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2014年1月31日金曜日

プラトーン(‘86)      オリバー・ストーン


<「ベトナム帰還兵」としての使命感に変換されていく若者の痛切な前線経験>




1   「悪魔」に堕ちていくハードルを低下させる、差別意識と憎悪感・恐怖感
 


 この存分に毒素の詰まった映画の基本骨格は、二つの異なった「大義」の衝突による、極めて現代史的要素の強い作品と考えているので、その問題意識に準拠して批評を繋いでいくつもりだが、 この辺りについての考察は後述する。

 ここでは、本作の主人公・クリスの、以下のモノローグに注目したい。

 1967年のこと。

 「パパもママも入隊に反対して、マイホーム人生を送らせようとした。僕はパパたちの俗物主義に反発したんだよ。出世なんかしたくない。名もない平凡人でいたい。国にも尽くしたい。おじいちゃんやパパも従軍した。だから僕も志願したんだ。一兵卒としてね。兵隊はたいてい地方出身で、底辺の人たちだ。ボランスキーとかブランドンとか、聞いたこともない町から来てる。せいぜいで高卒。地元に工員の口でもあれば、マシな方だ。恵まれていない彼らが、国のために戦っている。縁の下の力持ちを自認してる。踏みつけにされて、たくましくなってるんだ。彼らこそ真のアメリカの心だ」

 このクリスのモノローグから読み取れるのは、「兵隊はほとんどが地方出身、底辺の人たち」であるにも拘らず、中流階層の自分が「温室のような世界」で呼吸を繋ぐ事態に疚しさを感受し、それが大学を辞め、「志願兵」に変容するという行動心理である。

 だから、「国にも尽くしたかった」と言うとき、そこに貫流する情感の中枢が「忠義」であって、「国のために戦っている」現実に関わる「大義」についての意識が、その内実をフラットな理解に留めていることが判然としている。

その「大義」の把握が極めて観念的で、そこに拠って立つ、堅固な「正義」の内実の脆弱性を検証させていた。

 それ故、敵対国家への基礎知識を欠如させていたであろう、東南アジアの一角に広がる熱帯性気候下のジャングルに放たれた、中流階層出身の若者の心身が被浴した「戦場のリアリズム」の凄惨さは、戦地に着任早々、最適適応とは真逆な馴致の困難さに音を上げる始末。

「理性のない所が地獄というなら、ここがそういう所だ。来てから、たった1週間で、もうイヤになった。一番イヤなのは、先頭に立つときだ。いきなり、敵と出くわしたらどうしよう。とても疲れる」

 
下士官・兵卒の13人で構成される、南ベトナムの最前線の小隊(プラトーン)に配属されたクリスが、彼らの最大の敵である、ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の基地と疑われる村での経験は常軌を逸していた。

 顔に戦闘の傷痕を残す小隊長バーンズによる、冷酷な村民殺害が惹起したばかりか、集落に火を放ち、爆弾で破壊する現実を目の当たりにしたクリスに戦慄が走る。

バーンズの蛮行に怒りを爆発させた班長のエリアス軍曹と、同じ下士官のバーンズとの決定的対立の狭間で、否応なく、「戦場のリアリズム」の渦中にインボルブされていくクリス。

 「お前らは、皆、ケダモノだよ」
 
ベトナムの少女をレイプする小隊の仲間を見て、思わず、クリスは叫ぶが、それは、エリアス軍曹の「平和主義」の無力感を晒すだけだった。

ここで、このような状況下で、人はなぜ、残酷になれるのかという厄介な問題について、簡単に言及したい。

まず、コーカソイド(白人)ではない、アジア系民族としてのベトナム人に対する差別意識が根柢にあって、そこに、自分たちの本来の敵であるベトコンへの憎悪感と、彼らがどこに潜んでいるかも知れない恐怖感、更に加えて、フランス植民地支配を打破した得体の知れない民族への怖れの感情が融合する心理が、言語も通じない眼前の、「怪しげ」な南ベトナム人の集落を射程に収めることで、追い詰めているようで、実際は「追い詰められ感」が心理的推進力となって、人間の防衛的攻撃性が爆発的に発現してしまうと、私は考えている。

差別意識と憎悪感・恐怖感。

これらの心理が、極限状況下で融合すれば、人間は「悪魔」に堕ちていくハードルが驚くほど低くなってしまうのだ。

デーヴ・グロスマンが 「戦争における『人殺し』の心理学」(ちくま学芸文庫)でも指摘していたように、「脱感作」、「条件付け」、「否認防衛機構」を通して、必死に防衛機制を張って生きる兵士の自我に、兵士を駆動させる相応の「大義」が張り付いていたとしても、極限状況下に捕捉された兵士とって、敵への憎悪感・恐怖感の無秩序な氾濫の中では、爆発的に発現する人間の残酷な暴走が、脆弱な観念体系の所産でしかない「大義」など、呆気なく破壊してしまうだろう。

極限状況下での兵士の心理的要因は、狭隘な空間の中で彼らを囲繞する、感情交叉のある組織集団の同調圧力こそが、第一義的な行動心理としての大きな役割を果たしてしまうと言っていいのである。



 2  「ベトナム帰還兵」としての使命感に変換されていく若者の痛切な前線経験



 「この戦争は負ける」とエリアス。
 「本当にそう思うのか?」とクリス。
 「俺たちの国は横暴すぎたよ。罰が当たるところだ」とエリアス。

 
エリアス軍曹
エリアス軍曹の「平和主義」の無力感は、いつしか、一兵卒のクリスに影響を及ぼし、もう、「国にも尽くしたい」と言わせるほどの「大義」の意識が剥落してしまっていた。
 
「善悪の区別がつかない。除隊だけが楽しみだ」

クリスのモノローグは、自己をコントロールできない危うさを露呈する。

以下、ベトコンの大攻勢の中で負傷し、搬送されていくクリスのラストモノローグ。

「今から思うと、僕たちは自分自身と戦ったんだ。敵は自分の中にいた。僕の戦争は終わった。だけど、思い出は一生残るだろう。エリアスとバーンズの反目は、いつまでも続くだろう。時として僕は、彼らの間の子のような気さえする。ともかく、生き残った僕らには、義務がある。戦場で見たことを伝え、残された一生、努力して、人生を意義あるものにすることだ」

 相変わらず、言いたいメッセージをここまで台詞にしてしまう性癖は、些か情感的なイデオロギー性の過剰な作家の、その表現作品の収束点を見る思いだが、少なくとも、ここで明瞭になった点は二つある。

 その一点は、エリアスとバーンズの人物造形が記号的存在性であるということ。

 
善」(エリアス・右)と「悪」(バーンズ)の反目
人間社会にあっては、「善」(エリアス)と「悪」(エリアス)の反目は、いつまでも続くからである。

 もう一点は、クリスが「ベトナム帰還兵」となって、反戦運動に自己投入していくということ。

 これは、「ベトナム三部作」の二作目に当たる、「7月4日に生まれて」(1989年制作)で、「アンチ共和党」の情動を炸裂させたことで自明であるが、一切は、このラストモノローグのうちに語り尽くされてしまっているから、殆ど批評の余地がない。

 まして、「敵は自分の中にいた」などというメッセージなど、本作を観れば誰でも分ること。

 この基幹メッセージを誤読する観客に対するダメ押しの意識こそ、オリバー・ストーン監督の痼疾(こしつ)と言っていい。

 「一般大衆」に対する啓蒙意識の強さは、情感的イデオロギーの過剰な作家の特色だから、敢えて異議を唱えるまでもないが、だからと言って、この映画の作品総体の訴求力は悪くないし、決して「時代限定」の映像でもないことだけは評価したい。

 閑話休題。

前述したように、「大義」によって戦争を発動することはできるが、しかし、極限状況下の戦闘を、その「大義」によって支えることは極めて難しいのだ。


クリス
まして、地球上のどこにあるかもよく分らない、東南アジアの低地帯に広がる落葉・半落葉の熱帯林のエリアの一角で、「自由と民主主義」を守るための戦争を継続させていくことの矛盾は、まさに、その熱帯林の地に運び込まれた若き兵士たちにとって、その心身が嫌というほど被欲する、言語に絶する苦痛以外の何ものでもなかった。

兵士たちばかりではない。

後述するが、アメリカの高官たちですら、「大義」に関わる観念体系を戦争に変換していく過程で惹起する、予想し難い事態に翻弄され、しばしば、決定的なミステイクを犯す状況の中で混乱し、右往左往していたのである。

それでも、アメリカ国民が、この戦争を継続させる「大義」の観念のうちに、彼らに特有な「マニフェスト・デスティニー」の傲慢な発想が張り付いていたと言えるだろう。

それは、決定的に不利な状況に置かれてもなお、容易に「戦争の敗北」を認知し得ないが故に、重大な決断に踏み込めない由々しき因子になっていた。

彼らにとって、「戦争の敗北」という概念は存在しないのである。

しかし、本作で描かれた兵士たちの大量の帰還が、アメリカ国内の風景を徐々に、しかし確実に変容させてしまうことによって、もはや、「自由と民主主義」という「大義」に張り付く、心地良き観念の脆弱性が決定的に露呈されていったのである。

 物語に戻る。

この物語の基本骨格を要約すれば、以下の文脈に収斂されるだろう。

クリス
即ち、相応の「大義」と愛国心を抱懐する普通の若者が、寸分の「大義」も拾えない小隊での、極限状況下の前線の渦中の苛烈な経験を通して、拠って立っていたはずの「大義」と愛国心の脆弱性を感受することで、能動的に自己投入していった「正義」の戦争の内実が、「内部戦争」であったという爛れ切った現実の認知に至る、シビアな心的行程を抉り出したこと ―― この把握に尽きる。

従って、そんな普通の若者を、除隊の日への希望のみを繋ぎ、ドラッグによって自我を感覚鈍麻させる「非日常」を常態化していて、そこに寸分の「大義」も拾えない小隊に放り込んでいく。

これが、基幹モチーフの起動点と化すと言えるのは、そんな小隊内部での苛烈な経験を通して、件の若者が、学習的に何を手に入れ、何を失っていったかという作り手の問題意識が、小隊内部の人物造形のうちに鮮明に具現化されていたからである。

言うまでもなく、この小隊内部のうちに造形されたのは、「善」(エリアス)と「悪」(エリアス)の記号的存在性である。

「悪」の記号・バーンズ
敢えて類型的に、「善」(エリアス)と「悪」(エリアス)を作り出したことで、本作の主人公の若者・クリスの心の振れ幅をフォローし、その心的行程の変容を映し出していく。

そのことによって、ベトナム戦争の本質を剔抉(てっけつ)すること。

この点に、本作の問題意識が読み取れると、私は考える。

 では、「善」(エリアス)と「悪」(バーンズ)の、その記号的存在性の内実とは何だったのか。

 「戦争には、守るべき最低限の倫理規範がある」

 これが、「善」(エリアス)の記号的存在性の意味であるのに対し、「悪」(バーンズ)の場合は何だったのか。

 「戦争には、殺るか殺られるかの戦闘のリアリズムしかない」

この一点に尽きるだろう。

そればかりではない。

 「善」(エリアス)は、ベトナム戦争の「大義」すら否定し、そこに何の意味すら持ち得ないのだ。

 これは、ベトナム戦争の「大義」などという議論を嘲弄するが故に、「善」(エリアス)を「偽善者」と軽侮する「悪」(バーンズ)の、あまりに分りやすく特化された存在性と決定的に対峙する。

 
「死せるキリスト」
この両極端の類型的な人物造形は、その記号的存在性の故に、「ベトナム帰還兵」になることなく、彼らが呼吸を繋ぐ唯一の「前線」で斃れ、消えていく。

 この二人の間の子のようであったと回顧するクリスは、「死せるキリスト」から「善」の限界を、「死せるデーモン」から「悪」の脆弱性を学習する。

 この学習を抱懐して、「名もない平凡人でいたい」と語った若者は、肉質性を持たない稚拙な理念系を、「反戦平和」を声高に唱道するアクションに変換し、「ベトナム帰還兵」としての使命感を体現していくだろう。

 そういう映画だったと、私は解釈している。

以下の稿で、映画批評と切れて、本来は、「名もない平凡人」の集合であった一小隊の面々と無縁な、「ベスト・ アンド・ブライテスト」(ケネディ⇒ジョンソン政権で、安全保障政策を担当したクレバーな頭脳集団)の代表格である、マクナマラ国防長官が著した「マクナマラ回顧録」に依拠しつつ、「アメリカの戦争」の実態について言及していきたい。



 3  「防衛性・攻撃的大義」と、「攻撃性(侵略性)・防衛的大義」



「防衛性・攻撃的大義」と、「攻撃性(侵略性)・防衛的大義」。

分りにくいが、私の造語である。

「大義」という概念を説明する際に、色々利用可能であると考えているが、ここでは、ベトナム戦争に限定して使用してみたい。

 前者は、形式的には防衛的だが、負けたら全てを失う侵略的暴力に対して、国民が一丸となって攻撃的に突破していくという、堅固な意志が集合した観念体系としての「正義」のこと。

後者は、形式的には攻撃的(侵略的)だが、拠って立つ堅固な観念体系を防衛するという目的意識のうちに集合する、理念としての「正義」のこと。

言うまでもなく、前者がベトナム戦争における「ベトナムの戦争」であり、後者が「アメリカの戦争」である。

その「ベトナムの戦争」の本質は、侵略的暴力からの「解放と独立の戦争」であると言っていい。

ボー・グエン・ザップ(ウィキ)
これは、「赤いナポレオン」と称された、「救国の英雄」・ボー・グエン・ザップ将軍が、有名な「ハノイ対話」(1997年6月、米とベトナム間で実施された「ベトナム戦争」討議のこと)の準備会合で、「あれは独立戦争だった」と断言した言葉によって代弁されるだろう。

ホー・チ・ミン主導によるベトミン(ベトナムの独立運動組織)の「解放と独立の戦争」は、ディエンビエンフーの戦いを画期点にする、1946年から1954年に及んだフランスとの第一次インドシナ戦争を経て、ジュネーブ協定に収斂されていく。

しかし、ジュネーブ協定によって、南北に分離されたベトナムは、またしても、フランスに代わって、新たな敵を迎えるに至る。

アメリカ合衆国である。

フランス軍の敗北に衝撃を受けたアメリカは、ケネディ政権以降、南ベトナムの傀儡政権への支援のため、軍事顧問団の規模を一気に増大させていく。

ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)を援助する、北ベトナムに手を焼いていたアメリカはトンキン湾事件(注)を捏造し、ベトナム戦争を泥沼の「代理戦争」と化す「北爆」を開始した。

既に、ソ連や中国からの支援を受けた北ベトナムを巻き込む、ベトナム戦争が本格化することで、「防衛性・攻撃的大義」を有する「ベトナムの戦争」と、「攻撃性(侵略性)・防衛的大義」で駆動する「アメリカの戦争」が、もう後に引けない「大義」をかけた戦争に踏み込んでしまったのである。

では、「アメリカの戦争」の「防衛性・攻撃的大義」とは何か。

「アメリカが指導する西側陣営は、封じ込め政策によって、共産主義の膨張から身を守らなければならない」

ジョージ・ケナン(ウィキ)
これは、1947年に、「フォーリン・アフェアーズ」(「X論文」)に発表した、アメリカの外交官・ジョージ・ケナンの見解を要約したものだが、この観念系の基本文脈の一つが、アイゼンハワー大統領とダレス国務長官によって提唱された、「ドミノ理論」という妄想体系のうちに結実化されていく。

言わずもがな、ある国が共産主義化してしまえば、まるでドミノ倒しの如く、その近隣諸国までもが、連鎖反応的に共産主義化するという、極めて観念性の濃度の高い理論である。

これが、マッカーシズムの脅威に怯えたトラウマを持つアメリカにおける、冷戦時代の外交の基本政策である。

「我々がインドシナを失ったと仮定してみよう。即座に、この地域にぶら下がっている先端のマラヤ半島はほとんど防衛不可能になるだろう。インド全土は包囲されることになる。ビルマは弱体の状況にあり,防衛不可能なことは確実だろう。これらすべてを失えば,自由世界はいかにすれば、インドシナを保持できるのだろうか」

アイゼンハワー大統領の言葉である。

マッカーシズムが吹き荒れたことで、「アジア専門家の空白」を作ってしまった事態の決定的瑕疵は、「共産主義」という名の「妖怪」を過剰に怖れる空気を醸成し、これが「ドミノ理論」という、もう一つの副産物を仮構するに至ったのは、以下のダレス国務長官の言葉によって検証されるだろう。

「東南アジアの集団安全保障を組織するのは,結局、インドシナ三国を失った場合,続いて東南アジアの他の地域を自由世界が失うことになるような状況を予防することを狙いとしている。インドシナの喪失が東南アジア防衛問題をいっそう困難にすることは間違いないが、アメリカは東南アジアの防衛を断念しないだろう」

ジョン・フォスター・ダレス(ウィキ)
現実主義者でありながら、同時に、「反共十字軍的発想」の持ち主と言われるほど、堅固な反共主義の理論に嵌っていた、この有能な国務長官が仮構した「ドミノ理論」は、その後のケネディ政権に継承されていく。

「ベトナムは、東南アジアでの自由世界の礎石です。わが国の子孫ともいえます。われわれはこの国を放棄することもできないし、その必要も無視することもできないのです」

これは、1956年に、マッカーシズムを支持した民主党上院議員の一人であった、ジョン・F・ ケネディの演説の一部である。

そのケネディ政権で、当時、高名なジャーナリスト・デイヴィッド・ハルバースタムによって、「ベスト・ アンド・ブライテスト」と呼称され、ベトナム戦争に最も重要な役割を担ったことで、「マクナマラの戦争」とさえ揶揄されたマクナマラ国防長官が登場する。

以下、あの有名な「マクナマラ回顧録」の一文を紹介する。

「たいていのアメリカ人と同じように、私も共産主義は一枚岩と見ていました。そして、ソ連と中国は自分たちの覇権を拡大しようと努力している、と信じていました。(略)ニキータ・フルシチョフ(ソ連共産党第一書記、首相)は、第三世界での“民族解放戦争”によって共産主義が勝利すると予測し、西側陣営に『われわれはあなた方を葬り去るだろう』と当時告げています。ソ連が1957年にスプートニク(ロシア語で人工衛星のこと)を打ち上げ、宇宙工学でのリードを見せつけたことで、フルシチョフの脅迫に信頼性が増しました。翌1958年、彼は西ベルリンに強圧を加えてきました。そしてまもなく、西半球ではカストロがキューバを共産主義の橋頭堡に変えました。われわれは包囲され、脅威にさらされたように感じたのです。アメリカのベトナム介入の底流にはこのような恐怖感があったのでした」

マクナマラとケネディ(ウィキ)
「共産主義」という名の「妖怪」に対する、当時のアメリカ高官たちの異様なまでの恐怖感が、合理的思考を有する抜きん出た能力の主の自我を呪縛し、「ドミノ理論」という妄想体系に縛られていた事実に驚きを禁じ得ないが、しかし、これが、ベトナムが共産化されることで、ミャンマー、タイ、マレーシア、インドネシア、更には、日本、台湾、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドが、徐々に共産勢力の手に渡るものだと主張した、アイゼンハワー大統領の記者会見での言葉を重ねれば、否応なくリアリティを増幅させてしまうのである。


(注)1964年8月、アメリカ海軍の駆逐艦が、トンキン湾(北ベトナム)で、北ベトナム軍の哨戒艇に魚雷の襲撃を受けたとされる事件だが、ニューヨーク・タイムズの「ペンタゴン・ペーパーズ」(ベトナム機密文書)の公表によって、自作自演であった事実が判明。「ペンタゴン・ペーパーズ」の執筆者の一人であったダニエル・エルズバーグが、ニューヨーク・タイムズの記者に全文のコピーを手渡した事実も分っている。



4  「共産主義」という名の「妖怪」に対する、アメリカ高官たちの異様なまでの恐怖感



ここで、私は肝に銘じたい。

「現時点での価値観にもとづく、過去の出来事の無慈悲な断罪」(池田光穂の言葉)だけは慎まねばならないということを。

当時のアメリカ高官たちは、本気で「共産主義」という名の「妖怪」を怖れていたのであり、誰一人、「ドミノ理論」の脅威を疑っていなかったのだ。

第一次インドシナ戦争の頃のザップ(ウィキ)
回顧録の中で、「ドミノ理論」は「強迫観念」、「ものの見方の誤り」だったと認めたマクナマラが、「ハノイ対話」の準備会合の場で、ボー・グエン・ザップ将軍に対して、「トンキン湾で何が起こったか知りたい。4日の第二次攻撃はあったのか」と質問した際に、ザップ将軍は、即座にこう答えたと言う。

「2日は米艦マドックスが領海に入ったので、小さな魚雷艇が戦った。しかし4日は、ベトナム側から絶対に何もしなかった」

マクナマラは、「トンキン湾事件」が自作自演であった事実を、この時点で確信できていなかったのである。

「これは幻覚、妄想のようなものだ。だが、米国の非常に知的で最も聡明な人たちもまた、ドミノを信じた」

これも、ザップ将軍の言葉。

彼は、「幻覚、妄想」でしかない「ドミノ理論」を、マクナマラを筆頭に、「知的で最も聡明な人たち」が信じた事実に驚嘆するのだ。

とりわけ、「知的で最も聡明な」マクナマラは、その「回顧録」の中で、11の教訓」とともに、新世紀へのメッセージを発していく。


以下、「回顧録」のの「11の教訓」を抜粋する。

(1)われわれは相手方〔この場合は、北ベトナムとベトコン、これを支援する中国とソ連〕の地政学的意図の判断を当時誤り、彼らの行動がアメリカに及ぼす危険を過大評価しました。

(2)われわれは南ベトナムの国民と指導者を、アメリカ自身の経験に照らして判断しました。彼らの中に自由と民主主義への渇望がある、とわれわれは考えたのです。

(3)われわれは、自分たちの信念と価値観のためには、戦って死ぬほど人々を鼓舞するナショナリズムの力を過小評価し、今日でも世界の多くの場所で引き続きそうしています。

(4)われわれが、敵も味方をも同じように誤解したということは、地域に住む人たちの歴史、文化、政治、さらには指導者たちの人柄や習慣についてのわれわれの深刻な無知を反映しています。

(5)アメリカは、通常のタイプとちがう、きわめて強い動機を持った人民の運動と対決したさい、アメリカの持つ近代的でハイテクを駆使した装備、兵力、それに軍事思想の限界と当時認識していませんでした。

(6)われわれは、東南アジアに対するアメリカの大規模な軍事介入を開始する前に、この是非について全国的で率直な討議や論争、アメリカの議会と国民を引き込むことができませんでした。

(7)行動が開始され、予想外の出来事が起きて、計画したコースから余儀なく外れたあと、われわれは国民の支持をつなぎ止めておくことができませんでした。

(8)アメリカの国民も、その指導者たちも、全知の存在でないことを、われわれは認識していませんでした。

(9)アメリカ自身の安全に対する直接の脅威に反撃する場合を除いて、アメリカの軍事行動は、国際社会が十分に支持する多国籍軍と合同で実施するという原則を、アメリカは守りませんでした。

(10)行政問題では、人生の他の側面と同様、すぐに解決できない問題もあることを、われわれは認めませんでした。

(11)こうした多くの心配の裏には、並はずれて複雑な範囲の政治、軍事の諸問題に効果的に対処できるよう、行政府のトップクラスを組織しなかった事実があります。

 ―― 以上の11の教訓」中で、「地域に住む人たちの歴史、文化、政治、さらには指導者たちの人柄や習慣についてのわれわれの深刻な無知」、「アメリカの国民も、その指導者たちも、全知の存在でないことを、われわれは認識していませんでした」という表現に、正直、驚きを禁じ得ないが、当時のアメリカが、如何に「幻覚、妄想」に呪縛されていたかという事実を再認識させられる思いである。

縷々(るる)、言及してきたように、「アメリカの戦争」の「防衛性・攻撃的大義」とは、前述したように、拠って立つ堅固な観念体系を防衛するという目的意識のうちに集合する、理念としての「正義」のことだが、その内実は、根拠の希薄な「幻覚、妄想」であった。

相手を知らずして戦った「アメリカの戦争」の脆弱性が、末端の下級将校・下士官・兵士にまで及ぶとき、彼ら自身が、「なぜ、自分たちが、東南アジアのジャングルで、これほど辛い経験をせねばならないのか」という自問に、明瞭に自答できなかったらどうなるのか。

負けたら全てを失う侵略的暴力に対して、国民が一丸となって攻撃的に突破していくという、堅固な意志が集合した観念体系としての「正義」に拠って立つ、「敵」との戦争に完璧な勝利を手に入れる前に、「僕たちは自分自身と戦ったんだ」と独言した、「プラトーン」の主人公・クリスのラストモノローグのうちに収斂される外にないのだろう。

ここで私は、「プラトーン」の面々が、「敵」との戦争の完璧な勝利よりも、除隊の日までの残りの日数に希望を託し、「最前線」の異常なエリアで呼吸を繋いでいたことを想起する。

彼らは、「日常性」の継続力の世界への「生還」のみに〈生〉の意味を見出すことで、厄介な「非日常」の日々を耐えることに神経を摩耗させる以外になかった。

彼らは、「ドミノ理論」の脆弱な観念体系で呼吸を繋げなかったが故に、ドラッグに溺れ、一時(いっとき)の賭けごとに享楽を求める。

当然、「プラトーン」の面々の規範意識は劣化する。

それでなくとも、熱帯性気候下のジャングルの日常に適応し得ず、ひたすら、いかなる時に、いかなる場所で、ベトコンに襲われるかも知れない恐怖の日々の渦中にあっては、自分の命を必死に守ることだけが、彼らの意識を強迫的に捕捉する。

こんな精神状況で、堅固な意志が集合した、観念体系としての「正義」に拠って立つ、「敵」との戦争で勝利を手に入れられる訳がないのだ。


もう、これは、「約束された敗北の戦争」をトレースするのみなのである。

だから、バーンズのように、「狂気」を内化し、内化した「狂気」を、現実の殺戮を通して「戦場のリアリズム」を検証することで、「完璧な兵士」としての自己を認知し、戦場という限定スポットでのみ「絶対的なる者」という自己像を延長させていく。

しかし、その戦略が有効なのは、どこまでも戦場という限定スポットでしかないから、そこから逸脱できない運命の中で、熱量自給していく限界が、もう、「約束された自壊の〈生〉」を決定づけてしまっているのだ。


「人を殺すのはとても簡単だ。悩む暇なんてない。ただ、訓練で撃つのとは全く違う。殺した瞬間、一つの境界を越えて別世界に入らざるを得ない」


これは、あるベトナム帰還兵の言葉である。

まさに、「最前線」の異常なエリアでは、「大義」ではなく、バーンズのように、「戦場のリアリズム」だけが推進力になり得である。

その度に、「一つの境界を越えて別世界」に入り込んでいく。

エリアス
これが、「プラトーン」の世界の本質だった。

ここまで書いたところで、「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」(2003年製作)に収められている、痛切な言辞に耳を貸してみよう。

「私は生涯を通じ、戦争の一部だった。人は何度でも同じ過ちを犯す。3度ミスをすれば、4度目には避けられるかも知れないが、核の時代には、その論理は通用しない」

 そんな中から得た幾つかの教訓。

 「理性は助けにならない」
 「目に見えた事実が正しいとは限らない」
 「人は善をなさんとして悪をなす」
 "決して"とは決して言うな」
 「人間の本質は変えられない」

全て自明の理のような印象を拭えないが、既に80歳を越え、現役を引退したロバート・マクナマラにとって、ベトナム戦争の回顧と自己批判、自己弁護(特にケネディの弁護)は、「マクナマラの戦争」と糾弾され続けた屈辱に対して、自分の思いを表現せざるを得なかったのだろう。

人は何度でも同じ過ちを犯す」という痛切な言辞こそ、「マクナマラの戦争」というラベリングに対する、忌憚のない自己批判だったとも言える。

映画の背景とほぼ重なる、1968年度でのベトナム戦争の軍事支出が819億ドル、軍需産業の雇用者が317万人(就業人口の4.1%。)という数字が示すように、「アメリカの軍需経済と軍事政策」というテーマを置き去りにするつもりはないが、ここでは、ベトナムの底力を見せつけた、ディエンビエンフーの戦いに象徴されるように、当時のアメリカの高官たちの共産主義に対する恐怖感が膨張した結果、その心理の裏返しの形で、最も粗悪な形で表現されてしまった、「ベトナム戦争」という妖怪の正体が、「幻覚、妄想」でしかない「ドミノ理論」という、異様なまでの「強迫観念」に捕縛された脆弱性それ自身であった事実を確認したい

「アメリカ」という名の、絶対不沈の帝国的な国民国家が、他の国家と同様の文脈において、その内部に如何に脆弱な体質を抱え込んでいたことが露呈されてしまったからである。

【参考資料】

「マクナマラ回顧録」(ロバート・S・マクママラ著 仲昇訳 共同通信社刊)/「ジョン・フォスター・ダレスの外交スタイル:三度の「瀬戸際」を中心に・大熊豪」Adobe PDF)/「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」(WERDE OFFICEより) / 集英社新書・WEBコラム  

(2014年1月)


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