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2012年12月28日金曜日

一枚のハガキ(‘10)      新藤兼人



<「声の強さ」を具現しただけの「精神の焼け野原」の風景



 1  新藤兼人監督の「最終メッセージ」を想わせる、「絶対反戦」のテーマを内包させて描き切った物語 ―― その簡単な梗概



 簡単な梗概を書いておこう。

三重海軍航空隊に徴集された100名の中年兵が、内地任務として課せられていた天理教本部の掃除を完遂した折り、次の本来の任務をくじ引きで決定されるに至った。

激戦地フィリピンへの赴任に就くことになった森川定造は、生還率の高い宝塚での清掃作業に決まった6名の中に入っていた松山啓太に、故郷広島に残した愛妻・友子からの一枚のハガキへの返事が、検閲の壁によって妨げられているので、終戦後に、ハガキを持って妻に会って、読んだことを伝えて欲しいと依頼する。

太平洋戦争末期の悲劇をなぞるように、海の底に沈んで戦死した定造の依頼を思い出した啓太は、日本に帰還しても、父と妻が不倫の逃避行をした事実を知らされたことで、一切の未練を断ち切ってブラジル行きを決意するが、その前に定造の妻に会いに行くことにした。

 物語の大半は、定造の妻・友子と啓太の出会いと、人生の再出発を期して、広島の小さな村でのエピソードの悲喜劇を、新藤兼人監督の「最終メッセージ」を想わせる、「絶対反戦」のテーマを内包させて描き切っていく。



2  「激発的感情表現者」を不可避とする表現世界のピークアウト



良くも悪くも、心の中に貯留する感情を言語表現せずにはいられない、新藤兼人監督の「表現技法」の性癖がフルスロットルの状態を呈し、それでなくても暑苦しい、この作り手の情念が暴れ過ぎていて、私にはとうてい受容し切れない作品だった。

不必要な言語も何もかもスクリプトに埋め尽くしていくシナリオを、いつものように、驚くほど抑制系への配慮を欠き、ダイレクトに表現してしまう暑苦しさに遣り切れないのである。

 だからこれは、観る者を疲弊させる声高な絶叫ムービーとなった。

 以下、その例の幾つかを紹介する。

「あんた、ワシをおいて、なぜ死んだー!」

戦死した夫の「対象喪失」による懊悩を、両手で両耳を塞ぎながら叫ぶ妻。

 「白木の箱に何も入っていないのは分った。潜水艦にやられて、海の底に沈んだんだ!」

ここでは、大黒柱にしがみ付きながら絶叫するのだ。

友子
「あなた、冷たかったでしょう。骨も戻らないんだ。あたしを置いていったんだ!あぁ~~あぁ~~戦争だぁ~!」

止まない絶叫が反転して、夫の兵舎仲間であった男に向かっていく

「あんたはどうして生きとるんじゃ!あんたは何で死なないんじゃ!」

男の名は松山啓太。

定造から依頼された「一枚のハガキ」に関わる伝言を届けに来ただけだが、夫・定造の妻は納得しないで難詰する一方だった。

「残った40名はまたくじを引いてもらって、30名が潜水艦に乗りました。最後の10名は・・・」

 このとき、啓太は、くじ引きで運命を決められた事情を説明したことで、定造の妻を落ち着かせるに至る。

然るに、ここで看過し難いのは、「絶対反戦」に収斂される「戦争の悪」を糾弾するエピソードの中に、映像とは表現フィールドの切れた舞台劇の技巧に丸投げすることで削り取られた、総合芸術である映像フィールドの固有の表現枠の自在性である。

それは、物語を矮小化させることで特化させた狭隘なスポットのうちに、作り手の情感系の一切を細大漏らさず減(め)り込み、そこで興奮のあまり叫喚の連射を繋ぐ描写に、「主題提起力」を炸裂させる技法の危うさであった。

即ち、限定された構成の中で勝負するリスクを負うことによって、特的に拾い上げた言語的、且つ、非言語的コミュニケーションの表現力の成否と有効性が決定づけられるので、殆ど食傷気味に暴れてしまう「初発のインパクト」が分娩した一連の画像の支配力は、観る者を疲弊させる声高な絶叫ムービーという、およそアバンギャルドの知略とも言えるシュールの風景と切れた、単に、常軌を逸したアナクロの臭気だけを撒き散らせて終焉させた危うさ ―― それが、特化させた狭隘なスポットで過剰に出し入れされてしまったのである。

物語のフォローを繋いでいこう。

啓太と友子
定造の妻の家で宿泊した啓太は、あろうことか、実父と駆け落ちした妻に逃げられ、帰郷後の自らの身の振り方に迷走した挙句、故国の思い出の一切を捨て切って、ブラジルに移住する意思を告げた際にも、件の「激発的感情表現者」によって、こっぴどく難詰されるに至った。

 「弱虫!それじゃ、94人の魂が許されませんよ!」

 嫁に来た家の家族4人が、それぞれの理由(息子二人の戦死⇒病死⇒自殺)で逝去した挙句、たった一人になった寡婦の情動は、嫁入り先の亡夫の実家で野垂れ死にする覚悟を括っているから、「激発的感情表現者」を全人格的に演じ切れる、波浪の渦中の指弾のうちに氾濫する暴れ川と化していた。

 「戦争が皆殺しにしたんだ

 言うまでもなく、これも、寡婦である「激発的感情表現者」の、「戦争」という名の「究極の犯罪性・非人道性」を糾弾する一撃。

暴れ川と化した以上の氾濫は、散々、「不幸の洪水」の物語を繋いでいくプロセスと、野垂れ死にする覚悟を括った「激発的感情表現者」の、絶叫マシーンの如きスクリプトの一例を挙げたもの。

これらは全て、本作のヒロインである友子の放った台詞である。

家族4人を喪う友子(右)
私の耐性限界を超える「激発的感情表現者」の絶叫の画像は、敢えて感情表現を強調させたかのような、アナクロの臭気だけを撒き散らせだけのシーンの連射と化して、目一杯辟易し、このような表現しか結べない作り手の、抑制系を確信的に蹴飛ばした児戯性全開の「情動的直接主義」に唖然とさせられた。

このような言語表現に依拠せずとも、唐突に惹起した「対象喪失」の懊悩を、叫びを上げることなしに処理できるにも拘らず、それを躊躇せずに作品の中に埋め込んでいく、「主題提起力」の炸裂の技法の過剰さが、最も肝心な「映像構成力」を押しのけ、その均衡を食い千切っていく「情動的直接主義」の暴れ方 ―― この厄介なラインの独走が遣り切れなかったのである。

それらが、封印されていた感情を一気に言語に結ばざるを得ない、本作のヒロイン友子の性格を反映させたシーンであることが容易に想像し得たにしても、新藤兼人監督の作品の多くに共通する、「激発的感情表現者」を不可避とする表現世界が、ここでも必要以上に叫喚し、悲鳴を上げ、理不尽なる包括的環境を弾劾し、暴れ捲っていたように思えるのだ。

「ふくろう」より
荻野目慶子が演じた「三文役者」(2000年製作)を除いて、「生きたい」(1999年製作)、「ふくろう」(2003年製作)、「石内尋常高等小学校 花は散れども」(2008年製作)への立て続けの出演を通して、新藤兼人監督の晩年の作品に起用された大竹しのぶは、「午後の遺言状」(1995年製作)が遺作となった乙羽信子の代わりに、多くの作品で乙羽が演じ続けてきた「激発的感情表現者」の役割を担うに至ったのである。

要するに、大竹しのぶは、新藤兼人ワールドに殆ど不可避な、乙羽信子亡き後の「激発的感情表現者」の役割を担う女優だったと解釈する外にないのだ。

そして、恐らく、新藤兼人ワールドを個性的に彩る「激発的感情表現者」の役割が、「これだけは叫ばずにいられない」という強靭な思いを乗せて、本篇でピークアウトに達したという風に把握すべきなのだろう。



3  「声の強さ」を具現しただけの「精神の焼け野原」の風景



新藤兼人ワールドの肝とも言える、「激発的感情表現者」の役割が暴れ捲っていた本篇に対する私の評価は、前述した文脈のうちに象徴されるように、瑕疵が目立つ映画のようにしか思えないのだ。

「白木の箱に何も入っていない」(友子)、「女房と親父の不倫」(松山啓太)の説明を繰り返す諄(くど)さ、説明過剰な無駄なスクリプト。 

友子に横恋慕する吉五郎
ユーモアが内包する、諧謔性や親和力を無理に作った印象だけが残る、喧嘩のシーンの大仰な振舞いとリアリティの欠落。

不自然なスクリプトの連射(注1)と、夫と義弟の相貌性の極端な懸隔感によるキャスティングミス。

「村一番の歌の上手さ」と呼ぶには、お粗末過ぎる「影を慕いて」の歌唱力。

「死」の象徴としての「カラス」の構図(「生きたい」でも登場したが、本作では、義父の死の際に挿入させた屋根の上のカラス)とか、相も変らぬ、「終戦」(注2の象徴としての、玉音放送という「詔勅」のカット挿入等々、「巨匠」とも思えぬほどのベタな構図。

「一枚のハガキ」の依頼に関わる芝居がかった振舞いと、ご都合主義のインサート(これは看過し難いので後述)

他にも幾つかの事例があるが、何より、私が最も気になったのは、以下の文脈のうちに代弁できるものと言っていい。

即ち、それなしでも済んだはずのフラットな台詞の連射で絶叫させれば、「絶対反戦」に収斂されることで、「戦争」という名の「究極の犯罪性・非人道性」を糾弾し得ると考える、情緒過多な映像的提示の短絡性である。

そこでは稚拙さだけが空転し、少なくとも、私の内側に鋭角的に潜入してくる「主題提起力」が内包する、豊饒なる非言語的メッセージを受容する何ものもなかった。

幾つかの優れた作品を構築してきた実績を評価するのに吝(やぶさ)かでないが、シナリオライターの仕事こそ本領発揮のプロフェッショナルであると見ている私から言えば、そこだけは外せない、新藤兼人監督特有の、極めて声高な映像総体の暑苦しさの極致という印象しか持ち得なかったのだ。

新藤兼人監督は、文部省芸術祭文部大臣賞の栄誉に輝く「人間」(1962年製作)という、カニバリズム(人肉食い)をテーマにした作品でもそうだったが、本篇においても、インパクトのあるエピソードを拾い上げ、その類のエピソードを繋げば、人間心理の内奥に迫るという錯誤から脱却できていないどころか、大上段に振りかぶった「主題提起力」と睦み合えない「構成力」の不均衡感を印象づける、映像完成度それ自身の凡庸さを露呈させただけで、そこには特段に輝く何ものも掬い取れなかったのである。

ラストシーン
本質的に「先祖がえり」の相貌性を丸出しにしながら、それを「究極のメッセージ」として、堂々と押し出してくる厚顔さに鈍感過ぎていなかったか。

端的に言えば、こういうことではないだろうか。

声の強さ」は「思いの強さ」を具現する方略であるが、しかしそれは、必ずしも、芸術作品が内包する「表現の深さ」を具現するものと同義ではないのだ。

「思いの強さ」を具現するだけの声の強さ」は、一見、「映像表現の強さ」を印象付けるだけであって、映像表現力そのものに集合されたパワーが届き得たであろう、「表現の深さ」を具現することにはなり得ないのである

単に理念でしか成立しない「絶対反戦」とか、「如何なる困難な事態に遭遇しても、〈生〉と〈性〉の強靭な反発力によって人間は蘇生していく」といった、新藤兼人ワールド全開のメッセージが本作を貫流する推進力なっていることを了解しても、このような声高な絶叫ムービーが、観る者の「初発のインパクト」の賞味期限限定の情感効果を生んだにしても、表現それ自身が内包する「主題提起力」の強靭な継続力が、それを支える「構成力」よって十全に補填されない限り、映像表現力そのものに集合されたパワーが抉じ開けた地平に軟着することは叶わないだろう。

だからこの映画は、極限すれば、「虚仮威しの凡作」と印象づけられるほどに、声の強さ」を具現しただけの「精神の焼け野原」の風景を露呈してしまったのである。

実際、それが成功裡に受容されたか否かとは無縁に、ビジネス戦略としては申し分ないだろうが、「日本映画界の至宝、新藤兼人監督が99年の人生をかけた最高傑作」(公式サイト)などという、気恥ずかしいまでの権威主義に縋り付くだけの感受性の貧困さを擯斥(ひんせき)して、そこで提示された映像と対峙し、批評していく精神がなければ、またここでも、「精神の焼け野原」の裸形の澱がズブズブに貯留されるばかりであるだろう。

日本映画界の至宝
99年の人生をかけた

 それが、一体、どうしたと言うのか。

 そこに、何か「特別」の意味でもあると言うのか。

新藤兼人監督
 「至宝」であり、「99年の人生をかけた」という、大仰なキャッチコピーに喧伝された美辞麗句が「映像完成度」の高さの根拠になるというのか。

そして、極めつけは「キネ旬1位」の快挙という、それ以外にない権威主義の極致

ご都合主義満載の「ゴーストライター」(2010年製作)を、この年の「キネ旬1位」の「推奨銘柄」としてベストチョイスしたばかりか、「ファニー・ゲーム」(1997年製作)、「隠された記憶」(2005年製作)等々、ミヒャエル・ハネケ監督の抜きん出て構築力の高い傑作群を評価できなかったのにも拘らず、「第62回カンヌ国際映画祭パルム・ドール、第67回ゴールデングローブ賞外国語映画賞ほか、多数の映画賞を受賞」(ウィキ)ことで、それまでの過小評価を軌道修正(?)するかのように、「白いリボン」(2009年製作)を2010年度の「キネ旬4位」にする、相も変らぬ狡猾さを露呈させたキネ旬選者たちの洞察眼・批評眼の劣化を散々見せつけられているから、「キネ旬1位」の快挙という情報に特段の価値もないということ。

自明のことである。


(注1)「この土地の習わしで、長男が死ねば、次男が後を継ぐことになっている」という定造の父の台詞も不自然。「長男が死ねば、次男が後を継ぐ」のは当時当たり前のことで、別に友子に対する「この土地の習わし」などという言い回しはおかしい。

(注2山田洋次監督の「武士の一分」(2006年製作)でも登場した、「自由」の象徴としての「籠の中の鳥の解放」などという構図と同様に、「終戦」=玉音放送というベタなカットの挿入は、もういい加減に止めた方がいい。「終戦」の象徴を挿入せずとも、映像的に処理し得る工夫を考えることにあまりに鈍感過ぎないか。「映像作家」なら、その程度の技法的処理を鮮やかに見せることができないはずがないだろう。「終戦」=玉音放送というベタなカットが登場したら、私の中では「アウト」なのである。大体、日本の「アジア太平洋戦争」の終焉は8.15ではなく、9月2日の「ミズリー号での降伏調印式」での「敗戦の儀式」にある。



4  「反戦プロパガンダ」の臭気を感じさせる何かに堕した「間違ったメッセージ」の張り付け



私が本作と付き合って、いきなり躓(つまず)いたのは、信じ難い程のご都合主義の設定である。

それは、天理教本部の掃除を完遂した「おっさん部隊」が、くじ引きの不運の故に、マニラに「陸戦隊」(海軍の陸上戦闘部隊)への任地が決まった森川定造が、宿舎の床で、同じ釜の飯を食った松山啓太に対して、恋女房から送られてきた「一枚のハガキ」への返事を依頼するシーン。

今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので何の風情もありません。友子

これが、恋女房からの「一枚のハガキ」の文面の全てである。

 「三重海軍航空隊奈良分遣隊特殊分隊第五班」

 海軍に召集された定造たちの「おっさん部隊」は、内地にあるこの分隊に配属されていたのである

帰還後、定造のハガキを思い出す啓太
50分の3という確立で、「宝塚の清掃」という任務が決まった啓太に吐露した内実は、返事を書きたくとも検閲に引っ掛かるので書けないと苦悩する定造が、自らの気持ちを代弁してくれる特定他者としての役割の依頼だった。

「あとは頼むと書いても、検閲には通らん。俺は胸の内のことを書きたいが、あとは頼むと、その一言さえ書けん」

その際に、そこもまた、宿舎を劈(つんざ)声高のトーンで捲し立てるのである

このシーンでも、主題が暴走し、明らかに物語の構成の均衡を壊してしまっている。

「どうしても、これだけは言いたい」という作り手の思いが、定造の人格を借りて、絶叫の律動感のうちに入り込んでしまっているのだ

冒頭から暑苦しさの情動系だけが炸裂してしまっているのである

それ以上に、この設定には無理がある。

「あとは頼むと、その一言さえ書けん」と憤る定造の、声高な物言いには事実誤認があるとしか考えられないのである

恋女房からの「一枚のハガキ」の投函地は、当然の如く、定造の郷里である広島である

そして、「一枚のハガキ」の投函先は、定造が召集された「三重海軍航空隊奈良分遣隊特殊分隊第五班」。

即ち、このハガキは、行政上日本本土とされる、「内地」から「内地」への物理的移動なのである

確かに、戦地から送られてくる返事には厳しい検閲があったのは事実。

戦地の所属部隊の名が墨塗りされたのは、それが軍事機密に属するからである

私が知っている限り、「内地」から「内地」への物理的移動でしかないハガキの検閲は、そこに反戦的雰囲気を漂わせない限り、検閲に引っ掛かるということはあり得ないはず。

定造
更に言えば、「内地」から「内地」への私信の手紙は検閲の対象になっていなかったと言われているのである

この映画は、新藤兼人監督自身の体験に基づいているらしいが、それは物語のバックボーンに限定されると断言できる。

それ以外は、完全に創作なのである

「一枚のハガキ」の左上に、「軍事郵便」のスタンプが押印されていたが、これも先の理由で創作であると思われる

ここに、最近確認された貴重な文献を紹介した記事があるので、以下に転載する。

 「日露、日中戦争の間に出征した兵士が親族に宛てたはがきや手紙、封書の計28点が相模原市中央区の市立博物館に寄贈された。区内の男性が自宅を整理していた際に見つけ、同館に活用を託した。学芸員の土井永好さんは『郷土の先人が残した大切な記録』と話し、分析作業を続けている。(略)文面には、本人や戦友の消息を伝えたり、家族の安否を尋ねる内容が多い。例えば、男性の父が伯父に1943年8月以降に送ったとみられる一葉には、『お母さんに言って下さい/俺は益々元気だと』『好恵やヒー坊と一所に郁坊の冩眞をアルバムに並べていつもみて居るよ/又いづれ』

 土井さんによると、『限られた紙幅の中に家族に伝えたいこと、自分が知りたいことが順に記されている』。検閲印も認められることから、『限られた穏当で無難な表現しか許されなかったのかもしれないが、戦時下に生きた郷土の先人の内面の記録として読み取れる部分もある』という」(神奈川新聞・2012年10月16日)

 これを読む限り、「冩眞をアルバムに並べていつもみて居るよ/又いづれ」などという私信の手紙がパスしている事実が判然としているが、太平洋戦争においても事情が変わらなかったことが容易に想像し得る。

しかもこれらは、全て「出征した兵士が親族に宛てたはがきや手紙」であって、戦地からの発信なのである

仮に、本作のように、「内地」から「内地」への私信の手紙が検閲の対象になっていたとしても、「あとは頼むと、その一言さえ書けん」という定造の怒りの言辞は、明らかに創作であると言っていい

このとき、定造が拘泥していたのは、自らの気持ちを恋女房の友子に伝言したいという思いに集約されていたことを考えれば、単に、「手紙読んだ。ありがとう。あとは頼む」と書くだけで、以心伝心の夫婦には充分に思いが伝わるはずである

出征する定造友子
普通に考えただけでも、「手紙読んだ。ありがとう。あとは頼む」と書けば、「前線に赴く兵士の覚悟」の程を読み取れるだろうから、この言辞が、「その一言さえ書けん」と定造に言わしめたカットにはリアリティが削り取られているのだ。

ではなぜ、新藤兼人監督は、自身の体験に基づいていることをアナウンスしてまで、こんな「間違ったメッセージ」を本篇に挿入したのか。

簡単である。

定造からの依頼によって、それを「生還率」の高い啓太に届けてもらわない限り、この物語が動いていかないからである

ご都合主義であると言う外にない

然るに、こんな「間違ったメッセージ」を張り付けたことで、既に限りなく、本作は「反戦プロパガンダ」の臭気を感じさせる何かに堕していると言われても仕方ないだろう。

ごく普通の内容の返事も禁じられているという背景を強調したい狡猾な設定に、私は大いに違和感を持つ。

なぜ、この会話に疑問を持たないのか。

それ自身が怖いことである。

「絶対反戦」 ―― 大いに結構である。

しかし、最も肝心な事実をねじ曲げてまで、「絶対反戦」という主題提起の暴走こそ、本篇の価値を貶めてしまうのだ。

残念であるとしか言えないのだ。



 5  左翼系文化人が引き摺っている宿痾の片鱗を感じさせない映像作家



以上、縷々(るる)厳しい批評を繋いできたが、本作だけは私の受容限度を超えるものがあったにしても、私は特段に新藤兼人監督の個性的な映像群を忌避している訳ではない。

現に、本作のヒロインを演じた大竹しのぶのようなキャラクターを演じ続けてきた、「激発的感情表現者」である乙羽信子の暑苦しい演技が目障りだったものの、声高にならないギリギリのところで、林隆三の表現力で突き抜けた「竹山ひとり旅」(1977年製作)を評価しているし、そして何よりも、台詞のない「裸の島」(1960年製作)の映像宇宙は、今でも監督自身の最高傑作であると考えている。

更にそれ以上に、相応の秀作と評価する自伝的色彩の強い「愛情物語」(1951年製作)以降の、新藤兼人監督の多くの作品群を私が受容できるのは、この国の左翼系文化人が引き摺っている宿痾(しゅくあ)の片鱗を全く感じさせないからである。

ここで言う宿痾とは、「人民」と「大衆」を峻別し、自分たちの思うようにならない状況に捕捉されるや、「全てはこの国の大衆がアホだからだ」という情動を隠し込みつつ、しばしば「モラリズム」によって指弾する狡猾さを有する、この国の左翼系文化人の一部に濃厚に見られる根強い大衆蔑視感情のことである。

この偏頗(へんぱ)で傲岸不遜(ごうがんふそん)な感情ラインが、新藤監督には微塵も感じられないのだ。

演出する新藤兼人監督
そこが、この監督の最も素晴らしいところであると、今でも私は認識している。

確かに、監督の戦争観、平和観に全く共鳴することのない私だが、それでも本作の中で構築された映像の完成度の高さにのみ関心を寄せる者として、本作ばかりは受容し得なかっただけである。



6  極め付けのダブルバインドで縛られた国の人々の、自我分裂させた状況下での自己催眠戦略



「憲法9条は、敗戦したからこそ、こういういいものが生まれたわけでしょ。戦争に勝つとか、勝たなくとももう少しいい立場で終わっていたら、こういうものはできませんよ。要するに人類の永遠の命題ですね。国家として交戦権と軍隊を放棄したということは、ひじょうに立派なことでね」(「マガジン9〜この人に聞きたい『新藤兼人さんに聞いた』〜」)

 ここで語られた新藤兼人監督自身の思いは、とてもよく理解できる。

それは、本作の完成度の評価の是非とは無縁に、その言葉の重さを大切にしたいという気持ちは変わらない。

それにも拘らず、憲法9条が内包している本質的矛盾に、これまでもそうであったような逃避的気分で遣り過ごしていいとは到底思わないので、以下、本作の批評とは切れながらも、新藤兼人監督の「最終メッセージ」とも思える指向性が容易に読み取れる作品なので、ここからは私自身の意見を記していきたい。 


   *   *   *   *   *   *   *   *   


「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、及び、自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、且つ、交戦権を日本軍には決して与えられない」

これは、あまりに有名な「マッカーサー・ノート」に記された、憲法草案の第二原則の内実。

自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する」というマッカーサーの言辞の持つ意味は、驚嘆すべき破壊力を持っている。

ダグラス・マッカーサー(ウィキ)
なぜなら、ここでマッカーサーは「自衛権」をも放棄しているからだ。

なぜマッカーサーは、こんな言辞を放つに至ったのか。

最も考えられるのは、東京裁判(1946年5月3日から1948年11月12日までの、2年間半に及ぶ長期戦)の開廷直前の状況下にあって、昭和天皇の退位・訴追を強硬に求める戦勝国の一部を納得させるための方略であったということである。

既に、この基本指針は、天皇を利用することが戦後日本の体制の安定に繋がると考えていた、連合国軍最高司令官・ダグラス・マッカーサーの占領統治戦略に収斂されるものだった。

しかし、「マッカーサー・ノート」を基に憲法草案の起草を依頼されたGS(連合国軍最高司令官総司令部=GHQ内部の組織である「民政局」)局員、とりわけ、局長代理(後に次長に昇任)のニューディーラーであるケーディス大佐は、この原案を修正して、「自衛のための戦争の放棄」を削ったという経緯がある。

思うに、この「マッカーサー・ノート」を、GHQ民政局長のホイットニーが、憲法学の専門家ゼロという信じ難き集団である民政局員25人と協力して、世界各国の憲法などを参考にしながら、日本人立ち入り厳禁の密室状況下で、僅か1週間でまとめたのが「マッカーサー草案」だった。

ケーディス大佐
今でも、「憲法第9条の発案者の謎」というテーマで語られている一人に、天皇主権の原則を崩さなかったという点においても、旧来の陋習(ろうしゅう)に囚われた感の深い、我が国の「憲法問題調査委員会」(松本烝治委員長)を仕切った幣原喜重郎首相の名が取り沙汰されるが、草案作成の実質的な指揮を執ったのは、一貫してケーディス大佐であった事実を否定すべくもないだろう。

また、護憲の立場から指摘されることが多い、民間の立場から憲法制定に尽力し、新聞に発表された憲法研究会の「憲法草案要綱」では、現憲法の基本原則の一つである「国民主権」の思想が明瞭に記述されていて、マッカーサー草案に多大な影響を与えたとされているが故に、今でも、「押し付け憲法論」を批判する論拠になっている事実を認知するのに吝(やぶさ)かではない。

但し、憲法草案作成のプロセスに係合することが不可能だったという由々しき問題や、草案の中に「交戦権の放棄」についての言及がなかったことを想起するとき、当時の日本共産党が自衛権の放棄を非難し、第9条に反対した挙句、議決にも賛成しなかった事実とオーバーラップするスタンスであったと言えるだろう。

ともあれ、この「マッカーサー草案」が、最終的にGHQの「九条草案」となって、日本政府に提示されたのである。

1946年2月13日のことである。

 しかし、まもなく「九条草案」はアジアにおける東西冷戦の顕在化と相俟(あいま)ったことで、自衛戦争の余地を残した文言の追加によって、政治的に改竄(かいざん)されるに至る。

 有名な「芦田修正」である。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(第一項)

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(第二項)

言うまでもなく、これが九条の全文である。

「芦田修正」とは、九条第二項の冒頭に、「前項の目的を達するため」という文言を挿入する修正を行なうことで、主権国家としての固有の自衛権が保障されたと言われるものだ。

芦田均
今なお、芦田均(第1次吉田内閣時代の衆院憲法改正特別委員長)の真意が判然としていないながらも、逸早く敏感に反応した極東委員会は、憲法第66条第2項(文民条項)を加えるに至ったが、然るに、自衛権の拠って立つ根拠が「芦田修正」に求めざるを得ない解釈こそ、この国の憲法九条の脆弱性・曖昧性を示すものであると言っていい

そのことの矛盾を早くも曝け出したのは、朝鮮戦争の勃発によってだった。

朝鮮戦争(1950年6月25日から1953年7月までの、停戦協定が結ばれた期間に及ぶ膠着状態化した火薬庫)の勃発によって、「国の交戦権は、これを認めない」と書いた憲法を作るに至った主権国家に対して、日本人立ち入り厳禁の密室状況下で件の憲法を作った帝国的主権国家から、朝鮮戦争に派兵させるための改憲要求が提示されたのである

この矛盾の極致たる改憲要求に抗したのは、総理大臣吉田茂である

「一体アメリカは日本の軍備を奪うておいて、そうして又都合のよいときには軍備をしろということは・・・日本人を馬鹿にしておるといったような割切れない感じ」(山下義信「参議院予算委員会質問」1952 年12月・於衆議院憲法調査会2004・5・12小熊英二・PDF文書)

この吉田茂の言葉は、私たちの国が呪縛されているダブルバインド状況を端的に表現している

以下、ケーディス大佐の晩年の述懐。

「この憲法の意図は当初は日本を永遠に武装解除されたままにしておくことでした。だが米国の対日外交の手をしばる効果をもたらし、 米国としては賢明ではない状態がうまれてしまったといえます・・・」

これは、古森義久(産経新聞・ワシントン駐在編集特別委員)の、「体験的日米同盟考」でのインタビュー記事からの抜粋である。

「米国の対日外交の手をしばる効果をもたらし、 米国としては賢明ではない状態」とケーディスは言うが、「対日外交の手をしばる効果」とは、日本から見れば、相反する2つのメッセージを同時に発信されることを意味するのだ。

日本人立ち入り厳禁の密室状況下で憲法9条を作った国が、その憲法9条を否定する日米新安保条約を日本に締結させ、第5条によって、権利から義務に転換する意味を内包する、「共同防衛行動」と「集団的自衛権の行使」による暗黙裡の拘束力を明記したのである。

自衛隊の前身・警察予備隊(ウィキ)
要するに、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(第9条2項)という驚くべき内容を含む憲法を作った国から、後に紛れもない軍隊を作らされた挙句、それを前線で使用しないことで、かの国の高官たちから、「ショー・ザ・フラッグ」(旗を見せろ)、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」(地上部隊を派遣せよ)などと露骨に侮蔑されるという現象こそ、まさに、私たちの国が呪縛される 極め付けのダブルバインドの実相であるだろう。

 独断的に言ってしまえば、この問題が内包する心理学的な意味は、私たち日本人の自我を分裂させるほどに深刻であると思われるのだ。

極め付けのダブルバインドで縛られた国の人々にとって、この理不尽な権力関係に搦(から)め捕られることで自我分裂させた状況から解放するには、この理不尽な権力関係の存在を認知しないで済ませる心理に潜り込む以外にないだろう。

 この防衛的心理に捕捉された国民国家に呼吸を繋ぐ多くの人々は、いつしか、「安全保障」の問題から距離を置くようになっていく。

それだけが、自我分裂させた状況から解放するに足る、「防衛機制」という再適応メカニズムの自己催眠戦略だったからである。

 この自己催眠戦略が厄介なのは、外国から見れば、「自衛隊=軍隊」という常識的認識が、押し並べて、日本人自身の内側で「認知の変容」を惹起させてしまっていることにある。

自衛隊=戦時国際法として定められた、ジュネーブ条約の「軍隊」に相当するというスタンスを確保しつつ、国内的には軍隊ではないとする事態の異様さを炙り出すのも、一切は憲法上の制約が存在するからだ。

 日本人の多くが、この種のダブルスタンダードの闇の奥深くの見えない辺りにまで潜入することによって、戦後、一貫して私たちは、「安全保障」の問題から距離を置く自己催眠戦略を延長させてきたのである。

以上が、私の見解の要諦である。

(2013年1月)

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