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2013年3月28日木曜日

灼熱の魂(‘10)        ドゥニ・ヴィルヌーヴ



<「衝撃的なラスト」に印象誘導するストーリーが失った「映像総体の強度」>



1  中東を巡る不安含みの旅が到達した悲劇の極み



カナダのケベックに住む、双子の姉弟がいる。

ジャンヌとシモンである。

彼らの母親のナワルは、プールサイドで視認した「何か」によって体調を崩し、呆気なく逝去する。

しかしナワルは、謎めいた遺言を残したことで、双子の姉弟を大いに困惑させる。

以下、公証人が読むナワルの遺言。

“墓石はなし。私の名は、どこにも刻まないこと。約束を守れぬ者に墓碑銘はない。ジャンヌとシモンへ。子供時代は、まるで喉に刺さるナイフ。容易には抜けない。

 “二つの封筒が相手に渡されたら、あなたたちに手紙が。沈黙は破られ、約束が守られる。そのとき初めて、私の墓に墓石が置かれ、名前が刻まれる”

「なぜ、こんな遺言を?」とジャンヌ。
「気持ちはよく分る。驚くべき内容だ」と公証人
「いや、ちっとも。母は変わり者だった」とシモン。
「遺言で、作り話をする人はいない」と公証人
「母親としてはまともではなかった。せめて最期ぐらい、普通に埋葬したい」

一貫して、シモンは不服そうだった。

そんな姉弟に託された二つの封筒。

ジャンヌシモン
ジャンヌには、死んだはずの父宛ての封筒で、寝耳に水の話で迷惑がるシモンには、存在しないはずの兄宛ての封筒だった。

母親の自分勝手な遺言の受託を拒否するシモンを残し、ジャンヌは、母の過去を巡る旅に出た。

母の祖国の地である、中東を巡る不安含みのジャンヌの旅が、信じ難い程の苛酷な半生を刻んだ、母の過去を知る行程になっていくにつれ、彼女の自我の耐性限界を超えていく。

ジャンヌは、弟シモンの援助を乞う以外になかった

それは、自らのルーツを特定する旅の様相を露わにしていくが、未だそこに届くことなく、母の過去を巡る旅を繋いでいく。

以下、母の過去について、ジャンヌとシモンが、やがて共有するようになる衝撃的な事実。

パレスチナ難民との許されざる恋の果てに、身内によって恋人を殺され、自らも命の危険に晒されたとき、祖母に救われ、お腹の子供も出産と同時に、孤児院に預けるに至った。

「母さんの顔をよく見て。忘れないように。いつか必ず、探しに行く」

祖母によって、踵に針で目印をつけられ赤子との別れの言葉である。

故郷の地を追われたナワルは、叔父の家から大学に通っていたが、内戦の激化で大学が閉鎖され、自分がいた南部のキリスト教徒の村が襲われた事実を知り、息子を探しに、南部に行くが見つからず、途方に暮れるばかりだった。

ナワル
中東国家(レバノン)での内戦下で激化する、宗派対立にインボルブされたナワルは、恋人を殺され、パレスチナ難民に対する虐殺を目の当たりにしたことで、キリスト教マロン派系の極右政党・民兵組織(ファランヘ党)への憎悪が滾(たぎ)り、急拵(ごしら)えのテロリストになった挙句、キリスト教右派指導者を暗殺するに至った。

不思議にも、その場で射殺されることなく、ナワルは、その後、15年間もの長きにわたって投獄されるに至るが、拷問専門官のような男からレイプされ続けるという苛酷な日々を送る。

その男によって妊娠させられたナワルが、双子を出産したのは、その苛酷な日々の渦中であった。

この辺りで、インセストという衝撃的事実をイメージされるが、「極上のミステリー」の王道のラインを繋ぐ物語は、ファジーに累加された伏線を張っていくだけ。

ともあれ、自我の破壊を免れるために、声を絞り出して歌い続けることで、ナワルは、いつしか「歌う女」と呼ばれるようになった。

15年後に釈放されるナワルの、その後の人生は、レイプによる拷問によって出産した双子の姉弟との、封印した過去を持つ「物言わぬ共存生活」が開かれていく。

ナワルをレイプし続けた挙句、双子の姉弟を産ませた男こそ、ナワルが探し続けていた、踵に針で目印をつけて別れ離れになっていた我が子であったのだ。

即ち、ナワルの遺言に隠し込まれた「父」とは「兄」のことであり、両者は同一人物だったのである。

「1+1=1」

これは、姉のジャンヌに洩らしたシモンの言葉。

更に分明になったのは、ナワルがプールサイドで視認した「何か」とは、踵に針で目印をつけた我が子だったということ。

 アブ・タレク=ニハドが、姉弟から二つの封筒を受け取ったとき、彼の中で抑えていた感情は、もう、行場のない情動の混乱に捕捉され、絶え絶えだった。

それは、中東を巡る姉弟の、不安含みの旅が到達した悲劇の極みでもあった。



 2    「衝撃的なラスト」に印象誘導するストーリーが失った「映像総体の強度」



数多の娯楽映画や、特段の作家性によって、映画的加工を施す映像と分れて、リアルをベースにしたシリアスドラマの生命線が、「展開のリアリズム」と「描写のリアリズム」にあると考えている私から見れば、殆どあり得ないと思われるプールサイドのシーンに典型的に現れているように、この作品の「構成力」は極めて脆弱であるか、それとも、パズルの絵解きでセールスする、安直なミステリー小説もどきの導入に無頓着過ぎると言わざるを得ない。

ここでは、「展開のリアリズム」が問題になる。

ナワルとジャンヌ
「展開のリアリズム」における、プールサイドのシーンとは、かつての宗主国・フランス経由でケベック州に移住した原作者のように、レバノン難民がフランス語圏のケベック州に移住するケースが、間々あったとしても、本作の主人公である、中東系カナダ人女性のナワルが、かつて独立を巡る住民投票が行われた、フランス語を公用語にするカナダ東部のケベックで、物語の一方の背景になっているレバノンを逃れて、カナダで労働しているテロリストであるばかりか、かつて、ナワルの拷問人(レイプの常習者)であった「運命の男」、アブ・タレク=ニハドと遭遇するという、殆どあり得ないような奇跡譚のこと。(レバノン系ブラジル人が最も多い)

この奇跡譚なしに開かれない物語のご都合主義にめげるが、これだけなら我慢できるものの、今度は、件の「運命の男」との因縁をベースに成立する物語の展開の中にあって、ナワルが収容されている獄房内で、ナワルを孕ませたことで(インセスト)、最終的に、「父」=「兄」、(即ち、「1+1=1」)という震撼すべき着地点を突きつけられた、双子の姉弟を産ませるに至る、レイプ専門の拷問官の「運命の男」が、実は、自分が命を賭けて探し続けて来た息子だったという衝撃的エピソードの挿入に至っては、もう、偶然性に完璧に依拠した物語への辟易が先行してしまって、私としては「アウト」という外にない。

それは、余りにも重なり過ぎる偶然なしに成立しない、「極上のミステリー」の王道のラインを受容する、「寛容なる観客」の存在を前提化した「マインドセット」(先入観によって形成された心理状態)と言っていい。

「アブ・タレクは筋金入りの拷問人だった。彼女をレイプしまくった。やがて彼女は身籠った。監獄で産むまで、連中は待ち、その後、彼女を釈放した」

前述したように、現地調査によって、母ナワルの衝撃的な過去を知らされるジャンヌの自我の、その耐性限界を超える真相の重量感は、もう、弟シモンの援助を乞う以外になかった

忌まわしき情報を「共有」することで、少しでも、自我のダメージコントロールを有効にリセットしたいのである。

ナワル
このとき、ジャンヌが蒙る衝撃的な情報を、観る者も「共有」することになる。

ここでも、「極上のミステリー」の王道のラインを、本作もまた踏襲しているのだ

思うに、時系列を綺麗に振り分けることで、観る者に対して、ミステリーの導入路の幅を広げておく手法もまた、「極上のミステリー」の王道のラインに収斂されるもの。

「魂が震える究極のエンターテイメント」(公式サイト)と銘打った、この「極上のミステリー」には、観る者を驚嘆させる「衝撃的なラスト」が待っているぞ、と巧みに印象誘導させて、それをダイレクトに映像提示する絶大な心理効果の方略を、本作の作り手は疑っていないようである。

だからこれは、為にする「極上のミステリー」となった。

父と兄を捜して、この手紙を生存する当人に渡せという母の遺言から開かれた、訴求力抜群の物語の中で、観る者は、当然、この双子の姉弟の視線に同化していくことになる。

そして、斜視に構えて断ずれば、「衝撃的なラスト」に繋がっていくエピソードを、小出しに提示しながら誘導された姉弟の煩悶と葛藤が、いよいよ冥闇(めいあん)の「地獄巡り」の様相を深めていくが、この時点まで姉弟の視線に同化し得た観客は、充分に「寛容なる観客」としての「覗き見利得」の特権を手に入れていると言っていい。

しかし、煩悶と葛藤に振れることのない「寛容なる観客」には、「マインドセット」された「構え」があるから、ラストに待機しているだろう衝撃の真相を、心密かに待ちながら、要所要所で、作り手が撒いてきた、ファジーに累加された伏線の回収のインパクトを存分に受容ていくのである

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督
だから、本当に待機していた「衝撃的なラスト」に息を呑む私たちの感受性は、「初頭効果」のインパクトですっかり搦(から)め捕られてしまうだろう。

「第四の壁」の向こうで、ほくそ笑んでいる作り手の、狙い澄ましたロングシュートの決定力の快感に、「寛容なる観客」の多くは、「これぞ、ナンバーワンのヒューマンドラマ」という感懐に結ばれていくかも知れないが、それもいい。

然るに、挑発的な物言いを敢えてすれば、「構成力」が相当程度、脆弱であるのに、実際のところ、綺麗にパズルに嵌った者の、得も言われぬ「充足感」に、束の間浸ることができてしまう映像感性の在りように、私は疑問を抱く。

一体、この映画のどこに、「憎しみの連鎖」を断ち切ることを基幹メッセージにした、映像構築力(「主題提起力」と「構成力」の相乗的な完成度)の高さが読み取れると言うのか。

無論、どのように解釈し、いかように感銘しようと自由だが、しかし、一貫してご都合主義満載の、本作の脆弱性を感受してしまった私には、もう、二の句が継げないばかりなのだ。

ソフォクレスウィキ)
多くの論者は、ソフォクレスの悲劇として著名な、「オイディプス王」の隠喩劇との関連を「深読み」の如く語っているが、私から言わせれば、この映画は「現代のギリシア悲劇」のイメージを借景にしただけで、隠喩劇の強度の高さなどとは全く無縁である。

 私から云わせれば、この映画は、殆どあり得ないような偶然性にどっぷりと依拠した、ご都合主義を糊塗するために、運命論的なギリシア悲劇を援用しただけに過ぎないと、私は勘考する。

「オイディプス王」の隠喩劇を、ミステリー仕立ての構成力によって、「憎しみの連鎖」を断ち切れという安直な発想それ自身が、主題の重量感との均衡を壊してしまっているのだ。

「憎しみの連鎖」を断ち切るのに、「オイディプス王」の隠喩劇など全く必要ないのである。

「衝撃的なラスト」への展開をマキシマムに高めることで、「寛容なる観客」に与える「初頭効果」のインパクトが保証されるということ ―― それ以外ではないだろう。

食傷気味になる程に深刻ぶった絵柄を提示することで、「衝撃的なラスト」の「初頭効果」を保証することが、必ずしも、映像構築力の高さと同義にならないのは、物語を通して提示された「映像総体の強度」に繋がらないことによって検証されるだろう。

だから、取って付けたような印象しか残らないで、そこだけが完全に浮いてしまった、アブ・タレク(ニハド)の煩悶の構図を提示したラストカットに、「映像総体の強度」を全く感受させない凡作の括りの悲惨さに、同情するに余りある程であった。

ミステリーと「衝撃的なラスト」への展開がリンクすることで、失った代償はあまりに大きいのだ。

最後まで全く伝わってこない、アブ・タレク(ニハド)の内的風景が、殆ど空洞化された物語の決定的瑕疵となって、虚空を浮遊する残像だけが悲鳴を上げていた。

大体、「衝撃的なラスト」に印象誘導するストーリーに、衝撃度を高める作画を強化すれば、「映像総体の強度」が具現されると勘違いしているのか。

些か、思い上がっていないか。

最後まで、私は「寛容なる観客」になれなかった次第である。

 ―― 最後に、「展開のリアリズム」の問題について、もう一点だけ書いておきたい。

レバノン内戦
キリスト教右派を支持する、「社会民族党」(レバノンのマロン派系の極右政党・民兵組織=ファランヘ党であると思われる)によるパレスチナ難民に対する弾圧が、イスラム教徒の報復によって南部地区が襲われるという事件が発生し、禁断の恋の相手であった、パレスチナ難民との間にできた我が子が預けられている孤児院を探しに行くものの、すっかり焼け野原になっていて、悲嘆にくれる本作の主人公ナワルの持っていき場がない感情が、恋人を身内から殺害された不幸のトラウマばかりか、キリスト教右派勢力の容赦のないイスラム教徒への殺害の現場を目の当たりにしたことも手伝って、キリスト教右派指導者を暗殺するテロリストに変身していくという行為など、由々しき多くのシーンが、「苛酷なる人生の受難の断片」を拾うエピソード繋ぎに留まってしまっていて、その内面の変容の描写も相当に甘いのだ。

要するに、この映画の最大の瑕疵はシナリオの脆弱さになければ、演出の粗雑さにある。

例えば、ナワルがテロリストに化けていくシークエンスには、そこに累加されているはずの憎悪の感情が、観る者に全く伝わってこないのだ。

要所要所において、このようなエピソード繋ぎを延長させてしまうので、肝心のヒロインの懊悩が伝わってこないのである。

一言で言えば、信じ難い程の苛酷な運命を担ったヒロインの内面描写があまりに脆弱なのだ。

ボスニア」より
このことは、同じ内戦を扱った、スルジャン・ドラゴエヴィッチ監督の「ボスニア」(1996年製作)が放った、「映像総体の強度」の高さと比較すれば歴然とするだろう。

特段に衝撃的エピソードを挿入させることなく、ストーリーの基本骨格の確かさが、「ボスニア」を秀逸な作品に仕上げていたのである。

何でもありのミステリーと、「衝撃的なラスト」への展開をリンクさせたことによって、もう、この映画は、明瞭なメッセージを有するシリアスドラマの生命線を自壊させてしまったと言える。

真っ向勝負のシリアスドラマの構築を回避したツケが、取って付けたようなラストカットの崩れ方に流れていったのだ。

(2013年3月)

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