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2015年4月19日日曜日

オカンの嫁入り(‘10)    呉美保

<「残り時間」が「凍結した時間」を溶かし、変容させていく物語の出色の出来栄え>



1  深い情愛で結ばれた「母と娘」の紆余曲折の物語 ―― その1



そこのみにて光輝く」(2013年製作)を観て、圧倒的な感動を受け、この呉美保監督の他の作品を観たいと思って出会った映画が、この「オカンの嫁入り」である。

「そこのみにて光輝く」と同様に一貫して感傷に流さず、暑苦しくなく、母と娘の深い情愛を描いた映画の完成度の高さに、正直、驚かされた。

最後まで破綻のない物語の構成力に、脱帽すること頻りである。

私の知る限り、主演の宮崎あおいと大竹しのぶが出演した映画の中で、この作品が最も印象に残り、感銘も深かった。

魅力的な女優の、その圧巻の感情表現力を、センスのいい演出で引き出した呉美保監督の、その出色の出来栄えを高く評価したい。

―― 以下、梗概をフォローしていく。

大阪の冬。

整形外科に勤める看護士の母・陽子が、呂律(ろれつ)が回らない酩酊状態の中で、得体の知れない金髪の若い男を、「お土産」と称して、一人娘・月子が熟睡している自宅に帰って来たエピソードから、「母と娘」の紆余曲折の物語が開かれていく。

氷雨の降る、深夜3時のことだった。

母親を部屋の中に引き摺り込み、玄関で眠りこける男にブランケットを放り投げる月子。

その月子が、信じ難い衝撃を受けたのは、その翌日のこと。

「えー、私、森井陽子は、昨夜、こちらの服部研二さんにプロポーズされて・・・お引き受けしました」

母・陽子の爆弾発言に真っ先に驚嘆したのは、そこに居合わせた隣の大家・サクだった。

「よろしくお願いします」

研二と名乗る男のこの挨拶は、イメージに似合わず、誠意に溢れるものだった。

年齢は、娘のそれと近い30歳。

年齢を聞いて爆笑するサクの声を掻き消すように、「帰って下さい!」と言い切ったのは、娘の月子。

「ダマされてるんちゃうかな?」

母が勤務する整形外科・村上医院の院長に事情を話したときの、未だ疑心暗鬼モードの月子の言葉である。

その言葉を受け、二人で森井の自宅に戻って来た時、そこに、料理ベタの母に料理指導する研二がいた。

3年前から陽子と付き合っていたというその研二が、村上医院の患者の孫であると知って、今度は院長が驚く番だった。

元板前の研二が作った料理で、村上院長を交えた豪華な会食の時間を持つが、その空気に、どうしても入り込めない月子がいる。

「今日から一緒に住むことにした」と言う母の唐突な宣言に、遂に、月子は切れてしまう。

「何で、そんな勝手なことすんの!全然、意味分らなへんねんけど!」

怒りの叫びを結んだ月子は、その足で、大家のサクのもとに駆け込み、そこで泊るに至った。

翌日、父の位牌を母から奪って、身の回りのものをバッグに詰め込み、サクの家に身を寄せるのだ。

しかし、月子を激怒させたことで後悔する研二は、せめて夜だけは庭で寝ると決め、厳しい冬の夜を寝袋で明かしていく。

縁の下で寝泊りしているのである。

研二月子
更に、呆れた月子は、愛犬・ハチを散歩に連れていく朝の日課までも、研二が代行しているのを見てイラつき、立腹するが、排尿を全くしないハチの異常を研二が指摘したことに、合理的に反応する何ものもなかった。

その月子が、京阪電気鉄道(京阪)の電車の騒音に対して、恐怖感を募らせる表情を見せたのは、このときだった。

ここから、月子にとって決して忘れようがない出来事が、彼女の中で侵入的に想起されていく。

それは、本社から転勤して来た若い社員・本橋から受けたストーカー行為だった。

その本橋の相談役を担わされたばかりに、妻子がいる本橋からの執拗なストーカー攻勢を受けるのだ

デートの誘いに始まって、遂には、自分が通う京阪電車内での物理的近接の行為に及び、自転車置き場での恐怖体験に至る。

「俺のこと、バカにしてるでしょ。バカにしてるよね?」

男はそう言った後、月子の体を突き飛ばし、彼女の自転車や、その回りの自転車を破壊する行為に及ぶのだ。

この屈辱的行為を会社に訴えた月子に対し、会社の上司は本橋の謹慎処分が明けるので、出勤の見合わせを促したものの、「行きます」ときっぱりと言い切った月子は、いつものように京阪電車に乗車しようとするが、ホームに座り込んで、結局、乗車できなかった。

彼女が被弾したトラウマが、自分に全く落ち度がないのに欠勤せねばならない理不尽さへの、凛とした「正義」の意志を食い潰してしまったのである。

以降、月子は、PTSDと呼ぶ外にない精神疾患に罹患してしまうのだ。

「男性一般」と「電車の音」に対して過剰なまでに反応する月子の心的外傷は、退職後一年経っても、ハチの散歩を日課にする以外、何もすることなく、限定的な狭隘なスポットで、顔馴染みの隣人たちとの交流に潜入するという「日常性」が常態化されるに至ったのである。

そして今、彼女の「心の友」であるハチが、「オチンチンに石が詰まってしまう」(獣医の言葉)尿道結石に罹患してしまったのだ。

ハチを一回散歩させただけで、異変を感じ取った研二の指摘は正解だったのである。

以下、その研二との結婚の意志を変えない母・陽子に、月子は単刀直入に訊ねたときの会話。

「どこがええん?」
「せやなぁ、ヘラヘラしてるとこかな」
「ヘラヘラ?」
「そう、結構苦労しているのに、そういうの、一切見せんと、いっつもヘラヘラ笑ってるとこかな」
「苦労って?」
「身内が一人もおらへんの。ご両親は、研ちゃんが生れて、すぐに事故でのうなりはってん」

会話に「間」ができて、改まった口調で、陽子が月子に、「白無垢、着ていい?」と懇願したのは、その直後だった。

小さい頃からの夢だと言う母の、思いも寄らない話に当惑する娘の怪訝そうな反応を見て、「今のは、冗談」と笑って誤魔化す母がそこにいた。

母・陽子研二
そんな月子だったが、研二の人間性を知って、母が望む白無垢での結婚を了解する心境にまで届くに至った。

ところが、母の白無垢の衣裳合わせに、月子を随伴したいと言う母の懇望は、相当の無理難題だった。

「お母さん、月ちゃんと一緒に、電車乗って行きたいねん」
「無理」
「大丈夫やって。二人で一緒に・・・」
「無理やって!」

母子の会話に澱みができた。

この澱みを、柔和な言語に浄化させんと繋ぐ母の強い思いが、娘の拒絶反応を惹起させるのは必至だった。

以下、そのときの会話。

「月ちゃん、あんた、ずーとこのままでええの?このまま、ずーと電車に乗らんと、この町から出られんと、それでええのん?」
「そんなん言われんと、分ってるよ」
「分ってるだけやったら、何も変わらへんやろ。月ちゃんは優しいし、ええ子や。そのことはお母さんが一番よく分ってる。でもな、優しいだけやなくて、色んな人と、外の世界で混じり合って、そん中でも、しゃんと生きていける強い人になって欲しいねん・・・」
「分ってるって!でも、皆が皆、お母さんみたいに器用に生きていけるわけちゃうねん!今までずっと、無理せんときって言うとったのに、何で急にそんなこと言いだすんよ!」
「急やないよ。お母さん、ずーと、そう思ってたもん。」
「邪魔になったんや。はよ、結婚したいから、あたしのこと邪魔になったんや。絶対そうやわ。あたしのこと、邪魔やから、さっさと出て行って欲しいから、はよう、二人きりになりたいから、そやから急に、そんなこと言い出したんや!」

母が娘の頬を叩いたのは、この瞬間だった。

「お母さんは月ちゃんが一緒に行ってくれるまで、絶対に放しません!」

母のもとを一時(いっとき)でも離れようとする娘と、その娘の体を掴んで叫ぶ母の心情は、痛々しいまでに伝わってくる重要なシーンが、深い澱みを残して閉じていった。

今、自分の部屋に戻った月子の傍に、研二が座っている。

彼は、自分が板前だった頃、自分を養子にしたお婆ちゃんが死んだ時の話をするのだ。

「どうでもええ、店の仕入れのことで言い合いになって、僕、そのまま家、飛び出して、その日は店にも出んと飲みに行って・・・次の日、朝帰ったら、婆ちゃん家におらんと、焦ってむっちゃ探して、店まで行って・・・そしたら婆ちゃん、店のカウンターの裏で倒れてて・・・今、当たり前に思ってるもんが、すぐ先でそうじゃなくなるかも知れんっていうことを、結局、死んでしもうてから気づかされて・・・もう二度と、婆ちゃんに会うことも、謝ることもでけへんって、ずーとずーと後悔しながら・・・」

自分の思いの丈を、決して饒舌ではない口調で、ゆっくりと柔和に繋ぐ研二の話を、「出てって下さい」という月子の言葉が遮って、その夜の、母と娘の看過し難いエピソードは、母が望むイメージに軟着し得ずに閉じていった。



2  深い情愛で結ばれた「母と娘」の紆余曲折の物語 ―― その2



母・陽子が貧血で倒れたのは、研二と共に、白無垢の衣裳合わせに出かける時だった。

まもなく、母の病気が癌に冒されている事実を、母の担当医に聞かされて、衝撃を受ける月子。

「お母さんから口止めされているんですけどね、ご家族が一人ということなんで、私の判断で話させてもらいますね。卵巣に悪性の腫瘍が見つかったんです。もっと大変なことに、肝臓と肺にまで多発性に転移してて、手術で全部は取り切れへん状態にまでなっていたんです。今のこの状態では、もって1年。ただ、入院して抗癌剤治療に専念してもらえば、もうちょっと長いこと生きられると思うんです。ところがお母さん、今の生活を続けたいという強い意志をお持ちのようで、その選択はされなかったんです」

この事実を知った月子は、入院している母のベッドの傍らで、「何で教えてくれへんかったんですか?」と研二に問い詰めるが、頭を下げるばかりで答えがない。

「でも、嫌やってんもん。こうやって、しめっぽなって、皆にしんどい思いさせたりすんの」

これが母・陽子の言葉。

その陽子の実情を、月子に聞かされたに村上院長もまた嘆息し、愕然として肩を落とす。

「2度玉砕した」と吐露する院長には、「玉砕」の理由が月子にあることを知っていただけに、自分の病気を誰にも話さなかった陽子の心情が分らなくもないのだろう。

ではなぜ、研二だけは知っていたのだろうか。

「研ちゃんにも最初は言うつもりなかってん。研ちゃんとは別れるつもりやったし、実際、別れようとも言うてん。でも、研ちゃん、全然聞いてくれへんで、逆にプロポーズしてきてん。陽子さんの残りの人生、僕に守らせて下さいって。こっちは別れよう言うてんのに、結婚しようって。研ちゃん、あの大きい目をガっと見開いて、“僕は100年一緒におられる他の人より、1年しか一緒におれんでも、陽子さんと一緒にいたいんんです”って。“何で私のことを、そこまで思うてくれるの?”って。ほんま、嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、私の残りの人生、私、この人と一緒にいたいって、心からそう思って・・・」

母の思いの丈を込めた言葉を耳にして、母の結婚を受容する言葉を結ぶ娘。

「私にも、言うて欲しかった。言うてくれてたら、もっとちゃんとできたのに。あの人のことも、もっとちゃんと受け入れてたのに」
「死ぬから受け入れるん?そんなん、全然嬉しない」

本質を衝く母の言葉に、返す言葉もない娘。

翌日、研二が作ったお弁当を、病院の母に届ける娘。

全く言葉がないが、母のベッドに潜り込んで、母を思う心を表現する娘。

この一連のシーンは、とてもいい。

一貫してこの映画は、人と人が触れ合うシーンを饒舌な会話で誤魔化すことなく、充分な「間」をとって映像提示する。

そこが、とてもいい。

「一緒に電車乗って、白無垢、着に行こうか」

思いのこもった月子の言葉である。

彼女の表情は、それまでの表情と完全に切れて、母への情愛の念に溢れていた。

母を乗せた自転車を、娘が必死に漕(こ)いで、京阪沿いの道を走り抜けて行くのだ。

駅までやって来た二人は、自動改札の前で立ち竦んでいた。

真っ先に、母が改札を通り抜けていくが、娘だけが立ち竦んでいる。

そして、意を決した月子の身体が動いていく。

「ツルカメ」

これは、村上整形外科医院に治療に来た少年野球の子供に、プレッシャーに負けずに「ちゃんと投げれるおまじない」として、その少年に院長が教えた言葉である。

この言葉を、この時点で、看護士の陽子と月子が「共有」していたのである。

その一言を繰り返し呟いて、階段を上り、ホームに出る。

電車がやって来た。

まるで自分に襲いかかって来るような電車の機械音が、月子の心身を激しく揺動し、彼女の前で止まった。

電車の扉が開いた。

躊躇する月子。

娘の表情を確かめる陽子。

「ツルカメ、ツルカメ」

今度は、月子の耳元に、母がおまじないを囁(ささや)く。

村上院長が、「ツルカメ、ツルカメ」と二度、復誦する話を思い起こした母がフォローしたのだ。

この言葉に笑みを洩らした月子は、閉まる寸前の電車に、母と共に跳び乗った。

電車の中で抱擁する母と娘。

月子の表情には、満面の笑みが零れている。

月子の自我に巣食う「凍結した時間」が、決定的に溶かされた瞬間だった。

神社の衣裳部屋。

その特別な空間で、いつの日か乗り越えなければならない高いハードルを越えた娘は、今、一生で一度の念願であった母の白無垢を、正座した姿勢で見入っている。

「めっちゃ、綺麗」

そう言った娘の前に正座し、白無垢に身を包んだ母は、三つ指をついて、今の自分の有りっ丈(ありったけ)の思いを言葉に結んでいく。

「月ちゃん、今まで、本当にお世話になりました。私は月ちゃんを産んで、月ちゃんと一緒に生きて来られて、本当に、本当に幸せでした。研ちゃんのこと、病気のこと、ずーと黙っていて、本当にすみませんでした。薫(注/月子の父の名)さん以来、ようやく誰かを好きになれて、そして、その人が、どんだけ素敵な人かということを、真っ先に月ちゃんに知らせたいのに、言うてしもたら、月ちゃんとの何かが壊れてしまいそうで、ずーと言えませんでした。でも、病気になって、自分の命の限りを知り、あぁ、このままやったらあかんって、残りの時間の中で何をすべきなのかを考えました。私が今すべきこと。それは、私の人生を私らしく、幸せに生きることであり、そしてそれを、月ちゃんに見せることによって、月ちゃんにも自分の生き方を見つけてもらいたい。そう思いました。月ちゃん、こんな身勝手で我がままで、どうしようもないお母さんですが、どうか、最期の日まで、どうか一緒にいて下さい。よろしくお願いします」

ここまで、嗚咽混じりの声で語り終わった後、母・陽子は、「こういうの、一遍やってみたかってん」と言って、照れ隠しの笑みを零し、娘・月子の涙を笑みに変換させるのだ。

「私はな、お母さんと一緒におれたら、それでええ。それでええから」

母の思いを存分に受け止めた娘には、それ以外の言葉はなかった。

母の白無垢に鼻水がついてしまい、そのことで「ケ」の日常性が復元し、母娘の明るい表情が弾けていた。

ラストシーン。

金髪を元の黒髪に戻した研二との、神前結婚を済ました陽子。

その母を全面受容した月子。

そして、大家のサクと村上院長が勢ぞろいして、新しい成員が加わった家族が誕生することで、「反復」⇒「継続」⇒「馴致」⇒「安定」という「日常性のサイクル」の新たな更新が、今、ここから開かれていったのである。



3  ストーキングは「心理的テロリズム」である



ここで、物語の月子が罹患したPTSDの原因となった、ストーカー行為について簡単に言及したい。

一言で言えば、我が国でも、2000年11月に施行された「ストーカー規制法」(議員立法)を例に挙げるまでもなく、紛れもなく、ストーカー行為は犯罪である。

「ストーカー規制法」の立法化の契機が、1999年10月、当時21歳の女子大生が元交際相手らに殺害された、「桶川ストーカー殺人事件」であることは周知の事実。

当該事件において、「民事不介入」を理由に警察が全く取り合わなかったばかりでなく、警察の記者会見の意図的説明の影響もあって、各報道関係者から、被害者にも非があると印象づける報道が続くが、加害者の犯罪行為を軽視するこの傾向は、今でも根強く残っているが故に厄介なのだ。

間違った偏見で、ストーカーを育ててしまうからである。

以下、ストーカー行為が、「精神的レイプ」・「心理的テロリズム」である事実を、端的に説明した一文。

「たいていのストーキング被害者は侮辱されたと感じ、深刻な八方塞がり、抜きがたい人間不信に陥る。この苦しみを定義するにあたり、彼らは、『精神的レイプ』『心理的テロリズム』という言葉を用いることまである。ストーキングによって引き起こされた影響は、しばしばストーカーがようやく目の前から消え去った後も長く尾を引くことがある。恐怖の残り滓、ストーキング被害者の大半が経験するストレス耐性の弱さという形でだみずから名乗り出た。(略)ストーキング被害者百人を対象にパテトミューレンが(1997年)行った調査の結果、八十%強がストーキングのせいで不安やイライラが増したと答え、そのほとんどが『神経過敏』、パニック発作、過剰防衛、『震え』の症状を訴えた。四人中三人が慢性的な睡眠障害を訴えた。(略)嘔吐感に襲われた被害者は三人に一人(ストーキングされるかもしれない職場へ無理矢理行こうとしたのをきっかけに発症する例も多い)」(「ストーカーの心理治療と問題の解決に向けて」ポール・E. ミューレン・他著 サイエンス社)

この一文よって、ストーキングが「心理的テロリズム」である事実は自明である。

ここに加えるべき何ものもない。



4  「残り時間」が「凍結した時間」を溶かし、変容させていく物語の出色の出来栄え



この映画ほど、「時間」の大切さを描いた作品を私は知らない。

この映画は、「残り時間」の限られた母の情愛の深さが、1年間以上もの間、「時間」を凍結させてしまっている娘の中枢を溶かし、本来、そこにあったような落ち着いた「時間」の辺りにまで変容させることで、前者の「残り時間」に固有の価値を与え、そこに眩い輝きを照射させていく物語である。

これが、本作に対する私の基本的把握である。

娘・月子の凍結した「時間」を動かしていく行為が、如何に艱難(かんなん)な作業であるという現実の重みは、前述した、「ストーカーの心理治療と問題の解決に向けて」という報告の中で瞭然とするだろう。

この指摘は重要である。

「『神経過敏』、パニック発作、過剰防衛、『震え』の症状」の全てを発現させた月子の、その「日常に喰い込んだ非日常の刺」の痛々しさ。

この事実を想起すれば、彼女の内面を丁寧にフォローしていく描写が説得力を有することが分るであろう。

更に言えば、「ストーキングされるかもしれない職場へ無理矢理行こうとしたのをきっかけに発症する例も多い」という前掲書の報告は、「行きます。あたし、そういうの大丈夫なんで、行きます」ときっぱりと言い切ったものの、京阪電車に乗車できなかった月子のケースと酷似している。

「被害者の実に八十%が、ハラスメントのおかげで自分の性格まで変わったと答えた。被害者の大半は社交的で外出の楽しみを捨て去った上、逆に用心深く、被害妄想的で、恐怖に脅え、攻撃的で、引っ込み思案になったという。女性被害者の多くは、男性への信頼が薄らいだ、他人が何を考えているのかについて、いっそう懐疑的になったと答え、結果、ノーマルな行動が取れなくなったという」

この報告も、前掲書からの引用である。

まさに、物語の月子が経験したPTSDの症状をトレースするものだった。

だから、月子は簡単に動かなかった。

動けなかったからだ。

「ストーキング被害者の大半が経験するストレス耐性の弱さ」

この指摘について、極めて印象深いシーンがあった。

研二の人柄が、月子が被弾したストーカーの、その救いようのないパーソナリティと切れていることが、既に月子自身、理屈では充分に理解できていながらも、思いのこもった彼の口下手な長広舌を耳にして、「出てって下さい」としか反応できなかったことを考えれば、自らが被弾した経験と全く無縁な他人の優しい語りを受けても、残念ながら、そんな優しさの供給力のレベルでは、ストーカー被害者の心の中枢に届くパワーを持ち得ないのである。

それほどまでに、月子のPTSDの被害の深刻さが垣間見えるシーンだった。

安直なテレビドラマなら、板前であった自分の過去の負の部分を晒す男の真心が、「時間」を凍結させてしまった女の心を溶かし、それが彼女の立ち直りの契機になるという構成で逃げ切る狡猾さを見せたに違いないが、本作は違っていた。

どこまでも、PTSDの地獄から容易に解放し得ない女の内面を精緻に描くことで、物語を丁寧に繋いでいくのだ。

この辺りが、本作の最も評価し得るところである。

だから、娘の幸福を真に願うという、「末期癌」の母のストロークが有効になるのだが、本作がこのような「禁じ手」を使っても、それが、如何にも「お涙頂戴」の母と娘の情感交流のチープな物語に堕さなかったのである。

「日常に喰い込んだ非日常の刺」の痛々しさが、丁寧に描かれていたこと。

これが、何より本作の成功の肝にある。

良い映画だった。

【参考資料】 「ストーカーの心理治療と問題の解決に向けて」ポール・E. ミューレン・他著 サイエンス社


(2015年4月)

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