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2013年7月7日日曜日

西部戦線異状なし(‘30)        ルイス・マイルストン



塹壕戦の地獄という「戦場のリアリズム」の凄惨さ>




1  「大義なき戦争」の空白から洩れる情動にインスパイアされた若き「士」たち



 シュリーフェン・プランという、第一次世界大戦前のドイツが策定していた計画がある。

 フランスとロシアから東西を挟み撃ちにされたドイツが、この状況を打開するために、フランスを撃破した後にロシアを攻撃するという作戦である

 然るに、フランスとの西部戦線に傾注する、プロイセン陸軍参謀総長シュリーフェンのこの作戦は、当時のドイツ軍の機動力の限界を超えていて、肝心のベルギー突破が容易に進まず、且つ、政治・外交能力の合理的包括性を欠如させていたが故に、フランス軍とのマルヌ会戦での敗北によって短期決戦の計画頓挫したことで、西部戦線の膠着化を招来する。

 シュリーフェン・プラン頓挫戦局の長期化を必至にして、西部戦線を長期間にわたって睨み合う総力戦の様相を呈し、敵の塹壕ゾーンを突破し切れないまま、恐怖の非日常の時間を4年間も繋ぐ地獄を現出させたある

 この映画は、この塹壕戦の地獄を通して、「大義なき戦争」の空白から洩れる情動に、「狂気」を被せた老教諭にインスパイアされた挙句、そこに自己投入していった若者たちが体験した、「戦場のリアリズム」の凄惨さのうちに描き切った、文字通りの反戦映画の傑作である

 「大義なき戦争」の空白から洩れる情動に、「狂気」を被せた老教諭の異様なカットは、冒頭からインサートされていく。

「若い諸君は、我が祖国の生命だ。諸君はドイツの鉄の民だ。輝かしい英雄だ。召集に応じて敵を討つのだ」

こんなアジで、教え子たちを戦場に送るのだ。

 アジの中に、「戦争の大義」など拾える訳がない。

 しかし、「狂気」を被せた老教諭の扇動に、若い生徒たちの情動が反応し、その身体が決定的に動かされていく。

級長のポールが戦争志願の宣言をしたことで、親友のケメリックも続き、最後まで逡巡していたベームが周囲の異様な空気に呑み込まれ、志願の宣言をするに至った。

塹壕の中で潜望鏡付き狙撃銃を操作するオーストラリア軍歩兵(ウィキ)
かくて、若き「士」たちは、泥濘の土地を匍匐(ほふく)する厳しい新兵訓練を経由して、西部戦線に送られていく。

そんな中で、「戦争の大義」について、新兵を交えた古参兵らが議論する印象的なシーンがある。

「どうして戦争が始まる?」
「悪い国を攻撃するのさ」
「なぜ、国が攻撃する?ドイツの山がフランスの原を怒っているのか?」
「人間が人間を攻撃するんだ」
「それは変だ。俺は攻撃されている気がしない」

また、別の若い兵士が答えた。

「悪いのはイギリス人かも知れない。だが、イギリス人を撃ちたかない。初めて見たんだ。彼らも初めてドイツ人を見たろう。彼らだって、戦いたくないんだ」
「きっと、彼らが得をするんだ」
「皇帝かも知れないぞ」
「俺たちじゃない」
「皇帝のはずはない。不満はないんだ」
「皇帝は戦っていない。皇帝なら一回は戦う必要がある」
「将軍もそうだ」
「軍需産業の金持ちどもだ」
「熱病みたいなものだ。誰も望んでいやしない。我々もイギリス人も望んでいないのに、こうして戦っている」
 
「こうすりゃいい。大戦争が起こったら野っ原に囲いを作って、そこに王様を全部集合させて、閣僚と将軍も集めて、パンツ一枚で棍棒の殴り合いをさせる。勝負が早い」

この議論の最後の「提案」は、古参兵の下士官・カチンスキーの言葉。

如何にも、ユーモア溢れるカチンスキーらしい物言いだが、しかし、この物言いは、今でも「床屋談義」の定番になっていることを思えば、いつの時代でも、「大義なき戦争」の空白を埋めるに足る庶民たちの議論の軟着点が、このような形で「お開き」にする以外にないのだろう。

結局、誰も答えられない不毛な議論の顛末は、「熱病みたいなものだ」という非論理的な「結論」に収束されていくということである。



 2  塹壕戦の地獄という「戦場のリアリズム」の凄惨さ



「戦場のリアリズム」の凄惨さ ―― それは、主人公のポールが経験した塹壕戦の地獄のシーンに止めを刺すだろう。

当時、戦争の形態は、日常的な砲撃の爆音と空腹に耐え抜く、強靭な体力・精神力が要請される塹壕戦であった。

その塹壕に身を潜めていたポールは、その塹壕に降りて来たフランス兵を刺殺してしまった。

そのフランス兵が懐ろに持っていた妻子の写真を見て、ポールは深く煩悶する。

以下、自らが殺したフランス兵の遺体に向かって放つ、ポールの言葉。
 
「僕を責めないでくれ。殺す気はなかった。今だったら殺せない。さっきは敵だった。怖かったんだ。同じ人間の君を殺した。許してくれ。いや、君は死んだ。僕より運がいい。もう、苦しまないんでいいんだ。我々は、なぜ戦う?我々は生きたい」

眼が開き、笑みを湛えているかのようなフランス兵の遺体と、塹壕の中で一夜を過ごすポール。

「君の奥さんに手紙を書く。君の一家を助けてやる。許してくれ」

嗚咽するポールの煩悶が、極まった瞬間だった。

ソンムの戦いにおけるイギリス軍の塹壕、見張りの兵士以外は休息を取っている(ウィキ)
 思うに、塹壕戦の地獄の凄惨さを、ポールが初めて目の当りにしたのは、砲撃を受けて無残な最期を遂げたベームの死だった。

 その砲撃の際に、狂乱状態を露わにしたケメリックは、足を切断する深傷を負ってしまう。

ポールらが、そのケメリックを見舞いに行ったときのこと。

足を切断しているのに痛みを訴えるケメリックに、「足が痛むはずがない」と放った仲間の一言によって、初めて足の切断に気付くケメリックの煩悶を目視する若き「士」たち。

所謂、喪っているはずの手足が痛む症状=「幻肢痛」の発現である。

一人で必死に慰めるポールの前で、ケメリックのブーツを欲しがる友人もいて、それを咎(とが)めるポール。

ポールとケメリック
人間が、他者の絶望の内部世界に潜入し、想像力によって他者の煩悶を内化するには、「教養」にまで昇華された「能力」を不可避とする事実を教えてくれるシーンであった。

「教養」にまで昇華された「能力」を多く有するポールだからこそ、後に、フランス兵の遺体を自分なりに弔って、冥福を祈る「儀式」を遂行したのだろう。

まもなくポールは、ケメリックの死を間近で視認することによって、深く内省し、嗚咽を交えながら吐露する。

「彼が死ぬのを見た。生まれて初めてだ。それから外に出て、こう思った。生きているのはいいものだ。足が速くなった。そして不思議なことを考えたんだ。野原で遊んだこと。分るだろ、女の子だ。地面から電気のようなものが伝わってきた。走る脚に力が入って、兵隊が叫ぶ声が聞こえた。構わず走った。息もできないほど走った.

 ラストシーンの伏線となる、仲間に語るこのシーンは重要である。

 
「戦場のリアリズム」の凄惨さを目の当たりにしてきたポールが、「命」の掛け替えのなさを、「戦場のリアリズム」の渦中で実感するからである

 このとき、ポールは、「何者か」になったのだ。

後述するが、それは「反戦」を「主義」とするような、「何者か」というのではないだろう。

それを「主義」とするほどの、思想的な成熟が見られる訳ではない。

また、口先だけの「反戦」を情緒的に語る者のような、偽善的な「何者か」でもないだろう。

ただ一つ言えるのは、朝起きて、学校に行き、そこで学友と語らい、家に帰宅したら広い野原を駆け、できれば、思慕するガールフレンドと出会って、存分に恋をする。

そんな、ごく普通の日常性の範疇にある、目立たないが、それ故にこそ、本当に、心からそのような時間を繋いでいくことの〈生〉の有難さ。

そんなイメージで語られる、ごく普通の日常性の価値の大きさを知ったのだ。

その価値を、「戦場のリアリズム」の凄惨さを相対化するに足る、最も重要な観念系として内化したのである。

無論、「確信犯的」な「平和主義者」として、自己を雄々しく立ち上げていくほどのパワーには、未だ届いていないだろう。

このときのポールの感情傾向を要約すれば、単に、「厭戦」の気分が集合する、極めてネガティブな心象風景の中で揺動していると言った方がいいかも知れない。

フランス兵の刺殺経験
フランス兵の刺殺経験を経て、充分に「厭戦」の気分が高まっていたポールが、怪我の保養のため故郷に戻って来ても、自らが目の当りにした好戦的風景に大いなる違和感を感じるだけだった。

その違和感が、若い心を孤独にさせるほどの虚しさに辿り着くことで、ポールは再び戦場に戻っていく。

そこには、最も会いたい古参兵・カチンスキーが、なお呼吸を繋いでいると信じるからである。

カチンスキーと会って、偽善と欺瞞に満ちた故郷の風景を情感的に払拭したかった。

ポールの「厭戦」気分のパワーは、多分、この程度のものであるだろう。

だから「戦争の本質」に肉薄し、それを否定し去って、全く新しい自己像を立ち上げるには、ヒューマンな情感に留まる限界を超えていなかった。

ポールは若過ぎたのである。

ポールの前線への身体的シフトは、ある意味で、「死が予約された世界」への自己投入であったと言える。

これが、あの有名なラストシーンに結ばれたのだ。

日常性を繋ぐ〈生〉の価値を象徴する一羽の蝶。

それを手に取ろうとして、伸びたポールの手。


フランスの狙撃兵の銃丸がポールを撃ち抜いたのは、その瞬間だった。

「死が予約された世界」に戻ってしまったこと ―― それが、「何者か」に変容したポールの哀しい帰結点だったのか。

ラストカット
ダブル・エクスポージャー(二重露出)で映し出された若き兵士たちの構図が、ラストカットになって閉じていく映像の余韻は、声高に叫ぶことのない本篇に相応しい構成力の成就を検証するものだった。



 3  「本物の英雄」の出現を拒む「前線」を描き切った「反戦映画」の傑作



国民・領土・主権を守る軍隊の存在までも否定する、究極の「理想主義」としての「反戦主義」、即ち、「反戦」を「主義」にすることの怖さが、「理想主義」としての「反戦主義」が具現しないとき、容易に「戦争肯定論」に流れていく脆弱さを露呈する人間的な現象に反転するところにある、と私は考えている。

この反転的な現象は殆ど不可避であると言っていい。

なぜなら、人間がどのような社会を構築しようとしても、「世界は一つ」という究極の「理想主義」を具現するとは、とうてい考えられないからである。

だから、「反戦」という「理想」を「主義」にすることの怖さは、人間が人間自身を相応に統治することなく、「絶対的自由」を保証する社会の実現の困難さを必至にするだろう。

「タイム・オブ・ザ・ウルフ」より
ミヒャエル・ハネケ監督の「タイム・オブ・ザ・ウルフ」(2003年製作)で描かれたように、残念ながら、人間が人間自身を相応に統治することのない、完璧にアナーキーな社会が仮に実現したとしたら、そこで垣間見る世界の惨状は、常に自らを武装して呼吸を繋ぐしかない、「弱肉強食」の社会の腐臭を日常的に嗅ぐことになるとしか言いようがないのである。


そのことをつらつら思うとき、「反戦映画」の傑作としての評価の高い本作を、単に、「絶対反戦」というメッセージを内包した、「理想主義」としての「反戦主義」の激越なプロパガンダと看做すことができないのは、「主義」にも昇華できないような、薄っぺらな「反戦」を安売りした作品に堕していないからである。

 
ルイス・マイルストン監督(ウィキ)
情緒的なBGMをガンガン連射させて、「反戦主義」の激越なプロパガンダに象徴されるような、観る者の情動にのみ訴えかけていくという安直な映像構成に収斂されていなかったこと。

 それが大きかった。

 そこで描かれていたのは、数多の「反戦映画」に観られるような、戦争ヒーローの存在のインサートを拒み、一貫して、「戦場のリアリズム」の凄惨さを、時には「記録映画」のような筆致で、概ね淡々と描き切っていたこと。

 これが、何より大きかった。

 「シン・レッド・ライン」(1998年製作)がそうであったように、「戦場のリアリズム」の渦中で死を怖れ、発狂する若者たちの内面風景を映し出すことで、一過的な情動炸裂によって、一見、「勇敢な戦士」が立ち現われることが可能であったとしても、「戦場」という名の「前線」には、決して「本物の英雄」など出現しようがない現実をリアルに描き切ったのである。

 これが、本作を「反戦映画」の傑作に昇華させた最大の理由である。

 私は、そう思う。

(2013年7月)





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