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2016年2月2日火曜日

利休にたずねよ(‘13)   田中光敏

<「政治の世界の天下人」と「芸術世界の天下人」 ―― 加速的に累加された矛盾の最終炸裂点>



1  「ぬかづく人」に堕ちていく道を確信犯的に拒絶する男の物語



利休聚楽屋敷。

利休切腹の朝嵐だった。

茶人一人に、3000の兵を差し向けるとは・・・我が一生は一服の茶に己が全てを捧げ、ひたすら精進に励んできた。その果てが・・・天下を動かしているのは、武力と銭金だけではない

傍に寄り添う妻・宗恩に利休は吐露する。

秀吉にとって、利休の切腹を回避させる唯一の条件は、利休が後生大事にする「緑釉(りょくゆう)の香合(こうごう/小壺)」差し出すこと以外ではなかった。

「私がぬかづくのは,美しいものだけでございます」

これが、利休の確信的な答えだった。

これで、「天下人」による利休の切腹が決定づけられた。

「お尋ねしてもよろしいでしょうか?女人というものは、どうしようもない煩悩を抱えた生き物かと存じます。貴方様には、ずっと想い人が・・・」

この宗恩の意想外の問いに、一瞬、利休は若き日の出来事を想起するが、妻の問いに答えることなく映像は21年前の過去に遡及する。

信長が堺を直轄地としたときのこと。

利休信長
信長が自分の支配下の茶頭(さどう)たちを集め、茶器の品評していたところに、時を計算し、あえて遅れてやって来た堺の宗易(利休の法名)が黒い硯箱すずりばこを見せ、裏返した硯箱の蓋に水を注ぐと、金箔きんぱくの絵に満月と鳥と波が映し出されのである。

その宗易の趣向に感嘆した信長が、全ての金貨を与えて去っていく。

それを傍で見ていた秀吉が硯箱を覗きこみ、驚きの表情を見せた。

これが、利休と秀吉との最初の出会いだった。

利休切腹12年前。

信長の茶頭として仕えていた利休は、独得の美意識によってアートの世界を作り出す。

「美は私が決めること。私の選んだ品に伝説が生まれます」

これは、利休が茶の席で信長に放った言葉。

信長
「天才は天才を知る」という諺の通り、この言葉を受けた信長は笑みを湛(たた)えながら、「こ奴、余程の大悪人よ。天下を狙う奴が、わしの回りでまた増えた」と言ってのけるのだ。

しかし、この「大悪人」の言葉を耳にした秀吉には、未だ、利休の器量の大きさに圧倒されていた。

利休切腹10年前。

今や信長の筆頭家臣となった秀吉が、信長の怒りを買った不安を抱え込み、利休茶室を訪ねて来た。

利休から粥と梅干しを膳に出され、それをガツガツと掻き込み、「子供の頃を思い出しました」と言って、嗚咽含みで、貧しい少年時代のことを語るのである。

「静かな御心でおいでなさいませ」

これが、秀吉の心理を読み切った利休の助言だった。

茶室の壁には、「閑」という一字が書かれた掛け軸が、秀吉心を捉えていた。

「お取成し、私からも、してみますゆえ」

この利休の一言で嗚咽し、頭を下げる秀吉がそこにいた。

「本気の涙よ。人たらしをたらしこむとは」

茶室の外で待機していた、秀吉の側近・石田三成の言葉である

このエピソードで信長の茶頭である利休の政治力が判然とする。

「ムクゲが咲くと我が夫・利休は、いつも、その姿が見えなくってしまうのです」

これは宗恩のモノローグだが、この伏線は後半に回収される。

利休切腹9年前。

この年(1582年)、本能寺で自害した信長に代わり、秀吉と柴田勝家の対立は日増しに激しくなり、両陣営の戦(いくさ)は回避できなくなっていた。

秀吉が「賤ヶ岳の戦い」(しずがたけのたたかい)において勝家を破り、「天下人」となったのは、その翌年だった。

因みに、茶室の原型で、数寄屋造り(すきやづくり/虚飾をを排した簡潔さを特徴とする和風住宅)の原型とされる利休の茶室・「待庵」たいあんが作られたのも、秀吉明智光秀の軍勢を撃破した「山崎の戦い」中国大返しの時期に当たる。

国宝・待庵
二畳の茶席で、全体の広さが四畳半大という、狭小な「小宇宙」である「待庵」こそ、高さ66cmの出入り口=躙(にじ)り口を有する、利休の侘茶(わびちゃ)の美学の達成点でもあった。

思うに、その身を屈めて、茶室という侘び数寄を本旨とする「小宇宙」に這い入る動作の中に、既に「世俗的な冠」の全てが完全に解体されてしまうのである。   

まさに、不便なる「躙り口」とは、たとえ武士と言えども刀は排除され、非武装化されざるを得ない特別のスポットなのである。

利休の茶室・にじり口(明々庵/ウィキ)
そこは、世俗と超俗の絶対的な境界線なのだ。   

世俗を捨てた向こうの「小宇宙」には、何かしらの「不足」がある。

その、何かしらの「不足」(「不完全の美」)を受容することで「何ものにも囚われない自由な心」=「精神世界の真の豊かさ」に辿り着く。

これが、「待庵」の「小宇宙」に収斂される究極の侘茶=「侘び」の思想の集約ではないのか。

私は、そう思う。

物語を進める。

利休切腹6年前。

秀吉
念願の「関白」(天皇に代わって政務を執る者で、秀吉が武家の棟梁・「征夷大将軍」にならなかったのは家系的な問題だったか否か、今でも不分明)の地位を得た秀吉は、豪奢(ごうしゃ)な日々に明け暮れていた。

その秀吉に仕えることになった宗易が宮中参内のために、居士号「利休」を正親町天皇(おおぎまちてんのう/織豊政権下で皇室の権威を堅持)から勅賜(ちょくし)されたのは、この年の10月である。

いよいよ、侘茶の完成へと向かっていく利休。

「人を殺してもなお、手にしたいだけの美しさがございます」

「命がけか」とまで、秀吉に言わせた侘茶の真髄を吐露する利休の精神世界に、たとえ、「関白」の地位を得た者にも入り込めない絶対的乖離感がある。

その秀吉が、利休の緑釉の香合」に関心を持ち、それを手に入れたいと考えたのはこの時だった。

緑釉の香合」が女人(にょにん)との関係で、利休が大切にしているものであることを、既に秀吉は見抜いていた。

一方、利休の侘茶の美学に惹かれて、多くの大名が利休の門人になっていく風潮に、クレバーな石田三成は危機感を抱いていた

「利休が大きな力を持つ前に、潰しておかねば」

助言を無視する秀吉には、未だ、利休への殺意など生まれようがなかった。

朝鮮侵略への野望に象徴されるように欲望の膨張が止まらない秀吉には、独自のアートを極める利休の存在は、自らの支配下にあって、「ぬかづく人」であると信じ切っているのだ。

利休秀吉
しかし、朝鮮侵略に異を唱える辺りから、「ぬかづく人」であるはずの利休への秀吉の視線が険しくなっていく。

利休切腹4年前。

京都北野天満宮境内において、秀吉主催の大規模な「北野大茶湯」(きたのだいさのえ)が開かれた年である。

それは、「型破りで天衣無縫」(山上宗二の言葉)な利休の芸術性の深まりと、益々、対極性を帯びていく。

利休の高弟である山上宗二(やまのうえそうじ)が茶会の場で秀吉を激怒させ、命乞いする利休を無視し、その場で惨殺される事件が出来する。

楽焼・長次郎作 黒楽茶碗の「万代屋黒」
利休切腹の年。

大徳寺の楼門の二階に、利休の木像が設置された一件が起こる。

「股の下を潜れということかな。追って沙汰を下す」

配下の武士を引き連れた三成が、臨済宗の大徳寺住持(住職)・古渓宗陳(こけいそうちん)を恫喝する。

そして、利休の娘・おさんを側室と望んだ秀吉の無理難題を、拒絶する利休。

嫁ぎ先が決まっていたおさんが、縊首(いしゅ)したのは、その直後だった。(因みに、今東光の小説・「お吟さま」では、おさん=お吟の自死の背景に、キリシタン大名・高山右近との恋愛問題が絡んでいたが、無論、創作である)

娘を喪った利休は、蟄居(ちっきょ)を命じられるに至る。

秀吉の支配下にあって、「ぬかづく人」である現実を検証させるかの如く、一方的に窮地に追い込まれているように見える利休だが、「ぬかづく人」に堕ちていく道を確信犯的に拒絶する意志を曲げないのだ。

そんな頑固な男が、今、若き日の放蕩時代を回想する。

武野紹鴎
「侘茶」の創始者・村田珠光(むらたじゅこう)の弟子として名高い、武野紹鴎(たけのじょうおう)に師事せんとしていた頃の時代である。

堺に住む武野紹鴎の商家の牢に、一人の女が囚われていた。

その女は、李王朝の血を引きながら派閥争いに巻き込まれ、誘拐された両班(ヤンバン/身分制度の頂点に立つ絶対的な支配階級)の娘・高麗(こうらい)の女だった。

因みに、李成桂(りせいけい)によって滅ぼされた高麗朝に代わる李王朝において、両班を相手とする妓生(キーセン)制度は、高麗女が高級娼婦として貴重とされていたので、物語のように売られるケースがあったと思われる。

その高麗の女に惹かれた若き日の利休は、既に「献上品」となっている女を牢から解き放ち、母国・朝鮮に帰国させるため、二人で出奔するのだ。

しかし、追っ手から逃れられず、海辺の廃屋で、女は漢字の筆談(ハングル文字は一般的に使用されていなかった)で自分の思いを男に告げる。

「ムクゲ(注)の花は一日しか咲かないが、それでも、今、生きていることに喜びを感じている。人の世は恋々と慕って、死を憂いてもしょうがない」

高麗の女
女は覚悟しているのだ。

毒を飲んで死ぬ女。

あとを追うと言いながら、死ねなかった男。

その直後、「あなたは生きて」という女の思いを、琉球から来た通訳から聞き及び、弾丸の雨の中、男は号泣する。

小指の入った「緑釉の香合」こそ、高麗の女の形見だったのだ。

「これで、ようやくお傍に・・・」

回想シーン後利休死への旅立ちを前にする万感の思いを込めた言葉である

「ぬかづく人」拒絶する男の死後緑釉の香合」壊そうとする情動が騒ぎ、心乱れる宗恩だったが、平静を取り戻したその宗恩のモノローグで、印象深い物語は閉じていく。

「格子のついた窓。小さな炉。柱も天井も、壁土で塗り込めた床。人が腰を屈めなければ入れない程の躙(にじ)り口。すべては美しいもの。出会いが生み出した、我が夫・利休が追い求めた究極のの席。最後に私がお尋ねしたかったのは・・・」

ラストカットで、自らが拘泥する胸懐が添えられるが、狭小な「小宇宙」である「待庵」で茶を点てる宗恩には、自分こそ、究極のの美を追求する利休の最大の理解者であったという思いがある。

宗恩
後妻であるが、この宗恩には、利休の安寧の境地に寄り添い、その特別の時間を少しでも共有できたという自負があるのだろう。

―― それにしても、市川海老蔵と中谷美紀の抑制の効いた演技は圧巻だった。

且つ、茶杓(ちゃしゃく/抹茶を茶器から掬って茶碗に入れる匙)や茶筅(ちゃせん/抹茶を茶碗の中でかき回す茶道具)に巧みに駆使して茶を点てる茶道の作法を、プロの風格をもって表現し切った市川海老蔵には凄みすら感じた。

後述するが、そこにこそ、「政治の世界の天下人」の秀吉にも絶対及ばない、「芸術世界の天下人」の独壇場の世界に相当のリアリティを与えていたと思われる。


(注)言うまでもなく、夏の茶花として有名なムクゲは韓国の国花であるが、夕方に萎んでしまうだけで一日花ではない。

 

2  「政治の世界の天下人」と「芸術世界の天下人」 ―― 加速的に累加された矛盾の最終炸裂点



利休は私にとって、永遠にミステリアスな人物である。

利休の賜死事件の事実を記録する資料すら存在しないからである。

だから、この魅力ある男の死について多くの仮説が生まれ、それが文学の格好の題材にもなってきた。

そんな文学の中で、本作の原作である山本兼一の小説は、桁外れとも言うべき創作性に満ちているが、当然の如く、「これもあり」である。

以下、山本兼一の小説に縛られることなく、利休と秀吉の関係について、なりの解釈で言及したいと思う。

のっけから、心理学的な説明を提示すると、人間の「怒り」の感情が、動物の「縄張り」の防衛行動に発するということを押さえておきたい。

進化心理学的に言えば、「縄張り」とは、種が遺伝的に共有する行動の「ルール」を意味する。

この「ルール」を守り、且つ、守らせようとするのは、人間の感情の働きの中でも特に重要なものの一つである。

野生動物にとって、罰を与える唯一の方法は攻撃を仕掛けることであるが、その場合、「脅かし」の姿勢を見せることで「警告」し、それでも立ち去らない場合に攻撃を加えることになる。

人間の場合の「怒り」は、「家」・「国」という形で、集団的に「空間的縄張り」を作るが、人間が作った実質的な「縄張り」の大部分は、寧ろ、自分の「権限の範囲」といった「見えない縄張り」であることが多い。

この「権限の範囲」の社会的ルールを持つことで、効果・効用がない無益な紛争を減らす一方、「権限的縄張り」を侵害するものに対して「怒り」を起動する。

ここで、利休と秀吉の関係を考えてみよう。

「政治の世界の天下人」
単刀直入に言うと、その能力の自然な発動によって、利休が偉くなり過ぎたことが、「政治の世界の天下人」の「縄張り」の侵害を惹起したのである。

利休の「権限の範囲」という「見えない縄張り」の肥大が、秀吉の内面世界で、「芸術世界の天下人」に化けていく利休の、その人格総体への恐怖を誘因していったと考えられるのだ。

「政治の世界の天下人」と「芸術世界の天下人」。

この二つの世界は本来、優劣をつけたり、勝ち負けを争ったりするものではない。

しかし、両者が交わり、影響力を行使し合う中で、利休が優位であった当初の関係は、秀吉が「政治の世界の天下人」になることによって変容を来していく。

利休は一貫して変わっていない。

秀吉が変わってまったのである。

「政治の世界の天下人」になった秀吉にとって、物理的に近接(利休聚楽屋敷/自刃の屋敷と言われる)する利休の存在は、芸術的感性が鈍い、農民上がりの秀吉の劣等感を過剰に膨らませてしまう存在になってしまったこと。

これが大きかった。

利休の芸術世界をも占有する秀吉
だから、今や、全ての権力を手に入れた秀吉は、利休の芸術世界をも占有し、服従させることで、自らの優越性を利休本人と家臣に誇示し、証明すること。

それは秀吉にとって、彼の自我に深く澱み、染み付いてる「劣等コンプレックス」(アドラー心理学で言う「インフェリオリティー・コンプレックス」)からの全人格的解放でもあった。

政治的権力を握ることによって、秀吉は自らの優越性を誇示する必要が出てきてしまった事態の悲しさ ―― それは利休との物理的近接の中で、加速的に累加されてきた「劣等コンプレックス」を持つ男の悲哀でもあったのだ

この関係の顕著な変容が、一方が求め、他方が応えるという、柔和だった二人の関係を必要以上に緊張させ、遂には、勝ち負けのはっきりさせる状況に追い込んでしまったのである。

その辺りが、「ネオフィリア」(新しもの好き)で、「劣等コンプレックス」とは無縁な信長との決定的相違であったが、仮に信長が存命だったら、諸大名にまで精神的影響を与えていた利休の存在は看過できなかったに違いない。

ともあれ、「政治の世界の天下人」と「芸術世界の天下人」が交わってしまったことで、どうしてもそこに、優劣関係を確立する必要が生じてしまったという状況圧の重さが、勝ち負けでの決着を招来したと考えるしかないである。

秀吉にとって、「政治の世界の天下人」こそ、「芸術世界の天下人」の優位に立つものだった。

しかし、「美は私が決めること。私の選んだ品に伝説が生まれます」という言葉に象徴されるように、利休にとって、「芸術世界の天下人」であるプライドを守ることだけが重要だった。

この二つの世界が衝突するのは必至だったである。

「芸術世界の天下人」への占有権があると信じる「政治の世界の天下人」・秀吉は、心底から、「芸術世界の天下人」・利休を切腹へと追い込みたくなかった。

だから、「警告」=「威嚇」によって、利休翻意を促した。

ところが、利休は「意気消沈」しなかった。

「警告」=「威嚇」⇒「意気消沈」⇒「謝罪」⇒「赦し」。

動物の「縄張り」の防衛行動に発する、この流れが破綻してしまったである。

これが、利休の自刃の本質であると、は考えている。

以上の主旨から言えば、利休の死の原因についての様々な仮説があるが、それを一つに特定するは、あまり意味がないと思う。

事態の原因を一つに特定することができないとする心理学的思考を、グレゴリー・ベイトソンは「円環的因果律」という概念で説明しているが、「縄張り」の防衛行動に関与する利休と秀吉の複雑な関係を、私もこの概念で理解するのが正解であると考えたい。

その全てが原因であるとも思えるし、因果関係としては脆弱であるとも思えるからである。

要するに、利休の自刃に至る二人の異質なる「天下人」の関係の複雑な推移の中で、加速的に累加されてきた矛盾の最終炸裂点こそが、利休の自死だったである。

そこだけは絶対譲れないものを持つ利休のプライドライン。

それは、彼の自死によってしか守り切れないほど堅固な要塞だったのだ

千利休という一代の茶人のアートの世界は、「政治の世界の天下人」を非武装化させる66cmの躙(にじ)り口を作り出し、その「小宇宙」の特別な空間のスポットで、「何ものにも囚われない自由な心」を持ち、「世俗的な冠」の全てを完全に解体させてしまう革命性を具現してしまったである。

千利休 ―― 恐るべしである。

ここで、私は勘考する。

利休という、その「恐るべき男」が、死の前日に遺した「遺偈」(ゆいげ/臨終のメッセージ)には、「人生七十 力囲希咄 吾這寶剱 祖仏共殺 提ル我得具足の一太刀 今此時そ天に抛」と記されてあった。

千利休像・長谷川等伯画(ウィキ)
「じんせいしちじゅう りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち いまこのときぞてんになげうつ」と読む。

その意味は、「人生70年。我、この宝剣を持って、祖仏も我も一太刀浴びせようぞ。今まさに、我が身を天に投げ打ってやろうぞ」

中国の禅僧の遺偈という元歌があるが、何という鬼気迫る情動炸裂であることか。

これを、70歳の老人が書いたのだ

凄みを利かせる気骨に圧倒され、言葉を失うほどである。

これは明らかに、「闘争者」の言辞である。

それも「単独闘争者」の言辞である。

多くの研究者を困惑させたのも肯(うなず)ける。

は、「憤然たる咆哮」(原作)を表出したこの「遺偈」こそ、戦略的にもプライドラインを決して後退させなかった男の真骨頂だったと考えている。

「茶聖」と称せられる千利休は、「完全無欠な人格者」ではなかったである。

利他行動を貫徹する者がいたとしても、この世に「完全無欠な人格者」など存在するわけがない。

これでいいのだ

だからは、利休が好きなである。

思うに、山本兼一が書き綴った若き日の激情的な利休像こそ、意外に等身大に近いのではないかとさえ思えてくる。

山本兼一のモチーフと分れるかも知れないが、若き日の利休の激情が徹底的に内向を極めた時、「不完全の美」である狭小な「小宇宙」=「待庵」の世界に昇華されていったではないか。

そう思えるのだ

茶人一人に、3000の兵を差し向けるとは・・・

これは、平常心を復元させた利休の、切腹の当日での言葉。

映画の冒頭のシーンである。

既に覚悟を括っているから、全く迷いがない。

無論、高麗の女とのエピソードも、小指の入った「緑釉の香合」の存在もフィクションである。

緑釉の香合」
それでも、このようなフィクションに結ばれるに足るイメージが、千利休という途轍もない器量を有する男を囲繞しているである。

「激情と平穏」・「古風とモダニズム」・「完全性と欠如」・「現実と理想」・「協調性と排他性」・「創造力と改造力」・「鮮明と不鮮明」・「ルーラル(田舎らしい)とアーバン(都会的な)」・「安定性と変動性」・「強靭さと脆弱性」・「単純化と複雑化」・「平常と異状」・「色欲と禁欲」・「合理的と非合理的」・「確信と迷妄」・「無欲と貪欲」・「理性的と感情的」・「自信と落胆」等々。

例を挙げれば、枚挙にいとまがないが、多かれ少なかれ、人間なら誰でも持つそれらの矛盾を包括的に受容し、それをコントロールする卓抜な能力があるから過剰に振れていかないのだろう。

過剰に振れていかない人生の、そのあまりの目映(まばゆ)さ。

だからこそは、「完全無欠」・「聖人君子」・「純粋無垢」とは全く無縁で、生涯にわたって自己流を貫いた男の人生に大きく惹かれるのである。


【参考資料】 「利休にたずねよ」(山本兼一 PHP研究所)  拙稿 人生論的映画評論「千利休 本覺坊遺文」より

(2016年2月)



6 件のコメント:

  1. 大変興味深く読ませていただきました。
    考えてみましたが、そういえば数年間ですが、茶道を習っていた時期があります。
    裏千家だったと思います。
    お茶の作法は、次から次へとうまく進めていくとかっこいいですね。逆に不安の中でやるのは、非常につらい。戸の開け閉めから作法が決まっていて、座るところまで、畳のどの辺りを通ると良いとか、細かく覚えていた記憶があります。

    そもそも茶菓子を全部食べてから、お茶をやっと飲めるという考えが新鮮でした。
    苦いお茶をおいしく飲むために、甘いお菓子を先に食べる。
    お菓子をおいしく食べるためではなく、お茶をおいしく飲むために、ある意味我慢してお菓子を食べるんですよね。
    おにぎりを急いで食べると、胸が苦しくなり、その時に飲み物を飲むと、すごく飲み物が気持ちよく喉を通りますが、そんな感じでしょうか。

    「パルプ・フィクション」で、サミュエル・L・ジャクソンがハンバーガーの食べ方の講釈をするところがあったと思いますが、それ以来、必ずハンバーガーは「まずはバーガーを一口、そしてポテトを口に詰め込み、両側のほほに寄せた後、コーラを飲む」というやり方を一度は試して食べます。確かにそうするとコーラがうまいんですね(日本のコーラは炭酸が強すぎてあまり向きませんが・・)。
    例えが、非常に低レベルですみませんが、「懐石」の考え方とかは、かっこいいなと思ったりはしていました。

    千利休に関しては、日本史が苦手なのでほとんど考えた事もなかったですが、アーティストとして捉えると学ぶべきところがたくさんありそうですね。

    映画のストーリーも、高麗の女のエピソードなど、とても良いですね。
    たしか、市川海老蔵が父親と共演した最後の作品とか聞いた覚えがありますが、すばらしい演技だったのでしょう。
    見てみたいです。

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    1. いつもコメントをありがとうございます。私は日本文化に高い関心を持っていますが、それはどこまでも教養のレベルに過ぎず、自ら経験する機会も殆どないので、このようなお話はとても参考になります。ありがとうございました。「不完全の美」を徹底する利休のアートの精神のルーツは、彼の人生の結晶点だといつも思っています。だから、その生き方に惹かれるのでしょう。

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    2. 現実的な体験論としての話しと、知識を通しての論理展開とには私は優劣が無いと感じています。
      いろいろと読ませていただいておりますので(ほとんど辞書検索との戦いになるので、なかなか大変なんですが・・・)、Gさんの状況というのは少し理解できております。
      その上で、本当に感じる事は、豊かな精神世界です。
      日本語には感情の細かい部分を適切に伝える言葉がありますね。私はどちらかというと、簡単な言葉に感嘆詞をうまく付けて感情を表現しようとしてしまいます。だから、例えば[怒る]という感情を表現するのが「チョーむかつく」や「バリむかつく」「MG5」とか言う言葉でなく、Gさんのように「睥睨、憎悪、擯斥」なんていう言葉を使って表現されると、日本語は奥深いなと素直に感じ入る事が出来ます。
      また、どんな状況に置かれても、その状況を客観視して楽しむ事が出来なければ、何事も大変になってしまうと思います。たとえ地の底を這っていても、その地の底を這っている自分をどのように客観視するかが大切で、単純にユーモアと言ってしまうと軽いような気がしますが、シチュエーションを楽しむユーモアさが絶望の中にこそ大切なんじゃないかと、私の少ない絶望体験から感じています。
      「インテリほど痛みを訴える。大工だったら、すぐに働きだして痛みを気にかけるどころではない。」という大工すらも馬鹿にしたブラックユーモアたっぷりな言葉を、怒りをもって振り返りつつ、同時に文字におこして笑い飛ばしていく作業にこそ、イニシアティブを持った人生の選択あるんだろうと思います。
      少し背伸びして感想を書かせていただきましたが、Gさんの映画に対する感想は本当に賞賛に値する物があると思います。
      私は映画雑誌のライターや実際の映画カメラマンなどに少ないながら知り合いがいますが、正直に言って、趣味で映画を鑑賞する人たちの方が、良いセンスを持っていたりします。
      こちらで書かれている数々の感想は、どこの雑誌に掲載されても、群を抜く物だと私は思っています。
      「グレート・ブルー」はもう少し評価が高くてもいいんじゃないかとは思いますが・・・

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    3. 「連作小説」まで読んで下さいまして、恐縮いたします。
      「完全版」は公開できませんが、これは、日々、喪失感の恐怖に襲われる、事故後の人生を総括する意図をもって書き上げました。
      「連作小説」を書き上げた後、心の空洞感を惹起させないためだけに、「人生論的映画評論」を書き始め、現在に至っていますが、読まれることを想定せずに、思考し、「書きたいことを書く」という思いで時間を繋いできました。
      思考し、「書きたいことを書く」ことが集中力を高めるので、中枢性疼痛を緩和する効果を生み出すのです。「書きたいことを書く」ことは、私にとって、最高の抗うつ剤なのです。
      ただ、映画評論を書き終える度に、高い確率で心の空洞感が生まれてしまうので、その間隙(かんげき)を埋めるために、ほとんど強迫的に、次の映画評論に没我する作業が強いられ、自己投入していきます。疲弊しますが、もう慣れてしまっているから、何とか耐えられるのでしょう。
      大げさに言えば、この行為は、弱い人間である私にとって、難儀でありながらも、相応の快楽の報酬が得られる、「生きる」という行為の、ほぼ中枢に近いパーツであると思い込んでいます。
      だから、〈生〉と〈死〉のギリギリの際(きわ)で、「不完全の美」・「不足の美」という、自らの芸術表現を突き詰めていったように思える、「完全無欠」・「聖人君子」とは無縁な利休に惹かれるのでしょうか。
      余計なことを書き過ぎて、申し訳ありません。
      ―― 今回、「グレート・ブルー 国際版」を読み直しました。
      「明らかに、『動物愛護』の対象動物として、イルカという万人受けしやすい動物が、『聖なるもの』として特定的に選択され、その『聖なるもの』と睦み合う男が『聖なる使者』として立ち上げられるのだ」という一文を読むと、些か政治的偏見があるかも知れませんが、「好み」や「評価」が分れるのは、ごく普通の健全な現象だと思っていますから、仕方がないのでしょう。

      削除
  2. 返信ありがとうございます。
    二つの事を思いました。
    一つは、やはりずば抜けた評論である事。全身全霊をかけての映画評論なんて今まであったでしょうか?
    大変なご苦労だと思いますが、それ故の賜物なのだと思います。頑張ってください。
    もう一つは、私が気軽に投稿して良かったのかという不安です。私の文章が、大切なブログの文章達を汚してはないでしょうか?
    ひょっとすると、私以外にもすんごい多くの読者がいて、彼らが「お前の投稿いらないから」とか言っているのでは?なんて不安になりました。
    私はネットに関して非常に無知なので、その世界の常識というのが通用しない所があると思います。
    もし問題があったら、率直に教えてください。

    私は映画が大好きで、年齢は気づいたら結構な感じになってしまいましたが、「第七の封印」とかも大学時代に見ていた、まじめな映画青年でした。
    海外旅行に行ったら、その町で出来るだけ映画を見るようにしていて、作品だけでなく、その作品を見た時の状況なども作品の一部と考えたりしていました。映画の会報誌などを作っていた事もあります。確か一回目でハネケの事を熱心に書いていました。
    おっとまた個人的な話しになってしまい、「いらんがな」と誰かに言われそうなので、やめておきます。

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    1. コメントをありがとうございます。
      マルチェロヤンニさんのコメントは、読まれることなく書いてきた私にとって、迷惑どころか、とても勇気づけられます。「書きたいことを書く」というモチーフは全く変わりませんが、多分、体が続く限り書いていくでしょう。
      ネットに関して無知なのは、私の方です。今でも、 配偶者の全ての面においての協力なしにブログの継続は不可能です。正直、自分のブログを点検することもしなかったので、長い間コメントが入っても気づかずに推移してしまって、コメントを寄せたくれた方に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
      現在は書きたいものが限定されているので、「人生論的映画評論」は一時的に手詰まりになっていて、「心の風景」を書いています。一貫して、「人間の感情」の問題に深い感心を持ち、悪戦苦闘しています。

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