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2014年9月9日火曜日

マイライフ・アズ・ア・ドッグ(‘85)    ラッセ・ハルストレム


<対象喪失の悲嘆と向き合う児童の内面的昇華を精緻に描いた一級の名画>


 

 1  容易に癒えない対象喪失の悲嘆の風景を晒す危うさ



私が観た、この監督の作品の中で、紛れもなく最高傑作。

主題提起力・構成力、共に問題なく、何よりも優れて映画的だった。

あまりに痛々しくも、辛いテーマを感傷に流すことなく、少年の自我の形成過程のうちに収斂させていく物語の訴求力は出色だった。

物語は、注意力散漫で、不器用で落ち着きがないために、常にトラブルメーカーになりやすい少年が主人公になっていて、その少年との絡みの中で、ユーモア含みに展開される物語の風景の印象が、まず、観る者に提示される。

まもなく、母の重篤な疾病の療養のために、夏休みを利用して、少年は母の弟である叔父の家に預けられる。

この叔父が住む小村の風景が、「全身癒しのコミュニティ」という印象を存分に与えてくれるので、観る者は、「予定調和」の柔和なヒューマンドラマというイメージを持つだろう。

 果たして、そうなのか。

 その辺りの言及を含めた批評が、ここでは重要になる。

因みに、この「全身癒しのコミュニティ」の村の住人を、簡単に列記してみる。

緑色の髪の少年、サッカーチームやボクシングで活躍する男勝りの少女。

他人の土地に東屋(あずま)を作り、そこでコーヒータイムを愉悦する叔父。

その叔父の家で、寝たきりになっている老人は、主人公の少年に、内密に下着のカタログを朗読させる趣味だけが生きがいのようだった。

 ゴンドラの「宇宙船」を手作りし、そこに子供を乗せて「宇宙旅行」を享楽する究極の趣味人。

 一年中、休むことなく屋根の修理をする老人。

 
サーカスの綱渡りを披歴する愉快な男
叔父が勤めるガラス工場では、サーカスの綱渡りを練習し、それを村の住人の前で披歴する愉快な男。

 そのガラス工場で働く美女は、村一番の芸術家のヌードモデルになり、その美女に「愛の告白」をする主人公の少年を随伴し、「身の潔白の証人」になってもらうのだ。

以上、「丸ごと善人」が集合する「パラレルワールド」は、ファンタジーの基本的枠組を形成し、まさに「全身癒しのコミュニティ」の特別なエリアと化していた。

しかし、この映画は甘くない。

なぜなら、母の重篤な疾病による対象喪失を被弾した少年の悲嘆と、その乗り越えの可能性こそが、この映画の本質的なテーマになっているからである。

主人公の少年は、決定的な対象喪失を、物語の中で二度経験する。

それは、容易に癒えない、対象喪失の悲嘆の極点の風景を晒す危うさに満ちていた。

だから、観ていて、とても辛い。

この映画は、「全身癒しのコミュニティ」の奇跡的な浄化力によって悲嘆に向き合う児童の、その最も辛い時間を掬い取ってくれるという「お伽噺」を挿入する。

よくよく考えて見れば、母子関係の継続的で、安定的な基盤の脆弱さに起因するだろう、注意力散漫で、幼稚で、落ち着きがなく、一種、ニューロティック(神経症的)な身体表現をも見せる少年の欠点すらも希釈し、浄化させてくれる有難いコミュニティの存在が、私たちの周囲に常に用意されているとは限らないのである。

少年と女友達
もし、このような「全身癒しのコミュニティ」が存在していなかったと仮定したら、この少年は、一体、どうなったのだろう。

そんなリアルな視線を投入すると、この映画は、とても危うさに満ちた少年の心の危機を逆照射させてしまうのである。

 「変な子」と嫌悪される少年の性格特性すらも吸収してしまう、この「全身癒しのコミュニティ」の社会的包摂力を有する腕力がなければ、少年の対象喪失の悲嘆を浄化させることなど、とうてい叶わなかったに違いない。

しかし、本作の作り手は、敢えて、物語の陰翳感をユーモア含みで中和させることで、提示した風景の明暗に凹凸を凝着させながらも、限りなく映画的な加工を施すというギミック(仕掛け)を駆使したように思われる。

「あんたが太陽を持って来たのよ」

これは、不安感と寂寥感を抱えて未知のゾーンに踏み入った少年を、偏見視することなく、包容力を持って迎え入れたときの叔母の言葉。

村の叔父夫婦に歓迎される少年
少年の欠点を吸収するばかりか、多くの村人たちから暖かく受容され、同年齢期の仲間たちからは、過剰なまでに持て囃(はや)されるような「全身癒しのコミュニティ」の世界が、まるで、少年の心の浄化のために仮構されたと印象づけられるのも事実。

だからと言って、村人たちの日常が、「作り物性」に満ちていると決めつけている訳ではない。

それどころか、このコミュニティの住人は、これまでもそうであったような日常を繋いでいるだけで、少年の癒しの空間として、胡散臭く、芝居染みた時間を切り取っている風には全く見えない。

それでも、この特別なスポットは、この映画の本質的なテーマに収斂される理念系の結晶点であると、私は考えている。

だから、この特別なスポットを、良い意味での「お伽噺」と受け止めた方が良さそうなのだ。

実際は、このような状況に置かれたときの、対象喪失の悲嘆に暮れる児童期後期の少年の、そのレジリエンス(自発的治癒力)の困難さこそが印象づけられてしまうのである。

それほどまでに、児童期後期の少年の心の危うい振れ具合が、この映画の枢要なバックグラウンドになっていること。

この把握を捨ててはならないように思われる。
 
もし、この物語がハリウッドなら、愛犬を殺すことなく、愛犬との奇跡の再会譚によるハッピーエンドで閉じていくだろうが、この映画は、そんな安直な括りを拒絶し、対象喪失の不幸を充分に悲嘆し、その悲嘆に向き合う少年の心の辛さを抉り出す。

従って、その詳細は後述するが、この映画の本質を、私は「対象喪失の悲嘆と向き合う児童の内面的昇華」にあると考えている。

以下、この問題意識に沿って、本篇を批評していきたい。



2  「元気な時に、ママに色々話せば良かった」 ―― モノローグの苛酷なる心の風景



乳児期における母子関係の絆の重要性を説いた、ジョン・ボウルビィ(英国の心理学者)による「アタッチメント理論」によれば、母子の相互交流の経験を通して、子供の様々な要求に対する母親の受容の様態が、特化された関係の形成的な養育態度を作ると言う。

これを「内的ワーキングモデル」と言う。

この特化された関係の形成的な養育態度の中で、経験をベースにした心理的な枠組み(スキーマ)が構築されていく。

「情動調律」(母子間の情感的な交流)の安定的なキャッチボールなどを通して、充分な愛情に包まれた母子関係が形成されていくのである。

ジョン・ボウルビィ
「内的ワーキングモデル」の重要性が、その後の子供の自我形成の決定的役割を規定するが、人間の問題は短絡的に把握できない難しさがあるから、「内的ワーキングモデル」の重要性を認知してもなお、決して絶対化し得ないのである。

理想的な「内的ワーキングモデル」が形成され、継続されていれば、当該児童は、自らの児童期自我の安定を壊す観念に縛られることなく、存分に、年齢相応な「子供の世界」に没我し得るだろう。

 しかし、それが充分に叶わなかったら、その児童はどうするのか。

 そんな児童期後期の自我の不安定な心的状況の揺動を、精緻に描いた作品が本篇だった。

 ―― 以下、物語を追っていく。

主人公の少年の名は、イングマル。

体は小さいが、12歳と紹介されているから、思春期に踏み込む辺りで、両親との依存関係から離脱し得ない児童期後期に相当する。

「元気な時に、ママに色々話せば良かった」

繰り返し吐露される、イングマル少年のモノローグは、その苛酷なる心の風景の反映でもあった。

このシーンが、ソフトフォーカスで映し出されることで分明なように、イングマル少年にとって、母親の存在は決定的だった。

ソフトフォーカスで映し出される少年の母
「僕が好きなのは、ママとシッカン」(モノローグ)

シッカンとは、イングマルの愛犬のこと。

いずれも、絶対、喪ってはならない存在なのだ。

この母子関係の絆の深さは、乳幼児期での、安定的な「内的ワーキングモデル」の所産であると言っていい。

そんな少年が、大好きな母親を喪失するかも知れない由々しき事態に見舞われる。

肺結核を患って、寝込んでしまうのだ。

「海の男」として、南洋の海に出ているらしい「の不在」と、「命に関わる疾病」の甚大な影響で、母親の表情から急速に笑みが失われていく。

 船乗りの「父の不在」という由々しき現実が生む欠損感覚を、イングマルの母は、補って余りある存在感のうちに補填していたのだろう。

それ故にこそ、イングマルの母の疾病と入院の現実は、イングマルの心の風景を暗欝で、色彩に乏しいくすんだ黒に変色させていく。

 母の入院で、兄弟揃って、外国にいる叔父(父の弟)の家に厄介になった日のこと。

母の入院
「なぜ、あんな変な子の面倒を見るの?」
「他に誰がいる」
「父親はどこにいるの?」
「兄は外国だ」
「呼び戻すのよ」
「バカ言うな。すぐ戻れるものか」

叔父との言い争いの中で、叔母の声が聞こえてきて、寝付けないイングマルの悄悄たる表情が映し出される。

食事中に食器で遊ぶイングマルの幼稚な行為が原因だが、当然ながらと言うべきか、このような奇矯な振舞いを見せつけられたら、血縁のない叔母の憤怒には一理あると言わざるを得ないのだろう。

ここは、「全身癒しのコミュニティ」の特別なスポットでの包摂力とは無縁な、単に「倫理的義務感」だけで、兄の子の面倒を見ようとする一つの限定的な家庭でしかないのだ。

両者の対比の強調を狙ったシーンだが、地方都市に住む叔父の家庭の感覚の方がリアリティを持つと言える。

イングマルの奇矯な振舞いを吸収できなければ、この子に訪れる、直後の不幸への対処療法の効果すらも期待できないだろう。

元気なときの母とイングマル、兄
その翌日、伯父に連れられ、母の病室へ見舞いにいくイングマルは、母の顔を見る前に嗚咽を漏らす。

 「ママ、クリスマスに何が欲しい?」

伯父に促され、母の顔を見ただけで帰ろうとするとき、矢庭に振り返ったイングマルは、母に尋ねる。
 
「さあ…」

母は今や、反応することも儘(まま)ならないようだ。
 
「欲しい物を。金はある」とイングマル。
 「欲しい物?・・・あなたが考えて・・・あなたに・・・任せるわ」

 そう答えるのが精一杯だった。

 まもなくイングマルは、金を半分ずつ出して、トースターを買うことを思いついて、兄に相談する。

 食事も喉に通らないほど重篤な症状を見せる、母の苦痛が理解できているイングマルの兄は、この弟の信じ難い提案に対して本気で怒って見せる。

「ママは死ぬんだ。分らないのか?」

無論、この言葉は、兄の「冷淡さ」を表現するものではない。

12歳とは思えないほど幼稚な発想しか浮かばない児童期後期の弟と、思春期の渦中にある兄の自我の発育度と感性の違いが、そこに垣間見える。

イングマルと兄
しかし、イングマルには、その違いが分らない。

だから、本気で、カエルちゃんというガールフレンドと共に、トースターを買いに行く。
 
 何よりのクリスマスプレゼントを買って、それを届けに行ったとき、もう、最愛の母の命は事切れていた。

 イングマルの対象喪失の不幸は、この子の処遇の難しさにおいて開かれていくが、この映画は、とっておきの癒しの空間を仮構して、児童期後期の少年の成長の可能性を模索していくのである。



3  対象喪失の決定的悲嘆と向き合う少年の内面の揺動



冬のスウェーデンの日は短く、夜明けが遅い。

国土の大半が雪に覆われていて、寒さが厳しく、太陽の出ない極夜の日もある。

その冬に、イングマルは、夏に行ったグンネル叔父さんの元に預けられる。

 
イングマルを歓迎するグンネル叔父さん
「ママは人生の小話が好きだった。僕は話を集めていつも聞かせていた」

数少ない母の笑い声の記憶をイメージして、夢想の世界で、「情動調律」のキャッチボールを繋ぐイングマル。
 
「ある男がスポーツ競技場を横切って歩いていたら、投げ槍が飛んできて、胸に突き刺さった。さぞ、驚いただろう」(モノローグ)

未だ激しい感情の炸裂こそないが、イングマルは、彼なりに対象喪失の悲嘆と向き合っているのだ。

 ここで、私は思う。

 対象喪失の不幸に被弾した子供は、それぞれに見合った方略で悲嘆と向き合うということを。

 それは仕方がないことなのだ。

 寧ろ、悲嘆の促進を妨げる障壁の存在こそが厄介なのである。

 そのとき、子供は充分に悲嘆に向き合えず、その時間が不必要に延長されてしまうのである。

 これは、決して良いことではない。

 その後の人生で、他者と濃密な人間関係を構築することができず、ウツ病を発症するリスクが高まるとも言われている。

 だから、どれほど辛くとも、悲嘆ときちんと向き合うことは必要でさえあるだろう。

 悲嘆は悲嘆によってのみ癒されるのだ。

 物語を続ける。

 グンネル叔父さんの家が社宅になっているため、一階にはギリシャ人一家が住み込み、イングマルは、アルビドソンのお婆さんの家に引っ越すことになる。

 
アルビドソンのお婆さんの家で
「あんたが来てくれて、寂しさが紛れるわ。ずっとここにいてね。生きるって、大変なことだわ。それも取り残されるなんて」

 女性の下着雑誌を愛読し、それをイングマルに朗読させていた、寝たきりのアルビドソンが老衰で逝去したため、イングマルの引っ越しを歓迎するお婆さん。

 このお婆さんの気持ちを、子供ながらに、イングマルは理解できている。

寂しい者同士が、夜だけでも一緒に寝ることで、ほんの少し寂しさを解消できるのである。

 「なぜ、ライカ犬の事を考えるのか。不思議だ。叔母さんは“時が傷を癒やす”と。その通りだ。早く忘れてしまうほうがいい」(イングマルのモノローグ)

 対象喪失の悲嘆を限りなく相対化することで、自己防衛を果たしている少年が、ここにいる。

 だから、乳房の膨らみが目立っても、ボクシングに興じるサガに、それだけは認知し得ない決定的な一撃を受けたときの衝撃の深さは、とうてい計り知れなかった。

「あの犬は死んだんだよ」

ボクシング中に、そう言われたのだ。

サガとイングマル
 イングマルに思いを寄せるサガが、そのイングマルが、他の女の子と一緒にいたことへの嫉妬感を炸裂させたのである。

 イングマルもまた、混乱する感情を炸裂し、サガに向かっていくが、サガの反撃に遭って打ちのめされてしまう。

 この映画は、深い衝撃を受けたからといって、イングマルの「逆転譚」に振れていくことがない。

弱い者が、急に強くなったりはしないのだ。

弱い者が冷静さを失ったら、もっと弱くなるのは眼に見えている。

 対象喪失の連射を受けたイングマルはグンネル伯父さんの東屋(あずまや)に籠り、そこでもモノローグを繋ぐ。

 「こういう時は、ライカ犬の事を考えよう。最初から回収できないと知ってて、死ぬ事を承知で打ち上げた。殺したのだ」

 心配して、グンネル伯父さんがやって来ても、犬の真似で追い払うイングマル。

 諦めて帰っていくグンネル伯父さん。

 
東屋に籠り、対象喪失の悲嘆に向き合うイングマル
一人になると、どうしても頭をよぎるのは、母のこと。

 幻想と回想が交錯する母の笑みと、甘えるイングマル。

 大好きな母に、もっと甘えたかったのだろう。

 だから、「元気な時に、ママに色々話せば良かった」というモノローグが、繰り返し吐露されるのだ。

 朝になった。

 遂に、ここに来て、必死に封印してきた感情を炸裂する。

 対象喪失の悲嘆を限りなく相対化することで自己防衛を果たしてきた心的行程が、今や、コントロールし切れないところまで噴き上げてしまったのである。

東屋で厳寒の夜を越した少年が、防寒着に包(くる)まって泣いている。

 「済まない。君に言えなかった

 犬の死を知らせられなかったグンネル伯父さんもまた、誰よりも辛かったのだ。

 「僕はシッカンに言いたかった。僕が殺したんじゃない。僕が殺したんじゃない」

 嗚咽を漏らしながら、イングマルは声を振り絞る。

 「一緒にいたかったのに…ママ・・・どうして…」

嗚咽が止まらない。

この叫びは、あまりに痛切だ。


別に母を恨んでいる訳ではない。

母の病気のために愛犬と引き離された少年は、今や、最も大切なものを全て喪った悲嘆を、もう、このような感情の炸裂なしに済まない時間のうちに呑み込まれていくのだ。

東屋でのこのシーンなしに、この映画は成立しない。

この映画の本質は、ここにある。

12歳の少年が、対象喪失の決定的悲嘆と向き合っているのだ。

 どれほど辛くとも、悲嘆から逃げられないのである。

  

 4  「全身癒しのコミュニティ」の社会的包摂力の凄み



「フランソンが屋根から降りたぞ!イングマル!川で泳ぐと言っている。早く見に行こう!」

 東屋で叫びを上げるイングマルを呼びに来た、村の子供たち。

 それでも、嗚咽が止まらないイングマルを目視して、引き上げて行く子供たち。

 この映画の素晴らしいところは、この辺りにある。

 心配するグンネル伯父さんの表情のみ映して、防寒着に包(くる)まって泣いている、イングマルの表情を全く映さないのである。

 感傷に流さずに、シーンが変わっていく。

 観る者には、対象喪失の決定的悲嘆と向き合っている少年の内面の揺動が、ひしと伝わってくる。

 だから、そのカットだけで充分なの

ここから、映像は、いつもの律動感を復元させたかのように、「全身癒しのコミュニティ」の社会的包摂力の凄みを発揮していく。

村人の哄笑の中で、冬の川に漬かっているフランソン。

 フランソンとは、一年中、休むことなく屋根の修理をする風変わりな老人のこと。

あの夏の日に、女性の下着雑誌を朗読させていたイングマルに老衰で逝去したアルビドソンから、その修理の音が煩いから、「銃で撃ってしまえ」などと言われた老人は、今、「地上」に降りて来て、身の危険も顧みず、スウェーデンの冬の川に漬かっている

当然、その状態を放置できない村人たちの尽力で、無理矢理、引き上げようとしても、「あっちへ行け!ほっといてくれ!」などと文句を言うフランソン。

それでも、凍死させないために、フランソンを引き上げて、ガラス工場で温める村人たち。

そんな村人たちにとって、「変人」が集合する風景には、とうに慣れっこになっているのだろう。

皆と一緒に、その何とも可笑しげな光景を見るイングマル。

皆が笑っている中で、一人だけ笑えないイングマル。

隣で見ているサガの笑みが、イングマルを誘(いざな)う。

それでも笑えないイングマル。

サガの大きな笑みと、当然ながら、感情の封印を解いたからと言って、容易に癒える訳がない悲嘆を抱え込んだ、イングマルの陰鬱な表情。

そして、浄化力が伝播するコミュニティの不思議な空気の広がりの中で、悲嘆を抱え込みながらも、ゆっくりと、静かに、小さな笑みを零していくイングマル。

この辺りの描写も素晴らしい。

思えば、屋根の修理を終えたフランソンの変化は、一つの観念に縛られていた男を解放させたのだ。

母の喪失という決定的な悲嘆と向き合ったイングマルにもまた、悲嘆と向き合った分だけ、決して小さくない棘がほんの少し抜き取られ、何かが解放され、少年が未来に向かって匍匐(ほふく)し、鈍走していくのに必要な熱量を確保し得たのであろう。

季節が巡る。

「全身癒しのコミュニティ」の小村に、夏がやって来た。

 今度は、ゴンドラの「宇宙船」に子供を乗せて、「宇宙旅行」を享楽する老人のエピソード。

 宙吊り状態にされてしまった前回の失敗の汚名返上のために、もう一度、「宇宙船」を打ち上げる一大イベントが開かれた。

 それは、子供を主役にする村の祭りでもあった。

 その子供の中に、イングマルとサガがいる。

 相変わらず、フラッパー(お転婆娘)のイメージがあるが、それでも可愛い一人の女子に身体変容したサガと、すっかり笑みを取り戻したイングマル。

 
ラジオに釘付けになる伯父さんの家族
ところが、今度は、放牧された牛の群れと衝突の危機に遭い、泥濘の中に突っ込むという「宇宙船」の顛末だった。

 ラストシーン。

 スウェーデンが生んだ、世界ヘビー級のプロボクサーであるイングマル・ヨハンソンと、アメリカの世界ヘビー級王者・フロイド・パターソンとのタイトルマッチに、村人たちはラジオに釘付けになって、総出で応援する。

 その結果、イングマル・ヨハンソンは3回TKO勝ちし、世界ヘビー級王座を獲得するという快挙を達成した。

 1959年6月26日のことだった。

「スウェーデン万歳!」

 村人たちの熱狂が炸裂する。

 そんな中にあって、ボクシングへの関心が希薄になってしまったのか、こちらのイングマルは、ソファでサガと添い寝している。

 それは、児童期後期から思春期前期への自然な変容のイメージを膨らませるに足る何かでもあった。

 一方、村人たちの熱狂とは無縁に、今日もまた、屋根の修理を続けるフランソン。

サガと添い寝するイングマル
ファンタジーの基本的枠組を形成し、まさに、「全身癒しのコミュニティ」の特別なエリアに相応しいラストカットだった。



 5  自らの不幸を相対化する防衛戦略の風景の結晶点



 「よく考えてみれば、僕は運が良かった。例えば、ボストンで腎臓移植を受けた、あの男。新聞に名は出たが、死んでしまった。あるいは、宇宙を飛んだ、あのライカ犬。スプートニクに積まれて宇宙へ。心臓と悩には、反応を調べるためのワイヤー。さぞ、いやだっただろう。食べ物がなくなくまで、地球を5カ月回って、餓死した。僕はそれよりマシだ」

 「比較すれば、僕は運が良い。比較すると、距離を置いて物を見られる。ライカ犬は物事が、よく見えたはずだ。距離を置くことが大切だ」

 この二つは、本篇の中で拾われた、最も重要な構成要素を成すイングマル少年のモノローグである。

少年は、自分の不幸をライカ犬(注)にシンボライズした。

スプートニク2号のライカ犬
「究極の不幸」の象徴であるライカ犬の存在は、自らの不幸を相対化する、イングマルの児童期後期の自我の防衛戦略の表れだったが、過剰に振れたこの相対化への逃避もまた、「メタ認知」(自らを客観的に把握・認識すること)を鍛え、自分の価値判断を絶対化せず、常に軌道修正するというレベルにまで昇華させることで、いつしか浄化されていくだろう。

 赤子の世界観が、「自分」⇒「母親」⇒「家族」⇒「物理的に近接する人々」という風に広がっていくように、小学校に通う数多の児童もまた、「快・不快の原理」で呼吸を繋ぎながら、自らを物理的・心理的・社会的に囲繞する、様々に異なる価値観が交叉し、葛藤する世界の中で、自己を相対化していく能力を培うことで、限りなく防衛的な自我を形成していくのである。

自分が身体的・精神的に、かつて経験したことがないような痛みを被弾しても、それを誰かに代替してもらうことなどあり得ない。

自分の痛みは、どこまでも〈私の痛み〉以外ではないのだ。

自分の能力で処理できないことが、この世に溢れているのだ。

幾ら願っても、幾ら努力しても、何も為し得ない現実がある。

「夢を持て」と言われても、その「夢を具現する能力」や「夢と最近接し得るチャンス」がなければ、単なる「夢想」で終わってしまうのだ。

「チャンスは自分で作れ」と言われても、「夢と最近接し得るチャンス」それ自身が、人格主体が有する「物語のサイズ」次第で決まってしまうのである。

そして、人格主体が有する「物語のサイズ」の多くは、大抵、「可もなく不可もなく」という程度の「普通さ」に収斂されるだろう。

だから結局、「夢を持て」と言われるときの「夢」の収束点が、「普通でいい」ということになる。

ならば一層、「夢を持て」などと言わずに、自分の「物語のサイズ」を大切にし、あとは「好き勝手に生きろ」と言った方が欺瞞的でなくていい。

大体、人生の長いようで短い行程の多くが、「偶然性」に左右されている現実を否定しようがないだろう。

つまり、人生の殆どが、「運・不運」の問題に尽きるのである。

はっきり書けば、イングマル少年は「運」が悪かった。

そう、言う外にない。

イングマル少年の「運」の悪さは、本人に理不尽な風景を覗かせたかも知れないが、人生の現実を知ることは決して悪いことではない。

どれほど辛くとも、それを知れば知るほど、限りなく防衛的に自己を相対化していく。

それが、イングマル少年のモノローグへの、一つの、今はそれしかできない結晶点だった。

そんな少年にとって、モノローグの意味は、そのようにしか向き合えない対象喪失の悲嘆の振れ方だった。

この内面の葛藤の中で、少年は遂に、対象喪失の決定的悲嘆と向き合った。

繰り返すが、この映画の本質は、その一点にあると言っていい。

だから訴求力が高く、出色な作品に昇華されたのである。

「全身癒しのコミュニティ」の世界に投入された少年の「レジリエ ンス」の可能性を検証するために、人間洞察力に優れた作り手によって、この一級の名画が構築されたと考えたい

何より映画的なこういう逸品こそ、私たちの表現フィールドにおいて、時を経ても賞味期限のない、大切に共有したい文化遺産であると言えるだろう。


(注)1957年11月3日に、バイコヌール宇宙基地から発射されたソ連の宇宙船・スプートニク2号に乗せられたメス犬の名前(クドリャフカ)で、地球軌道を周回した最初の動物となった。計画では、必要な酸素が尽きる10日後に、ライカは死ぬだろうと考えられていた。(Wikipedia「ライカ犬」、「スプートニク2号」参照))

(2014年9月)


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