検索

2015年10月20日火曜日

柘榴坂の仇討(‘14)     若松節朗

<人生に決着を付けに行った「全身武士」の男に広がる、反転的風景の鮮やかさ>



1  主君への絶対忠義を果たし得ていない男に被さる苛酷な負荷



明治5年、秋。

悪夢で目が覚めた男は、13年前(安政7年)の婚礼のことを想起する。

彦根から嫁いで来た妻・セツと結ばれた日のことである。

「末永く世話になる。よろしく頼むぞ」

美貌のセツと対面し、笑みを浮かべながら挨拶する。

幸福を約束された新婚夫婦の誕生だった。

男の名は志村金吾(以下、金吾)。

彦根藩の下級武士である。

彦根藩江戸上屋敷。

婚礼の一ヶ月後、金吾は藩内随一の剣術の腕を見込まれ、彦根藩主で、大老・井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ/以下、井伊直弼)の御駕篭(おかごまわり)近習役に推挙された。

井伊直弼の警護に当たる役務だった。

「余を守るか?」と井伊直弼。
「命に換えましても」と金吾。

井伊直弼と金吾
水戸浪士(水戸藩からの脱藩者)を中心とする尊王攘夷運動が荒れ狂う中、道場で腕を競いあった親友・内藤新之助(以下、新之助)に、「政(まつりごと)はどうあれ、俺は殿が好きだ」と吐露した金吾が人生最大の受難に被弾したのは、この年の3月3日だった。

「大老襲撃」の不穏な企てが流布されていても、警護の者を増やさず、「すべて天命」と言い切って登城する井伊直弼。

「その身が尽きる時までは、懸命に生きよということよ」

大きく笑いながら、金吾に向かって放たれた井伊直弼の言葉である。

警護の者たちは、全員に雨合羽を着用し、刀の柄(つか)、鞘(さや)ともに袋を付けさせられていた。

供侍(ともざむらい)が濡れていては、「殿が恥をかく」という理由である。

水戸浪士たちによる襲撃事件が起こったのは、一人の侍の訴状を金吾が預かろうとした瞬間だった。

金吾訴状の浪士
ところが、金吾は訴状の浪士と斬り合い、逃げる浪士を追い駆けて行くことで、肝心の主君の警護から離れてしまった。

この時、金吾が訴状の浪士を追ったのは、「神君家康から拝領した槍」を奪われたからである。

これが、水戸浪士らの戦略だった事実を、金吾が知る由もなかった。

井伊直弼が殺害されたのは、その直後だった。(金吾も訴状の浪士も架空の人物だから、このエピソードは史実ではない)

それを見て、驚愕する金吾。

明治維新へと流れる歴史の起点となった、世に言う「桜田門外の変」である。

「桜田門外の変」
当然の如く、この「桜田門外の変」(以下、「桜田騒動」)で主君を守れなかった金吾に対し、首席家老・本多昌衛門は、「もはや、切腹など許されぬぞ!水戸浪士どもの首の一つでも上げて、殿の御墓前に首を供えよ」と厳命する。

金吾の両親が身代わりになり、自害した行為に免じて打ち首を取り下げるが、「武士の誇り」を持つ金吾にとって、ある意味で、切腹より重い処罰だった。

公儀隠密の調べで、生き残った5人の水戸浪士の殺害を命じられ、今や、全てを喪った金吾の選択肢は、それを受け入れる以外になかった。

「短い間であったが、世話になった。そなたは彦根の実家に帰れ」

金吾は妻・セツへの離縁を迫ったが、セツはこの下命を確信的に拒絶する。

「帰りませぬ。御下命であれば、殿から頂いたも同じ。それをやり遂げるのが武士ではございませぬか。ご本懐をお遂げるになるまでは、お傍に置いて頂きます」

かくて、妻・セツの思いを受け止めた金吾の艱難(かんなん)な戦いが開かれていく。

秋元和衛警部
明治の世になっても、袴姿・月代(さかやき)・髷(まげ)・二本差を身につけた金吾は、「桜田騒動」に関する「旧評定所の記録」を求めて、司法省の秋元和衛警部(以下、秋元)を訪れるが、会うこともままならず成果はなかった。

以下、金吾の回想シーン。

「桜田騒動」から半年経っても、水戸浪士たちは見つからず、金吾の任務は延長される。

この時点で、残りの水戸浪士たちは4人となり、「一人でもいいから首をあげて来い」と厳命されるのだ。

文久3年。京都壬生(みぶ)に新撰組が結成された年である。

この時点で、残りの水戸浪士たちは3人。

切腹を願い出ても、金吾の申し出を家老に拒まれる始末。

慶応4年 江戸無血開城。

残り2人となった。

そして、明治元年 江戸を東京と改称。

その二人のうち、一人は、既に鬼籍に入っていた。

残る一人の名は、佐橋十兵衛。

時代は今や、廃藩置県の大改革で各藩は武装解除され、藩は県となり、旧藩主は失職するという明治政府のクーデターが成就する。

1871年のことである。

時代の変化は加速するのだ。

「桜田騒動」から13年の月日が流れていたが、「騒動」の記憶が脳裏に張り付き、自我の底層に奥深く粘着している者など、金吾の他に誰もいないようだった。

だから、「俺は殿が好きだ」と吐露した金吾にとって、井伊直弼の月命日に足を運ぶ儀礼を欠かすことがない。

しかし、どうしても山門前で足を止め、墓前まで行くことはできなかった。

主君への絶対忠義を果たし得ていないからである。

いよいよ、男に被さる苛酷な負荷が累加されていくのだ。



2  自らを曝け出すことで、何某かの浄化を希求する「全身武士」の男の懊悩



佐橋十兵衛
一方、直吉と名を変えて、佐橋十兵衛(以下、十兵衛)は車夫になっていた。

先の井伊直弼の墓前がある寺院の山門で、金吾と同様に手を合わせていた男でもあった。

彼の内面の時間もまた、13年前の「桜田騒動」によって止まっていたのか。

だから、自分を世話してくれる出戻りのマサがいても、所帯を持ち得ないようだった。

マサチヨ
そのマサの娘・チヨに慕われている十兵衛は、正月でも人力車を引く勤勉さが際立っていた。

そんな男を、今なお、探している金吾が訪ねたのは「東京横浜新聞社」だった。

かつての幕臣が多く勤務していると聞き及んだからである。

しかし、明治初期の政局の混乱に追われる新聞記者・財部豊穂から、全く相手にされなかった。

「これからの日本は、万国公法(国際法のこと)のもとで外国と渡り合わねばならぬのだ。今さら、幕府だの、水戸家など、古いことを言っておっては、いつまで経っても文明国と認めてもらえぬぞ」

これが、説得力のある財部の言辞だった。

「姿形は変わろうと、捨ててはならぬものがある。それも文明ではござらぬか」

これが、「武士の誇り」を堅持する金吾の言辞だった。

一方、酒場で働きながら、金吾の生活を支えるセツにとって、夫婦の何気ない日常性だけが至福のひとときである。

酒場の女中に字を教えたお礼にもらった、西洋のお守りである「ミサンガ」をつけるセツは、この「ミサンガ」に夫婦の幸福の継続を託しているようだった。

その紐が切れたときに願いが叶うという「ミサンガ」の話を、夫に楽しそうに話すセツの至福の時間を心から感受し、それを限りなく伸ばそうと思ったであろう金吾。

その金吾が、日本橋で偶然、邏卒(らそつ/明治初期の司法省の警察官)になっていた、かつての親友・新之助と再会する。

新之助
新之助は金吾の現実を目の当たりにして、元評定所御留役(おとめやく)だった秋元に対し、情報の提供を懇願するに至る。

これが功を奏し、金吾のもとに秋元から書状が届き、秋元家に自宅に出向くように求めたもの。

その事実をセツに話す金吾の重い表情には、「仇討」が遂行した折りのセツの思いの辛さが想像できるからである。

即ち、「仇討」の遂行による切腹と、セツの後追い自殺というイメージを払拭できないからだ。

だから、セツは金吾の言葉を重く受け止め、憂いげな表情を隠し切れない。

金吾セツ
無理に作ったセツの笑みを振り切って、金吾は出かけていく。

かくて、秋元家に出向く金吾。

金吾が、太政官布告として「仇討禁止令」の張り紙の掲示を見たのは、秋元家に向かう途中だった。

秋元家で、秋元は金吾に、「旧評定所の書き付け」の仔細を知る者から得た情報を話していく。

「桜田騒動」に加わった浪士たちは、現場での斬死が1名、後に4名が自刃、自訴した者が8名、その中で、熊本藩邸と脇坂淡路上邸に自首した者が4名いて、その4名の吟味に秋元自身が立ち会ったということ。

それを、金吾に詳細に説明する秋元。

金吾に詳細に説明する秋元
「どの者たちも神妙だった。皆が皆、申すところに食い違いもなく、何一つ、包み隠そうとはしなかった。自訴した者は皆、切腹と相成った」

この「切腹」という言葉に反発する金吾は、「なにゆえ、打首ではないのでござりまするか」と、秋元に迫った。

「私心なく、国を憂うる者の心情を疎(おろそ)かにしてはならぬ。それを踏みにじって断罪を下せば、命を懸けて国を思う者はいなくなる。水戸の者どもは国士であった。掃部頭直弼様は、安政の大獄の折、国を憂うる多くの者たちの首を刎(は)ねられた。あの御裁可こそ誤りである」

ここまで言われた金吾は、咄嗟(とっさ)に自分の刀に手をかけた。

「斬るか!彦根にとって、憤懣やる方ない裁きを下した評定衆の一人を討てば、確かに仇討にはなろうぞ!」

秋元も凛として反応する。

秋元を凄い形相で睨みつけた金吾は、必死に感情を抑え込み、踏み出した態勢を元の位置に戻し、生き残った最後の一人の消息を、強い口調で尋ねる。

以下、秋元の返答。

「いざ、下手人を捜し当ててみれば、その者もまた、世に名乗ることもままならず、顔を曝すこともできず、ひたすら雌伏(しふく)をしておったのじゃと、わしは知った」

金吾の興奮も収まっていない。

「雌伏とは、他日を期しつつ、困難に耐えることでござりましょう。即ち、期すべき未来などあろうはずもないその者は、ただの逃亡者でござります!何を今さら、お庇いになるのか!」

この激しい金吾の詰問に対し、秋元はその問いに答えず、雪が降り頻る庭に咲く寒椿を見ながら、ゆっくりと語り出す。

「ひたむきに生きよ。あの花見てると、そんな声が聞こえてくる。凍てつく寒さの中、雪に埋もれても、ただひたむきに生きよ。決して死ぬな。時代は大きな垣根を超えて、全ては変わったのだ。徳川も彦根も既にないのだ。ならば、あの椿のように、この新しい世をひたむきに生きたらどうか」

金吾も、冷静に応えていく。

「国がいかなる法を定めようが、それがしの思いが消えるわけではございません。家禄の復帰も汚名の返上も、この胸にはあり申さぬ。それらは全て打算」

「ならば、何ゆえ?」と聞き返す秋元に、金吾は自分の思いを正直に吐露する。

掃部頭直弼
「拙者は・・・拙者は掃部様が好きにござりました。国の行く末を、誰よりもご案じになられながらも、春になれば梅を愛(め)で、ウグイスの声を心待ちにされる。そんな、そんな掃部様がたまらなく好きにござりました。あの雪の騒動の折にも、それがしには夢としか・・・」

ここで秋元に、「もう言うな!」と遮断されても、心の奥底に張り付いている真情を、最後は嗚咽の中で閉じていく。

「全身武士」の男の懊悩が、自らを曝け出すことで、何某かの浄化作用になっていくようだった。



3  人生に決着を付けに行った「全身武士」の男に広がる、反転的風景の鮮やか



直吉と名前を変えた十兵衛もまた、「仇討禁止令」の張り紙に目を通し、安堵の表情を浮かべるように見えた。

金吾十兵衛
その十兵衛の人力車の前に、既に十兵衛を特定している金吾が立っていた。

「雪景色と言えば、やはり桜田御門であろうな」と金吾。
「あいにく、これじゃ桜田掘りの坂を登れません。勘弁しておくんなせい」と十兵衛。
「さようか。実はそれがし、桜田御門の雪景色など、もう二度とは見とうない」

この時点で、笠を被っている十兵衛も金吾を認知している。

「笠を上げてはもらえぬか?」

笠を上げ、顔を見せる十兵衛。

「雪見にお伴いたしやす」と言って、覚悟を決めた十兵衛は、金吾を人力車に乗せる。

人力車を走らせる前に、十兵衛は金吾に「お客さんは、お幾つでござんすか?」

「45になる。それが、どうかしたか?」
「いえ」

発車する人力車。

「妻子はおられるか?」と金吾。
「あいにく、男やもめでござんす」と十兵衛。
「親は?」
「あっしの不幸で、亡くしちまいやした」
「不幸をかけたか?」
「へぇ、若い時分にとんだ親不孝しちまったもんで、父(てて)親どころか、お袋まで、生きちゃいられねぇようなことになっちまいやして」
「実はそれがしも、同じ親不孝をした。父母を亡くして、13年になる。子はないが、妻には未だに苦労をさせておる」
「この年まで所帯なんぞ持たずにきて、よござんした。何があったところで、悲しむ人間など誰もおりぁせんから」
「名を尋ねたいのだが?」
「直吉と申しまやす」
「いや、車を引く前の名を尋ねたい」
「佐橋十兵衛と名乗っておりやした」
「世間の目を晦(くら)ましたつもりか?」
「いいや。つまらない話を聞いて下さいやすか?」
「申せ」
「若気の至りで、手にかけちまったお人の一文字を頂戴いたしやした」
「何ゆえじゃ?」
「のちのち思えば、その人の言っていたことは、ごもっともでござんした」
「ならば、殺めたことも誤りだったと申すか」
「いや、それは間違いじゃござんせん。ただ、おっしゃってらっしゃったことは、いちいちごもっともだったと。せめて、そのご慧眼(けいがん)を仮の名の一文字に刻ましていただこうと思いまして・・・それが今、ただ生きているだけにござんす」

人力車は今、柘榴坂に辿り着く。

ここで「桜田騒動」の際に、金吾との斬り合いで深傷(ふかで)を負った十兵衛が、自刃しようとして叶わなかった回想シーンが映し出される。

肩を斬られていたことで、刀を握れなかったからである。

柘榴坂で車を停めさせる金吾。

斬られるつもりで、雪面の上に正座する十兵衛。

「そこもとのご執着、頭が下がりもうす。存分に、本懐を遂げられよ」

立ち会うつもりで語る金吾。

「刀はとうに捨てもうした」

この十兵衛の言葉に、「拙者は脇差でよい」と言って、金吾は自分の刀を差し出す。

「それでは、あの日と同じでござろう。そこもとは脇差で戦(たたこ)うた」と十兵衛。

十兵衛
それでも、脇差の金吾と、差し出された金吾の刀を抜いた十兵衛が、柘榴坂の中枢で立ち会うのだ。

暗い闇の中で、二人の男の剣が激しくぶつかり合う。

金吾の脇差が十兵衛の首にかかったところで、ピタリと止まる。

「なぜ斬らぬ」

そう言って、一瞬の隙に金吾を突き放し、自刃しようとする十兵衛を、金吾は体当たりして止めるのだ。

「13年前、あの雪の中で、とうに命を終えているはずだった。愚かにも生きながらえたこの身は、今、ようやく雪に埋めることができる。さあ、討って下され」

この十兵衛の究極の思いを目の当たりにして、金吾は何もできない。

「どうした!僅か18名の刺客に主君の首を奪われた彦根侍が、その仇も討てぬのか!」

一輪の寒椿
この十兵衛の挑発に、思わず刀を振り上げた金吾の視界に一輪の寒椿が捉えられたとき、もう、何もできなくなった。

金吾の殺意は決定的に萎えてしまったのである。

「あの日、掃部様はおおせになった。かりそめにも、命を懸けた者の訴えを疎かに扱うなと。分るか、十兵衛。よしんば、その訴えが命を奪う刃であっても、掃部様も甘んじて受ける覚悟でおられたのだ。おぬしら水戸者は命を懸けた。だからわしは、そなたを討つわけにはまいらん。掃部様の家来ゆえ、その御下知(おげち)に従う・・・おぬしはあの日からずっと、この垣根の際(きわ)に座っておられたのだな」

殺意を削り取られた金吾は、主君の言葉を想起することで、この心境に達したのである。

「おぬしこそ、あの彦根橘(ひこねたちばな/井伊家の家紋)のお籠の傍らに、ずっと立ち尽くしておられたのか」

しばし、無言の二人。

「佐橋殿、時代は確かに変わった。だが、武士を捨てることはない。その心を持ったまま、この垣根を越えてはもらえぬか・・・生きてはくれまいか」

秋元の言葉を反芻(はんすう)するかのような金吾の思いに触れ、十兵衛の嗚咽は止まらなかった。

二人の男による、「人間の尊厳」を懸けた「柘榴坂の仇討」の物語は終焉する。

人生に決着を付けに行った「全身武士」の男に広がる、反転的風景の鮮やか。

まさに、この表現に相応しい幕切れだった。

その夜、十兵衛はマサの家に寄り、おチヨ坊に金平糖のお土産を渡すように頼む。

「今度、おチヨ坊を車に乗っけて、3人で湯島天神の縁日でも行きゃせんか」

自分の家に帰り際、寡黙でストイックな十兵衛は、マサに不器用な口調で誘うのだ。

思いがけない言葉に驚きを隠せないマサ。

十兵衛がいなくなったスポットで、涙交じりの中で、マサの喜びの表情が印象的に映し出されていた。

明らかに、「非日常の日常」の重い時間を繋いできた男の内面風景が変容していのだ

余計な会話に振れない、このシーンはとてもいい。

観ていて、嗚咽を抑えるのに必死だった。

そして、もう一人の帰還者が、愛する妻が勤める酒場の前にその姿を現わす。

金吾である。

無事に帰って来た夫を凝視し、もう言葉が出ない。

「一緒に帰ろうと思うてな」

金吾である。

帰り支度をして、セツは夫のもとに走り寄り、二人で貧乏長屋に帰って行く。

「長い間、苦労をかけた」

心優しい金吾の言葉に、嗚咽を隠せないセツ。

「今朝、あなたがお出かけになられてから、もう、二度とお会いすることはないと、ずっと、そう思っておりました」

些か説明的過ぎる台詞に違和感を持つが、ともあれ、セツが自分の左手に目をやった。

「ミサンガ」が切れてなくなっていたのである。

彼女の願いは叶ったのである。

「ミサンガ」という言葉が台詞に変換されていない分だけ、観ていて救われる。

「明日は、掃部様のお墓参りをいたそうと思う。お前も伴をせい」
「はい」

静かに妻の手を取り、ゆっくりと雪道を歩いていく二人。

余情の残るラストシーンである。



4  「取り返しのつかない誤り」を犯した男が負った「苛酷な報復の旅」



他者や組織が介在する人間の誤りには二種類ある、と私は思う。

簡単な分類だが、有効で合理的な責任の取り方が可能となる「取り返しのつく誤り」と、それを持ち得ない「取り返しのつかない誤り」の二種類である。

有効で合理的な責任の取り方が存在しないからこそ、「取り返しのつかない誤り」なのである。

それでもなお、その誤りを犯した者が責任を求められたらどうなるのか。

人生論的に言えば、この映画は、このような厄介な状況に搦(から)め捕られた者の〈生き方〉を描いた作品であると見ることもできる。

時代は、我が国が歴史的に最も難しい情況に呑み込まれた江戸幕末。

些か同情の念を禁じ得ないが、主人公の金吾は、自分の致命的なリスク管理のミスで主君を死に至らしめてしまった。

その時点で、狭義の「武士道」である「忠君」という観念系をバックボーンにする男の人生は、既に、「アウト」であると言っていい。

まして、金吾の忠君思想には、「俺は殿が好きだ」という存分な思いが込められているが故に、彼が喪ったものの大きさは、とうてい計り知れないものだった。

表層的な忠君思想の観念系を超えた、遥かに人間的感情が内包されていたこと。

これが、彼の人生の選択肢を、切腹以外の何ものでもない落とし所に限定させてしまうのである。

心情的にも、金吾にはもう、それ以外の選択肢は存在しないのだ。

しかし、藩はそれを許さなかった。

有効で合理的な責任の取り方が、生き残った浪士たちへの報復という行為に結ばれたのは、藩サイドから見れば頷けなくもない。

死ぬことすらも許されない「苛酷な報復の旅」。

これが、金吾が負った十字架だった。

彼の内側には、報復の果ての自死という流れがイメージされていたとしても、時すでに遅し。

金吾が負った十字架の「受け皿」、即ち、彦根藩という拠って立つ存在基盤が崩れ去ってしまったのだ。

それでも金吾は、「苛酷な報復の旅」を止めなかった。

なぜか。

存分な思いが込められていた、主君への弔慰が自己完結しないのである。

だから、山門前で手を合わせる行為の先に進めない。

それなしに、金吾の「取り返しのつかない誤り」を終焉させ得ないからである。

そんな男の心理的バックボーンとは、何だったのか。

一言で言えば、「武士の誇り」である。

「姿形は変わろうと、捨ててはならぬものがある」

金吾の確信的言辞である。

彼は、この確信的言辞を抱懐して、「見えない敵」を追い続けるのだ。

思うに、なぜ金吾は、13年間も、この行為を継続することが可能だったのか。

一言で言えば、妻・セツが、金吾の「心」と「食」という、「非日常の日常」の時間を支え切っていたからである。

このことは、金吾を演じた主演の中井貴一も、「金吾を演じていて、途中からこれは夫婦愛の物語だと気づいたんです。金吾はセツがいなかったら間違いなく切腹しているでしょう」とインタビューで答えていた。

中井貴一が言うように、詰まるところ、この映画は、ゴールラインを決めたが故に、「共有」する至福の時間を丁寧に紡いでいく夫婦愛の物語でもあったのだ。

そして、ゴールラインと信じる「別離の時」がやってきた。

そのとき、男は何と言ったか。、

「温かくなったら、二人で彦根に帰ってみるか」

そのとき、妻は何と答えたか。

「うれしゅうございます」

帰宅不可能の「旅立ち」と知りながら、小さな笑みを含ませながら、そう言ったのである。

いつでも、日本の女は強いのだ。

このシーンは、本作の白眉である。

そうでありながら、秋元夫人に、「妻の後追い自殺」を含意する説明描写は、映画の完成度を貶(おとし)めかねないシーンだったのが悔やまれる。

―― 本稿の最後に、この映画の最大のポイントである金吾の心理の変容について、簡単に分析したい。

原作を読んでいないので、以下の批評は、すべて私の主観である。

前述したように、金吾が妻と別れ、抱え切れないほどの重石を累化してきた苛酷な人生に決着を付けに行ったのは間違いない。

そのために秋元の自宅を訪ね、十兵衛の所在を聞きに行った。

秋元
しかし、秋元からの反応は、金吾を激昂させてしまう情報の連射だった。

十兵衛もまた煩悶しているという意外な情報を得たばかりか、自分が大好きな主君の批判を受け、思わず刀を抜こうとしたのだ。

しかし、秋元には全く悪意などなかった。

だから、余計に許し難かったのだろう。

精神的に追い詰められた金吾は、主君に対する敬慕の情の深さを嗚咽の中で表現する。

この金吾の嗚咽は、尖り切った彼の内側で累化された心の重石を、浄化する効果を持っていた。

それだけでも、「全身武士」の金吾は救われるのだ。

それはまるで、あの雪の降り頻る悲劇を想起させるように、「必死に耐え忍ぶ寒椿の赤」という構図だった。

それほどまでに、この男は、苛酷な人生への決着だけが救いとなる心の風景を封印してきたのである。

そんな金吾の心の風景の本質を見抜いた秋元は、恐らく、以下のような言葉を添えたように思われる。

「自分の眼で十兵衛という男を観察するがいい。観察した上で、あの男を斬るか否か判断しなさい」

このような条件を与えられた上で、金吾は秋元から十兵衛についての情報を得たに違いない。

この時点で、金吾は十兵衛という男を観察した上で、自分の人生に決着を付けようと考えた。

そう考えるのが妥当である。

それでも、金吾の脳裏には、訴状を持って襲いかかって来た男の卑劣さを許していない。

だから、十兵衛を視認し、彼の車に乗り、柘榴坂に辿り着く前に、彼の人となりを観察していく。

十兵衛を観察する金吾にとって、その最大の狙いは、十兵衛という男が命乞いをするようなケチな「元水戸浪士」であったかどうかという問題に尽きる。

繰り返し問い質(ただ)し、彼の心情の奥深い辺りまで観察するのだ。

しかし十兵衛は、秋元が話したような人物であることを認知せざるを得なかった。

従って、柘榴坂での「決闘」において、金吾が十兵衛を斬らなかったのは、まさに、十兵衛自身が自死を願うほどに煩悶している男であることを知ったからだ。

彼は卑怯者ではなかったのである。

むしろ彼は、自分を敢えて斬ることを求めるように、金吾を挑発したのだ。

この挑発に乗ってしまった金吾が、一瞬、十兵衛に殺意を抱いたのは事実である。

その金吾の殺意を削り取ったのは、秋元家の庭に咲く寒椿。

その赤が、金吾の心理を反転させたのである。

「凍てつく寒さの中、雪に埋もれても、ただひたむきに生きよ。決して死ぬな。時代は大きな垣根を超えて、全ては変わったのだ」

秋元のこの言葉が、本作の本質を射抜いていると言っていい。

これで一切が終焉する。

繰り返すが、この映画は、人生に決着を付けに行った「全身武士」の男に広がる、反転的風景の鮮やかさというサブタイトルが最も相応しい作品だった。

金貸しとヤクザ者を過剰なまでに糾弾するエピソードの、「拝金主義の現代」への批判を思わせるメッセージには共鳴できないが、「武士の誇り」という狭隘な観念系ではなく、自己を貶めるような〈生き方〉を拒絶する「人間の尊厳」を堅持した男たちの生き方に、率直に感動した。


【参考資料】  「柘榴坂の仇討 インタビュー: 中井貴一×若松節朗監督 eiga.com
  

(2015年10月)

0 件のコメント:

コメントを投稿