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2014年11月17日月曜日

奇人たちの晩餐会(‘98)     フランシス・ヴェベール


悪意なき「突き抜けた愚かさ」の餌食になったリッチな者たちの度し難き「愚かさ」>




1  限度なくエスカレートする悪趣味のゲームのペナルティーを受ける男



冒頭に、ブーメラン男が広い公園の中で愉悦していた。

「アボリジニの戦士が使う原始的なブーメラン」(本人の言葉)を投げ、遠くまで飛ばした果てに、自分の額(ひたい)に当たってしまうのだ。

このシーンこそ、本作のメタメッセージになっていることは、最後に明かされる。

一方、「お偉方が集まる晩餐会」に招待され、嬉々として語る男がいた。

無論、その男は、「お偉方が集まる晩餐会」が悪趣味に満ちたゲームである事実を知らない。

そのゲームとは、毎週水曜日に、リッチな連中たちが「バカ」を連れて来て、彼らに奇人ぶりを競い合わせ、「バカのチャンピオン」を決めるという低俗の極致とも言える「晩餐会」。

そのゲームでの「バカのチャンピオン」に相応しい人物と特定されたのが、「お偉方が集まる晩餐会」に招待され、嬉々として語る男 ―― 大蔵省の税務局員であるピニョンだった。

以下、この抱腹絶倒のコメディの面白さの詳細な梗概を紹介していく。


まず、ピニョンの「バカさ加減」を曝け出す最初のエピソードから。

フランスの特急列車でのことだった。

マッチ棒で建造物の模型を作り、それを写真にする。

それが趣味だった。

いきなり自分の向かい側の席に座って、エッフェル塔のマッチ棒模型の写真を落としたことで、ピニョンは、こんな自慢話を始めたのである。

ピニョンコルディエ
「エッフェル塔。マッチ棒で34万6422本・・・まず最初の問題は、吊り橋とは0.1度の角度でもダメなんです。コンコルドの難しさは・・・」

次々に模型を写した写真を出して、列車が終点に到着するまで、仕事で「晩餐会」に参加できないコルディエに語り続けるピニョンの話は止まることがなかった。

ピニョンの話を聞いて、まさに「バカ」に相応しい人物と特定したコルディエは、早速、友人のリッチな出版社社長・ピエール・ブロシャン(以下、ピエール)に連絡した。

「世界一のバカだ」

コルディエの第一声である。

「世界一のバカ」と太鼓判を押されたピニョンに、ピエールから電話が入り、「お偉方が集まる晩餐会」に招待され、緊張含みで快諾する。

一切は、ここから開かれていく。

今回は、10人の「バカ」が招待されたにも拘わらず、肝心のピエールはゴルフスィングの際に腰を痛めてしまった。

それでも、「バカのチャンピオン」を決める「晩餐会」を楽しみにするピエールに、妻のクリスティーヌは露骨に非難する。

「人をバカにして楽しいの?」

夫の悪趣味に付き合い切れなくなったからだ。

ピエール妻のクリスティーヌ
「バカだからバカにする。当然だろ」

専門家に頼んでまでも「バカ」を探させる夫の悪趣味は、今や限度なく、エスカレートするばかりだった。

ぎっくり腰になったピエールの高級アパートの6階にピニョンが訪ねて来たのは、クリスティーヌが部屋から姿を消し、主治医のソルビエと入れ替わりになったときだった。

「お会いできて、嬉しい」
「僕もです。ご招待を受けてからというもの、雲の上にいるみたいで。初めは冗談かと。バカみたいでしょ?大出版社が僕に興味を持って、晩餐会に招待だなんて。人生が変わりました」

女房を寝盗った「僕よりバカな職場の男」の話をするピニョンに、嘲笑を隠し込みながら笑うピエール。

しかし、ピエールの笑いも、そこまでだった。

「もう、二度と帰らないわ。さよなら」

留守電に入ったクリスティーヌの「縁切り宣言」である。

動顛するピエールは、頼りないピニョンのサポートで、ぎっくり腰を悪化させ、主治医の往診の依頼をピニョンに求める。

主治医のソルビエの元に電話をかけたつもりのピニョンは、あろうことか、ピエールの愛人・マルレーヌの家に電話をしてしまう。

ピニョンピエール
そこで、クリスティーヌの家出の事実を話したことで、「色情狂」(ピエールの言葉)のマルレーヌが駆けつける事態を怖れるピエールは、クリスティーヌが帰宅した旨を、再びピニョンに電話させるが、「バカ」な男は、誤ってクリスティーヌの不在について暴露してしまうのである。

慌てたピエールは、大急ぎで駆けつけるマルレーヌに、「妻の帰宅」を電話で説明するが、マルレーヌは全く信用しなかった。

「残念だけど、奥さんは戻って来ないわ。絶対にルブランの所よ」

その話を聞いて、自分に親切に振る舞おうとするピニョンを追い返すピエールの傲慢な態度は、逆にピニョンを怒らせてしまう。

「人の親切に“出ていけ”と言うのは失礼です。さよなら」
「ルブランは親友だったが、二年前に絶好した」

かつて、ルブランの恋人だったクリスティーヌと結婚したというピエールの話を受け、単純なピニョンは、急性腰痛症と「妻の縁切り宣言」のダブルパンチで、傷心を極めるピエールに同情し、自分が代わって、作家のルブランの家に電話をすることになる。

この時点で、ピエールには、晩餐会への参加のモチーフなど二の次だった。

ベルギーのプロデューサーを演じて、ルブランの小説の映画化権を買う話に託(かこつ)けて、クリスティーヌの所在を確認する魂胆なのだが、「世界一のバカ」は、本来の目的を忘れて、「映画化権を買ったぞ!うまく値切れた!」と躍り上がって大喜びする始末。

「たった5分で全部忘れた。僕の想像を超えてる」

呆れ果てるばかりのピエールだけが、「突き抜けた愚かさ」を体現する男に翻弄されている。

それは、限度なくエスカレートする悪趣味のゲームのペナルティーの風景を、存分に露わにするようだった。



2  シチュエーション・コメディの独壇場の世界の威力が炸裂するラストシーン



帰宅して来たクリスティーヌをマルレーヌと間違えたために、ピエールの愛人の訪問を歓迎するようなメッセージを、相手を特定できずに送ってしまうピニョンの行動が、更に腰痛で歩けないピエールの状況を悪化させてしまう。

そのことは、ルブランにピエールの電話を教えてしまったために、ピエールの現状を心配するルブランが訪問するに至り、肝心のクリスティーヌが、「広告屋のムノーの家に行く」と言う連絡を受けた事実を、友人のピエールに話すのだ。

「最低の女ったらし」(ピエールの言葉)と決めつけられたムノーこそ、クリスティーヌの浮気相手と特定された男。

散々、バカにされたピニョンが税務官であったことが、またしても事態を悪化させていく。

ムノーについての情報をピニョンが知っていることで、帰りかけたピニョンを部屋に戻すピエール。

ピエールが知りたがっているムノーの住所を聞いても、サッカー観戦に夢中になるピニョンの奇矯な行動を見せつけられ、爆笑するルブラン。

「腰痛のうえにバカに翻弄され、妻に逃げられたうえに、一晩中、あんな奴と!」

かくて、ピニョンが「敏腕の査察官」と呼ぶシュバルから、ムノーの住所を聞き出すために、まだ夕食を摂っていないというシュバルを、ピエールの家に招くことになった。

そのシュバルがピエールの家にやって来た。

ムノーの住所を聞き出す狙いなのに、空腹のシュバルにオムレツを振る舞い、一向に本題に入ろうとしないピニョンに、「住所だよ!バカ!」と怒鳴りつけるピエール。

しかし、何とかムノーの住所を聞き出したものの、ムノーに声を知られているピエールとルブランに代わって、又しても、電話するのはピニョン。

「どうやら、僕の出番ですね」

左からルブラン、ピニョン、ピエール
ピニョンのバカさ加減に懲りているピエールは、一頻り練習させた後、共同経営者のルッサンの代理人を装って、ムノーに電話するピニョン。

「振られたよ」とムノー。

その声を聞いて、安堵するピエール。

「ルッサンは奥さんと一緒だと?」とピニョン。
「まさか。査察官の女房だよ。僕を査察した変態さ。奴の女房を寝盗った」

ムノーが寝盗ったのが、後方にいる査察官・シュバルの女房と知って、動顛するシュバル。

「ムノーの会社に使いを頼んだ。結果がこれだ」

そう言って、ムノーの家に電話するシュバル。

ムノーの家で浮気中のシュバル夫人に電話を取り次がせ、怒りを露わにするシュバル。

「すぐ帰るんだ。今すぐ!何?服を着ていいか?勿論だ!」

爆笑を抑え切れないピエールとルブラン。

右が査察官のシュバル
査察官の訪問があると知って、高価な絵画などを慌てて隠し込んでいたピエールとルブランだが、又候(またぞろ)、ピニョンのミスで査察官にバレてしまうというエピソードのオチもついていたことも添えておこう。

クリスティーヌが、自らが運転する車で交通事故に遭って、病院から連絡が入ったのは、その直後だった。

更に、思わぬ事態が発生する。

ピエールが追い返したマルレーヌから電話があって、傷心の思いを存分に吐露する「色情狂」。

その電話の受け手がピニョンだったことは言うまでもない。

典型的な「おバカさん」でありながら、心優しいキャラを持つピニョンは、自殺を仄(ほの)めかすマルレーヌを慰撫(いぶ)しているうちに、彼女からとんでもない情報を得るに至った。

「お客を笑い者にする、あの晩餐会だって最低」

「晩餐会」の本質を知ったピニョンは、衝撃のあまり、今までにない深刻な表情を見せている。

「今夜の晩餐会の目的は?」

病院に行こうとしたピエールに、ピニョンは直截(ちょくさい)に問い質す。

「模型の話を聞くためだ!」
「客は誰?どんな客?」
「なぜ、そんな質問を?」
「客の基準は?僕は“バカの晩餐会”の客?」

一瞬、「間」ができた。

反応できないピエール。

クリスティーヌ
そこに、クリスティーヌから電話があって、病院に来ることを拒む意思を告げられたピエール。

必死に弁解するピエールにとって、今や、八方塞がりで殆どお手上げの状態だった。

「君はたった一晩で、僕らが晩餐会で笑い物にしたバカたちの仇を打った」

真剣な表情で追求するピニョンに対する、それ以外にない「決め台詞」とも言えるピエールの反応である。

「やっぱり人でなしだ」とピニョン。
「その通り。皆が認める人でなしだ。人でなしは身捨てられ、泥酔する。善人ピニョンは“いい気味だ”と笑う」

悄然としたピエールの自虐的な言葉を聞き、ピニョンは、この物語で初めて、自分の意思で電話をかける。

電話の相手は、病院のベッドで伏しているクリスティーヌ。

「哀れなのは僕じゃない。ご主人の方です。彼は最低の男ではなく、最高に不幸な男なんです。病院に来るなと拒絶され、あまりに寂しげなので、バカの分際で、あなたに電話を。女房に捨てられた時、僕の人生は暗闇になった。模型作りで生き延びた。でも心は、まだ暗闇です。彼を同じ目に遭わせたくない。今夜、ご主人は全力であなたを探した。逢引き中のムノーにさえ電話したんです。あなたを愛している証拠です。絶好中の友人とも仲直りしました。今夜、彼は人生の大掃除をしたんです。今、空っぽの家で、孤独に薬を酒で飲んでいる。僕は心配です。愛は人を殺すこともある」

自らが、“バカの晩餐会”の客であることを告白し、それでもなお、反省の思いを表現したピエールの心情を理解し、クリスティーヌに対して全人格的に吐露したことで、相手の心を揺さぶり、変えてしまったのである。

後述するが、状況や人間への洞察力や、メタ認知能力の相対的欠如が目立っていても、半日を過ごした男の心情を理解する能力くらいは持ち得ていた。

だから、女房に捨てられたことで、模型作りで生き延びながらも、税務局員の最低限の仕事をこなせるのである。

取り合えず、これで一件落着した。

少なくとも、ピエールは、そう思ったに違いない。

「次の晩餐会では、僕が客になるよ。僕こそバカだ」とピエール。
「利口って疲れますね」とピニョン。

ここで、冒頭のブーメラン男のシーンが、「自省するピエール」への伏線であったことが判然とする。

「バカをバカにする晩餐会」で騒ぎ捲っている連中の、その遣り切れないまでの愚昧さ・下劣さのゲームの伏線が、ブーメラン現象と化して回収されるに至ったのだ。

まもなく、クリスティーヌから電話が入った。

電話に出たピニョンは、思わず、ピエールが横にいることを話したことで、公衆電話から電話をしているというピニョンの嘘がバレて、決定的な局面でクリスティーヌを怒らせてしまった。

「最高のバカだ!」

頭を抱えるピエール。

ラストカットである。

こんなオチがあっても、ピエールとクリスティーヌの夫婦は、ヨリを戻すだろう。

愛し合っているからである。

「予定調和」のラストシーンは、シチュエーション・コメディの独壇場の世界の威力を垣間見せて、完璧なまでに閉じていったのである。



3  悪意なき「突き抜けた愚かさ」の餌食になったリッチな者たちの度し難き「愚かさ」



人間の「愚かさ」とは、一体、何だろうか。

この素朴だが、意想外に厄介なテーマに対する私の解釈は、以下の二つの概念のうちに収斂される。

即ち、「対・他者無知」と「対・自己無知」という二つの概念である。

「対・他者無知」とは、人間洞察力の相対的欠如であり、「対・自己無知」とは、メタ認知能力(自己を客観的に認識する能力)の相対的欠如である。

「自己が他者を如何に理解しているか?」

この能力の不足が、「対・他者無知」=人間洞察力の相対的欠如である。

「自己が他者からどう理解されているか?」

この能力の不足が、「対・自己無知」=メタ認知能力の相対的欠如である。

人間にとって必須な、この二つの能力の相対的欠如が決定的なまでに露わにされてしまうと、恐らく、本作の主人公・ピニョンのような裸形の人間像の「愚かさ」が目立ってしまって、その「愚かさ」を嘲笑することでストレスを解消するリッチな者たちの、甚だしく悪趣味なゲームの格好の餌食になってしまうだろう。

加えて、与えられた課題を合理的に遂行できないという能力的欠陥も手伝っているから、途方もなく非武装な日常性を顕在化させている、ピニョンの「愚かさ」は、リッチな者たちの悪趣味のゲームにとって、「最高の餌食」となるはずだった。

ピニョンのような度し難い「愚かさ」は、常に、品性下劣な連中に喰われていくことで、彼らのアンモラルな消費の餌食になるゲームに終わりが来ないのだ。

ところが、ピニョンの度し難い「愚かさ」が、「突き抜けた愚かさ」であったために、リッチな者たちの餌食になる思惑が、逆に存分なアイロニーの味付けによって、全く悪意の欠片も拾えない男・ピニョンの「餌食」にされてしまうのだ。

スラップスティック・コメディ(ドタバタ喜劇)に呑み込まれるギリギリのところで確信的に堪え抜き、人物と舞台の固定化によって観る者の笑いを誘う典型的なシチュエーション・コメディの枠内にあって、「会話」と「間」で繋ぐエスプリに富んだこの映画の可笑しさの本質は、緻密な脚本が冴え渡り、喜劇の王道を堅持する確としたストーリー性を崩さなかった点にある。

ここで、私は勘考する。

「愚かさ」の反意語である「聡明さ」・「賢明さ」の基準が、特定個人が占有する活字的情報量の多寡の問題とは基本的に無縁であるということ ―― この把握が私の中にある。

要するに、幅広い知識を臆面もなく誇示する特定個人の情報量がどれほど多くても、その者が限りなく、「聡明さ」・「賢明さ」の格好のモデルであり、「愚かさ」とは無縁であるとは言い切れないのである。

それは単に、表面的には、その「愚かさ」が僅かなために、「目立たない程度に愚かなる者」であるという度合の問題に過ぎないのである。

その「愚かさ」が僅かなために、「目立たない程度に愚かなる者」は、「対・他者無知」と「対・自己無知」の象徴的モデルであるピニョンのように、殆ど「丸ごと愚かなる者」(「突き抜けた愚かさ」)の、その人間洞察力とメタ認知能力の相対的欠如によって過剰に救われているに過ぎないだけなのだ。

思うに、私たちは、「程ほどに愚かなる者」であるか、殆ど「丸ごと愚かなる者」であるか、そして稀に、その「愚かさ」が僅かなために「目立たない程度に愚かなる者」であるか、極端に言えば、この三つの、しかしそこだけを特化した人格像のいずれかに、誰もが収まってしまうのではないか。

殆ど「丸ごと愚かなる者」のモデルがピニョンであるとしたならば、その「愚かさ」が僅かなために「目立たない程度に愚かなる者」のモデルこそ、ピエールたちであると言っていい。

この映画では、「程ほどに愚かなる者」のモデルが特化されて提示されなかったために、前者と後者の極端な対比的構図が、激しい身体的動作を無化するシチュエーション・コメディの枠内で、生き生きと描き出されているのだ。

しかし、「世界一のバカだ」を決めるピエールたちの、「お偉方が集まる晩餐会」という名の悪趣味の極致によって、その「愚かさ」が僅かなために、「目立たない程度に愚かなる者」の表面的な仮装が立ち所に剥落し、その「愚かさ」を顕在化することで、彼らのレベルの低さが決定的に露呈されていた。

「次の晩餐会では、僕が客になるよ。僕こそバカだ」

このピエールの言葉にあるように、まさに彼らこそ、「愚かさ」の極点の風景を限りなく剥き出しにされ、裸形の相貌を嫌と言うほど曝してしまうのである。

「バカをバカにする晩餐会」で騒ぎ捲っている連中の、その遣り切れないまでの愚昧さ・下劣さが曝されて、表面的に仮装していたに過ぎない、その愚かさが僅かなために、「目立たない程度に愚かなる者」の「愚かさ」こそが、しばしば捩(ねじ)れ切った偏頗(へんぱ)な存在性の故に何より厄介なのだ

映画では、「自省するピエール」の映像提示によって、普段は、その愚かさが僅かなために、「目立たない程度に愚かなる者」の「愚かさ」が露呈されるが、それはどこまでも、「軟着点」を必要とする物語に収斂される虚構の世界であって、現実の場裡では、悪趣味の極致に嵌った連中の下劣さは、彼らの拠って立つ生活世界が揺らぐ手厳しいペナルティーの返報を受けない限り、益々エスカレートするばかりだろう。

「対・他者無知」と「対・自己無知」を共存させている、殆ど「丸ごと愚かなる者」の補完なしに成立しない関係の構図の貧困さ ―― 巷間に広がっている、人間社会のこの脆弱性を認知すべきである。

その愚かさが僅かなために、「目立たない程度に愚かなる者」の致命的「愚かさ」は、自己を相対化し切る能力を作る内的条件が、外部条件的な洞察力の決定的欠如によって、決定的に削られてしまっている厄介な現実のうちに、いずこの国の「知識人」・「文化人」が吐き出す、真正の洞察力の相対的欠如を目の当たりにすることで、否が応でも知らしめることになるのである。

以上の文脈から、私はこの映画の基本骨格を、以下のように要約したい。

殆ど「丸ごと愚かなる者」を、通常は、その愚かさが僅かなために「目立たない程度に愚かなる者」が、悪趣味なゲームの格好の餌食として、過剰に嘲笑・愚弄することによって、前者の「対・他者無知」と「対・自己無知」に救われていたに過ぎない、裸形の人間像の「愚かさ」が決定的に露わにされていくということ。

それ以外ではなかった。

【参考資料】



(2014年11月)

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