検索

ラベル

2015年3月29日日曜日

ぼくたちの家族 (‘13)     石井裕也

<強化された情緒的結合力という、取って置きの「武器」の底力を発揮した家族の生命線>



1  「まだ、バブルの生活、引き摺ってるんだ、あの人たち」



舟を編む」(2013年製作)に次ぐ石井裕也監督の本篇は、現代家族の問題に真っ向勝負した、シリアス系の切れ味鋭い傑作に仕上がっていて、絶賛したい。

本篇でも、全く無駄な描写がないからテンポも良く、いつものように感傷を引き摺らず、観ていて感嘆することと頻りであった。

誰一人欠けても成立しない構成力と主題が見事に溶融する物語を、プロの俳優が見事に演じ切る。

妻夫木聡、池松壮亮、長塚京三、原田美枝子。

全て良い。

プロの俳優の底力を引き出した石井裕也監督の演出力が、ここでも冴えわたっていた。

邦画の生命線を繋いで欲しいと願うばかりである。

―― ここから、物語を追っていく。

その日、若菜玲子は友人らとカフェで歓談を繋いでいたが、彼女の異変は、既に、その会話の中に表れていた。

ハワイの話をしているのに、同じ言葉を何度も繰り返すばかりでなく、自分の話している話題すらも覚えていないのだ。

都内のカフェでの歓談後、中央線に乗り、山梨県三好駅で下車し、自宅戻った玲子は真っ暗な部屋でぼんやりし、夫・克明の車での出迎えを忘れ、夕飯の支度もしていなかった。

更に、夕飯の準備をしている玲子に、長男・浩介から子供ができたという電話が入り、それを夫に嬉々として伝えるが、そのときも、一瞬、記憶が飛んで、「間」が生れていたが、この時点でも、未だ重篤な疾病の徴候であるとは思いも寄らなかった。

それでも玲子は、「物忘れがひどい」という自覚だけはあって、その事実を、都内の大学に通っている次男・俊平に吐露していた。

しかし、またしても、浩介の妻・深雪(みゆき)の家族との祝いの会食の場で、玲子の物忘れが出てしまう。

「グラプトベリア ファンファーレ」というサボテンの名前を独言しながら、その事実を忘れてしまうのだ。

おまけに、長男の妻・深雪の名を「みちる」と呼ぶ始末。

「家族がバラバラになっちゃうなんてヤダ!」

そんな訳の分らない叫びを上げる玲子の状態は、明らかに、「人・場所・時間」の記憶が混乱する、認知症の中核症状である「見当識障害」の現れである。

そこまで露呈した玲子の状態を目の当たりにすれば、さすがの克明も、妻の病院行きを決断せざるを得なかった。

「ここに、白い影があるのがお分かりですか?確認できただけで、影は7つありました。小さいものや、見えないものを含めると、もっとあるかも知れません。これが記憶の神経を圧迫しているのです」

これが、地元の総合病院でのCTスキャンの画像を説明する、専門医の言葉だった。

玲子が叫び声を上げたのは、そのときだった。

「九分九厘、脳腫瘍だと言って差し支えないと思います。腫瘍は、かなりの大きさに達していますので、入院は今日からしていただきます」

一緒に病院に付き添ってきた長男・浩介への、入院を督促する医師のこの言葉に、浩介は恐々と尋ねる。

「余命いくらとか、そんな状況ではないんですよね。治療すれば、治る見込みはあるんですよね?」

医師も、正直に反応する。

「恐らくは、一週間とか、そういった期間が一つのヤマになってくると思います」

衝撃を受ける浩介。

「一週間?それって、あまりに突然すぎませんか?」
「腫瘍はかなりの大きさに達しています」

医師の言葉に反応すべき何ものもなく、その事実を父に報告する浩介。

当然の如く、興奮して、現実を受容することを拒む父・克明。

浩介が、大学で下宿する次男・俊平に留守電を入れたのは、その直後だった。

母の病棟に付き添う浩介は、ナースが点滴処置するときの、腫れを引かせる効能を持つグリセオールとステロイドの名を、逐一、メモにとっていく。

左から浩介、克明俊平
まもなく、中華料理屋で食事を摂っている克明と浩介の店に、些か軽い調子で入って来た俊平に、生真面目な浩介が注意した後、男同士の父子の会話が開かれた。

「お母さんには、病気のことを言うなよ」と浩介。
「隠すの?何で?」と俊平。
「お父さんと決めたんだ。お前は黙ってろ」と浩介。
「ああ見えて、母さん、弱い人だ。言っても、気を落とすだけだから」と克明。
「それに、今のお母さんに言っても、多分理解できない。取りあえずは、明日の検査結果を待つ。それと、俺たちが倒れたら元も子もない。体調管理だけはしっかりしよう」
「やけに気合入ってるね。3人で、円陣でも組んで、エイエイオー!ってやるか?」

病院からの携帯が鳴ったのは、まるで、自分が置かれている状況が読めないような俊平の軽薄な言辞で、まとまりのない父子の空気の濁りを露呈していたときだった。

玲子が病棟で暴れていることを伝える、病院からの連絡だった。

急いで病院に駈けつける3人。

既に、母の暴走が鎮まっていて、俊平に煙草を強請(ねだ)る始末。

元々、煙草を吸うことを知らなかった母の言葉に違和感を感じた浩介は、母を落ち着かせようと近づくや、「あなた、誰?」と言われてしまうのだ。

トイレ行きを頼まれた俊平は、母のトイレに随伴するが、一人、衝撃を受けている浩介の内面が、母のいない病室で澱みを生んでいた。

父を含めて、トイレから戻って来ない3人を心配し、迎えに行った浩介が見たものは、既に、自分の家族に対する「見当識障害」を顕在化している母が、俊平にお喋りを繋いでいる光景だった。

無視された浩介にとって、敬語に切り替わった途端に、家族に対する本音を語り出す母のお喋りの内実は、とうてい無視し難いものだった。

それは同時に、稼ぎの悪い夫の現実を暴露される父にとっても、バツの悪い沈黙を強いられる空気を生み出していく。

言うまでもなく、敬語に切り替わったのは、俊平を認知できなくなったからである。

以下、妻であり、二人の息子の母である玲子の語り。

左が母・玲子
「あたしには、息子が二人いるんですけどね。二人とも家を出ちゃって、すごく寂しいんです。でも、家のローンはいっぱい残っているから、どうすることもできないし、あんな郊外の家を買うのは、私、本当は反対だったんですよ。ここにお父さんがいないから言いますけどね、お父さん、お金を全然稼いで来てくれなかったの。ハハハハ。会社員のときもそうだったけど、独立してから特に。あたしはパートで働いたんだけど、ほら、浩介が中学の時に引きこもりになっちゃったでしょ。私、少しでもあの子の傍に居てあげたくて、パートを辞めたの。だから、家計はどんどん大変になっちゃった。あの子、虐められていたのかなあ。聞いても何にも答えてくれないし、“うるさい!”って叫ぶこともあった。あのときは、とにかく苦しかったなあ。でも、悪いのは浩介じゃなくて、お父さん。あの人に、一家の主としての自覚がちゃんとあったら、こうはならなかったはず。いつも口ばっかりで、結局、頼りにならない。私の友達はいい服着て、いいバッグ持って、孫も何人かいて、幸せそうで、年に一度は旅行できる。それが本当に羨ましかった。ああ、私も一度くらい、家族みんなでハワイに行きたかった。でもねぇ、私、お父さんと別れたくないの。辛いけど、あの人のことが好きだから」

この、身につまされるような語りを耳にした俊平は、「良かったな、親父。今の、お袋の本音だぜ」と、散々、一家の主として失格の烙印を押された父をフォローした。

フォローされても、この話を聞いていた克明と浩介が、気まずい沈黙を保っていたのは当然だった。

「今日のお袋、すげぇ可愛かったと思わない?濁ってない、つぅかさ、赤ちゃんみたい、つぅかさ、おかしいのは、お袋じゃなくて、むしろ、俺たちのほうじゃね?」

病院からの帰路、浩介に語った俊平の言葉である。

しかし、兄の浩介からの反応はない。

彼にとって、母の語りの内容が真実であることを自覚しているが故に、何も反応できないのだろう。

浩介
それは、誰よりも、この夜、最も傷ついたのが浩介であることを露呈するものだった。

「母さんが、タバコ吸いたいってきかないんだけど、どうすればいいと思う?」

病院に付き添っている父から、こんな携帯が入っても、「ダメに決まってるだろ、それぐらい自分で考えてくれよ」などという、ぞんざいな反応しかできないのだ。

その後も、頼りない父親から繰り返し携帯が入って来て、挙句の果ては、入院費の相談をする始末。

これが、父親の本音なのである。

入院費のことが切り出せないから、理屈で分るような問題に託(かこつ)けて、繰り返し携帯を入れてきた父親の性格が、料亭で会食するほどの見栄っ張りであることが判然とするエピソードだった。

それでも、「何とかする」と答える辺りに、浩介の責任意識が垣間見える。

「兄貴が引きこもりになったときから、とっくに、この家族なんて、ぶっこわれてるんだ」

自分一人で家族を背負っているような、そんな浩介の態度に、思わず、家族のタブーとされるような事実を直言した俊平の言葉である。

ここでも、無言の浩介の心象風景には、俊平の直言の事実を認知するが故に、自分の過去への責任意識を引き摺っているように見える。

何より、入院費の問題を浩介が背負う負荷は、生まれてくる子供のために、苦労して貯めた真面目な夫婦にとって理不尽でもあった。

「まだ、バブルの生活、引き摺ってるんだ、あの人たち」

浩介の妻・深雪
浩介の妻・深雪のこの反応に同意しつつも、自らが置かれた状況の深刻な渦中で煩悶する、若菜家の長男が、そこにいた。



2  一丸となって乗り越えていく



俊平から浩介に、若菜家が置かれている状況に、更に、負荷がかかるような電話がかかってきたのは、浩介夫妻の亀裂を生む会話の直後だった。

「この家、想像以上にやべわ。今日、タンスの整理してたんだけど、いやぁ、出てくる、出てくる。サラ金のカード、一杯だわ。ざっと計算しただけでもね、300万円くらいある。こんな借りる方もどうかしてるけど、あんなおばさんに貸す方もどうかしてるよな」

そんな折り、車をぶつけて、ミラーが取れた話をしながら、父・克明が自宅に戻って来た。

「親父、これ、知ってたんだよな」

俊平が、父の前に通帳を投げ出した。

「すまん、どうしてやることもできなかった。それでも、守ってかなきゃならなかった」
「何を?何を守ってんの?親父の借金は?お袋にこんだけあるんだから、ないわけないよな」
「会社の方を合わせると、大体、6500くらいある」
「よく分んないんだけどさ、破産するしかないんじゃないの」
「俊平は、少し黙っててくれ」
「黙ってられるわけないだろ。お袋が可哀想だと思わねぇのか?自己破産すれば、借金がチャラになるんだろ。だせぇけど、それしかねぇだろ」

ここまで言われて、父も事情を説明する。

家のローンの借り換えの際に、浩介に連帯保証人を頼んだことで、浩介に1200万円ほど負担がかかるので、自己破産できないと言うのだ。

その間、黙って二人の話を聞いていた浩介は、思わず、呆れ返った小さな笑みを洩らした後、母の病状が特段の変化を見せない報告を、父から確認をとるや、そのまま、二階に上がっていった。

浩介の部屋にやって来た俊平は、彼なりに兄を慰める。

「兄貴、大丈夫か。また、おかしくなっちゃうのとか止めてくれよ。また引きこもりになっちゃうのとか・・・」
「何言ってるんだ、お前」

そう言って、部屋から出て来た浩介は、外に出て、一人で走っていく。

追いかける俊平。

浩介が走った先にある場所は、三好の町を一望に見渡せる公園だった。

そこで、覚悟を括った者のように、浩介は俊平に語っていく。

「色々あるけどさ、まずは、お母さんを助けなくちゃな。そう思わねぇか?」
「そう、思うよ」
「俺さぁ、悪足掻きしてみるわ。お前は、どうすんだよ?」
「じゃあ、俺もそうするよ」

性格の異なる兄弟の、「前線」への投入を確認する重要なシーンである。

入院先の病院から、「これ以上、預かれない」と言われ、兄弟の連携による最初の行動は、母の受け入れ先の病院を探すことだった。

どこの病院でも断られるような状況の中で、セカンドオピニオンを求める俊平の努力の甲斐があって、親切な医師と出会う僥倖(ぎょうこう)もあり、「中枢神経系原発悪性リンパ腫」の可能性が否定できないので、然るべき病院での検査を促され、早速、行動に移す俊平は、「5年生存」と言われた奇跡に賭けていく。

そんな状況下で、浩介もまた、決定的に動いていく。

以下、決定的に動いた末の、父と子の会話。

「俺は、お父さんを破産させようと思っている。暫くは、時間がかかると思うけど、俊平や弁護士を交えて、また話し合おう」
「でも、そうなると・・・」
「この家はなくなる。折角、お父さんとお母さんが守ってきた家だけどね」
「いや、そうじゃない・・・お前は保証人なわけだから」
「1200万の話?それは、あまり気にしなくていいよ」

考え抜いた末の浩介の決断を父に話し切った後、別れ際、浩介は頼りない父に向かって言い切った。

「お父さん、頑張れよ。一家の主なんだから」

覚悟を決めた浩介の思いの中枢は、この一言に込められていた。

一方、セカンドオピニオンを求める俊平の努力が報われるに至る。

高輪台中央病院。

俊平
これが、俊平が見つけた病院だった。

MRIの結果、悪性リンパ腫か否かを判断するために、側頭部に小さな穴を孔(あ)けて、内部の腫瘍の一部を取り出して検査する「生検術」という方法による手術を、早急に行う旨を主治医から説明を受けた克明は、一切を、この病院に託す決意を固める。

翌日の検査手術で、悪性リンパ腫という病名が特定されるに至った。

それは、治療の余地を残すものだった。

主治医の説明を受け、妻の命の延命の可能性が出てきたことで、思わず、克明から涙が零れる。

「良かったね、お父さん」と浩介。

その輪の中に俊平が加わり、検査手術の結果を知って、彼もまた嗚咽が止まらない。

最悪の事態を乗り越えた父子三人が、病院の一角で、肩を抱き合っている。

「取りあえずは、一週間乗り切ったから、これからのこと、また考えよう。どうなるか分んないけど、また考えよう」

浩介の力強い言葉が、静かな空間を占有する小さなスポットで、恐怖なる未知のゾーンを通過して来た意思を結び付けたのである。

父・克明が、浩介の身重の妻・深雪と会って、覚悟を秘めた会話を繋いだのは、玲子の手術が成功裏に終わった時だった。

「借金のこと、聞いていると思います。浩介に保証人になってもらった分の1200万円の借金のことです。本当に、父親として恥ずかしいんです。1200万という金額が、どれほどのものかということも、もう、僕に信用がないのも分ってます。ただ、絶対にこれ以上迷惑はかけません。どうか、信じてもらえませんか。借金は、必ず僕が返す。だから、どうか浩介を見捨てないでやって欲しいんです」

そこまで言い終わって、深雪の前に頭を下げる克明に、深雪もまた、自分の心情を込めて、意外な事実を語っていく。

「つい最近、俊平君からも同じことを言われました。“俺が必ず借金返す” からって。“だから、兄貴を見捨てないでやってくれ”って。でも私、今回の件は、浩介に任せて良いと思ってるんです。きっと、浩介が何とかしてくれると思います。ここ最近、ずっと、外資系の会社の知り合いに転職の相談をしてたみたいで。この前、内定もらったんですって。年収が上がれば、5年で借金全部返せるからって。俺が絶対全部返すからって言ってました。これから大変になるかも知れませんけど、でも何か、ほんと、格好いいなって、改めて思いました。浩介なら、絶対何とかしてくれると思います。許して頂けるのなら、私も病院に行って、お母さんに会いたいです」

若菜家の結束の強さを感じ取った深雪が、玲子のお見舞いに行ったのは、母の夢であるハワイ旅行に連れていくと言う約束をした浩介と、弟の俊平が、母の病室でフラダンスの練習をしているときだった。

ラストシーン。

身重の体を静かに移動し、義母の見舞いに初めて訪れる深雪の手を握り、玲子は深雪の腹部に顔を寄せ、お腹に向かって、「お婆ちゃんですよ!」と大きな声で呼びかけた。

若菜家限定の小さなスポットのうちに、唯一、血縁のない妊婦が自然に溶融する。

そこに零れる笑みの交歓は、若菜家が一丸となって乗り越えていくという、経済的負荷を感じさせない柔和な空気を作り出していた。



3  強化された情緒的結合力という、取って置きの「武器」の底力を発揮した家族の生命線



現代家族とは、「パンと心(情緒)の共同体」であると、私は考える。

勿論、家族には、分娩による育児と教育という、血縁の継承に関わる基本的役割があるが、しかし家族の成員にとって、「家族」を実感的に感じるものは、家族間の情緒的交流のうちに形成される見えない親和力の継続的な確認であり、そこで手に入れる安寧の感情であると言っていい。
 
そこには暗黙のタブーやルールがあるが、ルールをほんの少し突き抜けても、それを修復するだけの情緒的復元力が、いつでも家族に担保されているのである。

同時に、家族は「役割共同体」でもある。

一人の成熟した男は、「父親」や「夫」を演じ、一人の成熟した女は、「母親」や「妻」を演じ、未だ成熟に達しない男児や女児は、それぞれ「息子」や 「娘」、或いは「兄」、「弟」や「姉」、「妹」という役割を演じている。

それぞれの役割が相互に補完しあって、一つの空間内に、家族という血縁共同体を形成するのである。

このような共同体にあって、それぞれの役割を形式的にすら演じられなくなったとき、そこに裂け目が生まれ、それが、本来、内包しているであろう求心力を劣化させていくのは自明である。

然るに、近代以前の普通の家族的共同体の結合力の中枢には、「情緒」よりも「パン」の方に、より比重が置かれていたと考えられる。

家族が餓死せずに生きてい くこと ―― それこそが、一般大衆家族の最大の課題であった。

乳児を除く家族の全てが、「パン」の確保のためにギリギリまで身体を動かし、心を削っていた。

そんな時代があったのだ。

そのような時代では、「七歳までは神のうち」と言われたように、不幸にも七歳まで生き抜く子供でなかったら、家族の十全な保護の対象にならなかったのである。

七歳を越えたら、その子供は、「小さな大人的存在」として、「パン」の確保のために家族の相互扶助の不可欠な一員として機能するのが当然であり、子供もまた、それを疑うことをしなかった。

家族の相互扶助の規範に少しでも不足が生じたら、そんな家族を包摂する村落共同体が、必要に応じて補填していく機能も完備されていた。

家族は独自の権利を主張するよりも、それを包む共同体内の規範に従属することになる。

従って、そのような時代状況下では、何よりも、「パン」の確保が優先順位の筆頭にあり、「心」の紐帯の結合力は、それを強力に補完するものとして存在価値を持っていたに過ぎなかった。

貧しくても、子供を多く産むことの利益は、「養育費」というコストを上回る何か、即ち、単に「愛情」の対象を持つことの喜びのみではなく、その対象が貴重な「労働力」となり、加えて、自らの「老後の世話」を頼むに足る存在性として、その家族関係の内に、世代間継承の不文律が予約されていたからである。

しかし、生活に一定のゆとりを持ち、且つ、個々の私権が保証される社会の扉を開いてしまって以来、子供を持つことの利益要件から、「労働力」と「老後の世話」という二つの構成因子が消滅してしまった。

そこで残された利益が、単に「愛情」の対象性のみになったとき、一切は、「我が子に愛情をどこまで持ち得るか」という、その固有なる関係の情緒性の濃度の高さに依拠することになったのである。

現代家族の多くは、今、「パンの共同体」という役割が絶対的な価値を持たなくなっているように思われる。

家族の求心力は、「パン」の確保のためのものではなく、「情緒」の紐帯の継続的な安寧を確保する方向に流れていかざるを得ないのだ。

「心(情緒)の共同体」の能力の有無こそが、現代家族の生命線となったのだ。

そこでは、気の合わない家族と「共存」する思いは、より一層、希薄化されていく。



「共存」の希薄化は、「援助行為」を脆弱にする。

それが、たとえ肉親と言えども、その絆の幻想によって、ぶれることなく自立し得る保証など、殆どなくなったようにも思われる。

血縁幻想の求心力の低下という問題こそが、現代家族が抱える見えない心理的圧力になってしまったのだ。

「情緒」の結合力に少しでも皹(ひび)が入れば、それを埋める物語の補填なしに、早晩、解体に向かう危うさを顕在化するだろう。

私たちは今、「情緒」という最後の砦によって、「悠久の家族」という物語に必死に縋っている。

「家族内扶助」を、「強制的道徳力」として箍(たが)を締めていた、そのコアがなし崩しになれば、「情緒」の消失が家族の実質的解体に至る。

あれ程、勤勉で家族思いであった者が重篤の認知症者になったとき、件の者の家族は、自我の連続性を失った認知症者を、果たして、どこまで介護し得るだろうか。

私権の確保を絶対とする豊かな私たちの社会の闇の奥に、「幸福家族」の戦慄すべき脆さが見え隠れしている。

誰が悪いのではない。

近代の科学技術文明のお陰で豊かになった私たちは、「自由」の有難みを得たことで「私権」を拡大的に定着させ、「価値相対主義」という、えも言われぬ快感のシャワーを自在に被浴し、自分サイズの「物語」を自在に切り取って生きることが可能になったのだ。

「相性が合わない」家族との「共存」が削りとられた代わりに、「相性が合う」友人、知人との共存による擬似家族が形成されていく未来のイメージが、今後、より顕在化していくのだろうか。

―― ここから、映画の家族について考えてみたい。

若菜家が置かれている窮状を要約すれば、以下の文脈で説明できるだろう。

克明
「パンの共同体」という役割において、若菜家の経済力に見合った「家族の物語」を形成し得ずに、1980年代後半から、僅か数年間に出来した、資産価格の過度な高騰に象徴されるバブル景気の氾濫に呑み込まれ、快楽の稜線を伸ばし切った果てに露呈された窮状は、長男・浩介に保証人を頼んだことで自己破産すらできない、言ってみれば、「家族の崩壊」をイメージさせる危機でもあった。

この危機を、若菜家は、どのように克服し、「家族の再生」のイメージにまで結んでいったのか。

「俺さぁ、悪足掻きしてみるわ」

長男・浩介の言葉であるが、この兄に問われた次男・俊平も、「じゃあ、俺もそうするよ」と答えることから、「家族の再生」への艱難(かんなん)な闘いが開かれていく。


この流れを見る限り、生真面目な兄と、その兄の「引きこもり」の過去を悪意なく語る、オープンな性格の弟との関係には、その対象的な性格が補完し合う兄弟という、しごく普通の情緒的交流が確保されていたことが判然とする。

また、このときの浩介の覚悟を支える心理には、連帯保証人になった責務ばかりでなく、明らかに、かつて、母・玲子に甚大な迷惑をかけた時の「補償行為」が張り付いている。

その母の「見当識障害」によって、自分を特定できなかった衝撃で、一時的に母との物理的距離をとっていた浩介が、母の病室を訪れた時、ステロイド治療が功を奏し、記憶が復元したことで自分を特定できた母から、「一番、頼りにしている」と言われ、思わず、涙が込み上げる浩介の心情こそが、この母子関係の「情動調律」(母子間の情感的な交流)の底層にあることの証左でもあった。

事情は不分明だが、浩介少年の「引きこもり」によって生れた「物理的共存」の固定化は、母・玲子の「援助行為」(愛情の基幹感情)と、浩介少年の「依存」を常態化することで、母子間の特殊な「視線の交錯」が形成され、必要以上に配慮し合う関係を作ってしまったのではないか。

「兄貴が引きこもりになったときから、とっくに、この家族なんて、ぶっこわれてるんだ」

次男・俊平の、この直裁(ちょくさい)な物言いには、家族関係の正常な均衡を逸脱するような歪みを一過的に作り出し、家族内に悪影響を与えた時期が存在したことを印象づける。

恐らく、このときの浩介の内的行程が、彼の思春期自我を鍛える貴重な経験になっていったのだろう。

そう考えない限り、安定した情緒を具有する、成人後の浩介の人格形成の様態を説明できないのである。

少なくとも、浩介にとって、「引きこもり」が、彼の自我の確立運動の中で、決してマイナスに作用しなかったことを印象づけるのだ。

愛情深く、飄々(ひょうひょう)とした人格イメージを有する玲子の懐の深さが、浩介の自我の確立運動の心理的行程に、少なくない程度において影響を与えたのであろう。

そして、その浩介の行動力こそが、バブル景気の氾濫に呑み込まれ、決定的頓挫の果てに残された父親の窮状を、相当の覚悟を括って、解決の糸口に導くに足る重要な人物として造形されていたこと ―― これが最も大きかった。

「家族の再生」の物語の中枢に、「引きこもり」の過去を生かし切ったと思える若菜家の長男・浩介がいて、気の遠くなるような厄介なレガシーコスト(金銭的負担という負の遺産)の清算に挑んでいったのである。

この視座は、無視できない事実であると思われる。

彼は身重の妻の情緒を壊すことなく、弟を動かし、父を動かし、自らは高収入の外資系の仕事への転職を決意し、そして、ハワイ旅行という母の夢の実現に寄り添って、寡黙だが、内に秘めたる逞しさを駆動させたのである。

そこに、一貫してぶれることなく、愛情深く、浩介を包摂していったであろう、母・玲子の「援助行為」の成就が垣間見えるのだ。

また、母と俊平の情緒的結合力もまた、全く破綻がなかった。

どこまでも「依存」の対象でありながらも、恐らく、借金しても小遣いを与える過保護さは、浩介の「引きこもり」への「補償行為」の延長と考えられなくもない。

気の合うような、母と俊平の性格的な酷似は遺伝的なものなのだろう。

「私、お父さんと別れたくないの。辛いけど、あの人のことが好きだから」

「見当識障害」の中での、母・玲子の言葉であるが、若菜夫妻の情緒的結合力にも、基本的に問題がない。

夫がバブル景気の氾濫に呑み込まれ、自らの能力のサイズを超えた見栄で蕩尽しても、離婚を考えなかったに違いないことを想像すれば、基本的には、夫婦関係に致命的破綻が見られないと言える。

そして、父・克明と二人の息子たちとの関係には、快楽の稜線を伸ばし切った果てに露呈された窮状を知った後者の、厳しい冷眼視が向けられたものの、その窮状を解決しようと動く息子たちの行動が証明しているように、この父子関係にも、情緒的結合力の致命的破綻が垣間見えないのである。

要するに、この若菜家は、その家族史の中に、「幸福家族」の「物語のサイズ」を逸脱する、途轍もない不安定要因を包含しつつも、それを修復していくことで軟着し得る可能性が、初めから自壊していなかったと言えるのだ。

そこで結論。

実体験を元に書いたとされる原作とは切れて、私が思うに、若菜家の近未来のイメージは、「インビジブル・ファミリー」という鮮度の高い概念に収斂されるのではないか。

即ち、「身近にいて、扶助し合う家族」というイメージへの軟着である。

従って、未だ不安含みだが、一応、無難にソフトランディング(軟着陸)した物語を考えるとき、そこに、「情緒の共同体」としての若菜家の生命線は確保されたのである。

と言うより、新しい命へのリレーを仮託された深雪も含めて、「パンの共同体」という厄介なテーマの克服のプロセスそれ自身が、「情緒の共同体」としての若菜家の生命線を、より一層、強化していくだろう。

なぜなら、母の重篤な疾病と、家計の絶望的な窮状を目の当たりにした若菜家の成員たちが、誰一人「前線逃亡」することなく、むしろ、自らの判断で自立的に動く行為を身体化していったからだ。

自らの判断で自立的に動く行為の身体化。

これが、この物語で描かれた若菜家の底力を発揮した、その生命線の証左であると言っていい。

「借金は、必ず僕が返すから、どうか浩介を見捨てないでやって欲しいんです」
「俺が必ず借金返すから、兄貴を見捨てないでやってくれ」

父と弟は、ここまで言い切ったのである。

要するに、若菜家には「役割共同体」の崩れが見られたとしても、「パンと心(情緒)の共同体」である現代家族の生命線において、強化された情緒的結合力という、取って置きの「武器」の底力を検証したのである。



(2015年3月)

0 件のコメント:

コメントを投稿