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2016年10月11日火曜日

サン★ロレンツォの夜(’82)   タヴィアーニ兄弟


耳を塞ぎ、呪文を唱える幼女の「再構成的想起」の痛ましさ>





1  「誰の呪い?聖ヨブの腹の虫。雌鶏のフンでお薬作ろ。犬と猫のフンも入れ、朝には元気」



イタリア共和国中部に位置するトスカーナ州は、フィレンツェ(州都)を中心に、文化遺産・自然景観に恵まれている一大観光スポットである。

1944年の夏、このトスカーナ地方では、連合軍の北上を期待しつつ、ドイツ軍の支配下にあって、レジスタンスの村民の反ファシスト党の勢力がゲリラ戦を展開させ、内戦状態を顕在化させつつあった。

そんな状況下で、トスカーナのサン・マルティーノ村の教会では、徴兵を拒否したコラードと、懐妊中のペリンディアの結婚式が慌ただしく執り行われていた。

「私はこの結婚を心から祝福する。新婦は婚礼も待たずに身ごもった。戦争のさなかに。誰もが命懸けだ。アメリカ軍は間近に迫り、ドイツ軍は居座っている。一つ言っておきたい。神の審判の日、つまり、世界の終わりがそこまできているなら、私たちは力の限り、生き延びる義務がある。いいね?」

トスカーナ州
自分の命が保証できない状況下での神父の祝辞は、まさに、第二次世界大戦末期のトスカーナ地方が置かれた状況を端的に説明していた。(注)

「私は6歳になったばかりだった。怖いような、楽しいような。あの数日を今でも覚えている」

成人となったチュチリアのモノローグである。

パルチザンで負傷したニコラが、同志のブルーノに送られ村に戻って来たが、友人のコラードへの話だと、ドイツ軍が各地に地雷を仕掛けていて、「十字の印がついてたら、爆破される」とのこと。

まもなく、村民の全てを聖堂に集合させるというドイツ軍からの指令があり、命令に背く者は容赦なく爆破することを、村の司教が伝えてきた。

しかし、村民の多くが大聖堂に向かうときに、ドイツ軍の罠を疑うガルバーノは強硬に反対する。

「村に留まるより、同じ考えのものは一緒に行こう」

かくて、夜道を歩くという理由で、黒い服を着たガルバーノの一行は、大聖堂に残る者と別れ、日没を待って出発する。

村人たちの運命が分れる瞬間だった。

連合軍に合流するためのガルバーノの一行の中に、「ワクワクする」と吐露するチェチリアと母・イヴァーナも加わっていた。

突然、大爆音が轟(とどろ)いた。

サン・マルティーノの小村が爆発された瞬間である。

この音を聞き、「村じゃない」と慨嘆する若者は、ガルバーノの一行の中に加わっていたことで、命を守ることができたのである。

「村が消えてしまった」

嗚咽しながら、深い喪失感を感じる、このガルバーノの一言が、状況の全てを説明していた。

しかし、決定的な悲劇が起こる。

聖餐ミサの儀式の最中に、大聖堂が爆破されたのである。

ドイツ軍の仕業である。

「私たちは、ひたすら歩き続けたが、アメリカ軍の砲撃は、もう聞こえなかった。一方、思わぬ幸運に、私の胸は弾んだ。コンチェッタさんは実家を焼かれ、もう帰れなくなった。それで、耳飾りを私に。子供に預ければ、安全らしい」(チュチリアのモノローグ)

陣痛が始まったことで、母親と村に戻って行ったベリンディアは、大聖堂の爆発に巻き込まれたのか、不運にも命を落としてまう。

身重のベリンディアと共に大聖堂に行き、妻の死に慨嘆した夫・コラードは、ガルバーノの一行に合流するが、妻の死の衝撃のため、この間の記憶を失ってしまっていた。

ファシストによる小麦の略奪に備えて、先んじて、麦刈りを急ぐ村人や、パルチザンの小部隊を手伝うガルバーノの一行。

この小麦畑で、米軍の居場所を知るダンテという名のパルチザンと出会ったことで、一行は彼らと行動を共にし、武装するに至る。

「8月10日の晩は、星が降ってたわ。願い事が叶う聖ロレンツォの夜よ。私の願いがわかる?でも皆、忙しすぎた。翌朝、皆が起きて歩き出す前に用足しに行ったの」(チュチリアのモノローグ)

二人の米軍兵士と出会ったチュチリアは、一人の兵士から、膨らませたコンドームを風船と勘違いし、嬉々として一行の元に戻り、かくて、皆で手分し、米軍兵士を探すが、その痕跡はなかった。

ファシスト党と、同行していたパルチザンとの銃撃戦が惹起したのは、その直後だった。

ブルーノを探していたニコラが、ファシスト党に殺されるに至る。

そのブルーノが、ファシスト党に入っていた親子を殺したことで、悲惨な光景は終焉する。

村人同士で殺し合うこの光景は、初めて見る信じがたい出来事に触れたチュチリアの心に、トラウマとして残っていくイメージを鮮烈に想起させる。

チュチリア
「誰の呪い?聖ヨブの腹の虫。雌鶏のフンでお薬作ろ。犬と猫のフンも入れ、朝には元気。しゃっくり、ばっさり、ブドウの木。おうちへお帰り」

幼いチュチリアには、このような呪文を唱えるしか、為す術がなかったのである。

「村へ帰ると、彼らは一夜の宿を提供してくれた。誰もが疲れ切って、恐怖を忘れていた」(チュチリアのモノローグ)

手首に怪我を負っているガルバーノは、実家を焼かれた中年女性・コンチェッタと同室になり、一個しかないベッドに横たわる。

「若い頃、君に熱を上げてた。知ってたの?恋と咳は隠せない」

ガルバーノの告白に、コンチェッタは「知ってたわ」と答える。

未だ内戦状態が沸騰している段階で、初老に差し掛かった二人は、何も思い残すことがないような空気の中で結ばれる。

翌朝になった。

待ちに待った米軍の第五師団が、ようやくやって来た。

彼らが束の間、宿をとった村は解放されたのである。

トスカーナ州
コンチェッタを含む、村から脱出した一行は、サン・マルティーノの故郷を目指して帰村するのだ。

そんな中で、ガルバーノは一泊の宿をとった村を気に入り、この村に残るという選択をした。

「彼は3時間ほど、そこに残り、物思いに耽った。私たちは村へ向かった。これで、この話はおしまい。記憶と違っているかも。でも、6歳の私が本当に体験したの。そして、最後はハッピーエンド。おやすみ、坊や。寝顔を見せて。何て、可愛い顔」

立派な主婦になったチュチリアが、愛児に語る物語のラスト・モノローグである。



(注)1944年に、トスカーナ州などで、約400人の民間人虐殺に関与したとして、元ナチス親衛隊9人が、終身刑判決を受けたという痛ましい事実が、近年、報道されている。






2  耳を塞ぎ、呪文を唱える幼女の「再構成的想起」の痛ましさ





この映画のエッセンスは、6歳の幼女・チュチリアが耳を塞ぎ、呪文を唱えるシーンに凝縮されていると言っていい。

戦争の悲惨さを、このシーンほど代弁する描写はないからである。

しかも、この映画で描かれた唯一の戦闘シーンは、ファシスト党と、ガルバーノの一行を吸収したパルチザンとの内戦の体裁をとりながらも、その内実は、顔なじみの村人同士で殺し合うという凄惨な光景だった。

明らかに、この体験はチュチリアのトラウマになっている。

この甚大なトラウマを希釈するために、チュチリアは記憶と違っているかも」と言って、記憶の「再構成的想起」(過去の体験を自分の都合のいいように書き換えること)を行っている。

れが二人の米兵との出会いである。

チュチリアと、もう一人の少女が米兵からチョコレートと風船(膨らませたコンドーム)をもらって、嬉々として一行の元に戻るシーンが、それである。

このシーンは、チュチリアの「再構成的想起」であると、私は考えている。

米軍第五師団の先遣隊でもないのに、あの場所に、米兵がいるわけがないからだ。

恐らくチュチリアは、チョコレートと風船を与えてくれた好色な男を米兵に置き換えてしまったのだろう。

なぜなら、この米兵との出会いの直後に、村人同士の殺し合いが出来したからである。

思うに、チュチリアを含むガルバーノの一行にとって、米軍=救済者だったのだ。

だが、一貫して、この映画は、ドイツ軍ばかりか、米軍の存在を映像提示しない。

どこまでも、軍隊の存在は象徴でしかないのである。

象徴でしかない軍隊の存在を映像提示しない代わりに描かれたのは、顔なじみの村人同士の殺し合いだった。

だから、この映画は痛々しいのだ。

チュチリアの「再構成的想起」の意味は、その一点に収斂されると思われる。

顔なじみの村人同士の殺し合いを止めさせ、その記憶を無化するのは、救済者としての米軍以外ではなかった。

もし、米軍第五師団が到着していたら、村人同士の殺し合いを防ぐことができた。

そうすれば、チュチリアが耳を塞ぎ、呪文を唱える必要がなかったのだ。

だから、チュチリアは、二人の米兵との出会いという記憶を仮構することで、トラウマを希釈するための「再構成的想起」を行ったのだろう。

耳を塞ぎ、呪文を唱える幼女の「再構成的想起」の痛ましさ。

これが、私の解釈である。

同様に、ガルバーノサン・マルティーノの故郷帰村しなかったのは、村人同士の殺し合いにインボルブされた体験を、心の中で整理する時間が必要だったのではないか。

心の中で整理ができたら、帰村するかも知れないし、そのが気に入ったら残るかも知れない。

元来、思慮深い人物だから、自分で判断するだろう。

最後に、本作の趣旨と外れているかも知れないが、私にとって、もう一つ、印象に残るエピソードについて書いていく。

サイパン島における「バンザイ突撃」(玉砕前提の突撃/1944年7月)のような特別な例外を除けば、戦場での生死を決めるのは、殆ど「運・不運」の問題と考えているが、サン・マルティーノの大聖堂に残るか否かという、本作でのエピソードに関しては、「運・不運」の問題に収斂されない由々しき事態であると言っていい

再現してみる。

「ドイツ軍から通達が来た。米軍がモンテリッキエーリまで来ている。砲撃があった。日没までに、皆、聖堂へ移ってくれ。住民を一か所に集めろとの命令だ。聖堂なら安全だ。爆破はしないだろう」

以下、この村の司教に対して議論する、ガルバーノの主張である。

「聞いてくれ。アメリカ軍を探しに行く。ドイツ人は信用できない」
「司教様もか」と村民。
「お言葉ですが、2日前、ドイツ兵が殺されてる。誰がやったにしろ、連中は仕返しします」
「見つかれば、老人や子供も殺されるわ」
「危険は承知の上です。留まるよりいい。同じ考えのものは一緒に行こう」

これだけの会話だが、映画の中で、人間の生死を決定づける最も重要なシーンの一つである。

ここで、判断が分れる両者の拠って立つ論拠を整理すると、両者にドイツ軍に対する疑心暗鬼があったにせよ、そのドイツ軍に対する信頼度の差が、両者の判断に大きな影響を与えたという風に落ち着くだろう。

本作の背景となったのは、1944年夏のトスカーナ地方。

サロ政権(治安部隊兵士と話すムッソリーニ)
この時点で、1940年6月に締結された日独伊三国同盟は、1943年後半に、敗色濃厚の国家ファシスト党のムッソリーニが失脚するが、そのムッソリーニがドイツ軍に救出されたことで、北イタリアを支配するサロ政権(第2のイタリア・ファシズム政権として機能)が傀儡政権として、辛うじて命脈を保っていたに過ぎず、1944年段階では、本作で描かれていたように、ドイツ軍の支配下にあって、レジスタンスの村民の反ファシスト党の勢力がゲリラ戦を展開させ、内戦状態を顕在化させつつあった。

だから、ドイツ軍の支配下にあるサン・マルティーノの村民が、ドイツ軍の通達通りに聖堂へ移動のリスクを、どの程度、見積もっているか否かが重要な行動因子になる。

ガルバーノは、ドイツ軍を全く信頼しないから、「アメリカ軍を探しに行く」と言い切った。

彼は敢えて、リスクオン(リスクを選択的に取る)の状態に運命を委ねたのである。

なぜなら、ガルバーノの能動的行動は、間違いなくパルチザンと看做(みな)され、ユンカースJu 88・シュトゥーカ(第二次世界大戦期のドイツ軍の爆撃機)らの餌食にされる危険性が高いばかりか、南下しても、アメリカ軍と遭遇できる保証などないからだ。

ガルバーノの一行
ガルバーノの能動的行動に対して、司教の選択は、ドイツ軍に対する疑心暗鬼を過小評価することで、聖堂に残るこという受動的行動に振れていった。

この受動的行動を、「正常性バイアス」(都合の悪い情報の過小評価)の心理で説明することが可能である。

司教は、リスクオフ(リスクを好まない選択)の状態に運命を委ねたのである。

思うに、司教の判断の根柢には、「神がいる場所」である聖堂を、キリスト教を信仰するドイツ軍が爆破することなど、あってはならない悪行であると考えたのだろう。

これは、「水晶の夜」(クリスタル・ナハト/1938年11月に起こった反ユダヤ主義暴動)で被弾しても、危機脱出に緩慢だったユダヤ人が多くいた心理と同質である。

しかし、司教の楽観的予測は、ものの見事に裏切られた。

村は破壊され、聖堂は爆破された。

一方、その能動的行動の故に、ガルバーノの一行はパルチザンに吸収され、村人同士の殺し合いにインボルブされてしまったが、多くの村人の命は救われたのだ。

聖堂爆破で生き残った者が、ドイツ軍に銃殺されたであろうことを考えれば、ガルバーノの合理的、且つ、的確な判断は正解だったのである。

ここで、私は想起する。

フランスの小さな村・オラドゥール・シュル・グラヌの悲劇のこと。

オラドゥール・シュル・グラヌの悲劇
オラドゥール・シュル・グラヌの悲劇とは、1944年6月10日、ドイツの占領下であったこの村で、「マキ」(レジスタンス組織)を匿った咎(とが)によって、SS(ナチス武装親衛隊)による大規模な虐殺が行われ、村民のほぼ全員が殺され、村は一日にして廃墟と化したという事件である。

ホロコーストという蛮行を行ったナチス・ドイツには、「神がいる場所」である聖堂を爆破しないなどという選択肢は、最初から存在しないのだ。

結論から言えば、ガルバーノの能動的行動は、船体がひっくり返ったことで、船底にまで登っていかない限り、浸水によって死んでしまうが故に、「上に行けば命がある」と言い切ったスコット牧師の合理的、且つ、的確な判断と同じ発想である。

それでも犠牲者を出しながらも、6人の生存者を可能にした、映画「ポセイドン・アドベンチャー」の話である。

(2016年10月)

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