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2016年8月9日火曜日

野火(’14)   塚本晋也


<究極のサバイバルスキルに振れていかない男の煩悶の、唯一可能な防衛機制>





1  人間が人間であることの根源性が問われるレイテ島の凄惨さ





ガダルカナル島の撤退(1943年2月)などで戦線を押し込まれたことで、大日本帝國が策定した防衛計画・「絶対国防圏」が、サイパン島陥落(1944年7月)によって崩壊した。

今や大本営は、最後の決戦地をフィリピン、台湾・沖縄、千島・樺太のいずれかの地域に求めることを検討した結果、米軍がフィリピンに来攻する場合を「捷1号」と呼び、そして、「捷2号」(台湾・沖縄)、「捷3号」(九州・四国・本州)、「捷4号」(北海道)という、有名な「捷号(しょうごう)作戦」を策定する。

陸海軍の航空戦力を統一運用する「捷号作戦」だったが、既に、「あ」号作戦(マリアナ沖海戦・1944年6月)において、600機の約6割が壊滅的打撃を受けていて、練度も低く、米軍進攻を防御する手立てを持ち得なかった。

フィリピンへの帰還を果たしたマッカーサー元帥
米軍のレイテ島の進攻を受け、発動されたのが、「捷号作戦」の「捷1号」。

44年10月18日のことである。

日本軍の残存兵力を投入した作戦であるにも拘らず、お決まりの「戦果の誇大報告」による大本営の情況認識の混乱もあり、当然ながら、海軍は米軍上陸船団の撃滅に失敗し、大敗を喫する。

レイテ島死守という至上命令があっても、レイテ島への輸送船の多くが撃沈されるという、あまりにお粗末な致命的損失が、この島の其処彼処(そこかしこ)に、凄惨な地獄絵図を曝け出すのだ。

置き去りにされた下士官・兵卒たちの、哀れを極めた風景が曝け出され、人間が人間であることの根源性が問われるのである。





2  「私の記憶は敵国の野戦病院から始まっている」





「バカ野郎!食料も集められない肺病病みを飼っておく余裕はねぇんだよ!」

田村一等兵
分隊長から嘲罵(ちょうば)されたこの一言で、5日分の芋を受け取り、田村一等兵(以下、田村)は野戦病院行きを命じられる。

場所は、第二次大戦末期のフィリピン・レイテ島。

しかし、野戦病院に行っても、邪魔者扱いされるだけで、再び分隊に戻るが、当然の如く追い出される。

「どうしても入れてもらえなかったらな、死ぬんだよ!」

分隊長から、ここまではっきり言われた田村は、行く当てもなく、密林を彷徨(さまよ)うばかり。

永松
戻って来た野戦病院の前には、田村と同様に、行き場を亡くした兵士たちが横たわっているが、その中で、一本の芋の端切れを求める若い兵士(のちに永松と判明)がタバコを差し出すが、肺病であるが故、タバコを不要とする田村は芋の端切れを渡すのみ。

その野戦病院が米軍機から爆撃を受け、病院が爆破されたのは、芋を巡って殴り合いの喧嘩が起こっていた時だった。

手榴弾でも自決できず、故郷を回想する田村は、朦朧(もうろう)とした意識の中で視界に入った草を掘り起こし、その根にかぶりつく。

密林を彷徨する田村は、入口に死体の群がる教会に潜り込み、疲労に勝てず、眠りに落ちるが、海辺から聞こえる現地人の恋人の睦み合う声を聞き、教会に入って来た彼らにマッチを要求する。

日本兵の突然の出現に恐怖に怯えて、半狂乱のように騒ぐ女性に対し、思わず、銃の引き金を引いてしまう。

同伴者の男をも射殺する田村。

その直後の映像には、意に反する行為を遂行した田村が、銃を谷に捨てるシーンが挿入される。

伍長(中央)
「レイテ島の日本兵はパロンポンに集合せよ」という司令部命令が出ている事実を、他の部隊の下士官(伍長)らから知らされ、村で手に入れた塩を所有する田村は、その塩を共有せんとする彼らに同行し、一路、パロンポン(レイテ島の西海岸にある港)に向かう。

「俺たちはニューギニアじゃ、人肉まで食って苦労してきたんだ。まごまごしてると、食っちまうぞ」

同行した伍長の言葉が、田村の心を突き刺していく。

更に、米軍機の機銃掃射と飢餓状態が、一行を襲ってくる。

安田
ここで、田村が情けをかけた永松と、サバイバルスキルに長けた安田と再会する。

安田は負傷しつつも、なお、戦場を彷徨(さまよ)っていた。

一時(いっとき)、伍長らに置き去りにされた田村が視認したのは、日本兵の死体の山だった。

そして、米軍機の激しい機銃掃射によって、一行は辛うじて生きながらえていた命脈を絶たれてしまう。

多くの日本兵の命が一瞬にして吹き飛び、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図の風景が、其処彼処(そこかしこ)に展開される。

「俺が死んだら、ここ、食べてもいいよ」

伍長
なお命脈を保持した田村に向かって、自分の脇腹を指し示し、殆ど狂気に呪縛されたかのような伍長の言葉である。

極限状態の中で追い詰められた田村は、三度(みたび)、永松と再会する。

飢餓に陥っている田村に、永松は「猿の肉だ」と言って食べさせる。

言うまでもなく、「猿の肉」とは人肉のこと。

そして、悪運というべきか、安田とも再会した田村は、自決用に持ち続けていた手榴弾を、その安田に奪われてしまう。

安田から離れて密林に踏み込んでいった田村が見た光景は、唯一の武器である銃で、永松が人を殺そうとしている現場だった。

安田の命令下で動いていた永松は、安田のサバイバルスキルによって変容させられていたのである。

「何で、俺のこと、殺さなかった?」

常に身近にいながら、「猿の肉」にされなかった田村が、永松に問う。

そこに、答えはなかった。

そんな二人のもとに、安田が出現する。

安田を恐れる永松は嗚咽してしまうが、思わず、安田に向かって銃の引き金を引いてしまう。

それが契機となって、永松は狂乱する。

起き上がった安田を、手に持った刀で徹底的に切り殺し、その肉を貪るのだ

「お前もな、絶対、俺を食うはずだ」

完全に狂気と化した永松は、田村に言い放つ。

ぎりぎりに理性を繋いできた田村は、この特殊な島での「内なる戦争」の終焉を感じ取ったとき、現地人に襲われ、意識を失っていく。

ラストシーン。

「私の記憶は敵国の野戦病院から始まっている」

九死に一生を得て、無事、日本に生還した田村のモノローグである。

自分の体験を綴っている男の心の風景は、明らかにPTSDに捕捉されている。

脳裏に深く焼き付いている異常な体験が、真っ赤な炎と化し、男の自我を食い尽くしていた。

妻から差し出される食事を前にして、両手に持つ箸で、目の前の食べ物を、繰り返し、叩き割るように突き差していくのだ。

それは、安田を切り殺し、その肉を貪った永松の行為を反復するものだった。

その行為を視認した田村もまた、薄々、「猿の肉」=人肉であると知りながら、同胞の身体の一部を食って、何とか命脈を繋いできたのだ。

そんな田村の、未来に架橋し得る人生の復元がどこまで可能であるか、映像は観る者に委ねて閉じていった。





3  究極のサバイバルスキルに振れていかない男の煩悶の、唯一可能な防衛機制





でもせっかく奇跡の70年があるのに、どんな形であれ未来のほうに延ばしていくんじゃなくて、なんか懐古趣味的に過去に戻って戦争のほうに向かっていくような気が僕的にはするんです」(INTRO 塚本晋也監督インタビュー)

正直、この塚本晋也監督のインタビューに目を通して、「やれやれ、またか」という感懐を覚えたのは事実。

あまりにも、ヒューリスティックな物言いを止めない映画作家が多過ぎるからである。

今はまだ『嫌だ』と言う人がいるから政治家も言葉に気を付けたりしているけど、いろいろな計画だとかを見て結び付けたら戦争をやりたいのは明らかですから」(同上)

塚本晋也監督
さすがに、この塚本監督の言辞には呆れ果てたという他にない。

自国だけが「無菌室」の状態であり得ない国際社会のリアリズムを軽視し、様々に交差し、複層的に入り込んでいる現代世界の複雑な状況について、塚本監督の認識が、どこまで多角的な稜線を伸ばし、その理解が及んでいるか全く知りようもないが、ここまで言い切られると、反駁(はんばく)する気も失せてしまう。

しかし、考え方が異なり、自分の許容範囲を超えているからと言って、寧ろ、それこそが当然の現象であると思うので、社会観の違いに違和感があっても、そのことは、塚本監督の映像総体を全否定するものではない。

「戦争になるとこういうことになってしまうという悲惨さとして描きました」という塚本監督のモチーフをきちんと受容し、限りなく、曇りなき眼差しで批評する。

このスタンスを失ったら、「敵か味方か」という、狭隘で、バイアスがかかった精神的な意向性質から解放されなくなってしまうのだ。

そんな思いで観た本作に対する率直な印象は、後述するように、部分的に不満があっても、映像総体としてはとても良く描けていて、感心すること頻りであった。

そのコアは、太平洋の島々に置き去りにされ、食糧の供給を断たれた兵士たちの自我が壊れ、もう、生き残るためには手段を選ばない辺りにまで堕ちていく「戦場のリアリズム」の、その極限状態の凄惨さに捕捉され、それ以外の選択肢を持ち得ない彼らの現実を描き切ったという一点にある。

「利他性」も「利己性」も、共に、私たち人間の「生き延び戦略」の範疇に収斂される現実を想起する時、「戦場のリアリズム」の極限状態に掴まえられてしまった人間が、多くの場合、「利他性」よりも「利己性」の行動に振れるのは、殆ど回避不能であるだろう。

「そっちとこっちじゃ、どっちがいいか、分かったもんじゃないぜ」

殆ど死相が見えるかのような兵士が田村に放った言葉だが、その意味は、「防空壕を掘るか、野戦病院に出されて自決するか」という極限状態に掴まえられた心理を言い当てていて、前触れもなく、物語の特異性に好奇本位で観る者の「非当事者性」を打ち砕いていく。

と言うより、この映画の凄みは、物語の特異性に好奇本位で観る者の「非当事者性」を打ち砕き、有無を言わさず、7700人以上の戦死者を出したノモンハン事件(1939年)に深く関与し、「作戦の神様」(悪魔の参謀)と称された辻政信や、補給線を軽視したことで、3万以上の犠牲者(半数以上が食料不足による餓死・病死者)を出した、無謀なインパール作戦(1944年/「白骨街道」)を挙行した牟田口廉也等々に集約されるように、この国の、底抜けに間抜けな軍部官僚が犯した戦争犯罪への糾弾を包括する射程を隠し込み、犠牲者であると同時に、「加害者性」から免れ得ない末端の下士官・兵卒の、その「戦場のリアリズム」を極点まで炙(あぶ)り出したという点において抜きんでていて、それによって、観る者を「当事者性」のラインにまで下降させていった映像提示に成就し得たと言っていい。

インパール作戦
これは、インテリ層出身の田村の視線で描く物語の流れを、その意に反し、現地人のカップルを射殺してしまった主人公の、その後の自我の揺動を丹念にフォローしていくことで、観る者を「当事者性」のラインにまで引き摺り下していくのである。

「人肉まで食って苦労してきたんだ」と言うパロンポンに同行した伍長は、ジャングルで身動きできなくなって、手榴弾を手にする兵士を見つけ、大回りして進むよう、田村に指示する。

案の定、「今日は、気持ちのいい日で良かったです」と、身動きできなくなっている兵士が、一行に語りかけた瞬間、手榴弾の安全ピンを抜き、雷管を叩いた直後、自決する。

まさに、〈生〉と〈死〉の曖昧な境界を彷徨(さまよ)う男たちの、もう、それ以上の余地のない状況下での判断と選択が、そこにあった。

これこそが、「戦場のリアリズム」である。

この「戦場のリアリズム」の渦中で、限りなく人間的に振る舞おうとする田村の自我は、今、〈状況〉の加速的な悪化に同化し得ない分だけ、より、煩悶を深めていく。

自分が殺してしまった現地人の女性が、瞋恚の炎(しんいのほむら)を炸裂させ、田村に襲いかかってくる妄想の中で、人間性をぎりぎりに保持してきた彼の自我は、クリティカルポイントにまで追い詰められていく。

「ああ、あったかい。あったかいな。懐かしい。…ああ、止めろ、止めろ。また、始まる!止めてくれ!」

このように、妄想の世界での独言として、田村の自我が、〈生〉と〈死〉の際(きわ)で決定的に揺さぶられて止まないのだ。

妄想の世界に入り込むことで、自己を罰する。

自己を罰するむことで、贖罪意識を満たす。

贖罪意識を満たすことで、揺さぶられて止まない自我の安寧を保つ。

即ち、意に反して犯した罪から限りなく自己を救う行為 ――  それが田村にとって、妄想の世界への潜入だった。

妄想の世界への潜入こそ、〈生〉と〈死〉の限界点にまで追い詰められ、煩悶を深める男の、唯一可能な防衛機制だったのである。

究極のサバイバルスキルに振れていかない男の煩悶の、唯一可能な防衛機制の痛ましき風景が、そこに垣間見えるのだ。

また、田村のこの内面の振れ具合を、以下のような心理学的アプローチで説明することも充分に可能である。

「これが『現実』か、それとも『非現実』か」

自分と自分でないものを区別する心的な境界、即ち、「自我境界」を維持する機能と、自我の働きの中枢機能緩み出すと、妄想状態に支配されていく確率を高めてしまうのである。

この境界は、通常、単に自分が感じ、意識している現象に過ぎないのか、それとも、外部世界で実際に惹起している現実なのかという事象を認知する、私たちの自我による、「現実検討能力」(自己を客観的に分析する能力)によって守られ、維持されるものである。

しかし、極度の疲労やストレスなどから自我機能が極端に低下すると、「自我境界」が緩んで、自分の内面で起こっている観念系の現象と、外界で起こっている現実とを区別する「現実検討能力」も、必然的に低下する。

田村の自我が陥ったトラップもまた、「戦場のリアリズム」の激甚な被弾に起因し、「自我境界」の緩みが生まれ、妄想系に捕捉されることで自我の安寧を確保するという、反転的な防衛機制の風景を具象化していったと考えられるのだ。

「どうするつもりだ?おっさんとは仲良かったんだろ?あいつが悪いんじゃないよ」
「じゃ、どうする?俺がお前、殺して食うか。お前が俺、殺して食うか?どっちだ!」

これは、安田と永松の、「人肉食い」という究極のサバイバルを直進する、爛れ切った関係に嫌悪する田村と永松の根源的会話の一部だが、どこまでも、ヒューマニズムに拘泥する田村に不快感を示す永松にとって、その「人肉食い」に間接的に加担しながら説教をするインテリの言辞は、「生きるために何でもする」という人間の本能が、究極のサバイバルに振れていくのは、「自然の摂理」を綺麗事で否定する欺瞞以外の何ものでもなかったのである。

それでも、永松は田村を殺さなかった。

なぜだろうか。

田村からの施し(芋)を受けたからか。

そうではあるまい。

安田の命令下で、「猿の肉」のハンターと化していた永松にとって、田村の存在は、究極のサバイバルに振れていく行為を拒否する欺瞞的ヒューマニストであっても、唯一、人間性」の片鱗を体現する男であった。

だから、田村の存在は、自分が失っても、心のどこかで生き残された人間性」への希求の、非意識過程下における、それ以外にない証左になると考えていたからではないか。

そう思われてならないのである。

閑話休題。

ここで、映像総体への批評の視座から些か辛辣に言えば、製作・脚本・撮影・演出・主演・編集の全てを塚本晋也監督が切り回すという難作業には、本作への並々ならぬ意欲と、執着心の強度が観る者に情動感染してくるが、前半部分における、「人間性」が削り取られ、兵士らが狂気に追い込まれていく心理的過程は構築的でありながらも、後半部分における、「戦争が人間性を破壊するという主題提起性が、心做(な)しか、勝ち過ぎてしまって、ホラーとの境界が曖昧になってしまったように思われるのだ。

ついでに書けば、私の穿(うが)った見方かも知れないが、主人公の心理が描けていても、幾分、辟易(へきえき)したのは、〈状況描写〉に頼り過ぎってしまうことで、却って、主人公の内面の深い掘り下げが脆弱なものになってしまったのではないかとも思えるのである。

いずれにせよ、最終的に、「自分が自分の最大の敵になる」という人間の極限的な危うさを、特化された「戦場のリアリズム」のうちに、ここまで映像提示し、描き切った作品の強度と訴求力は高く評価されるべきだろう。





4  「友軍兵の屍肉を食すことを罰する」という布告に凝縮されたカニバリズムの深い闇





本稿の最後に、カニバリズムについて言及したい。

まず、食人の慣習が、極限状態に置かれた人間の特殊な行動ではないという事例から。

南太平洋・バヌアツの主要部を構成する諸島・「ニューヘブリディーズ諸島」は、オーストラリアとフィジーの中間に位置する南太平洋・バヌアツ共和国の主要部を構成する諸島である。

バヌアツの地図
その「ニューヘブリディーズ諸島」の一部であるマレクラ島、タンナ島は、その昔、人食いの儀式が行われていた事実で知られるが、マレクラ島では、「勇猛な戦士」を村の長だけが食べる権利があり、一ヶ月ほどの燻製にして食べたと言われる。

「勇猛な戦士」の血を吸収することが目的であった。

タンナ島でも、19世紀に2人の宣教師が殺害され、食べられたという事件が起こっているが、目的は不分明である。

そして今、タンザニアにルーツを持ち、「白い黒人」と言われるアルビノ(先天性白皮症の遺伝子疾患)人への差別や迫害が、人権団体によって世界的に知られるようになった。

「食べると幸運になる」という迷信によって、「アルビノ狩り」が横行していて、毎年、何人もの犠牲者が出ている現実がある。

次に、極限状態に置かれた人間のカニバリズム。

ここでは、太平洋の島々に置き去りにされ、食糧の供給を断たれた日本兵の事例を挙げる。

2007年8月10日に掲載された東京新聞には、ミンダナオ島の密林を彷徨った元日本兵の日記が紹介されている。

その内容は極めて衝撃的で、読む者を震撼させるに充分過ぎていた。

密林の彷徨の中で、口や鼻にハエが黒山のように蝟集(いしゅう)する、無残な遺体を掻き分け、極限状態の飢えに陥った挙句、人肉を求める戦友を視認するのだ。

こんな状態下で、次第に感覚が麻痺してきて、食い物のために戦友と口論し、芋などを全て渡して決別するが、「この男を殺して食おう」と言う別の戦友に誘いに乗らなかった。

しかし、木の枝で生け捕りにした猿を見つけ、その猿と人間の命を交換したと綴るのだ。

レイテ島
まもなく、死の瀬戸際から生還し、終戦から一カ月後に日本の敗戦を知り、レイテ島の収容所を経て、その年の年末ごろに帰国したという内容の日記である。

以上の事例もまた、特殊ではなく、補給の途絶で大規模な飢餓が起こり、インパール・ニューギニア・フィリピン・ガダルカナルなどで報告されている。

「友軍兵の屍肉を食すことを罰する」

これは、1944年12月、戦線離脱した一人の陸軍上等兵が、日本人の親子を殺害し、その肉を食べるという事件に端を発し、ニューギニア戦線の第18軍司令部によって出された布告である。

まさに、本作で描かれたカニバリズムと同質の世界が、ここにある。

(2016年8月)

2 件のコメント:

  1. 見なくちゃならない映画がたくさん出来ちゃって大変です。
    塚本監督とは一緒に写真を撮らせていただいた事があります。
    「鉄男Ⅱ」の公開直後か「東京フィスト」の撮影前だったので、94年くらいの事でしょうか。ずいぶん昔の事ですね。
    池袋のパルコ?でやっていた映画のカルチャー講座に当時私は参加していました。その講師として監督がお越しになりました。
    良く知らないに感想を言うのは失礼ですが、本当に優しい物腰の方で、こちらが恐縮してしまうくらい親切に応対されていた印象があります。
    作風とのギャップが非常に魅力的で、本当に熱いものを持っている人の出で立ちを見せていただいたという様な思い出があります。

    作品への捉え方は様々あるにせよ、制作資金が集まらなかったら自主制作するというスタンスが、本当に尊敬に値すると思います。

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    1. 本稿でも言及しましたが、この監督の社会観にナイーブさを感じているので、どうしても受け入れられません。
      しかし、そのような監督のものの考え方と、映画の作品としての出来栄えは、必ずしも直結するものではないので、全く別物として評価しようとしています。まして、その個人としての人間性や映画にかける情熱などは、また別の次元で共感することも大いにあると思われます。

      私は常に、作品を先入観なしに批評するメンテリティが大切であると考えています。
      そういう意味で、この映画の批評に関しては、本稿で全て書き切ったつもりです。

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