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2016年6月14日火曜日

楢山節考(‘83)    今村昌平


<「自然の摂理」によって潰された、反転的な「敬老訓話」> 





1  「楢山様に謝るぞ!」 ―― 村の掟を犯した者への苛酷な制裁 





「お婆ぁ、いま幾つだったっけ?」
「69だ」
「お婆ぁの歯は丈夫だなぁ。その歯じゃ、マツカサでもヘッピリ豆でも、何でも食えるら。お婆ぁの歯は33本あるら」(注・マツカサは松の種子、ヘッピリ豆は甲州弁でソラマメのこと) 

「根っこの家」と呼ばれる民家での、この家の主・辰平の長男であるけさ吉とおりんの短い会話の中に、「楢山参り」(70歳になれば、真冬の楢山に遺棄されること)を来年に控えながら、冬の早朝から、藁(わら)打ち仕事など、農作業を惜しまず働く、信じがたいほど健康的なおりんの相貌が提示される。 

この朝の農作業に、いつものように、次男・利助が寝坊し、加わっていないで、甥のけさ吉から不平が出る。 

髪がボサボサのその利助は、「クサレヤッコ」と嫌われていた。 

「クサレ」とは、口臭・体臭が臭いという意味で、「ヤッコ」とは、この山中の寒村の掟として、長男以外は結婚できない次男以外の男たちのことで、いわば、飼い殺しにされる運命にある悲哀を味わっている。 

だから、運良く「夜這い」にありつければ儲けものというところである。 

その利助が、溶けた雪の水田の中から水子の死体を発見したのは、「楢山参り」の年に当たる翌春だった。 

利助(左)
自分の田んぼに遺棄されたことで、利助は欣やん・仁作兄弟の家に苦情を言いに行くが、病に伏せていたため、楢山祭りにしか食べられない「白萩様」(しらはぎさま=白飯)を食べさせようとしている母親・おかねが、自分の家の水子は、既に、墓に供養したと言うのだ。 

結局、欣やんからヤッコの常が水子を棄てたという話を聞き、利助は怒鳴り込むが、その事実をあっさりと認めるヤッコの常。 

「クサレの田んぼなら、てめぇの臭いで早く腐れると思ったから、わざわざ、持って行ってやっただぞ。ありがてぇと思え!」 

ヤッコの常の言い草である。 

一方、「根っこの家」では、女児の人身売買の仲介も兼ねる、行商の塩屋がおりんと話し込んでいた。 

去年、妻が栗拾いに行って崖から滑り落ち、事故死してしまい、以来、辰平は鰥夫(やもめ)暮らしを繋いでいた。

 塩屋の用件は、その辰平の後添いとして、向こう村の後家である玉やんが嫁いで来るという縁談であった。 

年は37。45歳の辰平と8歳違いの明朗な女性 ―― それが玉やんだった。 

一方、塩屋から、西の山で辰平を見たという話を聞き、おりんは、行方不明になっていた亭主・利平ではないかと疑い、辰平を問い詰めたが、含みのある言葉で否定される。(後半に伏線回収) 

ここから、母・おりんの、重くて辛い過去の話が、長男・辰平に対して語られる。 

それは30年前のことだった。 

辰平とおりん
「あん年はお前が15。ひでぇ不作でな。あん年、生まれたばかりの姫っこを塩屋に売っただ。その上、利平やのおっかぁが、おらと同じ69になっただ。楢山参りの年だ。わりいことばかり重なったで、利平やが気持ちが弱ってせ。自分のおっかぁをお山に捨っちゃいけなかったずら。決まりは決まりだ。情けばかりじゃ、やっていけねぇだ。それを自分ばかりがつれぇような顔して、逃げたずら。村中に恥さらして。おめぇだって…」 

いきなり、自分に問われた辰平は、「おらぁ違う!おらぁ、とっつぁんとは違うぞ」と反応し、おりんを安堵させる。

ここで、「楢山参り」に拘泥するおりんの覚悟が、シビアに映像提示されるのだ。 

辰平の反応には、明らかに矛盾が読み取れる。 

亭主の利平の失踪によって大恥をかかされた由々しき一件で、どうしても、その恥を拭うために、「楢山参り」に行く母の心情が分り過ぎているが故に、自分は父・利平のような「恥晒し」の行動を取らないという思いを、敢えて母に吐露する辰平だが、しかしそれは、母を喪いたくない本音を隠し込まねばならない苦渋の反応でしかなかった。 

だからこそ、「33本の歯」(因みに、永久歯は28本だから、「過剰歯」になってしまう)を持つ母の話を、けさ吉が喧伝した愚行によって、周り近所から揶揄され、激しく怒りまくったのである。 

夏の楢山祭りの日、単身、辰平のもとにやって来た玉やんは、自分が口減らしのために嫁入りした現実にも鈍感なほど、見るからに逞しい女だった。 

しかし、気立てが良く、食欲旺盛な逞しい女が嫁に来たことで、家族が安定する条件が整い、今、おりんは安心して、「楢山参り」に行く準備に余念がなかった。 

敢えて、石臼で前歯を砕き続けるおりんの覚悟は、観る者を圧倒させる。

 程なく、辰平と玉やんの夫婦生活がスタートする。 

二人が激しく睦み合う寝床を暗みから覗き、性的欲求の高まりを自制できない利助は、新屋敷(あらやしき)の家の飼い犬・シロを相手に、下半身の処理をする以外に術(すべ)がなかった。

一方、その新屋敷では、病に伏せる当主は、 娘おえいに遺言を残す。


「この新屋敷はえらい祟りがあるだ。犬小屋んとこは、元、お蔵があって、その蔵へうちの姫っこを孕ませに忍んで来たヤッコを、先代のとっつぁんが丸太で叩き殺してしただ。おらが病気になったのも楢山参りで死ねねぇのも、皆、先代が殺したヤッコの祟りだど。おらが死んだら、お前が村のヤッコたちを、一晩ずつでも花婿にさしてやるだ。そいで、ここの屋敷神様を拝むだど。ヤッコたちにもきっと屋敷神様を拝ませるだ」 

父の遺言に戸惑いながらも、おえいは引き受けざるを得なかった。 

おえい
その噂を聞いて、歓喜する利助だが、新屋敷のシロの獣姦の一件を知った辰平は、情けない弟の利助に折檻を加える。

 どこにいっても、「クサレヤッコ」の利助には、差別と嘲笑の格好の標的になっていたが、ただ一人、母・おりんだけは優しく接していた。 

それだけが利助の救いだったが、それでも、女と交接できないストレスだけが溜まっていく。 

不憫な利助と違って、甥であり、辰平の長男・けさ吉だけは、雨屋の松やんという恋人を作り、「根っこの家」で、唯一、青春を謳歌していた。 

かくて、けさ吉の子供を孕(はら)んだ松やんを加えた「根っこの家」では、一人の家族が加わって、再構成されるに至る。 

ところが、その松やんは、「根っこの家」の食糧を掠(かす)め取り、それを雨屋の実家に持ち込むという、明らかに、村の掟に反する「重罪」を犯していた。 

それを知った辰平は、今度は松やんを折檻を加えるのだ。


「楢山様に謝るぞ!」
しかし、大家族ゆえに食糧不足を常態化していた雨屋の犯罪は、他の盗みの一件で、「楢山様に謝るぞ!」と叫ぶ村人たちの憎悪が炸裂し、襲撃され、盗んだ食糧の一切が強引に回収されてしまった。 

更に、雨屋の家族に対する制裁を話し合った結果、根絶やしにすることを決めた村人たちは、再度、雨屋を襲撃し、松やんを含めた家族もろとも生き埋めにしてしまうのだ。 

「聖婆」・おりんもまた、この制裁を承認したから、松やんを実家に戻したのである。 

この忌まわしい事件後、亭主の遺言通りに、おえいはヤッコたちの下半身の処理の世話を繋いでいたが、「クサレヤッコ」の利助だけは、おえいから相手にされなかった。 

結局、誰にも相手にされず、暴れまくる利助の相手にすることになったのは、「白萩様」を食べて元気になったおかねだった。 

おかね
老婆・おかねを相手に、溜(た)まりに溜まった性欲を処理する利助には、相手が「女」であれば何でもよかったのだ。

 自然主義リアリズムを貫徹する、今村昌平監督の重喜劇の真骨頂もまた炸裂し、独特の肉感的表現が冴え渡るシーンが連射していく。




2  「おっかぁ、雪が降ってきたよ!寒いだろうな。雪が降って、運がいいなぁ」 




辰平は、30年前に起こった出来事の一部始終を、母・おりんに告白する。 

自分の母を「楢山参り」に連れて行くことができないことで、当時、15歳の辰平と口論になり、思い余って、父・利平を猟銃で撃ち殺してしまったのだった。 

辰平の正直な告白を受容し、「殺したのはおめぇじゃねぇ。山の神さんだ」と言って、口止めするおりん。 

そのおりんに、「楢山参り」の日が近づいてきた。 

残り家族の心配を払拭するために、嫁の玉やんを沢に随行させて、ヤマメの採り方を伝授する。 

「楢山参り」の「作法」
かくて、「楢山参り」の「作法」を説明する村の代表者たちの会合が開かれた。

 「お山の作法は、必ず守ってもらいやしょう。一つ、お山へ行ったら、物を言わぬこと」

 この、村の長(おさ)の照やんの言葉から、順繰りに、代表者たちの説明が繋がっていく。 

「山から帰るときはせ、決して後ろを振り向かぬこと」

 この言葉が最後になって、「お山の作法」の説明が閉じていく。 

晩秋の日、いよいよ、その日がやって来た。 

落葉する樹々の間を縫って、おりんを背負った辰平は壊れた橋を迂回し、道のない山を登っていく。 

途中で脚に怪我した辰平は、「物を言わぬこと」という「作法」を守りながら、必死に急斜面を登っていくのだ。 

楢山山頂に近づくほど険しくなる道を踏み入り、紅葉した葉が美しい風景の渦中を突き抜けていく。 

途中で疲弊し切った辰平が、ほんの少し、大地に座る姿を、無言で睨み付けるおりん。 

かくて、戻ることを拒絶された掟の中で、おりんを背負った辰平の運命的な時間が繋がっていく。 

「おっかぁ、疲れたずら」 

おりんに語りかけても、無言を通すおりんを小休憩させる辰平。 

「上に行ったらせ、山の神様が待ってるちゅうが、本当ずらか?」

 無言で頷(うなず)くおりん。 

「とっつぁん殺して、おっかぁ殺してか…」 

急斜面を登る辰平は、思わず弱音を吐く。 

険しい岩場辺りから白骨死体が転がっていて、更に、カラスが行く手を邪魔する忌まわしい光景を目視し、衝撃を受ける辰平と切れ、長男の背におぶさっているおりんの表情は、一貫して変わらない。 

白骨が散乱する楢山山頂に着いたのだ。 

自分の感情が堪えられず、母・おりんを抱き締める辰平の目から涙が零れ出る。 

どうしても、おりんを遺棄できない辰平の背中を押し、村に戻ることを強要するおりん。 

息子の姿を見続けるおりんの感情も、寂しさを押し殺しているのだ。 

帰路、辰平は、おりんと同様に、「楢山参り」に出た銭屋の又やんが、息子の忠やんにしがみつき、「楢山参り」で死ぬことを恐れる陰惨な現場を目撃する。 

その息子は、父を谷底に突き落としてしまうのだ。 

一部始終を呆然と見ていた辰平は、その瞬間、雪が降ってきたことに感謝し、おりんのいる山頂に戻り、大きな声で語りかける。 

「おっかぁ、雪が降ってきたよ!おっかぁ、寒いだろうな。雪が降って、運がいいなぁ。山へ行く日に」 

まんじりともせず、正座し、硬い意思をもって合掌しているおりんは、辰平の思いを十分に汲み取るが、雪の降る山頂の一角で、辰平に下山を促し、右手で振り払う。 

雪の中、下山し、帰宅した辰平は、母・おりんのことを想起するばかりであった。
  



3  「棄老伝説」の本質は、反転した「敬老訓話」である
  



人間の業を描き続けてきた、「重喜劇」と言われる今村リアリズムにとって、苛酷なまでの「掟」が存在する村落共同体は、彼のテーマの格好の舞台になっていた。 

なぜなら、「掟」の存在によって、良くも悪しくも、人間の業が炙(あぶ)り出されてしまうからである。 

だからこれは、人間の業の深さを徹底的に追及する作品にもなった。 

ラストシークエンスでの緒形拳と坂本スミ子の演技は、まるで、「山の神」に憑依仮託(ひょういかたく)された者のようだった。 

それにも拘らず、正直言えば、私はこの映画の批評に全く乗り気がしなかった。 

嘘で塗り固めた原作を過剰に掬(すく)い取り、それを、今村リアリズムが「重喜劇」として気色悪いまでに再現し、抑制が効かない映像に違和感を覚えたからである。 

この違和感を解消するためには、今村リアリズムと真正面から向き合い、対峙し、知的コンフリクトを余儀なくされる。

 羅生門」(世界でナンバーワン級の映画)の黒澤明、「浮雲」(男と女の情愛の落差をここまで描いた映画は他にない)の成瀬巳喜男と共に、我が国のトップランナーの映画作家と評価する今村リアリズム(「赤い殺意」は今村リアリズムの最高到達点)へのプロテストは、私にとって難儀だったから、何度も鑑賞していながらスルーしてきた。

しかし今、「『それがどうした』 ―― 死の際(きわ)で青年司祭の放った究極のメッセージが、抑鬱状態を噛み切り、解き放つ」という原稿を書き終えて、青年司祭のメッセージを推進力にして、難儀な表現活動になると思うが、自らを特化した時間に押し込み、渾身の力を振り絞り、この映画を批評することにした。 

だから、ここからは、辛口の批評になる。 

―― 結論から言うと、我が国の「棄老伝説」が真(まこと)しやかに伝播(でんぱ)しているが、それはどこまでも、根拠の希薄な民間伝承の物語の類(たぐい)に過ぎないということ。 

この認識が、私の映画批評のコアにある。 

確かに、「棄老伝説」に関わる説話が、信州を中心(映画の舞台は甲州)に、我が国に残っていることは事実である。

 例えば、「伊勢物語」(平安時代前期の貴族歌人・在原業平をモデルにした歌物語)の影響下に成立した、「棄老伝説」の初見である「大和物語」(貴族社会の和歌を中心とした作者未詳の歌物語で、950年頃に成立)の156段には、両親を喪った更級に住む男の元に叔母が住み込み、それが男の妻の反感を買い、粗略に扱うが、その叔母を騙し、男を強要して、山に棄老させたという話がある。 

「大和物語」(ウィキ)
もっとも、棄老した男は後悔し、山に行き、連れて戻って来たという後日談によって、この山を「姨捨山」と呼んだというオチになる。 

「今昔物語」においても同様で、棄老した男が自責の念に堪(た)えられず、直ちに山へ戻り、連れ帰るという筋書きである。 

また、江戸中期の「更科紀行」(松尾芭蕉の俳諧紀行文)には、70歳を超えた者を山に捨てることを命じる藩主によって、育ての親の叔母を山奥に残してきた男の悲哀が記されていた。 

以下、柳田国男の「母の手毬歌」の一節である。 

「親棄山とはけしからぬ話、聴くも耳のけがれと思う人もあろうが、これはそういう驚くような話題をだして、まず聴く者の注意をひき寄せようとする手だてであって、じっさいは人に孝行をすすめる話なのである。人によってはまた棄老国(きろうこく)ともいうが、この名称は外国からきている。昔々、いつのころとも知れない遠い昔、そうしてまた何処にあるかもはっきりしない、ある一つの国に、親が六十歳になると、山へ棄ててこなければならぬという、とんでもない習わしがあった。それが一人のよい子ども、もしくは心のやさしい者の行いによって、もう永久にそんな事をする者がないようになったという話、その話し方がまた変っていておもしろいのであった」(青空文庫) 

今度は、南方熊楠(みなかたくまぐす/戦前の菌類学者)の「棄老傳説に就て」の一節。 

「一九〇八年板ごむの『歴史としての民俗學』第一章などを見ると、今日開明に誇る歐羅巴人の多くの祖先も都々逸どゞいつ御順ごじゆんで、老は棄てられ壯きは殘る風俗で澄スマして居たらしい。(略)さて親を棄てに行つた子が、自分も其齡になれば棄てられると考へ付いての發意で、此事が止んだと云ふのは、漢の皇甫謐の孝子傳・萬葉集・今昔物語・ぐりんむの獨逸童話其他に多く見えて、歐亞諸邦に瀰漫した譚である」(青空文庫) 

以上の説話が意味するものは何か。 

要するに、労働力として役に立たないという理由のみで、老人を遺棄する行為の愚を知って、改心するのが、多くの「棄老伝説」を通底しているということ。 

且つ、棄老国という名称や風習が外国由来であるという2人の指摘は興味深い。 

この観念を反転すれば、「棄老伝説」の本質が、労働力として役に立たなくとも、「年寄りの知恵を大切にせよ」という教訓に収斂されるのだ。 

「棄老伝説」は、反転した「敬老訓話」だったのである。

 ここで、原作者の深沢七郎のこと。 

深沢七郎(ウィキ)
甲州の境川村(さかいがわむら/現在の笛吹市)で、「棄老伝説」の民話を聞き取った甲州生まれの深沢七郎は、キリストと釈迦の両方を入れている」(ウィキ)「聖婆」・おりんを人物造形し、息子・辰平との母子愛を創造したが、言うまでもなく、全篇が創作である。 

それは、深沢七郎が聞き取った民話が「嘘話」というのではない。 

このような貧困を余儀なくされた村の中で、物語に似た「事件」があったかも知れない。 

例えば、不作の年などに間引きが横行したように、止むを得ない条件下で、「防衛体力」(病気にならない体力)の欠如した老人が餓死・自死に追い込まれたり、遺棄されたりというケースがあったことは容易に想像できる。 

しかしそれは、必ずしも日本限定のものではなく、同様の条件下で、労働力として役に立たない老人の遺棄が、諸外国でも惹起していたと推量するのも、あながち間違っていないであろう。 

ところが、この映画では、「掟」を作って、一定の年齢に達したら、すべての老人が冬山の頂に遺棄されるという、信じがたい物語構成によって成っている。

 この設定には無理があると、私は考える。 

何より、一定の年齢に達したら、すべての老人が冬山の頂に遺棄されるという「掟」を作ったら、どういう事態が惹起するかということをイメージして欲しい。 

それが制度化(「村の掟」)したなら、たとえ老いていようとも、生身の人間から生存の希望や活力を奪うことになるのだ。 

一定の年齢に近づいた老人との心理的距離感の気まずさが露呈し、常に身近にいて、協力し合って日々の農作業を共有する関係性に決定的な皹(ひび)が入り、親子関係の暗鬱な眼差しが収斂されず、益々、空気がくすみ、間違いなく、「家族共同体」は自壊するだろう。 

映画でも、辰巳柳太郎扮する銭屋の又やんが、深水三章扮する息子の銭屋の忠やんによって、強引に「お山」に連れて行かれ、遺棄されるシーンがあった。 

そして誰よりも、主演の緒形拳扮する辰平自身が、「楢山参り」を嫌がる父を、口論の末、猟銃で殺してしまうというトラウマを持ち、今また、夫の「恥晒し」の行為を払拭するためにのみ、坂本スミ子扮する母・おりんを背負い、自分の感情を押し殺してまで、「お山」に連れて行くのである。 

三度目の鑑賞だが、物語のこの設定に今回も馴染めず、途方に暮れるというより、映画の影響力の大きさを考えるとき、心理学や文化人類学・歴史人口学(長野県の過去帳の分析などを通しても、十分な資料なし)を無視したとしか思えない、信じがたい物語構成に憤怒に近い感情を覚えてしまった次第である。 

れは、ごく普通の知性を有する者なら、容易に理解できるだろう。 

相互扶助なくして成立・継続し得ない村落共同体が、70歳になったら、「過剰歯」を持つほど健康であるばかりか、農作業におけるノウハウを有する老人を、「楢山参り」させるという「村の掟」を絶対化ししまったなら、村落共同体は、疑う余地もなく自壊すると言っていい。 

「家族共同体」の自壊が、村落共同体の自壊を招来してしまうからである。 

このような問題意識なに、原作や映画を批評する数多の文化人に、正直、驚かされる。 

繰り返し書くが、我が国の「棄老伝説」の本質は、反転した「敬老訓話」なのだ。 

些か決めつけ的ながらも、これが、この映画に対する私の主観的考察である。 




4  「自然の摂理」によって潰された、反転的な「敬老訓話」 




この映画を観た少なくない人たちは、必ずと言っていいほど、以下のようなことを主張する。  

 介護施設に親を入れることは、「姥捨て」=「現代の楢山参り」である。 

実は、このような厄介な言辞に対する反論こそが、本稿の基本テーマになっているので、以下、できる限り丁寧に書き込んでいきたい。 

果たして、介護施設への入所は「現代の楢山参り」であるのか。 

その前に確認したいのは、高齢者が居場所を失った原因に核家族化の問題を挙げる人が多いが、これは事実誤認である。

日本の核家族率は1920年には、既に55%にまで膨れ上がっていて、1975年の約64%を頂点とし、その後は、徐々に低下傾向を示している事実を知らねばならない。(ウィキ) 

閑話休題。 

まず、「有料老人ホーム」の実態について言及する。

高齢者が支援を受けながら居住する住まいには、賃貸借契約を原則として入居する「サービス付き高齢者向け住宅」、及び、「老人福祉法」で規定され、利用権方式によって入居する「有料老人ホーム」がある事実を確認しておきたい。 

有料老人ホーム(ブログより)
ここで重要なのは、「サービス付き高齢者向け住宅」は、高齢者住まい法を根拠としているため、賃貸借契約を基本にして、住まいのハード的要件、バリアフリー、一定の居室面積の確保をし、これに「見守り相談」(地域における要援護者の見守り事業)等の生活支援サービスを付加したものとして制度化されているという現実である。 

また、社会福祉六法の一つとして知られる「老人福祉法」は、「心身の健康の保持、及び、生活の安定のために必要な措置を講じ、老人の福祉を図ること」を目的として、1963年7月に制定された法律であり、この一文こそが基本的理念である。 

「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする」 

これが、「老人福祉法」の第二条。 

この法によって定められたのが、「老人福祉施設」である事実は周知のこと。 

だから、福祉施設の職員が「老人福祉施設」で働いているのである。 

しばしば、「老人福祉法」の内実や職責の不備によって、無責任な事件が惹起するが、それはどこまでも、普通の人間が犯す運営上の誤謬であって、制度的瑕疵の問題ではない。

常識的に考えて見れば分明だが、「有料老人ホーム」は多額の費用の負担がかかるので、「姥捨て」を執行しても何の意味もないのである。 

家庭で介護した方が安上がりであるということだ。 

ところが、家庭で介護する能力の限界がある。 

この一点にこそ、介護施設に親を入所せざるを得ない最大のアポリアがある。 

認知症高齢者の問題である。 

急速な高齢化社会に伴って顕在化してきた、認知症高齢者の在宅介護が、いかに困難を伴うことも多いか、体験した人なら自明の理である。 

「老老介護」の問題に典型的に見られるように、入浴介助・移乗介助・食事介助・排泄介助など、肉体的にも負担の大きい認知症の介護疲れの果て、心中の道を選んだケースが後を絶たない現実を知らない人はいないだろう。 

では、その現実を知っていても、認知症という疾病の深刻な現実を正確に理解している人は、果たして、どれだけいるだろうか。 

中核症状と周辺症状(BPSD) ―― これが、神経細胞の脱落によって発生する症状=認知症の二大症状である。

中核症状とは、記銘・保持・想起によって成る記憶に関わる、「記憶障害」(エピソード記憶=出来事の記憶、意味記憶=一般常識の記憶、手続き記憶=身体で覚えた記憶)と、「見当識障害」(人・場所・時間が分らない)と、「認知機能障害」(失行=掃除や着替えなどの合目的な行動ができない、失認=感覚認知ができない、実行機能障害=スーパーに行っても違う食材を買ってきてしまう)などの深刻な症状のこと。 

周辺症状(BPSD)とは、幻覚・妄想・徘徊・異食・睡眠障害・抑鬱・不安・暴言・暴力・セクハラ(「ペコロスの母に会いに行く」でも描かれていた)などの症状のことで、中核症状と峻別される。 

症状の現出は人様々だが、根本的な治療法が存在しない認知症に罹患した身内を在宅介護する困難さは、今さら説明するまでもない。 

だからこそ、先進国・スウェーデンでの事例を取り入れて始まった、グループホーム(認知症対応型共同生活介護)の存在価値の高さを理解すべきなのである。 

実質的に認知症高齢者専用の共同生活施設であるグループホームは、一人でいると不安が増大し、「行動障害」(周辺症状の範疇に含まれる様々な行動異常)に発展していく危険性がある認知症者(特にアルツハイマー型認知症)にとって、集団でいる方が安心を得られやすいアルツハイマー型には最適な施設と言える。 

ケアが必要な部分は、個人の人格を尊重しながら行われ、料理や掃除などの役割を皆と協力し合いながら生活することで、少なくとも、症状の進行を遅らせることが可能になる。

この共同生活が、認知症高齢者にとって、いかに重要なことであるか、問題の本質を根本的に見直すべき視点であるだろう。 

家族にとっても、認知症である現実を分っていても、徘徊・異食・暴言・脱糞行為・セクハラ等々の周辺症状(BPSD)を見せつけられたら、つい手が出てしまうに違いない。

認知症グループホーム(ブログより)
グループホームへの入所は、認知症高齢者ばかりか、認知症高齢者の家族を救う機能を果たしているのである。 

介護へのオブセッション(強迫観念)に憑(つ)かれた家族成員が物理的距離を保持することで、罪悪感に起因する抑鬱状態を希釈化し、それによって起こる自我の崩れを防ぐことにもなるからだ。 

もっとも、介護施設に親を入所せざるを得ないアポリアは、認知症高齢者のケースばかりではない。

 アメリカで発達した高齢者居住コミュニティで有名な「CCRC」(継続介護付きリタイアメント・コミュニティ)は、高齢者が健康なうちに入居し、終身で過ごすことが可能な生活共同体のことで、アクティブなセカンドライフを送ることが可能であるとされるが、「地方創生」の手段になるかどうか、課題も多いと言える。 

それにも拘らず、高齢者自身が、「デジタルネイティブ」(インターネットの生活環境の中で育ってきた世代)との世代ギャップによる価値観の違いに折り合いをつける手立てとして、次世代との物理的距離を保持することで、相応の心理的距離を確保する関係状況は決して悪くない。 

「インビジブル・ファミリー」(身近に居住しながら支え合う家族)の関係状況と同様に、それもまた、高齢者の一つの生き方なのである。 

このこのような距離感を確保する関係状況を、「親を捨てた・子供から捨てられた」という短絡的決めつけこそ、無知や偏狭な観念形態の所産であるとしか思えないのだ。 

むしろ、至れり尽くせりの介護に挺身(ていしん)する、多くのプロの仕事を正当に評価すべきなのである。 

思うに、「パンと心の共同体」である現代家族から、「パン」の確保という深刻な課題が相対的に希釈化していけば、あとは、「心」の紐帯(ちゅうたい)の結束力のテーマに収斂されるだろう。

現代家族(イメージ画像・ブログより)
「心の共同体」の能力の有無こそが、現代家族の生命線と化したということである。 

そこでは、気の合わない家族と共存する思いは、より希薄化されていく。   

それがたとえ、肉親と言えども、その絆の幻想によってのみ、一貫してぶれることなく、「共存」・「共有」し得るという安寧の保証が根柢的に揺らいでいるのである。 

「相性が合わない」家族との共存が削りとられて、代わって、「相性が合う」友人、知人との共存による擬似家族が形成されていく未来のイメージが、今後、より顕在化していくだろう。 

血の繋がりという一点のみで、「共存」・「共有」するのが困難になったことは、家族形態の多様化を意味するのだ。

 私たちは今、そういう複雑な社会に呼吸を繋いでいるのである。 

また、「プレストン効果」いう仮説が注目されている。 

高齢化社会の到来によって、多数派の高齢者の経済的地位の方が、少数派の次世代の若者に比べて、資産格差の問題も関与し、受けるパイの大きさにおいて相対的に優位になるというサムエル・プレストン(米国の人口学者・社会学者)の仮説で、人口高齢化に伴う必然的な人口学的効果であると言われ、「恵まれない若者が恵まれた高齢者を支えている」という指摘もあるほど。 

この仮説の是非は不分明だが、少なくとも、介護施設に入所する高齢者の存在それ自身が、「現代の楢山参り」という無責任なラベリングのうちに、人口に膾炙(かいしゃ)される愚に嵌ってしまう構造こそが、我が国の由々しき問題の一つであることは事実だろう。 

以上の文脈の延長上に話題を変える。

「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」 

これは、自民党憲法改正草案24条である。 

予想した通り、異論が噴出した(河野太郎衆院議員、朝日新聞など)。 

私自身、特段に異論がないのは、1990年2月のナミビアから2014年1月のチュニジアまで、新しく憲法を制定した102カ国を調べたところ、そのうちカンボジア、タイ、ブータンなど87カ国(85.2%)が「家族の保護」を盛り込んでいた事実を知っているからである。 

高齢化社会の現状が、世界的に、それだけ深刻になっている現実の重さを認知せざるを得ないのだ。 

ここでまた反転に書けば、前出の「インビジブル・ファミリー」を含めて、グループホームなどへの介護施設に親を入所せざるを得ない状況下で、物理的距離を保持することが相互の状態の安定が確保できるなら、その選択肢は、広義に解釈するという条件付きにあって、「家族の扶助」と矛盾しないと、私は考えている。 

それ故、「家族は、互いに助け合わなければならない」という自民党憲法改正草案24条は、この含みで解釈したいが、残念ながら、生活保護費などの社会保障の大幅な削減を目指す自民党の思惑と完全に外れるだろう。 

以上、縷々(るる)、言及してきたが、もう一度書く。 

介護施設に親を入れることは、「姥捨て」=「現代の楢山参り」ではないということ ―― これが、私の結論である。

―― 本稿の最後に、今村昌平監督の言葉を引用する。 

今村昌平監督
そこに、本稿へのモチベーションが凝縮しているからである。 

「木下さんはあくまで作り話であることを強調したいのだと感じた。親を捨てるなど間違っても本当にしてはいけないと。冒頭と最後に入る歌舞伎のチョンチョンという拍子木の音は、ドラマの虚構性を高める演出だろう。これに対し、私は逆に徹底したリアリズムで撮り直そうと考えた。世間で話題になっていた老人ホームの実態を見ても、子供が親を捨てるのは、おとぎ話ではなくもはや現実になっていた。近世の貧しい姥捨てのリアリズムを与えるのは、自然の摂理だ。人間も野山の草や動物と同じ自然の一部であり、生きるために厳しい掟に従わねばならない、という現実だ」(「映画は狂気の旅である―私の履歴書」日本経済新聞社) 

「子供が親を捨てるのは、おとぎ話ではなくもはや現実になっていた」 

この物言いが、無知や偏狭な観念形態に根ざした暴論であるかということは、既に前述した通りである。 

そして、私が最も納得できなかったのは、「近世の貧しい姥捨てのリアリズムを与えるのは、自然の摂理だ」という一文である。 

「自然の摂理だ」という言葉の意味は、「自然が持っている逆らえない法則。大自然の摂理(ルール)」ということだ。

この意図で、多くの動物の弱肉強食の生態系のカットを、繰り返し映像提示したのである。 

正直、愕然とした。 

「姥捨て」が「自然の摂理」であるわけがないからだ。 

人間が自然の一部である事実を認知することと、その人間が、一定の年齢に近づいた老人を「お山」に遺棄するという「村の掟」を作るという忌まわしき行為とは、位相が全く違うものである。 

進化論的に見れば、「互恵的利他行動」(長期的に見返りがある利他行動)によって成る「村落共同体」が、このような「村の掟」を作る禍々(まがまが)しい行為それ自体が、「村落共同体」の維持に反する非合理の極致と言っていい。

コスト(投資)とベネフィット(利潤)との関連において、「最適化モデル」(生物の行動は最大の利益の具現化に振れる)を目指すが故に、最も合理的な「村の掟」を作っていくからこそ、「家族共同体」をベースにする「村落共同体」は連綿と血縁を継ぎ、その「血縁共同体」によって農村文化を繋いできているのである。 

たとえ、このような「村の掟」を作った村が存在したと仮定しても、早晩、非合理の極致の如き、このような「村落共同体」は自然淘汰されるだろう。 

だから、その子孫は残存しない。 

残存しない子孫は、歴史に名を残すこともない。 

歴史に名を残すこともないから、過去帳にも残らない。 

気色悪いまでに脚色された、大袈裟な「棄老伝説」だけが語リ伝えられていくのだ。 

従って、「生きるために厳しい掟に従わねばならない、という現実だ」という今村昌平監督の言葉は、深沢七郎と監督の妄想の産物でしかないのである。 

ゆめゆめ、このような禍々(まがまが)しい「村の掟」の存在を、恰(あたか)も、どこの村でも起こっているという類の「早まった一般化」・「性急な一般化」だけは謹んで欲しいと願うばかりである。 

【牽強付会(けんきょうふかい)の批評にならないように気をつけたつもりですが、ここまで読んで頂いて、心から感謝します】 

【参考資料】  「映画は狂気の旅である―私の履歴書」今村昌平著 日本経済新聞社  

(2016年6月)

4 件のコメント:

  1. いやあ、大作ですね。
    心して読まなくてはならないので、途中で保留にしました。
    「男女の情愛の落差」ですか、さすがの表現ですね。
    映画だけでなく、過去の女性の事が思い出されてしまったりするので、私にとっても「浮雲」は特別な映画です。

    今村昌平監督は、「日本映画学校」を受験するか悩み、見学に行った時に一度お見かけした事があります。
    実は、恥ずかしながら「楢山節考」を見た事がないので、結末を読むべきか、映画を見るべきか悩んでいます。

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    1. コメントをありがとうございます。
      私にとって今村昌平監督は、大好きな「特別な監督」なので、敢えて3度目の鑑賞を経て、批評に及びました。
      私が書いた文章は、あくまでも個人的見解にすぎないので、それ程の影響力を持つとも思えませんが、予め知っていることで、より細かな点まで感受できる場合もあります。
      しかし、真っ新な状態で映像との緊張関係を楽しむこともまた、映画鑑賞の醍醐味と言えるでしょう。
      ともあれ、拙稿を真剣に読んで下さることに本当に感謝いたします。

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  2. 返信ありがとうございます。
    日本映画監督協会のHPに、「わが師を語る」というコーナーがあり、今村昌平監督の面白いエピソードが書かれていました。
    「わが師を語る」の中の武重邦夫監督の回です。
    この方は「今村昌平ワールド」というサイトを運営し、各作品で今村監督と関わった方々から、思い出を集めているようです。
    もうお読みかもしれませんが、きっと興味を持ってお読みいただけるのではないかと思います。

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  3. 紹介されたサイトは初めて知りました。目を通してみましたが、今村監督の著書から窺える私のイメージと変わらず、プロの映画作家としての執念の凄みは、いつも圧倒されています。
    何しろ、「復讐するは我にあり」の撮影で、実際の事件現場を使ったほどですから、その執念の凄みは一貫しています。その辺りが、私が今村監督に最も惹かれる点です。これほどの映画監督は、現代の邦画界では、もう、二度と出てこないでしょう。だから、今村監督の30代からの古い映画を観直したりして、今村リアリズムの真髄に触れることを楽しみの一つにしています。
    「楢山節考」の撮影も、半端ではなかったことを聞いています。残念ながら、本稿で書いたように、監督の社会観・人間観と、私のそれとの間に乖離感があるのも事実です。寧ろ、それが普通の現象であると考えています。だから、私も書きたいこと書きました。当然ながら、今村監督に対する私の評価は全く変わりません。




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