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2016年1月12日火曜日

ガタカ(‘97)     アンドリュー・ニコル

<「不適正者・神の子」という人間 ―― その精神世界の目映い輝き>



1  弛(たゆ)まぬ努力なくして成就し得ない、苛酷な日々を繋ぐ若者の物語



「神が曲げたものを誰が直しえよう」(「伝道の書」)
「自然は人間の挑戦を望んでいる」(ウィラード・ゲイリン/米国の精神分析医)

この冒頭のキャプションから開かれる映像は、近未来のガタカ航空宇宙局の整然とした世界を映し出す。

「君は相当なきれい好きだな、ジェローム」
「“清潔は信仰に似たり”と」
「飛行計画書にもタイプ・ミス一つない。驚異的だ。土星へ飛ぶにふさわしい」
「打ち上げ延期の噂を聞きました」
「心配ない。予定通り1週間後だ。薬物検査を」

ヴィンセントとジョセフ局長
これは、毎日、1ダースのロケットが宇宙に飛ぶガタカ航空宇宙局内における、ジョセフ局長とジェロームに成り済ましたヴィンセントとの会話である。

「宇宙飛行士・ジェローム・モローが土星の14番目の月タイタンへ飛び立つ。難しい選考試験もジェロームにはたやすかった。彼は宇宙飛行士に必要な資質を生まれつき備えている。ジェロームにとって何の快挙でもないが、僕はジェロームではないのだ」(ヴィンセントのモノローグ)

このモノローグから彼の過去が回想されるが、ここで簡単に、ガタカの世界を説明する。

人工的に作り出す「適正者」
ここでは、遺伝子分析によって生まれた時点で寿命や将来の疾病が決められるが故に、劣勢遺伝子を排除した「適正者」の子を人工的に作り出す。

それ故、自然分娩として生まれた人間は、「神の子」という名の「不適正者」となり、この両者の差別が違法でありながら、法的強制力など存在しなかったのも同然だった。

本作の主人公・ヴィンセントは、両親の「愛の結晶」による自然分娩として生まれた、「不適正者」という宿命を負っていたのだ。
  
ヴィンセントの母は、神にすべてを託したのである。

その結果、ヴィンセントは、神経疾患の発生率60%、躁鬱病42%、ADHD(注意欠陥・多動性障害)89%、、心臓疾患99%、推定寿命は30.2歳という事実が判明するに至る。

「きっと何か、やり遂げるわ」

自然分娩として産んだヴィンセントを、愛情深く育てていく母の言葉である。

その事実を幼児期に知るヴィンセントは、かすり傷や鼻水一つで大騒ぎされるばかりか、保育園にも入園を断られる子供時代を過ごす。

「次の子は“普通の方法”」で作ろうと決心した両親から、その両親のDNAをベースにした遺伝子操作によって、暴力性、肥満など有害な要素を排除し、遺伝性疾患のない男子を望む母親によって、『1000人に一人の傑作』(担当医の言葉)である次男・アントンを作り出してもらうのだ。

ヴィンセントの「遊び相手」が欲しかったからである。

しかし、「不適正者」であるヴィンセントと、「適正者」であるアントンとの能力的違いは瞭然としていた。

競泳でのチキンレース
競泳でのチキンレースで負けるのは、必ずヴィンセント。

「星への愛情か、地球への憎しみからか、物心がついた頃から宇宙飛行士を夢見ていた」(モノローグ)

「不適正者」であるヴィンセントが宇宙飛行士になる可能性がゼロに近いにも拘らず、宇宙飛行士の夢を捨てられない彼は、それでも筋トレなどをして猛烈に努力する。

その努力の結果なのか、競泳での最後のチキンレースでアントンに勝ったことで、より一層、宇宙飛行士になる夢を追い駆けていく。

このシーンの意味は重要である。

「不適正者」と「適正者」の能力的違いが顕在化されているからだ。

それでなくても心臓疾患のリスクを負っているのに、命懸けで泳ぐヴィンセントの命を奪う危険性を高めてしまうが故に、アントンは無意味なチキンレースを断念したと考えられなくもないのだが、この伏線はラストで回収される。


「新下層階級」(ヴィンセントの言葉)であるヴィンセントは家出同然に実家を離れ、職を転々とする放浪の日々を送るのだ。

ガタカの清掃員になったヴィンセント
放浪の日々の果て、ガタカの清掃員になったヴィンセントだが、血液検査という壁が立ちはだかる現実を突破するために、過激な手段に打って出た。

遺伝子ブローカーの闇ルートを介し、自ら走行車に飛び込むという自殺未遂によって、車椅子生活を送っていた優秀な「適正者」・ジェローム・ユージーン・モローという男の遺伝子を購入し、そのジェロームに成り済ますのである。

今や、アルコールしか生き甲斐がないようなジェロームの自殺未遂の原因は、「金メダルを取るべくして生まれた優秀な能力がありながら、2位どまり」(ジェロームの言葉)だった自分に絶望したこと。

ジェローム
そんなジェロームの強力なサポートのお陰で、ガタカの入社試験での尿検査をパスし、ヴィンセントは採用されるに至る。

「こうして僕は、毎日、垢や爪や抜け毛を処分する。同時にユージーンは、彼の体の一部を提供してくれた。薬物検査用の尿サンプル、入館チェック用の血液、その他、様々な体組織。ユージーンを演じる代わりに、僕は家賃を払い、彼の生活を維持した。彼のその完璧さが、彼の重荷だった」(モノローグ)

これが、冒頭のシーンで、ジョセフ局長に「“清潔は信仰に似たり”」と答えたヴィンセントの、「きれい好き」の習癖の実相である。

これほどの努力なくして、成就し得ない苛酷な日々を繋ぐのだ。

かくて、ジェロームとして出世していくヴィンセントだが、この成り済ましを見抜いたガタカの上司が殺害されることで、最大の危機が彼を待ち受けていた。

打ち上げが間近に迫りながら、事件現場に落ちていたマツゲの検査からヴィンセントが疑われ、窮地に追い込まれていくのである。

アイリーン
そんなヴィンセントに思いを寄せるガタカの女性局員・アイリーンは、密かに彼の履歴を調べて、「適正者」であることを確認していた。

「私が旅できるのは地球だけ」

「心不全の怖れ」と記録されている事実をヴィンセントに吐露した、アイリーンの言葉である。

「髀肉の嘆を託つ」(ひにくのたんをかこつ/自らの能力を発揮する機会に恵まれずに嘆く)心情が、アイリーンの中枢に潜んでいたのだろうか。

一方、殺害事件の容疑者となったことで、宇宙飛行士を辞めて逃走しようと考えるヴィンセントの弱気に怒るジェローム。

「とんだ腰抜けと契約した。最後の最後になって裏切るとはな!今さら辞めるな!俺はどうなる。車椅子で土星に行けというのか!奴らの目に映るのは、この俺だ」

ジェローム

ジェロームの中に、自分を宇宙に行かせたいと本気で願う思いを感じ取ったヴィンセントは、いつものように自分の全身の体毛等を処分し、覚悟を括って警察の検査に臨んでいく。



翌日の検査で、一時的に苦境を脱したヴィンセント。

「ある場所から必死に逃げようとして、ついにチャンスが来た時、未練ができる。1年は長い」

これは、殺人容疑者の疑いを一時的にクリアした後、アイリーンとの別れを惜しむヴィンセントが吐露した言葉。

地球への未練を残すこんな言葉の中に、「不適正者」=「神の子」であるヴィンセントの人間性が表現されている。

しかし、宇宙への出発を2日後に控えたヴィンセントに、最大の危機が訪れる。

警察の検問に遭遇したのだ。

アイリーンを連れ、慌てて逃走するヴィンセント。

ヴィンセントアイリーン
ヴィンセントがアイリーンに自分の素姓を告白しようとするが、事件への関与にうすうす疑念を抱きつつあったアイリーンは、その告白を遮断する。

二人が結ばれたのは、その直後だった。

出発前日となった。

最後の警察の検問が、ヴィンセントを待ち受けていた

アイリーンを連れた刑事が、ジェロームの家に捜索に入ったのである。

ジェロームは今、本来の自分に戻るために車椅子を降り、必死に這って2階に上がり、椅子に座って、刑事を待つのだ。

かくて、ジェロームの巧みな演技によって、ヴィンセントは最大の難関を乗り越えるに至った。

その直後、真犯人が逮捕されることで、呆気なく事件は収束する。

アントンアイリーン
ここで、執拗にヴィンセントを追い詰めた刑事こそ、ヴィンセントの弟・アントンである。

ジェローム=ヴィンセントである事実をお互いに知りつつも、ヴィンセントが「不適正者」であるという重要な情報を隠し込み、アントンは兄が犯人でないことを祈りつつも、同僚の刑事に暴力を振ったことで、公正な職務を全うせざるを得なかったの

この時点で、アイリーンもまた、ヴィンセントがジェロームに成り済ましていた事実をはっきりと知り、衝撃を受ける。

「ヴィンセント・A・フリーマン。不適正者だが、殺人犯じゃない。僕も心臓に爆弾を抱えてる。そして、もう長くはない。すでに寿命を過ぎている。何が不可能か、君には分るはずだ。欠点を探すのに必死で、気づかなかったろ。こんな言葉は慰めにならないだろうが、可能なんだ」

複雑な心情に揺れるアイリーン
その思いを受容しつつも、複雑な心情に揺れるアイリーン。

そして、もう一人。

真犯人が逮捕されることで安堵するアントン刑事と、ヴィンセントとの二人だけの再会。

「ゴールはまだ先だ」とヴィンセント。
「終わりだ」とアントン。
「なぜ邪魔をする。僕に何ができるか、決めつけるな!僕は誰からの救いも求めてない。お前と違う。僕に救われたことを、どう説明する?」

ヴィンセントは、少年時代の最後の競泳のチキンレースのことに触れ、そこで負けた弟を挑発するのだ。

アントン
「証明する」と答えて、その挑発に乗るアントン。

かくて、成人期に達した兄弟が、もう一度、競泳のチキンレースを再現する。

夜の海でのチキンレースに挑む兄と弟。

その結果、今回もまた、「不適正者」の兄が「適正者」の弟に勝ち、溺れかかった弟を救ったのである。

弟を完膚なきまでに破ったヴィンセントにとって、アイリーンと共有する最後の夜でもあった。

当日になった。

「サンプルを用意しといた」と言い添えるジェロームに、「もう、要らない」と答えるヴィンセント。

「帰った時、使え。軽く一生分はある」と言って、冷蔵庫に保存されているサンプルを見せるジェローム。

「なぜ、こんなことを?」とヴィンセント。
「俺がいないと困るだろ」とジェローム。
「どこへ行く?」
「旅に」
「ありがとう」
「こっちこそ感謝してる。体を貸す代わりに夢をもらった」

封筒を渡ジェローム
自分の心情を素直に言葉に換えたジェロームは、「宇宙で読め」と言って、念願の「宇宙飛行士」となるヴィンセントに封筒を渡し、自分の分身となった若者に笑みで別れを告げる。

いよいよ出発直前となったとき、レイマー医師による最後の抜き打ち検査があった。

「息子は君の大ファンでね」とレイマー医師。
「忘れないでくれ。僕は誰にも負けなかった」とヴィンセント。
「ここに応募を?」
「任務を完璧に果たしたはずだ」
「残念ながら、遺伝子に問題が。だが、希望はある。だろ?」

すべて分っていながら、レイマー医師は「不適正者」であるヴィンセントの不正を見逃し、救って上げるのである。

飛行船に乗り込んでいくヴィンセント
レイマー医師の思いもかけない温情に感謝しながら、ボーディングブリッジを経由し、飛行船に乗り込んでいくヴィンセント。

ジェロームが焼身自殺したのは、まさにその瞬間だった。

一切の痕跡を残さずに、ヴィンセントを救う手段として、この行動を選んだのか、或いは、それ以上に、自分の分身になり切った若者に叶えられなかった夢を託したことで、自らの人生に決着をつけ、文字通り、完全燃焼を果たしたのだろうか。

そのことは、ヴィンセントに渡した封筒の中に、ジェロームの毛髪が入っていたことによって充分に予想し得るもである。

「地球には居場所がないと思ってたのに去るのが辛かった。命は宇宙の塵の中から生まれたという。僕は故郷へ帰るのかも知れない」

ヴィンセントの最後のモノローグである。



2  「不適正者・神の子」という人間 ―― その精神世界の目映い輝き



「挫けずに頑張れば、いつかは成功する。偉いぞ、ヴィンセント」

このジェロームの言葉の中に、あまりに優秀であるばかりに、ほんの僅かな失敗でも自分を責めてしまうような打たれ弱さが、自分と正反対な強い性格を持つヴィンセントとの対比の中で的確に表現されていた。

劣等感に苛(さいな)まれるジェローム
一流の競泳選手であるジェロームは、「金メダルを取るべくして生まれた優秀な能力がありながら、2位どまり」(ジェロームの言葉)だっただけで、劣等感に苛(さいな)まれる脆弱性を露呈する。

この劣等感は自分に絶望し、自殺未遂を起こすほど膨張してしまうのだ。

それは、遺伝子分析によって「推定寿命は30.2歳」という宿命を負いながら、その「生理的寿命」(限界寿命)を超えてもなお、宇宙飛行士になる夢を具現化せんとするヴィンセントの「絶望を拒絶する人生」と明らかに切れていた。

ところが、この「打たれ弱さ」「打たれ強さ」の乖離感が、その風景を反転させるシーンがある。

ヴィンセントとジェロームの、激しい感情交叉のエピソードのシーンである。

このエピソードは、「不適正者」の能力的限界が端的に表現される、本作で最も重要なシーンの一つであると言っていい。

殺害事件の容疑者となったことで、宇宙飛行士を辞めて逃走しようと考えるヴィンセントの弱気に、ジェロームが「とんだ腰抜け!」と言い放ったエピソードを見る限り、一見すると、ヴィンセントをサポートし続けるジェロームの強さと、ヴィンセントの弱さが際立っているように思われる。

本当に、そう言えるのか。

自分を支え続けてきたジェロームを「裏切る」ほどに、ヴィンセントは「とんだ腰抜け」だったと言えるのか。

考えてみるに、ヴィンセントの頭から爪の先まで、DNAの痕跡を残さないための日々の神経の消耗は、普通の人間の能力ではとうてい耐えられるものではない。

「宇宙に行く」という強い目的意識に動機づけられているとしても、そのような自己管理を継続することは殆ど不可能である。

出勤前の入念な準備は、それが習慣化されることで精神的負担感が軽減されるとは言え、ガタカ局内での緊張状態は、常に恐怖に怯(おび)えた臨戦態勢にあると言っていい。

従って、ヴィンセントが逃走行為に振れる反応を抑え切るのは至難の業(わざ)なのだ。

それは、ヴィンセントの逃走行為が、人間の限界の際(きわ)で踠(もが)き、苦しみ、足掻(あが)いている状態を露呈することで、まさに彼が、「神の子」という名の「不適正者」である現実を痛々しく検証するものである。

ここで私は、ヴィンセントが弟との競泳のチキンレースで、命懸けで闘うことを遂行し切ったエピソードを鮮明に想起する。

不断の努力の積み重ねを惜しまないヴィンセントにとって、弟とのチキンレースは彼の精神的能力の範疇に属する闘いであって、それは、じわじわと人間の全神経を極限まで消耗させていくという、異常な緊張状態による恐怖への耐性限界を超える、「寸分の隙間なき非日常の時間」を強いるガタカ局内の破壊力と切れているのである。

まさにヴィンセントは、「神の子」という名の「不適正者」=人間そのものなのだ。

どれほど、彼の精神世界が強靭であると言えども、人間それ自身が持つ生理的限界とストレスの耐性限界の壁を乗り越えるのは、殆ど不可能であると言い切れる。

「寸分の隙間なき非日常の時間」を耐え得る、完成形の人間など存在しないのだ。

しかし、不全形の人間が、少しでも、完成形の人間に近接するための弛(たゆ)まぬ努力を繋ぎ、目的意識に動機づけられた活動を続ける時間を有することは十分に可能である。

その辺りに、私たち人間の価値があるとも言える。

少なくとも、ヴィンセントはそういう種類の人間だった。

このエピソードは、人工的に形成されたが故に物事を合理的・事務的に処理できる能力を、ほぼ万全に有するだろう「適正者」に成り済ました「不適正者」の、その能力的限界を顕在化した典型的事例であると言っていい。

ところが面白いことに、どれほど努力を繋いでも「適正者」に化け切れない「不適正者」の能力的限界が垣間見えても、そこだけは変わり得ない、両者に共通する身体的表出を伴う感情群がある。

生後8カ月以内に感情表出が見られると言われる、驚き・怒り・恐れ・喜び・悲しみ・嫌悪などの情動反応である。

その情動反応が、ガタカで炸裂する。

殺人を犯す「適正者」がガタカに出現したのである。

ヴィンセントの弟・アントンのように、遺伝子操作によって暴力性を排除しなかったのか。

「適正者」の訓練
暴力性を排除しない「適正者」がガタカに存在した設定自体、「驚かしの技巧」を駆使するハリウッドのSF映画として観れば、滑稽ではあるが、進化生物学的に言えばあり得ないことではない。

人間の行動を制御する遺伝子はたった一つではなく、しかも、状況文脈的な環境との相互作用に左右されるからである。

暴力性が自己に向かった行為であるとも言える自殺を図るというような、極限的な情動反応を抑えることができなかった、「最優秀適正者」・ジェロームの存在もまた、同様の文脈で把握することが可能である。

ジェローム
これが、遺伝子操作でも変えられい人間の能力の限界であるのだ。

大脳辺縁系の「扁桃体」(へんとうたい/高等動物の側頭葉内に存在)を根源にする情動反応は、人間が自己保存するための適応機能であるが、人間が進化しても、情動反応を完全にコントロールすることは難しい。

生物学的に組み込まれた身体の生理的反応であるからだ。

思うに、不全形の人間が、その不完全性を補強するために、より完全なものを作り出すところに、不全形の人間のその本来の価値がある。

しかし、いつまで経っても完成形の人間を作れない。

だからヴィンセントのように、不全形の人間は努力を怠らない。

万が一、完成形の人間を作り出してしまったら、もう、何の夢もなくなるだろう。

この映画の面白さは、完成形であると信じたところにまで進んだ人間が、実はほんの僅かなミスで、その「完全性」を失うことによって生きる気力さえ失ってしまうという人物造形(ジェローム)を対象化し、その対象との関係で照射される人間(ヴィンセント)の努力の凄みを描き切ったところにある。

その意味で、努力次第で運命すら変えられるという可能性を示唆した映画。

「不適正者・神の子」という人間 ―― その精神世界の目映(まばゆ)い輝き」

些か褒め殺し的になるが、これが本作に対応する私の主観的な存意(ぞんい)である。



3  遺伝子と社会的環境要因を架橋するメカニズム



全ての生物は約60兆の細胞から構成されている。

0.01mm程度の大きさを持つ細胞の中に細胞核があり、その細胞核の中に生物を形成し、生きていくための染色体がある。

染色体
23組46本で、2本で1組となっている染色体(そのうちの1組、2本の染色体が、女性はXX、男性はXYという性染色体)は、DNAとタンパク質の複合体である。

約3万2千種類と言われる遺伝子(現在では、ヒトの遺伝子は2万~2万5千個ほどに下方修正されている)とは、先祖から子孫へ連綿と伝わり、体格・骨・髪の色など身体的特徴を決定するDNA(デオキシリボ核酸という物質)の一部分のこと。

分りやすく言うと、「DNAは物質」で「遺伝子は情報」であると考えればいい。

糸のような形をした細長い物体で、二重らせん構造をしているDNAは、その内側には塩基と呼ばれる部分が並んでいて、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン) 、C(シトシン)の4種類の部品でできている。

因みに「ガタカ」=「Gattaca」とは、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン) 、C(シトシン)というDNAの4種類の塩基の頭文字を使ったもの。

そして今、女優のアンジェリーナ・ジョリーが「BRCA1」(乳癌や卵巣癌を引き起こす遺伝子)遺伝子解析で、「乳がんになる確率が87%」と診断され、乳腺切除手術を行ったことで話題となったが、DNAの読み取り技術の進歩で、米国を中心に広がった、個人のDNAを解析する遺伝子ビジネスの存在が無視し難くなっている。

これは、「ガタカ」でも描かれていた操作的な遺伝子検査の世界と地続きではないが、今は単に、「知る」だけの遺伝子検査が、操作的な遺伝子解析に決して侵入しないという保証がない。


遺伝子解析ビジネスに参入する各社が、DNAを突破口に健康関連の巨大市場を、デジタルのノウハウで切り崩すことから開かれる未知のゾーンの恐怖。

これがある。

「『ガタカ』にも出てきた目の色や若禿、あるいは髪の毛の色や耳垢の乾湿などはたった1つの遺伝子にほとんど支配されています。色盲や血友病など、疾病のなかにも1つの遺伝子がどのタイプかによって、生涯にそれを発病するかどうかが高い確率で予測できるものがあります。こうした性質は、双子の研究にもよらずとも、いわゆる家系図を描いてみて、幅広い親戚の間で、それがどのように伝わるかを調べることによって知ることが出来ます」(「遺伝子の不都合な真実」安藤寿康著 筑摩新書)

更に、由々しき問題がある。

全ての遺伝子の情報を、生命の設計図としての「ゲノム」と呼び、現在、全遺伝情報を意図的に操作する「ゲノム編集」の研究が急速に進展し、害虫耐性のトウモロコシなどの「遺伝子組み換え」よりも遺伝子操作を可能にすることで、「人が神の領域に踏み込んだ」と報じられ、由々しき問題になっている。

この技術は、ゲノムの全塩基配列を解析するプロジェクト・「ヒトゲノム計画」が、2003年に完了したことで可能になった革命的な変化と言っていい。

サルの実験は既に中国で遂行され、この技術がヒトに意のままに応用される可能性がある。

ヒトへの応用が開かれる前に、私たち一人ひとりが、それを受け入れるかどうかの議論を交わす時期に来ているのである。


本稿の最後に、DNAの遺伝情報がmRNA(メッセンジャーRNA=伝令RNA)に「転写」(DNAからRNAを合成する最初の段階のこと)され、それがタンパク質に「翻訳」(合成反応)されるという、遺伝情報の重要な流れ(「セントラルドグマ」)について書き添えておきたい。

ここでは、「エピジェネティックス」という生物学の概念がキーワードになる。

「転写⇒翻訳」という一方的な流れで、全ての遺伝情報がDNAの配列に従って働いているというのが、分子生物学の概念・「セントラルドグマ」の基本原理であるが、これがDNAの配列が変わらなくとも、形質に変化が現出することも存在するという仮説が提示されたのである。

RNA⇒DNA(「逆転写」)という情報の流れがあることも分ったこと。

これは、「セントラルドグマ」の一角が崩されたことを意味する。

DNAの塩基配列の差異によらずに、遺伝子発現の多様性を生み出す仕組みとして注目されるのが「エピジェネティックス」である。

DNAメチル化は細胞の分化や老化、がん化などに重要な働きを持つエピジェネのキーワード
DNAによって決められていない後成的(生物の構造は次第に作り上げられるものという考え方)な遺伝子の調節・制御こそ、「エピジェネティックス」が研究している内容であり、そこでは社会的環境要因が生物学的反応を惹起し、親が獲得した形質が「エピジェネティックス」を通して子孫に伝わることがあり得るということ、即ち、「獲得形質の遺伝」が可能であるという至要たる仮説の提示である。

要するに、遺伝子だけが人間の生命現象を決定するものではないということ。

遺伝子と社会的環境要因を架橋するメカニズム ―― それが「エピジェネティックス」である。

「数少ない遺伝子情報からある人の心理的・行動的特徴を予測することは、いまの時点では無理があります。(略)『何と何の遺伝子があるから私の人生はこうなる運命だ』と考える必要はありません」(前掲書)

常に不全形である人間は複雑なのだ。

不全形の人間が、少しでも、完成形の人間に近接するための弛(たゆ)まぬ努力を捨てなかったヴィンセントは、だからこそ偉かったのである。

どこまでも人間的だったからである。

【参考資料】 「遺伝子の不都合な真実」(安藤寿康著 筑摩新書)他

(2016年1月)





2 件のコメント:

  1. 近未来SF映画の装いの中で、実は「〈人間〉の努力の凄み」を描いた映画だったんですね。公開時に劇場で見たような気がしますが、よく分からない映画だなーという印象でした。
    それにしても深い分析力に脱帽します。一度読んだだけでは分からずに2度読んでしまいました。

    最近は「どうしたら撮影のセンスって磨かれるのだろうか?もしかしてDNA的な物?」などと、まじめに悩んでいて、仲間と良い映像を見つけては、分析しています。毎週30分そういう時間を作ろうと決めたのですが、昨日は私の不在にも関わらず2時間ほど話し合ったそうです。
    私はとりあえず知識を増やそうと思い、3分で分かる絵画、みたいなブログを時間を見つけては読んでします。
    更新、毎回楽しみにしています。

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    1. いつも長文にお付き合い下さり、ありがとうございます。
      世界的な長期にわたる双子研究の結果、すべての形質ではないにしろ、人間の心や行動は約6割が遺伝的な影響を受けていると言われています。嗜好性や職業選択においても自身の感覚器官のさまざまな能力が方向づけている可能性が高いということです。問題はそれを環境との相互作用でどう生かしていくかということかも知れません。

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