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2013年9月27日金曜日

世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶(‘10)      ヴェルナー・ヘルツォーク



<「全身最適戦略者」のクロマニヨン人の圧倒的な強かさに思いを馳せて>




1  宗教的儀式の色彩を纏った風景が包摂する、洞窟壁画というアートの世界で滾った、時空を越えた文化のリレー



「これらの絵こそ、長い間、忘れられた夢の記憶だ。この鼓動は彼らのか?我々のか?無限の時を経た彼らのビジョンが、我々に理解できるだろうか。この風景にはメロドラマの香気がある。まるでドイツロマン主義絵画だ。それが、彼らとの接点なのか。この風景から創造の霊感を受けるのは、ロマン派の芸術家だけではない。旧石器時代の人々も、“内的風景”を感じていた。だからこそ、この周辺に洞窟がたくさん作られたのだ」

ニュー・ジャーマン・シネマの代表的監督・ヴェルナー・ヘルツォーク監督のナレーションである。

1994年12月、3万2千万年前の洞窟壁画が、3人の洞穴学者によって南フランスで発見された。

発見者の名に因んでショーヴェ洞窟と命名された、その洞窟の奥に広がる壁画は、描かれた時代に隔たりがありながら、最古のものは、1万5千年前のラスコー洞窟より遥かに古いことから、忽ちのうちに学者や研究者の耳目を集めるに至った。

洞窟壁画は外気に触れると浸食が進み、劣化してしまうため、現在では、フランス政府の厳しい管理下に非公開の状態が保持されている。

ショーヴェ洞窟
そんな状況下で、ヘルツォーク監督を筆頭に、撮影日数は1日4時間で計6日間、更に4名限定の撮影クルーという制約の中で、プロ意識の抜きん出た者たちによる撮影が敢行された。

壁画を含めた洞窟総体の立体感を観客に届けるという使命感の下、最新の3Dカメラの使用に踏み切り、そのフォーカスを暗闇の中でコントロールしつつ、ピントを合わせるという困難な状況の指揮を執って、画期的なプロジェクトを具現したのが本篇である。

スタンプや吹き墨(口に含んだ炭を壁に吹き付ける)という技法の使用によるショーヴェ洞窟壁画の中で、現在確認されている動物はおよそ260点。

そこには、現在のヨーロッパにおいて既に絶滅した野牛など、13種類の動物が描かれていると言う。

以下、ヘルツォーク監督の質問に的確に答える、ジャン=ミシェル・ジュネスト氏(ショーヴェ洞窟調査プロジェクト責任者)の言葉に聞き耳を立てていこう。

「3万5千年万、ヨーロッパは氷河に覆われていました。そのため、気候は寒冷で乾燥してましたが、太陽の光に溢れていた。川岸にはケブカサイやマンモスが生息しており、森にはメガロケロスという鹿や、馬、トナカイ、野牛、アイベックスやレイヨウなど、生物が溢れていました。生物量の豊かさは、人類の進歩だけでなく、肉食動物にも重要です。ここには、ライオン、クマ、ヒョウ、オオカミ、キツネがたくさん生息していて、それら肉食動物の仲間にヒトがいたんです」

ヘルツォーク監督の質問は続く。

ヘルツォーク監督

「洞窟内で火を起こしてたね。彼らは、自分の影を壁の絵に投影していたのだろうか」
「火は絵を見るために必要ですし、火の回りで踊ったりもしたでしょう。揺れる炎を通して見ると、影と踊る人々の姿が想像できます」


暗い洞窟内で、火起こし、揺れる炎を影として、限定されたスポットの回りで踊っていたクロマニヨン人の躍動感がイメージされる絵柄は、もう充分に、マンモスの狩猟などで厳しい氷河期を生き抜いてきた彼らの漲(みなぎ)る生気を髣髴(ほうふつ)とさせる。


「洞窟にいた人々の存在は、影のように消え去った。あちこちにクマの骨が。ホラアナグマの頭骨だ。マンモスやケブカサイ同様、氷河期に生息し、はるか昔、地上から姿を消した種族だ。ここにある骨の堆積に、ヒトの骨は一つもない。ヒトは洞窟に住まなかったと、専門家は断定する。洞窟には絵を描くときと、儀式のときだけは入った」(ヘルツォークのナレーション)


壁画と宗教的儀式に限定された洞窟内でのクロマニヨン人の営為こそ、自然と溶融した彼らが固有の文化を持ち、時間に追われる現代人とは明瞭に切れ、気の遠くなるような時間のスパンを越えて、それを繋いでいった彼らの、果てしなき連続性を結ぶ時空の眩き舞いを感受させるのだ。

ホラアナグマの全身骨格(ウィキ)
因みに、ミシェル・フィリップ古生物学者によると、洞窟は骨の保存に適した環境のため、99%がホラアナグマの骨であることが確認されている。

その洞窟壁画の調査で、驚くべき事実が判明した。

一連の馬の壁画が、たった一人によって描かれていたという事実である。

旧石器文化の研究者によれば、壁面に残された手形から、その人物が取った体勢や動きを特定できたのである。

即ち、全ての手形の画家が同一人物であることが判明したのである。

身長は、およそ1メートル80センチ。

今から、3万2千年以上前に洞窟にいた人物の、小指が少し曲がっているという一点で確認できたのである。

「この茫漠とした時間と無名の画家たちの中から、一人だけ特定できる画家がいる」(ヘルツォークのナレーション)ことの驚きに、ハイテクの技術で解明する私たちの文明の底力を認知せざるを得ないのだ。

もう一点。

馬のすぐ傍にも、重なるように動物の絵が描かれているが、上の絵と下の絵が5千年も隔たっていたことだ。

この気の遠くなるような5千年の時間の隔たりに、宗教的儀式の色彩を纏(まと)った風景が包摂する、洞窟壁画というアートの世界で滾(たぎ)った、時空を越えた文化のリレーが確認されたのである。

日々の生活の糧を「時間」に換算して呼吸を繋ぐ、私たちの文明社会の加速する情動系の氾濫の風景と異なって、彼らには、「時間」という観念が希薄なのである。

「彼らの時間の感覚が、我々には想像できない。我々は歴史に囚われ、彼らは自由なのだ」(ヘルツォークのナレーション)

然るに、この驚嘆すべき情報をもたらしたのは、日進月歩の科学技術による炭素年代測定の成果でもある。

私たちの文明社会の恩恵が、時間の感覚を持ち得ない人々の生活の一端を再現させていく現実を、もっと素直に受容すべきであろう。

ヘルツォークのナレーションは続く。

「素晴らしい芸術を残したこの谷の住人たちは、原始人からゆっくり進化したのではなく、爆発したかのように突然現れたのだ。更に驚くのは、ネアンデルタール人もまだ、この谷にいた」

 ショーヴェ洞窟のアートの世界に携わったであろうクロマニヨン人(学名は「ホモ・サピエンス・サピエンス」)は、欧州の一角で呼吸を繋いできた地域的集団であり、今は欧州における化石現生人類とされていて、コーカソイド(欧州の白色人種)との遺伝的な繋がりも検証されている。

 そのクロマニヨンが、2万数千年前に絶滅したとされるネアンデルタール人と、人類史の長いスパンの中で、「共存・共生」(?)した時期があるという事実 ―― これは、私にとって頗(すこぶ)る魅力的な思考のモチーフになっている。

 
ラスコー洞窟の壁画(ウィキ)
3万5千~1万年前に、観客の吐く二酸化炭素で壁画の劣化が顕著になったため、洞窟が閉鎖されているが、有名なアルタミラ洞窟(スペイン北部)やラスコー洞窟(フランスの西南部)などの旧石器時代の洞窟壁画を残したクロマニヨン人と、ヨーロッパからアナトリア(現在のトルコ
共和国の一部)にかけて、およそ10万人が拡散的に地域に適応していたネアンデルタール人との「共存・共生」(?)は、花を手向けることで死者を悼み、老人や身障者を丁寧に埋葬する文化を持っていたことで知られる、シャニダール遺跡(イラク)の美談物語的な定説と、「絶滅の悲哀」という「ネアンデルタール人幻想」の事実によって、本音を言えば、「文明の恩恵」を決して手放せないが故に、私たちの薄っぺらな「太古のロマン」への誘(いざな)いを蠱惑的(こわくてき)に吸収していくが、果たして、「太古のロマン」の内実は、それほど甘美な芳香に充ちていたものだろうか。

「太古のロマン」の甘美な芳香、眩暈を、文明批判のテーマ性を内包して語るかのようなヘルツォークのナレーションを聴く度に、若干だが、違和感を覚えたのは事実である。

以下、稿を変えて、テーマから些か外れるが、その「太古のロマン」のリアルな内実を、ここで考えてみたい。

なぜなら、このドキュメンタリー映画を観ていて、洞窟壁画の天才だったクロマニヨン人について、様々に思いを巡らしたからである。

それこそが、このドキュメンタリー映画が、私の心を揺さぶるに相応しいイメージ喚起の推進力でもあった。



2  「全身最適戦略者」のクロマニヨン人の圧倒的な強かさに思いを馳せて



大地溝帯の位置(ウィキ)
グレート・リフト・バレー(注)こそが「人類生誕の地」と呼ばれていた、揺るぎようがなかった仮説すらも崩されていく。

そして、グレート・リフト・バレーの東部一帯が乾燥化し、森林の衰退を招来した結果、サバンナの誕生と化していったとき、ヒトの祖先が樹上生活を放棄し、地上に降り立つことで、人類史上の画期点となる直立二足歩行にシフトしたという「太古のロマン」の、その拠って立つ基盤が呆気なく自壊する。

「人類生誕の地」であったはずの東アフリカ人類起源説が、グレート・リフト・バレーとは無縁の中央アフリカのチャド北部での、サヘラントロプス(トゥーマイ猿人)の発見という、コペルニクス的転回の破壊力を包含する仮説が提示されたのである。

それは、6万年~7百万年前の、ヒトがチンパンジーと分岐する辺りでの化石の発見であるが故に、地上に降り立つことのない猿人たちの森林生活の継続性をも検証するものだった。

初期の猿人たちが、アフリカ東部以外の地域で生活していた事実が判明したのである。

フランスの人類学者・イブ・コパンが提示していた、人類生誕と直立二足歩行の発動に大きく関与した「サバンナ説」(イーストサイドストーリー)を、現在、支持する研究者が殆どいないという事実の重さに頭を垂れるしかない。

かくて、20年ほど前に書いた私の、「太古のロマン」溢れる「サバンナ説」に関わる拙稿は、今や、クズ同然の駄文と化してしまった次第である。

然るに、この「サバンナ説」の否定は、地球上のヒトの祖先=「アフリカ単一起源説」を必ずしも否定する論拠になっていない。

サヘラントロプスの化石(ウィキ)
では、現生人類の祖先が、いつ、アフリカから「旅立ち」をしたのかという「出アフリカ」の回数については、依然として不分明であるが、近年話題になる、「ミトコンドリア・イブ」(ラッキー・マザー/人類の母系のルーツになる共通の女系祖先)の存在によって、現生人類が14~20万年前に共通の祖先を有することが解析されているので、「太古のロマン」への物語はなお継続力を持っているということか。

そして、もう一つの重要な仮説の修正に関わる点について書いておこう。

それは、DNAなど生命現象の実体を分子レベルで解明する分子生物学と、骨考古学からのアプローチの結果、私たち人類の祖先が、「猿人」→「原人」→「旧人」→「新人」という流れで進化してきたと説明されていた、化石生物の存在が予測されるのにも拘らず、未発見だった中間形の化石にまつわるミッシングリンクという、従来の「何となくロマン」の雰囲気の漂っていた仮説すらも崩されたという事実である。

厳密に言えば、人類の歴史が、そのように直線的な進化を系統的に辿っていくという仮説が否定されたのである。

考えてみれば、自明の理であったと言っていい。

これは化石から検証されている。

1本の分りやすい系統図などは存在せず、無数に絡み合った分岐や交配の複雑な交叉によって現在に至っているが、その内実も、それらの分岐や交配の結果、現世人類に繋がることなく絶滅した種が少なからず存在するという、極めて影響力の大きい仮説による修正である。

多岐にわたる学問の結晶である、こうした研究成果に真摯に向き合うとき、クロマニヨン人がネアンデルタール人から枝別れしたのではなく、太古の時代に共通の祖先の原人から枝分かれしたという事実をも認知せねばならないだろう。

かくて、ミトコンドリアDNAの解析によって、ネアンデルタール人が私たちの直系の先祖ではない研究成果は、今や、周知の事実。

ネアンデルタール博物館での展示(ウィキ)
では、クロマニヨン人とネアンデルタール人の「共存・共生」の内実はどうだったのか。

これは、現在に至っても全く不分明である。
 
 両者の異種交配の可能性を提示した仮説があり、現世人類の中にネアンデルタール人のDNAが組み込まれていると言うのだ。

別の研究では、アジア人と南アメリカ人に、他の地域と比べて、ネアンデルタール人と共通する遺伝子要素が多いことが判明した。

 「両種の間に、これほど複雑な関係が存在したとは、2、3年前には予想もしなかった」

 これは、イギリスにあるロンドン自然史博物館の古人類学者・クリス・ストリンガー氏の言葉。(ナショナルジオグラフィック ニュース/2012年10月15日)

正直、私の限られた教養の貧しい想像力の範疇では、芸術的(洞窟壁画のアート性)にも技術的(石器作りの名人)にも優れた能力を示すばかりか、集団のパワーを存分に発揮してマンモスを仕留めるほどに、狩猟用の殺傷性の高い武器(投擲兵器や弓矢)を作る能力を有するクロマニヨン人が、両種間の餌場争いを通して、生産用具を含めて、技術的進化の脆弱なネアンデルタール人を持続的に殺傷していたというイメージが消えなかった。

これは未だ、クロマニヨン人によるネアンデルタール人の殺戮を検証する骨の発見がない事実を考えれば、僅かな例の異種交配という「共存」の可能性を認知せざるを得ないのだろう。

また、言語的表現においても、3種類の母音しか持ち得なかったネアンデルタール人の発声器官の脆弱性は、構造的に、5種の母音を全て発音できる現生人類に比べて相当に見劣りすると言わざるを得ない。
 
 この発声器官の脆弱性は、コミュニケーション能力の劣化を決定づける証左になっていて、狩猟・採集という生存・適応戦略の広がりの足枷になっていたと思われる。

 コミュニケーション能力こそ、生存・適応戦略の中枢機能であるが故に、言語記号を巧みに操作する進化の怠惰を示すネアンデルタール人のこの致命的瑕疵が、彼らの壊滅的な終焉を予約してしまったのではないか。

 要するに、群れを作りながらも、その限定的な空間の中で、集団の仲間に適切な意思伝達ができなかったネアンデルタール人と、好奇心旺盛で、逞しい生存適応能力によって厳しい氷河期を生き抜いたクロマニヨン人との能力との決定的差異は、外部世界に上手く適応できる能力の優劣となって顕在化したのである。

 環境の劇的変動によって、両者の食糧確保の能力の優劣が、生き死にの極限状況下で露呈してしまったのだ。

 
現生人類(左)とネアンデルタール人(右)の頭蓋骨の比較写真(ウィキ)
ネアンデルタール人の脳容量の大きさが確保されていても、最も肝心な前頭葉の発達の相対的劣化によって、既に確認されている事実が示すものこそ、以上の仮説の生物学的根拠であると言えるだろう。


また、本篇の中で語られた、ニコラス・コナード考古学者によると、以下の通り。


既に4万年前に、楽器や装身具、神話が存在していたこと。

彼らが信じる宗教的概念では、人が動物に変身するのだ。

「ヴィーナス像」に象徴されるように、性表現を表わす像には、再生、多産(妊娠女性の像)、性的能力がシンボライズしているが、それは、現代の人間と共通する基本的な表現である。

高度の人類であるネアンデルタール人もまだ生きていて、進化の過程で2種類のヒトの生存競争があったが、彼らはこれほどの遺物を残していない。


日本人と同じモンゴロイドのイヌイット(ウィキ)
アルプスが氷河で覆われていた氷河時代の中で、トナカイやマンモスが歩き回り、非常に寒かったが、人々は、現在のイヌイットの服装と同じように、トナカイの毛皮の服を着て、靴もトナカイの革と毛を纏(まと)っていた。

注目すべきは、クロマニヨン人は、そんな環境下で発見した5音階の笛を作り、それを吹いていたという事実である。

従って、芸術的にも技術的にも優れた能力を示すところから、クロマニヨン人は現生人類とほぼ同類の人類であると考えられている、ということ。

 そんなクロマニヨン人の逞しい生存適応能力については、本篇のラストで語られていた。

 語り手は、前述したジャン=ミシェル・ジュネスト氏。

 ショーヴェ洞窟調査プロジェクト責任者である。

 氏は、生存適応能力こそ、「人間らしさ」と呼んでいる。

 「人間らしさとは、世界に上手く適応できること。人間の世界は、外の世界に適合する必要があります。風景や他の生き物、動物、他の人間のグループ。彼らとコミュニケートし、更にその記憶を刻み込む。ある特定の非常に固いものの上に、例えば壁や、木片や骨に。これがクロマニヨン人の発明です。動物や人間の“像”が発明されることによって、未来への伝達が可能になったのです。過去の記憶を情報として伝えるには、“像”は、どんな伝達手段よりずっといい方法です」

このメッセージは、私にとって、本作のインタビューを通して最も合点がいくものだった。

ショーヴェ洞窟の壁画
ジャン=ミシェル・ジュネスト氏によって語られたように、生存適応能力に優れ、狡猾なまでにクレバーだったクロマニヨン人の強(したた)かさこそ、苛酷な氷河時代を生き抜き、優れた洞窟壁画をも残したばかりか、動物や人間の“像”を発明し、それを有効な伝達手段として使用した、まさに「全身最適戦略者」の本領発揮ではなかったのか。

 私はそう思う。


(注)アフリカ大陸東部から死海に至るまで、南北に縦断するプレート境界となる地溝帯。



3  欲望系の推進力の方が常に勝ってしまうホモ・サピエンスの宿痾



映画を通して語られた言葉の中で、極めて重要な表現があるので、以下に紹介する。

「伝統的な人々や旧石器時代の人々には、私の想像では、世界の見方を変える二つの概念があった。流動の概念と浸透の概念だ。流動とは変化が可能なもの。カテゴリーとしては、男、女、馬、木など。木が話すこともあるし、人は動物や他のものに変身できる。浸透の概念とは、我々の世界と霊とに境界がないことだ。壁は我々に語りかける。我々を受け入れたり、拒否できる。呪術師は自分の魂を霊界に送ることができる。霊界から自分の中へ霊を受け入れることができる。二つの概念を合わせると、我々の生活とはどれほど違っていたか分るだろう。人類には様々な呼び方がある。例えば、ホモ・サピエンス。“知恵のある人”という意味だが、良い呼び方じゃないね。我々に知恵なんかない。ホモ・スピリチュアリスの方がずっといい」

映画の中のインタビューの対象の全てが専門の学者であったのに対して、この表現の主は、4名限定の撮影クルーの一人で、その氏名も紹介されなかったが、この鋭い指摘は、明らかに本作の基幹メッセージであると言っていい。

当然ながら、この指摘をポジティブなメッセージと捉えるべきだと考える。

「ホモ・スピリチュアリス」としての能力を豊かに備えていたが故に、私たちは多くの文化を作り出していったのだ。

この「ホモ・スピリチュアリス」に関して、興味深いインタビューがあった。

アボリジナル・アート(ウィキ)
「オーストラリア北部で、1970年代に、民俗学者がアボリジニの案内でフィールドワークに出て、彼らが岩屋に着くと、岩屋の美しい壁画が剥がれていたんです。アボリジニは剥がれた壁画を見て、哀しくなった。その地方には、何度も壁画に加筆する伝統があり、アボリジニは座って、壁画に加筆し始めました。民俗学者は、彼に尋ねた。“なぜ、描くのか”と。アボリジニは答えにとても困って、こう言ったんです。“私は描いていない。描いているのは私の手だ。霊の手が描いているのだ”人は霊の一部だからです」(ジュリアン・モネ考古学者)

“私は描いていない。描いているのは私の手だ。霊の手が描いているのだ”

このアボリジニの反応こそ、「ホモ・スピリチュアリス」としての能力を豊かに備えていたホモ・サピエンスの本質を衝くものなのだろう。

「全身最適戦略者」としての強かさを示した彼らは、同時に一級のアーティストでもあった。

彼らのアートの多くが宗教的儀礼の延長上にあるものだが、いつしか、私たちは祈りのメンタリティから乖離して、文化それ自身を愉悦するという想像の世界を拓いていく。

音楽や絵画も、その例に洩れないだろう。

私たちホモ・サピエンスはアートを創造し、それに愉悦する稀有な能力をも作り出していったのだ。

然るに、私たちホモ・サピエンスに対して、「知恵のある人」という指摘を否定する必要もないのである。

私たちホモ・サピエンスが文明を創り出してしまった時点で、自然から遊離し、全く未知のゾーンに踏み込んでいくが、文明を創り出す能力において、私たちは充分に「知恵のある人」であったに違いない。

しかし残念ながら、文明を創り出す私たちの能力は、その文明の果てにあるネガティブなイメージに振れるよりも、未知のゾーンを拓いたその能力が、止め処なく変容する文明の風景の稜線を伸ばし切っていく、私たちの欲望系の推進力の方が常に勝ってしまうという現実 ―― これこそが、ホモ・サピエンスの宿痾(しゅくあ)であると言っていい。

二足歩行の結果、脳の最高器官としての前頭連合野が肥大し、言語能力が発達していった。

「自我」と呼ばれる生存・適応戦略の司令塔を手に入れてしまったホモ・サピエンスは、DNAに組み込まれた「ホモ・スピリチュアリス」の稀有な能力をも包括し、次々に湧き上がってくるスピリチュアリズムのシグナルによって、その時点での最高レベルの最適化の戦略に依拠し、未知のゾーンを抉(こ)じ開け、変容する文明の風景の稜線を限りなく伸ばしていく。

自然から離れたヒトは、一切をコントロールできるという妄想の虜となり、抑制系の進化への深慮遠謀よりも、欲望系の推進力に身を任せていくことに全く躊躇することがなくなっていったとき、快感を被浴するレベルの高度化を随伴し得る、変容する風景に見合った文明の利器を創り出していったのである。

一度(ひとたび)、蠱惑的(こわくてき)な臭気が漂うばかりに、この先行き不透明な行程に踏み込んでしまったら、多少のエンジントラブルが発生しても、オートローテーションが機能すると信じ込むことで、ポイントオブノーリターンのゾーンにまで侵入してしまう外ないのだろう。

私たちホモ・サピエンスは、いつか滅びるかも知れない。

それもまた、私たちの運命のような気がする。

だが、地球は滅びない。

たまたま現時点で、私たちが呼吸を繋ぐ地球という巨大な惑星は、ホモ・サピエンスによって簡単に壊されてしまうような脆弱な代物ではないのだ。

私たちが無謀な自壊を遂げる暴走に、ほんの少し踏み込んだ時点で、もうそこには、ヒトの存在の片鱗すらも見えないだろう。

地球はまた、その懐に、また新たな主人を迎えて、全く違う世界を切り開いていくに違いない。

でも、もう戻り得ない地点まで来てしまった私たちは、躊躇することなく、「約束された終焉」の運命をトレースしていくしかないのだろうか。

もしかしたら、文明を創り出す能力を具現した私たちだから、文明が内包する危うさの中から、呆れるほどの自縄自縛の戦略を修復し、自己救済していく方略を見つけ出すのかも知れない。

いずれにせよ、私たちはもう、耐性獲得を果たし続けるウイルスとの戦いの絶対記号である抗生物質や、数え切れないほどの「快楽装置」が身近に広がっている、この化石文明を決して手放せないのだ。

それだけは、いい意味でも悪い意味でも、掛け値なしの現実である。

だから、安直な文明批判を、私は絶対にしない。

「電動ベッド」なしに生きられない私が、そんな欺瞞的言辞を放てる訳がないのだ。

とりあえず、「今」、「この時」、「何ができるか」、それだけを考えるしかないのである。

―― 最後に、蛇足ながら一言。

「編集後記」での「白いワニ」の挿入は、「自然の一部としての人間」の「ホモ・スピリチュアリス」としての有価値性という、それまで語られた文脈のうちに強引に収斂させてしまって、文明の一つの極点としてのチープな原発批判への強引なインサートでなかったら、最高レベルのハイテクの集合的技術なしに製作不可能だった本篇の、その秀逸な映像に対する包括的な〈状況性〉への認知を希釈させることで、巷間にあって、しばしば散見される、文明に存分に浸かっている者の欺瞞的な視座の確信犯的投入に依拠した、極めて稚拙な文明批判に堕してしまっていると言わざるを得ないのだ。

既に映像の中で充分に語られているにも拘わらず、如何にも取って付けたような「編集後記」のインサートは、「ホモ・スピリチュアリス」としての有価値性をトレースする、洞窟壁画への溶融感覚の完璧なる構成の無言の閉じ方を、却って異化させる危うさすら垣間見させ、その「作家性」の鈍化を感じさせる絵柄の受容を迫られる押し強さを、ヘルツォークらしいという短絡的な括りで撮り逃げする欺瞞性に対して、少なくとも、私は全く馴染めなかった。

(2013年9月)

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