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2013年8月24日土曜日

陸軍(‘44)       木下惠介



「嗚咽の連帯」によって物語の強度を決定づけた「基本・戦意高揚映画」>




1  精神主義一点論のシーンを切り取った出来の悪いプロパガンダ映画



これは、相当出来の悪いプロパガンダ映画に、木下惠介監督特有の暑苦しい「センチメンタル・ヒューマニズム」が強引に張り付くことで、「無限抱擁」の「慈母」の情愛のうちに収斂されていく、この国の「戦争映画」の「定番」とも思える、それ以外に軟着し得ない厄介な「基本・戦意高揚映画」であって、これだけは確信を持って言えるが、映画観に不必要なまでのバイアスが掛かった、「映画人九条の会」や「マスコミ九条の会」などが褒めちぎるような「反戦映画」では断じてない。

相当出来の悪いプロパガンダ映画と言うのは、「国体」概念のルーツとも言える、水戸学の結晶である「大日本史」を預かった、小倉の質屋・高木家の三代のエピソードの中で、「国体」を合理化し、列強に囲繞されたこの国の帝国主義戦争の正統性を、見え透いた会話による説明的台詞で随所にインサートされていくシーンの連射で検証されるだろう。

例えば、こんな台詞。

 「これからは、大きな忠義を考えなきゃいかん。これからは大変じゃぞ。アメリカやイギリスが鵜の目鷹の目なんじゃ」

 これは、長州征討において、幕府側の九州側の最先鋒だった小倉藩の藩士が、深傷を負いながら、高木家の息子に放った言葉。

そして、時代は日清戦争にワープする。

プロパガンダエピソードを特定的に切り取りたいからである。

件の質屋の息子(高木友の丞)は大人になって、かつて、小倉藩士から預かった「大日本史」を丁寧に保管している

言うまでもなく、このカットの含意には、「国体護持」の堅固なメンタリティが張り付いている

三国干渉の屈辱。

日清戦争・日本軍歩兵の一斉射撃(ウィキ)
下関条約(日清戦争の講和条約)によって日本に割譲された、決定的な戦略的位置を持つ遼東半島(日清戦争の講和条約)を放棄し、清に返還することを求めた、当時の列強であるロシア、ドイツ、フランスの露骨な干渉に対する屈辱のことだが、この状況下で、日本が最も頼りにした英国が動かず、孤立化したことが大きい。

そこで奪われた「戦利品」を取り戻すための合い言葉は、あまりに有名な「臥薪嘗胆」。

この故事成語は、復讐の志を忘れることなく、いつの日か、必ず起こるだろう、最強の大敵・ロシアとの戦争に備えよという含みを持っていた。

この辺りのシーンでは、東京で倒れた父・高木友の丞への見舞いに上京した、息子の友彦を叱咤するカットのインサートが主眼になる。

「おひざ元に出て来て、一番に宮城へ詣らんとどげんするか!」

この台詞高木友の丞に言わせることで、友彦の宮城詣での構図を映像提示させるのだ。

宮城と二重橋(ウィキ)
明治天皇の住居である明治宮殿(宮城)に向かって膝を突き、額を地面に付け、頭を下げる友彦。

その友彦が病院に戻ると、父・友の丞は、既に事切れていた。

「立派な軍人になれ」

これが父の遺言だった。

かくて、世代が繋がったのである。

国体護持」の堅固なメンタリティを継いだ友彦の精神主義の傾向は、肝心の日露戦争に従軍するものの、病を得て帰還する屈辱を味わうに至る。

この屈辱が、物語総体を支配していくのだが、伏線としての映像提示があまりに見え見えなので、当然ながら、物語の陰翳感を深々と表現し切れていないのだ。

ここからは、病が癒えた友彦の家族が、物語の主体となっていく。

近代天皇制の骨格である「国体護持」のメンタリティを、必要以上に体現することで、日露戦争の前線に立てなかった男の自我に巣食う空洞感を、過剰に補填せんと動く行為が、物語の随所で拾われていく。

日露戦争・旅順要塞への28サンチ砲の砲撃(ウィキ)
思えば、近代天皇制という、殆どそれ以外に選択し得ないシステムでサポートされた、この国の男たちは、その「形式的男性優位」の文化に甘えて、論理的思考力の脆弱性を隠し込むことに成就するだろう。

だから、簡単に、其処彼処(そこかしこ)に精神主義一点論の軍人もどきが再生産されても、「形式的男性優位」の文化に浸かった男たちの虚栄の城砦だけは延長されていく。

本作の中に、そんな男の典型である父親像が描かれていた。

高木友彦その人である。

虚栄の城砦に縋り付く友彦と、比較的、この国の男たちの少なからぬ意見を代表する実業家との、興味深い「神風論争」が挿入されていた。

この国の男たちの少なからぬ意見を代表する商人とは、鉄鋼場を営む櫻木常三郎のこと。

以下、二人の「神風論争」を再現する。

「元寇の話ば聞いとると、本当にあの時は日本は危なかった。戦法も兵器も古か。鉄砲は向うにあって、こっちにはなかけん。あの時、神風が吹かなかったら、どげんなっとるか分りませんな」

「神風論争」の火蓋(ひぶた)を切ったのは、櫻木だった。

これに対して、間髪を容れず、反論する高木友彦。

彼には、前線経験を持てなかった過去がトラウマになっているから、余計、感情投入が先鋭化するようである。

「どげんなっとるか分らんちゅうことは、日本が負けたっちゅうことですか?」
「ま、そげんなっとったかも知れんですな」
「日本が負けて、蒙古の領土になったっちゅうことですか」

ここで、友彦の態度が威丈高になる。

「もし神風が吹かんやったら、負けとったかも・・・」

威丈高になった友彦には、櫻木の「戯言」を受容する感情の片鱗もないから、相手の反論を途絶させてしまうのだ。

「なんば言うなすな!私はそげな風に生徒たちに話した覚えはありまっしぇん。たとえ神風が吹かんでも、立派に元軍を撃退することができとった。文永の役でも、元軍はいったん上陸しただけで、後は上がらんじゃった。弘安のときは全然上陸もしらんで、あの志賀島に小部隊が上がっただけです。これは要するに、日本軍の勇猛に怖れたからです。日本の挙国一致の精神に敵わんじゃったけんです」
「それはそうじゃが、どげん勇猛な部隊でも、相手の戦法や火器が優れておったら、破られるちゅうこともあるもんです」
「相手に負けんくらい強かった!」
「いや、あの場合は、もし神風が吹かんやったら・・・」
「止めて下さい!何遍、言うて聞かせたら分るとですか。神風が吹かんでも日本は敗れんとです。敗れる国でなかとです!」

友彦(右)
精神主義一点論の軍人もどきの友彦は、最後まで、相手の反応を受容する態度を見せなかった。

大体、この国では、精神主義一点論の男ほど声高になり、威圧的な態度を崩さないから、「論争」に詰まって、実質的に論破されたにも拘らず、澱んだ空気を支配した雰囲気が変色することはない。

だから、「論争」を最も嫌うこの国では、常に声の大きい者が、「論争」の「勝者」の印象を払拭し得ないのである。

とりわけ、この時代は、精神主義一点論の「純粋」さが価値を有していたのだ。

本作の中で、この「神風論争」のシーンだけは面白かった。

いつも、声の大きい者の威圧的な態度に対して、笑って濁りを浄化するリアリストの困惑が、ここでも印象深く描かれていたからである。

無論、このシーンの挿入が、プロパガンダ映画の見え見えの会話を切り取ることに主眼があるのは言うまでもない。

蛇足だが、この「神風論争」に対する歴史学のジャッジメントはどうなのか、考えてみたい。

仮に神風が吹かなかったとしたら、櫻木の言うように、蒙古軍が鎌倉幕府軍(東国・九州御家人が主力)を撃破し得たという言い分の方が正しいのか。

どうやら、近年の研究では、神風が吹かなかったとしても、高麗軍(モンゴル帝国に軍事的に吸収された朝鮮軍)や南宋軍の歩兵によって構成された蒙古軍では、九州北部が戦場と化した日本の限定されたエリアにあって、得意の騎馬戦を有効に駆使できず、双方の痛手の大きさを考慮に入れても、最終的に鎌倉幕府軍の勝利に終わった可能性が高いということ。

そこには、時の執権・北条時宗の異国警固体制の準備も万端で、蒙古軍に対する諜報活動を行っていたらしい事実が分っている。

その意味から言えば、友彦の「主張」の方に分があるが、厄介なことに、彼の論拠が「敗れる国でなかとです!」という精神主義一点論に丸投げしているので、説得力を持たないのである。



2  「慈母」と「孝行息子」の情感の出し入れの「センチメンタル・ヒューマニズム」の炸裂の決定打



前述したように、空疎なプロパガンダに振れる台詞のインサートが、単にエピソード繋ぎでしかない、「構築性」を捨てた物語のラインの枠組みを固めてしまったことで、相当出来の悪いプロパガンダ映画と化していく。

空疎なプロパガンダの台詞を嵌め込んでいくために、見る見るうちに変化する歴史の時間を切り取っていくから、物語のリズムを平気で壊してしまうのだ。

もうそこには、こんな出来の悪いプロパガンダ映画を、物語の基本骨格にしなければ済まないほどに手持ちカードを持ち得ない、当時の陸軍省情報局の内部風景が透けて見えるのである。

それが「反戦」であろうとなかろうと、この国で「戦争映画」が作られるとき、いつも思うのは、この「陸軍」という映画が端的に証明しているように、ラストシークエンスの10分間だけが特定的に切り取られ、それが独立的な価値を持つ何かとして喧伝され、作品総体を支配し切ってしまう「センチメンタル・ヒューマニズム」の暴走の極みである。

私はこれを、「日本病」と呼びたい。

この国では、観る者を嗚咽させるパワーを持つほどの感動を保証する作品でないと、失敗作として遺棄されていく空気のようなものが、巷間を漂流している。

だから、この映画がそうであったように、観る者を存分に嗚咽させる意図のくどさが全開した、ラストシークエンスの10分間にシンボライズされた、極めて情緒的な物語の作り方が内的にも外的にも要請されてしまうのである。

この国で、完成形の「反戦映画」の名画を作出すことの難しさが、そこにある。

「陸軍省後援 情報局國民映画」という表記があるように、仮に作り手が、陸軍省から戦意高揚を目的にした「戦意高揚映画」の演出を強いられ、国策として協力していく映画作りの渦中で、自分の思いの丈をラストシークエンスの10分間のうちに炸裂させたととしても、せいぜい、過剰なまでに情緒的な「無限抱擁」の「慈母」の情愛を切り取って、そこだけを特化する描写のうちにしか落とし所がないのである。

だから、本作は、「慈母」と「孝行息子」の情感の出し入れの物語に雪崩れ込んでいくしかなかった。

良かれ悪しかれ、そこに「絶対反戦」(一切の戦争の否定)という名のイデオロギーなど、介在の余地すらない。

「厭戦的気分の映画」というレベルにすら達しない本作は、嗚咽を交えつつ、出征する子供の武運長久を祈るラストカットの構図によって、相当出来の悪いプロパガンダの連射の一切の濁りを浄化させてしまうのだ。

これは、この国で根強い人気を持つ「軍歌」が、厭戦的気分満載の情緒的なメロディによって、人々の「心を癒す」効果を持っている事実によって検証されるだろう

木下惠介監督
例えば、Wikipediaによると、この映画を作った木下惠介監督が、以降、情報局から「にらまれ(当人談)」終戦時まで仕事が出来なくなったと言われているが、しかし、木下惠介監督は、ある意味で、コミュニストよりも「転向」に振れにくいが故に厄介だった、「リベラル分子」として検挙されることもなく、多くの普通の「日本臣民」のように、8.15「終戦」(その本質は、9.2「敗戦」=ミズリー号での降伏調印式)を迎えている。


情報局の如何なる「逆鱗」に触れたか否か不分明だが、実質、「お咎めなし」と解釈した方が正解に近いと思われる。


「木下監督は命こそ取られなかったが、終戦までメガホンは取り上げられた。本作はチャップリンの『独裁者』、オーソンの『市民ケーン』と共に、権力に立ち向かった点で右に出るもののない傑作である」


 申し訳ないが、このレビューを読んで、吹き出してしまった。


私から見れば、「センチメンタル・ヒューマニズム」の映画監督としか思えない木下惠介監督こそ、「二十四の瞳」(1954年製作)、「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年製作)、「永遠の人」(1961年製作)などに象徴されるように、情緒的なBGMなしに済まない「等身大の日本人の感性に合う映画」の、ごく普通の供給者である。

二十四の瞳(ウィキ)
陸軍省情報局による「鬼の目にも涙」という甘い解釈が、なぜ、可能だったか。

「時には、人を哀れむ優しい心を起こす」という意味を持つその諺が、諺に内包する意味を突き抜けてしまったのではないか。

要するに、「等身大の日本人の感性に合う映画」を検閲した情報局の専門官たちも、この情緒的な「慈母」と「孝行息子」の情感の出し入れの物語を観て、心の琴線に触れる思いを密かに隠し込んでいたのではないか。

「女々し過ぎる」という理由で、軍関係者が憤慨したのは事実だろうが、常に、周囲の空気の強度を嗅ぎ取って行為に結んでいく心理圧に対して、途方もなく脆弱なメンタリティを有する者たちの多くは、本音と建前を巧みに使い分けることなど手慣れたものだから、心底では嗚咽した検閲官もいたに違いないことが想像できるのである。

彼らもまた、本音の部分で「等身大の日本人の感性に合う映画」を嫌っていないのだ。

紛れもなく、ラストシークエンスの10分間で連射された、「慈母」と「孝行息子」の情感の出し入れの「センチメンタル・ヒューマニズム」の炸裂で、観る者は感涙に咽び、「孝行息子」の笑みの返報の構図によって、頭脳が空っぽの情報局の軍人の「横槍」とは無縁に、それ以外に軟着し得ない、厄介な「基本・戦意高揚映画」の目的は成就するに至ったのである。



3  嗚咽を免罪符にする文化の寒々しい風景



「嗚咽の連帯」の成就という方略以外に、この国での「戦争映画」の軟着点を見い出すことが難しいという、寒々しい風景の、曰く言いがたい軽量感。

ラストシークエンスの10分間の過剰さは、峻厳なリアリズムと切れていた。

重々しいように見えるが、90分弱の映画総体の中で、強引に切り取られたシークエンスの疑似リアリティでしかなかった。

その過剰さが、映画総体が運んできたプロパガンダ性の濃度を希釈化したつもりでも、「センチメンタル・ヒューマニズム」への予約済みの軟着点以外ではなかったのである。

大体、そこだけを切り取って、それを観て、取って付けたような「反戦」画像を手前みそで吸収した挙句、「嗚咽の連帯」を大仰に結ぶという愚昧な鑑賞眼が、一切を駄目にしたとは思わないのだろうか。

家精神の発露にも届かない。

センチメントの炸裂でしかないのだ。

断言してもいいが、「国体」という概念のルーツである、「大日本史」を編纂した水戸学に関する説明的台詞に、観る者の多くは関心を寄せないだろう。

この国の人々は、理屈では容易に動かないのだ。

動けないのである。

理屈で動けない代わりに、情緒で動く。

それも、過剰な情緒の氾濫の中でこそ大きく振れ、それが〈状況〉を作り出してしまったら、決定的に動いていく。


だから、ラストシークエンスの10分間を特定的に切り取って、それが独立的な価値を持つ何かとして全人格的に受容する。

まるで、この映画が、そこだけが、観る者の感性に張り付く残像として、そこでの田中絹代の、一挙手一投足の渾身の演技を受容することで、そこに至る70数分間は簡単に捨てられてしまうのである。


もう、それは、映画鑑賞の基本的スタンスを逸脱しているとしか言いようがない。

嗚咽を求めて、田中絹代の名演技を吸収し、そこで手に入れた「鑑賞利得」こそ、本作に対する一般的なアプローチであるように思われる。

それが、映画「陸軍」の鑑賞スタンスを貫流する。

「嗚咽の連帯」が形成されるのだ。

この国では、「嗚咽の連帯」はタブーではないのである。

「慈母」と「孝行息子」の情感の出し入れのモチーフが心理的推進力に上積みされ、そのエキスが、「鬼畜米英」に向かう熱量を再生産していくのである。

この国は、情緒という「最強の武器」で「武装」し、戦争に踏み込んでいく。

峻厳なリアリズムの致命的不足を、情緒という「最強の武器」が補填する。

美食に溺れる者を堕落とするプロテスタンティズムの厳しい精神がなお健在で、英語を公用語とするアングロサクソン系の、決して折れない継続力を持つ「闘争心」という、本来的な「武器」で武装できないのだ。

最後まで「神風」が吹かず、完膚無きまでに負けてもなお、「嗚咽の連帯」を炸裂させるのだ。

「それでも命を賭けて戦った」という自己欺瞞で偽装し、センチメントの炸裂に酔うのである。

不愉快なことに、この国では、「嗚咽の連帯」は非難されないのだ。

当世でも変わらないから厄介なのである。

2010年6月に開催された、FIFAワールドカップでのことだ。

日本代表初のベスト8進出を賭けたパラグアイとのPK戦で、3人目のキッカー・駒野友一選手(ジュビロ磐田)のシュートがクロスバーを直撃して、あえなく敗退した。

信じ難き風景を見せつけられたのは、その直後だった。

プロのアスリートが号泣したのだ。

アエドバルデス選手と駒野選手(ウィキ)
それを慰めるパラグアイのアエドバルデス選手に続いて、それをしなければならないような空気の只中で、日本人選手は駒野選手に近づき、次々に慰め、抱き続けたのである。

PK戦で失敗して泣きじゃくる駒野選手を、最初に慰めに行った者が誰か、誰が駒野に、どのように慰め、抱き続けていたか。

 そして、駒野選手と一緒に誰が泣いてやったか。

産経ニュースのこの記事を配信したアホなライターは、そんなことを本気で書いていた。

こんな愚かな記事を書いた愚かなライターの、愚かな問題提起は、恐らく、パラグアイ戦を観た日本人の、ごく普通の平均的な反応に、ごく普通の感覚で応えただけであるに違いない。

ここまで書いたら申し訳ないが、 それでも、敢えて私は書く。

平気で人前で号泣し続ける心理には、自分を慰めに来る者の「同情」のアウトリーチを待ち、「共感」を求め、それを「共有」するシグナルの発信であると言っていい。

「嗚咽の連帯」を通して、それを観る人々をもインボルブすることで、「屈辱の時間」を早く浄化したいのだ。

深層心理のフィールドを借りれば、それを「共有」することで、少なくとも、居心地悪き「屈辱の時間」に対する責任の所在の追及を、一時(いっとき)、寸断させる効果を持つだろう。

だから、「負けてもありがとう」(フジテレビ)などという、信じ難きメディアの緩々のサポートが後追いする現象を生み出すのである。

これが、この国のプロのアスリートの、しごく普通の風景なのだ。
  
正直、私は、この現実を目視し、全身の力が抜けてしまった。

負けたからではない。

またもや、「敗北者」の「嗚咽の連帯」を見せつけられたばかりか、嗚咽を免罪符にする文化が、この国の深い辺りに澱みを浮遊させている現実を確認してしまったからである。

下村海南(ウィキ)
ここで、私は鮮明に想起する。

ポツダム宣言受託の際の、この国の御前会議の風景の現実を。

 「かくのごとき状況にて本土決戦とならば、日本国民の多くは死ななければならない。いかにして日本国を後世に伝えうるのか、という、今までにまったくためしのない隠忍沈黙の型を破った陛下自らの思いのままを 直言されたのであった。満場ただ嗚咽の声のみである」 

 これは、下村海南ポツダム宣言受諾の実現に参画した国務大臣の「終戦秘史」(講談社学術文庫)からの抜粋である。

「敗北者」の「嗚咽の連帯」によって、御前会議に参列する者の心を癒し、存分に浄化する。

浄化することで、責任の所在の追及が曖昧になる。

ここから、「一億総懺悔」という言辞への距離が、呆気なく解体される。

その言辞は、憲政史上、最初にして最後の皇族内閣を組閣した、東久邇宮稔彦王の有名な言葉である。

戦争責任の追及を免れようとした意図的な言辞だが、「嗚咽の連帯」によって浄化された者たちが、嗚咽を免罪符にする文化の中で、自然に身に付けた自己防衛戦略であると言っていい。

東久邇宮稔彦王(ウィキ)
嫌味なしに言うが、「嗚咽の連帯」こそ、この国の専売特許なのだ。



4  「嗚咽の連帯」によって物語の強度を決定づけた「基本・戦意高揚映画」



テーマを戻す。

 なぜ、この国で「反戦映画」の決定版が出現しないのか。

 簡単に言えば、リアルな「反戦映画」を作ったつもりでも、情緒の洪水に流されて、6部構成で総上映時間が9時間半にも及ぶ、「人間の条件」(1959年~1961年製作)に典型的に見られるように、「ヒューマニズム」の押し売りの感が最後まで否めず、どうしてもセンチメントの過剰な炸裂の範疇を越えられないのだ。

 それでも、懲りずに「反戦映画」を作ろうとすると、近年の「キャタピラー」(2010年製作)のように、途中まで無難に乗り切っても、最後は、執拗に連射される実写画像と説明的キャプションのオンパレード。

分っていたこととは言え、これには、正直、辟易(へきえき)した。

「広島の原爆による死者14万人。長崎の原爆による死者7万人」
「お国のために絞首台にぶらさがる」
「死刑判決を下されたBC級戦犯は984人」

自前の映像それ自身で勝負できない脆弱性を晒すだけの、説明的キャプションと、その実写画像である。

「キャタピラー」より
「万歳」のラストカットの直後から開かれる、これらの実写画像と説明的キャプションの執拗な連射のエンディングは、元ちとせが歌う「死んだ女の子」。

あたしは死んだの
あのヒロシマで
あのヒロシマで
夏の朝に

「反戦ナルシズム」に浸かったチャイルディッシュソングの挿入は、深々と情感に流すことでカタルシス効果を保証するだろうが、力強い物語で押し切ったはずの映像総体の訴求力を削り落してしまったのだ。

「反権力」という「勲章」を観念的に引き摺っているようにしか見えない、この作り手による、単に情感系の過剰な炸裂でしかない画像が、一切を壊してしまったのである。

一枚のハガキ」(2010年製作)になると、もっと酷かった。  

 「声の強さ」を具現しただけの、「精神の焼け野原」の風景を晒してしまっていて、言葉を失う程だった。

 詳細はブログで書いているから省略するが、「反戦プロパガンダ」の臭気を感じさせる何かに堕した、「間違ったメッセージ」の張り付けだけは看過できなかったのは事実。

或いは、三部作の「反戦映画」として有名な「戦争と人間」(1970年~1973年製作)。

「戦争と人間」より
これは、資本主義の構造との関連で、侵略戦争の本質を炙り出すというイデオロギーで勝負した大作であるが、テーマの大きさを殆ど消化し得ず、満州事変からノモンハン事件までを、様々な人間模様を交叉させて描くことでお茶を濁らせてしまったという印象を拭えなかった。

 結局、最後は予算の壁に弾かれて、全三部で終焉するに至った。


そして、かの有名な「ゆきゆきて、神軍」(1987年製作)。

「全身小説家」(1994年製作)がそうだったように、「ドキュメンタリー映画」として、これほどのパワーを放つ作品を観た経験は後にも先にもない。

しかし、「ゆきゆきて、神軍」を、「反戦映画」のカテゴリーに含めることに、私は拒絶する。


 

「ゆきゆきて、神軍」より
自らが拠って立つ「正義」を絶対化し、それと背馳する立場を拠り所にする者に対してテロルも辞さない男の、視界不良の行為をフォローしていくときの緊張感の継続力こそ、ドキュメンタリーの映像作家の真骨頂であることが了解し得てもなお、そんな男の一連の行動の総体を切り取った映像を、「反戦映画」のカテゴリーのうちに収斂させるには無理があると思うからである。



そんな私が、唯一、一級の「名画」として評価する「反戦映画」があるとすれば、「ゆきゆきて、神軍」の企画者であった、今村昌平監督による「黒い雨」(1989年製作)のみである。


これは、「反戦映画」の狭隘性を突き抜けていた。


「黒い雨」より
一貫して感傷に流さず、「非日常」の極点である〈死〉と最近接しつつ、艱難な日常を繋ぐ二次被爆者の〈生〉を構築的に描き切ったことで、人間ドラマとしての奥行きのある作品に昇華されていたからである。

「黒い雨」こそ、この国の「反戦映画」の最高到達点であると、私は評価する。

さすがに、年季の入った今村リアリズムは、一味も二味も違っていたということか。

―― さて、本作のこと。

「男の子は天子様からの預かりものですけ、お返しするまではハラハラします」

友彦の息子・伸太郎の母の言葉である。

これが、特定的に切り取られ、それが独立的な価値を持つ何かとして喧伝され、作品総体を支配し切ったラストシークエンスの伏線的台詞となっていたのは言うまでもない。

そこには、「天子様からの預かりもの」としての「普通名詞」である一人の男子を、「天子様」に「お返しする」つもりで前線に送り出した一人の、単に「普通名詞」としての「臣民の母親」が、前線に送り出す風景の渦中で沸き起こった情動の推進力によって、「固有名詞」としての「孝行息子」に変換されていく時間の沸騰のうちに、「固有名詞」である「慈母」に化けていく心的行程が描かれていた。

ここだけを切り取って放たれたら、恐らく誰しも、初発のインパクトで、嗚咽なしに済まない「感動譚」のパワーに否応なく呑み込まれてしまうだろう。

しかし、暑苦しいのだ。

思わず、嗚咽すれども、暑苦しいのである。

そこだけを狙ったあざとさが読み取れて、食傷気味になってしまうのである。

思うに、「無限抱擁」の「慈母」の情愛のうちに収斂されていく、暑苦しいラストシークエンスの本質は、「慈母」と「孝行息子」の情感の出し入れの「センチメンタル・ヒューマニズム」以外ではなかった。

恣意的に切り取られたラストシークエンスだけが独り歩きして、いつしか、観る者たちの稜線が、視界の見えない辺りにまで伸ばされ切っていく。

ここでもまた、「嗚咽の連帯」が分娩されたのだ。

まるで、「反戦映画」の決定版が極まったかのように絶賛され、動画で流され、巷間を普く漂流し、そのラストシークエンスを網羅させた作り手の伝記映画まで作られる。

「木下惠介の実話を元にした、母と子の真実の愛の物語」(公式HP)・「はじまりのみち」より 
どうやら、かの侵略戦争に命を賭けて戦った者たちの存在が、砂浜でダイヤを拾うほどに稀有でしかないからこそ(共産党員は3.15と4.16によって、本格的に戦う前に一斉検挙され、更に、スパイMによる熱海事件などでほぼ壊滅)、「反権力」=「善き人」という「勲章」欲しさに、「自分だけは違った」という回顧談を出したりして、「あの時代は、心の中では反戦の気分だった」と言うだけで、「反権力の闘士」のような扱いを受けるから厄介なのである。

父母の慈愛に 抱かれて
男子となりて 幾年ぞ
身は軍服に  包むとも
君に見えざる この戦(いくさ)
胸に受け継ぐ  祖先の血
流れて永久(とわ)に  国守る

これは、本作のラストシークエンスで流れる軍歌の最初の一節。

「本作は・・・権力に立ち向かった点で右に出るもののない傑作である」(前掲レビュー

このように書いたレビュアーに代表される主張が、たとえ堅固な「確信」に結ばれていたとしても、この軍歌の挿入によって自壊するだろう。

どれほど「嗚咽の連帯」によって物語の強度を印象づけたとしても、この軍歌の歌詞に後押しされて作られた映画が「反戦映画」の決定版である訳がないのだ

だから私は、本作を評して、「嗚咽の連帯」によって物語の強度を決定づけた、「基本・戦意高揚映画」であると解釈する。

それ以外ではなかった。

 (2013年8月)

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