず、銃丸の音が高鳴ったとき、鹿は丘陵の高みから消えていた。

そこに、安堵する女王の表情が捕捉されたのである。

但し、このエピソードには後日談があった。

大鹿が仕留められたという話を聞いて、エリザベス2世は、その死体が置かれている場所に案内された。

そのとき、彼女の射程に入ったのは、例の大鹿だった。

少なくとも、エリザベス2世は、そう確信したのだろう。

「苦しんでないといいわ」

これは、ロンドンの投資銀行家に撃たれたという、目前の鹿に深い傷があるのを見て、後方に待機する従者に知られることなく、うっすらと涙を浮かべたときの女王の言葉。

何気ないが、決してスルーし得ないこの由々しきシーンは、この後に繋がる一連のシークエンスの伏線となるに足る、本作の中で最も重要な描写であると言っていい。

明らかに、そこで提示された構図のうちには、「美しさを保持しつつも、あっさりと『民間の英国人狩猟者=英国民』によって屠られてしまう牡鹿」を、今まさに、自らが拠って立つ英国王室という「絶対的基盤」の、その元首である自分自身が置かれたジャンダルムの如き孤高性に寄せて、特定的に切り取ったカットであったことをイメージさせる作り手のメッセージが読み取れるのである。

その直後の映像は、ブレアの提言を全面受容した女王が、ロンドンに帰還後、有名なスピーチに流れ込んでいくシークエンス。

大鹿の死体を視認するエリザベス二世
物語のこの文脈を見ても、大鹿の死体を視認した際に、エリザベス二世が吐露した言葉の重量感が理解できるだろう。

エリザベス二世は、この決定的なカットが提示した内的時間の行程のうちに、化石化した古い王政のシステムの崩壊を自ら見届けることで、なお内側に澱んだ感情ラインを整理し、ブレアの主唱する「王室の近代化」を決意させるに至ったのである。

「嵐の一週間」が過ぎ去って回顧する女王の心象風景には、今や、激越に変容していく時代のテンポに沿った基本スタンスを、自分なりに消化した上で、女王にしか分り得ない、限りなく内化していくリアリティの重量感が露呈されていた。

しかし、それでも変えられないものがある。

若くして君主となったばかりに、一方的に受容することで馴染んできた峻厳な帝王学に即した、「王としてのあるべき姿の理想形」を人前で崩さないこと。

だから、国民に媚びる自己像の脆弱性を晒す愚を排する態度形成の必然性において、過剰なまでの感情投入を拒み、一貫して凛とした君主であることを貫徹する覚悟。

それだけは決して捨てられなかった。

この映画は、エリザベス2世という名の高名なる女王陛下に、かくもシビアな葛藤を迫り、懊悩を深めさせ、自分の臣下である宰相の提言を受容しつつも、頑として、媚を売る懦弱(だじゃく)な自己像にまで堕ちていくことを拒んだ孤高の君主の物語だったと言えるだろう。

この女王には、それだけの覚悟があった。

その真贋性において全く知り得ない者から見れば、自己保身からなのか、ブレアに擦り寄ることで、「王室の近代化」を主唱する人物像として描かれた嫌いがあるチャールズ皇太子を含めて、一貫して非主体的な印象を残した王家の中で、女王が抱え込んだものの大きさを、その内側の見えない辺りにまで潜入し得る者は誰一人いなかった。

従って、その括りこそが、英国王としてのエリゼベス2世の堅固な自我の最終到達点だったのだ。

大鹿を見て感銘するエリザベス二世
だから、物語をそのまま受容する限り、この映画は、たった一人で抱え込んだものの重さに耐え、大自然の懐で一瞬垣間見た、「美しい大鹿」がハンターに追われて、射止められていく運命のうちに、旧来の陋習(ろうしゅう)を延長させ続けてきただけの、王政のシステムの劣化を自ら見届けることで、新しい時代に見合った君主の有りようを提示する物語であったということに尽きるだろう。

イエロー・ジャーナリズムにまで成り下がったメディアの劣化もまた、新しき時代が生んだインターネットの加速的なグローバル化の中で、彼らが撒き散らしてきた毒素の分量だけでも相対化されていく近未来のイメージを想念するとき、「揺動する民主主義」との切実な折り合いを突破した果てに、時代のサイズに見合いつつ、ソフトランディングできる時代の到来が具現するか否かについては、相変わらず、闇の世界の迷妄の時間を延長するだろうが、しかしそれでも、「エリザベス二世・女王陛下即位60周年祝祭」を本心から祝ってくれる英国民に対する矜持(きょうじ)を捨てることなく、齢86歳になる最強の女王の存在感の大きさは、今や、「ダイアナ事件」の如き事態に被弾しても怯(ひる)まない強靭さが、眩いばかりに輝いていた。

「ダイアナ事件」の衝撃波の有効期限を想起するとき、やはりこの映画は、ブレアが言ったように、「即位されてからは2500週」の一齣(ひとこま)という把握を包括しつつ、決して時代に迎合することなしに、「あるべき王」としての、そこだけは決して変わらない振舞いを身体化させていく圧倒的なイメージのうちに昇華されていった物語だったのだ。

 最後に一言。
スティーヴン・フリアーズ監督(ウィキ)
征服王ウィリアム1世が建国したノルマン朝をルーツとし、一生を「神と国民に捧げる」英国王と、「人間宣言」をしたとは言え、天皇の存在それ自身が、限りなく「神」に近い「日本国民統合の象徴」の「君主」とされ、多くの国民から尊敬の対象とされる、我が国の皇室を比較するのは意味がないので、ここでは、その言及は避けたい。

その真贋性において、どこまでも「映画の嘘」の文脈のうちに包括した上で、敢えて言葉を添えれば、危機に直面した時のトップリーダーの行動の有りようを学習するに相応しい素晴らしい映像だったということ。

これが、本作に対する私の基本的評価である。

(2012年11月)



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