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2015年4月11日土曜日

それでも夜は明ける(‘13)      スティーヴ・マックィーン

<極限状況下に置かれた男の内面に入り込んだ映像の出色の着地点>



1  「自由黒人」の名残を留め、自己の尊厳に拘泥する「黒人奴隷」の受難



観る者を感動させようと思えば幾らでも可能な映画を、スティーヴ・マックィーン監督は敢えて拒絶した。

どこまでも、主人公の内面世界に入り込み、「自由黒人」であった主人公が経験したおぞましき世界を目の当たりにし、自らも、その恐怖の渦にインボルブされていく歴史の現実の一端を、徹底的に抉り出していく映像の訴求力は抜きん出ていた。

紛れもない傑作である。

―― 以下、その梗概。

南北戦争前の1841年、ニューヨーク州サラトガの町。

この町に、妻子のある「自由黒人」(注1)のバイオリニストである、ソロモン・ノーサップが相応に豊かで幸福な生活を送っていた。

そのソロモンが、二人組の男たちによって、多額の報酬で、ワシントンでのサーカスの公演に参加する誘惑に乗ったことから、ソロモンの言語を絶する悲劇が開かれていく。

会食の場で睡眠薬入りのワインを飲まされ、酩酊状態になったソロモンが覚醒した時、両手両足が鎖で縛られるという信じ難い事態に直面する。

自分が「自由黒人」であることを主張しても、恐らく、「自由証明書」を奪われてしまったが故に、「ジョージアから逃げて来た奴隷」とされ、奴隷商人に木の板と鞭で激しく打ち叩かれ、奴隷市場に運ばれ、黒人奴隷として売り飛ばされるに至った(注2)。

「生き残りたいなら、余計なことをするな。自分の素姓や読み書きができることも言うな。ニガーの死体になるぞ」

南部の奴隷市場に運ばれる船内で、クレマンスという黒人奴隷から言われた言葉である。

「そんなに絶望的か?生き残るのは、素性を隠せだと?耐える気はない。ちゃんと生きたい」

その際のソロモンの反応である。

ルイジアナ州ニューオリンズ。

ソロモンが騙されて売り飛ばされた、合衆国最大の奴隷市場(競売市場)、且つ、奴隷売却地である。

ここで、1840年時点で、最大の奴隷輸入港であったニューオリンズについて、簡単に書いておく。

「本領土内のニグロ、ムラート(白人と黒人との混血者)、及び、インディアンの奴隷はすべて(略)不動産と見なされるものとする」

これは、1705年のバージニア奴隷法により確立された、アメリカでの黒人奴隷制度の一文であるが、既に、奴隷に対するムチ打ち、焼き印などの懲罰が認められていた。

ここでの「不動産」が、「物的財産」を意味するのは、言うまでもない。

一切は、ここから開かれていく。

仏領ルイジアナの名残・ニューオーリンズのフレンチ・クオーター
「仏領ルイジアナ」を、アメリカ合衆国が買収したのが1803年のこと。

アメリカ合衆国の州としてのルイジアナ州が成立したのが1812年。

爾来、1840年時点で、最大の奴隷市場であり、輸入港でもあったニューオーリンズ市を中心に、頑健な体力が要求される粗放的な農業の砂糖(最も主要な作物)と、綿花のプランテーションが形成されていく。

生産効率性が悪いという理由のみで、黒人奴隷制への反対を標榜し、1854年に結成された共和党に結集する、当時の北部資本家たちが奴隷制度を採用しなかったのに対して、アメリカ南部が奴隷制を堅持したのは、広大な農地に大量の資本を投入し、亜熱帯地域に耐え得る綿花プランテーションという生産形態が、奴隷制という生産様式に最も好都合だったからである。

因みに、奴隷にされた人々の多くは、アメリカに近い大西洋側である西アフリカ出身であることを考えれば、「アメリカ植民地協会」(アメリカホイッグ党の創設者・ヘンリー・クレイらによって作られ、植民地・リベリアを設立した組織)が、西アフリカ海岸の植民地をリベリアに作ったのは、地理学的視点から言って必然的であるだろう。

―― 物語を追っていく。

奴隷市場に送られたソロモンが、「プラット」という名で、奴隷商人を媒介し、荷馬車に乗せられて運ばれていく。

ソロモンを買ったのは、ウィリアム・フォードという奴隷オーナーだが、共に購買したイライザという名の女は、市場で子供と引き離されて、絶望的なまでの叫びを上げていた。

「よく食べて休むの。子供のことは忘れなさい」

イライザの事情を知った、フォード夫人の憐みの言葉である。

かくて、ウィリアムの農園の監督官・大工のジョン・ティビッツは、黒人奴隷を前に、「旦那様」と呼ぶことを強要し、「ニガー」を強制管理する歌を歌い、奴隷たちに拍手を求めるのだ。

そんな中で、森林伐採における一連の作業の中で、川下りでの木材輸送によって、流通コストを低減させるというソロモンの合理的提案が奏効し、敬虔なクリスチャンであるフォード夫妻に特別待遇を受けるに至ったが、それもまた、オーナーに恵まれたソロモンの有効な適応戦略の成就でもあった。

ソロモンイライザ
しかし、子供と引き離されたイライザの嗚咽を聞かされる日々に耐えられないソロモンは、彼女に自分の思いを激しく表現する。

「私は絶望などしないし、媚を売ることもしない。自由のために演じてるだけだ!」

ここまで言われたイライザも反論する。

「あなたは貴重な家畜なの。“プラット”に馴れてきたのよ」

ソロモンも、怒りを隠せない。

「私の背中は、ムチ打ちで傷だらけだ!自由を求めたからだ。責めるなよ」
「責めてないわ。私に、そんな資格ないもの。恥になることもしたけど、結局、奴隷になってしまった。自分を守れなかったの。だから泣かせてよ」

しかし、環境に適応できないイライザが売られていくのは必至だった。

その現場を目視し、何もできないソロモンは、ニセの自由証明書を渡され、農場を追い出されたイライザの話を聞いていたときのエピソードを回想するばかりだった。

この時代、経済的利益の確保のため、農園主が奴隷家族の安定を保証することで、奴隷の大半は家族ごと売られるケースが普通であった事実を思う時、イライザの悲劇は同情するに余りある。

イライザの悲劇は、同様に、家族と引き離されたソロモンの悲劇でもあったのだ。

その悲劇の稜線が伸ばされていった時、命の危機に遭うことがなかったイライザと違って、ソロモンは決定的に被弾する。

ソロモンの決定的な被弾が、「自由黒人」であった時代に形成されたであろう、自己の尊厳に拘泥する男の、その有能さ・矜持(きょうじ)に起因するからである。

「生き残りたいなら、余計なことをするな」

このクレマンスの言葉は、的を射ていたのだ。

有能なソロモンへの特別待遇に不満を募らせる一方の、ジョン・ティビッツの理不尽な行為に怒りを炸裂されたソロモンが、あろうことか、白人大工のティビッツに暴力を振ったことで、言語に絶する恐るべき報復が待っていた。

「ストレンジフルーツ」
ティビッツら、白人の3人がかりで、「ストレンジフルーツ」(黒人を縛り首にして木に吊るすリンチ)の受難を受けるのだ。

監督官の救済があっても、農園主のウィリアム・フォードが帰還するまで何もできない異様な風景が映像提示され、観る者を震撼させるに充分だった。

必死に爪先で立って、縊首の恐怖と闘うソロモンの向こうには、このような風景に馴致し、すっかり感覚鈍磨した人間たちがいる。

自らの命の危機に繋がる黒人奴隷は当然だが、フォード夫人までもが何も為し得ないのだ。

ソロモンの内面世界に入り込むことで、寡黙なプロットを繋ぐ映像の底層に澱む南部社会のシステムの構造を、このシーンほど如実に描写するコンポジション(構図)はない。

半日経ち、ウィリアム・フォードの帰還があって、漸く解放されるソロモン。

「ティビッツは、お前を殺すまで諦めないだろう。ここにいたら危険だ」

これが、農園主・フォードの言葉。

敬虔なクリスチャン・ウィリアム・フォード
結局、どれほど敬虔なクリスチャンであっても、黒人奴隷を家畜と看做す南部の絶対規範に逆らえないということなのだ。

かくて、ソロモンは、エドウィン・エップスに売られることに至った。

その内実は、エドウィン・エップスへの借金の肩代わりに、ソロモンが利用されただけなのである。

当時、利益の少ない農園主は、余剰奴隷を売却することで利益を上げていた歴史的事実を忘れてはならないだろう。

殺害されることが「予約」されていて、その現実を止められない南部社会のシステムの中では、なお「自由黒人」の名残を留め、自己の尊厳に拘泥する「黒人奴隷」を「買い続けておく」メリットなど、どこにもなかったということだ。


(注1)様々な経緯で奴隷の身分から解放された北部に住む黒人のことで、黒人全体の1割に満たなかった。特に、ソロモンが生活するニューヨーク州は、自由黒人の社会的地位が高かったと言われている。それ故にこそ、ソロモンの受難が、「拉致された者の悲劇」の極限状況をトレースする風景だったと言える。

(注2)当時、「自由黒人」の拉致・奴隷事件の発生は、少なからず存在し、正式に公証された「自由証明書」が破り捨てられる事件もあったと言われる。



2  極限状況下に置かれた男の内面に入り込んだ映像の素晴らしい着地点



ソロモンの受難は、いよいよ、「人間の尊厳」のぎりぎりのところまで追い詰められていく。

「主人に従わぬ奴隷は、ムチで打たれるのだ」

これは、綿花プランテーションのオーナーであるエドウィン・エップスが、奴隷たちの前で言い切った言葉。

このプランテーションに、ソロモンは売られたのである。

綿花の収穫量が規定量に達しない黒人奴隷にはムチ打ちのペナルティが待っていて、早速、ソロモンもまた、このペナルティを受けるに至る。

エップスの性欲の玩具的存在(「性的搾取」と呼ばれる)として重宝されていた、パッツィーという名の女奴隷がいた。

綿花栽培で、毎日200キロ以上も摘むことで、プランテーションの「模範奴隷」されていたが、エップス夫人の嫉妬を買い、パッツィーを売ることを求めるシーンがあった。


「あれを売るくらいなら、お前を捨てる」

これが、エップスの答えだった。

「夜を我慢するか、ムチ打ちか、どちらかを選ぶのよ。パッツィー、主は全てをご覧になる。その時が来れば、必ず罰が下されるわ」

これは、今は奴隷から解放されているハリエット・ショー夫人が、パッツィーに語った言葉。

この時代、南部の全ての黒人が、苛烈な奴隷の身分に甘んじていた訳ではないのである。

黒人が黒人奴隷を支配することも可能だったということだ。

左からエップスパッツィーソロモン
そのパッツィーは、エップスに暴力的に凌辱されるだけの生活に限界を来たしていく。

「夜を我慢する」ことができなくなったのだ。

「お願いよ。私の人生を終わらせて。喉を掴み、動かなくなるまで沼に沈めて。お墓も決めた。ずっと考えていたことなの。今の暮らしじゃ、何も救われないわ」

最も信頼できるソロモンに、パッツィーが正直に吐露した言葉である。

彼女の思いが理解できていても、「神に背く行為」に対して、ソロモンが承諾できる訳がなかった。

一方、害虫による不作続きの綿花栽培の原因の全てを、黒人奴隷たちの怠惰に求めるエップスが、ソロモンを含む奴隷たちを、サトウキビ畑を経営する農園主である判事に、一時的に貸出したのは、その直後だった。

ソロモンのバイオリンの才能を評価し、パーティーでのバイオリンを演奏をさせるような農園主(判事)がいた事実を、偏頗(へんぱ)なしに映像は提示する。

因みに、冒頭のシーンで描かれていたように、南部のプランテーションの中心は、綿花栽培よりもサトウキビ畑の方が圧倒的に多く、その収益も安定していたが、収穫の際、葉を切り落とした後、3メートルにもなる茎を切り、倒れた茎を束にして運ぶので、若く頑健な黒人奴隷が求められたと言われる。

「災いは過ぎ去った」

そう言って、サトウキビ畑から戻されたソロモンへの苛烈な労働が、再び開かれていく。

一日で100キロに満たない、ソロモンの綿花摘みへのペナルティは、いつものようにムチ打ち刑だった。

更に、ソロモンへの苛烈なペナルティーが待っていた。

それは、ソロモンの解放への思いが、いよいよ膨らんでいく心情を増幅させていくが、「ちゃんと生きたい」と言い切った時のような、尊厳への凛とした拘泥は、既に、「ストレンジフルーツ」の恐怖を通過した男の内側で擦り減らされていて、漸次(ぜんじ)、失いつつあるものへの恐怖が、心奥で揺動する男の葛藤を露わにするのだ。

そして、一つの由々しき事件が惹起する。

かつて、農園の監督官だったが、奴隷に身を落としていたアームズビーという名の白人に、手紙の投函を頼んだ行為が裏切りに遭い、ソロモンの解放への可能性は断ち切れたのである。

尊厳の剥落という真の恐怖との葛藤が、極点に達しつつあるようだった。

それが今、形になって顕在化する。

パッツィーの姿が一時的に見えないことで、怒り心頭に達したエップスは、裸にされたパッツィーへのムチ打ちを、ソロモンに命じたのである。

遠慮げであっても、ソロモンのムチ打ちは、その度に、自らの尊厳を剥落させていくのだ。

しかし、手加減を許さないエップスの狂気は、ソロモンに代わって、それを望む夫人の見ている前で、自らムチ打ちを炸裂させるのだ。

「これ以上、気の晴れる遊びはない」

エップスの戯言である。

エップスの狂気の心理の根柢には、「舐められると、自分が殺られる」という恐怖感がある。

一方、パッツィーのムチ打ちの生々しい傷を目視するソロモンにとって、もう、この辺りが限界だった。

カナダ人大工・サミュエル・バス
既に、顔見知りになっていたカナダ人大工・サミュエル・バスに、自らの解放への思いを賭ける行為に打って出るのだ。

その伏線はあった。

「これは病気さ。この国に巣食う恐ろしい病気だよ。いつか、最後の審判が下る」

エップスに語った、このバスの言葉を信じたのである。

「故郷に住む私の友人に、手紙での状況を知らせ、自由黒人の証明書を送るよう頼んで下さい。実現すれば、言いようのない喜びです。妻と子供たちに、また会いたいんです」

嗚咽を交えながら、恐らく、もう、それ以外にないチャンスに身を委ねるしかなかった。

「20年以上、この国を歩いて来た。自由こそ、一番大切だ。それは僕だけの喜びだが、君の自由は皆が喜びそうだな。だが、実のところ、その頼みには気後れする。正直に言えば怖いんだ。自分が可愛い」

そう言いながらも、バスは手紙を書くことを約束した。

一人になったソロモンの複雑な思いの表情が、相当の「間」をとって映像提示されていく。

過去に同じ白人に裏切られた経験が、このソロモンの複雑な思いの表情に現れているのだ。

このシーンは、この映画の白眉と言っていい。

ハリウッド映画らしくなく、極限状況下に置かれた男の内面をフォローする寡黙な映像が、なお繋がれているのだ。

エップスの農園に、ソロモンの故郷の知人・パーカーを随伴した保安官が現れたのは、その直後の映像だった。

バスは裏切らなかったのである。

自分の奴隷と言い張るエップスと保安官との言い争いが続くが、ソロモンの解放は具現したのである。

ソロモンパッツィー
別れ際、なお、エップスの「性的搾取」を受けるであろうパッツィーとの抱擁を交わし、彼女への深い同情の念を残しつつ、ソロモンを迎える荷馬車の客となって、信じ難い程の理不尽な扱いを受けたプランテーションを去っていったのである。

「許してくれ。今さら戻って来て・・・でも、苦しかった。何年もの間、ずっと・・・マーガレット、アロンゾ・・・」

北部の自宅に戻って来た時のソロモンの言葉である。

マーガレットは娘、アロンゾは息子の名である。

12年間の時間の空白は、ソロモンにとっても、突然、夫または父を失った家族にとっても、言葉で説明できない凄惨を極める状況だった。

その状況を潜り抜けて来た男が放った最初の言辞が、「許してくれ」という言葉だった。

思うに、「許してくれ」というソロモンの言葉ほど、この映画の本質を代弁する言葉はない。

家族を思い、その家族への責任を負うことで、ぎりぎりのところまで追い詰められていった男の「人間の尊厳」が、全人格的に破壊されなかったからである

ソロモンの幸運な救済は、単に運が良かっただけではないのだ。

それカナダ人大工に命運を託したソロモンの、人生最大の賭けだったのだ。

ソロモンの複雑な思いの表情の映像提示が、この映画の白眉である所以なのである。

今や、少女だったマーガレットは、一人の黒人の妻となっていて、「ソロモン・ノーサップ・ストートン」という名の孫を持つほどの時間の空白の重み。

自分の名を孫に命名した娘の思いこそ、父を信じ、敬愛する家族の思いの結晶点であったことが容易に読み解ける。

最後に妻・アンと抱擁し、家族が一つの輪となって、一貫してシビアな映像は閉じていく。

この短いが、意味深いラストシーンは、一貫して、ソロモンの内面に入り込んだ映像の、素晴らしい着地点だった。

以下、エンドロールの中で紹介された、「その後のソロモン」の人生の一端である。

「奴隷制度廃止運動の活動家として、北東部を中心に講演を行う。また、逃亡を手助けする結社、“地下鉄道”を支援した。ソロモンの死については、日付、場所、状況、すべてが謎である」

1830年から1865年にかけての地下鉄道の経路図(ウィキ)
ここで言う“地下鉄道”とは、1850年代に入って活発化した、「アンダーグラウンド・レイルロード」と呼称される、奴隷の逃亡を援助する秘密組織である。

実際、奴隷制廃止論者は、“地下鉄道” の呼称通り、「車掌」、「乗客」、「停車駅」、「駅長」などの鉄道用語を暗号に変換し、アメリカ北部諸州やカナダに脱出させていたのである。

更に、「ソロモンの死の謎」については、彼がレイシストによって殺害されたことを暗示しているとも言えるだろう。



3  近接してくる者たちへの、得体の知れない恐怖の心理的風景



黒人奴隷に対する白人の虐待的対応が、なぜ可能だったのか。

それを心理学的に考えれば、こういうことではないだろうか。

黒人を人間と看做さずに、「家畜」(或いは、「不動産」=「物的財産」)と考えること。

「家畜」と考えれば、食糧難の時の精神的食糧の代替(「ストレンジフルーツ」)とすればいいし、或いは、他の奴隷主に高く売りつければいい。

昔、読んだ本の記憶によると、「黒人を人間と考えなければ、何も気にならないのだ」という、当時の白人の正直な思いが紹介されていた。

まさに、黒人を「家畜」と考えれば、こんな発想が可能になる。

要するに、黒人を「家畜」と看做すことで、黒人との「心理的距離」を切断することができるのだ。

そればかりではない。

黒人を「家畜」(映画でも多用)と看做した上で、彼らを納屋に閉じ込めておくこと。

それによって、黒人の存在は、その納屋で、藁を集めて寄食するだけの待遇で充分な何ものかでしかないということになる。

即ち、黒人を納屋に閉じ込めておくことで、黒人との「物理的距離」を切断することができるのだ。

かくて、白人と黒人との距離感は、それを埋めるに足る何ものもなくなって、「黒人を人間と考えなければ、何も気にならないのだ」という観念を固めることができるのである。

この心理学的な構造の中で、黒人奴隷に対する、白人たちの自我の「感覚鈍磨」を可能にするということ。

この把握が決定的に重要である。

然るに、白人たちの自我の「感覚鈍磨」の心理的過程の推移は、当然ながら、人様々である。

中には、南部の敬虔なクリスチャンのように、容易に、この「感覚鈍磨」が推移しない白人も存在するだろう。

ソロモンにバイオリンを与えるフォード
本作で言えば、敬虔なクリスチャンのフォード夫妻がそれに当たるが、彼らもまた、南部社会のシステムの負の規範に呪縛されていた事実に変わりがない。

更に、アルコール依存症で奴隷になった、かつての監督官だった白人の言葉が印象に残る。

「少しでも良心があれば、毎日、誰かをムチ打つ度に、心では悩む。他人を打つことを、自分の中で何とか正当化しようとする。そして、罪悪感を消す方法を探すんだ。俺は酒で消したよ。何度も何度も」

そんな男でも、ソロモンを裏切った。

奴隷に堕ちることで、「奴隷根性」になった男の心の風景が垣間見えるが、ここは、危険を冒す愚に走る行為を避け、自己防衛的行動に逃避したと解釈したほうが正解だろう。

要するに、同じ奴隷でも、黒人との対等な立場で取引きすることなどあり得なかったのである。

当然ながら、黒人蔑視の感情が根柢に伏在していて、その距離が埋まることはなかったのだ。

それでも彼らは、自分たちが拠って立つ南部の規範を逸脱するには、相当の勇気が必要とされるだろう。

これは、ソロモンを救済する役割を果たしたカナダ人大工・サミュエル・バスもまた、同様だった。

「実のところ、その頼みには気後れする。正直に言えば怖いんだ。自分が可愛い」

奴隷制廃止論者バスでさえ、怖い」と吐露するのである。

当然過ぎることである。

それが人間なのだ。

だから、ごく普通の南部の「良心的白人」の多くは、代々受け継がれていた南部の規範を消極的に守ることで、「南部の白人」であるというアイデンティティを確保するのである。

「黒人は人間ではない」―― これが、南部白人の対黒人観のスタートラインにあったということだ。

彼らは奴隷であるから公的な活動は出来ないので、犯罪を犯すような場合は、彼らは物であり、人間ではない」

アラバマ州の裁判所での主張である。

このラインが恒常的に維持される限り、そこに、白人と黒人の対立など成立しようがないし、ましてや、両者の近接度が深まるなどという事態が生まれようがないのである。

この現実が、他州の公有の領土逃亡した奴隷の返還を規定する逃亡奴隷法」を作ったの、アメリカ南部という、広大なる特定の大地で形成された日常的な観念であった。

彼らにとって、どこまでも、白人と黒人との「心理的距離」と「物理的距離」を切断しておくことが絶対的条件だったのである。

しかし、この距離感が近接してくると、一体、どうなるのか。

黒人奴隷を「家畜」と看做し、彼らを納屋に閉じ込めておくことで守られていた、「家畜」との「心理的距離」・「物理的距離」が曖昧になり、レイシストたちの拠って立つ精神的基盤に亀裂が入ってしまうのである。

これは、レイシストたちにとって、「近接してくる者たちへの、得体の知れない恐怖感」と言っていい。

この由々しき事態を防ぐために、精神分析的に言えば、レイシストたちは「心理的距離」・「物理的距離」の切断を、より強化する行為に走るだろう。

弱さを見透かされないために、強く見せようと虚勢を張るのだ

だから、「家畜」と看做す黒人奴隷への醜悪なる暴力が常態化し、一層、先鋭になる。

エドウィン・エップス
レイシストの狂気を象徴する、映画のマイケル・ファスベンダー演じるエドウィン・エップスのように、恐怖感は、しばしば、信じ難いほどのエネルギーに転化するのである。

大量虐殺などの人間の残酷さを曝す様態を心理学的にアプローチしていくと、そこには、人間の基本感情の一つである恐怖感のリアリティと出会うことがあまりに多い。

恐怖感が防衛意識のバリアを作るとき、それが、とんでもない暴力の発動を生み出してしまうということである。


「生き残りたいなら、余計なことをするな。自分の素姓や読み書きができることも言うな。ニガーの死体になるぞ」



奴隷市場に運ばれる船内で、同じ黒人奴隷・クレマンスから指摘された言葉である。

「お前は何をやらせても誰よりも優秀だが、それが災いになる気がする」

これは、先のウィリアム・フォードの言葉。

思うに、綿花の広大なプランテーションが生まれ、その労働力として、アフリカから大量に黒人奴隷が組織的に移入されてくるようになって、南部の社会風景は、19世紀半ばには400万人にも及ぶ数の奴隷労働者たちの存在を無視できないものに変貌する。

約60年間で、300万人以上の黒人奴隷が増強されてしまったのだ。

その理由は、産業革命を経たイギリスの綿花の需要が飛躍的に拡大したためである。

しかし、奴隷としての黒人たちと白人たちとの近接度は決定的に乖離していたから、白人プランターの意識裡に、黒人の存在は、殆ど動物的価値以上の何かを持ち得なかったに違いない。

まして、「自由黒人」のソロモン・ノーサップは、拉致奴隷にされる前まで、読み書きができ教養が高いアーチストだった。

それ故、プライドも、自己の尊厳に拘泥する意識も高く、骨の髄まで「奴隷根性」に堕ちることがなかった。

「家畜」にまで堕ち切っていなかったのである

だからこそと言うべきか、虚勢を張るのだけの臆病なレイシストの典型のような、ティビッツやエップスの餌食になのは必至だった。

「家畜」にまで堕ち切っていないからこそ、ソロモンを「人間」として、必要以上に意識せざるを得なくなるのだ。

左からソロモン、フォードティビッツ
甚振(いたぶ)ったはずのソロモンに、逆に反撃され、醜悪さを晒したティビッツが、そのソロモン「ストレンジフルーツ」の恐怖にまで追い込んだのは、南部社会のシステムの負の規範に呼吸を繋ぐ者の不文律の中で、当然過ぎる行為でもあった

アメリカ南部という、広大なる特定の大地で形成されたエリアでは、黒人奴隷に暴力的に反撃された南部白人は嘲笑の的になるだけだろう

誰よりも人間的に生きようとしたソロモンの悲哀は、まさに、その思いによって極まったのである

「近接してくる者たちへの、得体の知れない恐怖感」を、救い難いほどに愚昧なレイシストたちに抱かせてしまったからだ

エップスとソロモン
「誰よりも優秀だが、それが災いになる気がする」と言った、ウィリアム・フォードの指摘は正解だったのである

ここで、歴史を簡単に振り返ってみよう。

黒人と白人の結婚を形式的に禁止する「異人種間結婚禁止法」が、この国で厳然と存在(アラバマ州で2000年になって撤廃)することで、ようやく、終止符が打たれたという歴史的事実の持つ意味は、あまりに重い。

思えば、奴隷解放宣言(1863年)に至るまで、この国には、「ワン・ドロップ・ルール」(黒人の血が一滴でも混じっている者=黒人)という観念が形成されていたことで、その一滴の血の「汚れ」に対する意識は過剰に膨らまされていったに違いない。

奴隷貿易の歴史から始まったこの問題の深刻さは、現代史に至って具現した、表面的な福祉政策の充実化等(「アファーマティブ・アクション」)の制度的処方によっても、なお、容易にクリアし切れないテーマを内包しているということなのか。

個人的に特別な能力や才覚を持ち、周囲からの差別の視線の集中砲火にあっても、倒れないほどのパワーを内蔵するごく一握りの例外を除けば、「黒人問題」の現在的課題の克服は依然として先送りにされているということであろう。

「アメリカ」という「サラダボウル」の中で、自分が拠って立つアイデンティティを求めるとき、そのメンタリティが自分の出身の民族や宗教の内に収斂されていくであろうから、人々は、そこに自らが拠って立つものが表出する価値観の優位性を確認し、保障するために何某かのランキングをそこに作り出していくであろう。

そのとき、最も対極的な構図として際立つ関係は、「アングロサクソンV.S黒人」という分りやすい図式に落ち着くことになるのか。


しかし、歴史が動いた。

南北戦争と、この国のその後の激烈な展開が、黒人差別を却って拡大する結果を招き、そのことで耐えかねた黒人の度重なる暴動が頻発したのである。

更に、歴史は動いた。

20世紀に入ってからの公民権運動の南部への波及は、キング牧師に象徴される黒人自身の意識の覚醒と、その覚醒した意識を身体化する様々なデモンストレーションによって、黒人たちは、その内側から変化の波を作り出したのである。

これらの尖った運動は、とりわけ保守的で、南部のプアー・ホワイト層に看過できない刺激を与えることになったのである。

黒人の公民権の獲得という事態は、プアー・ホワイトにとっては、自分たちの生活圏の境界辺りに、いよいよ近接してくる「黒い家畜」のイメージを醸成することになったと思われる。

かつて、奴隷であった者たちのその人間的行動は、プアー・ホワイトの拠って立つ価値観を揺るがすほどの恐怖感を作り上げてしまったのである。

繰り返し言及するが、それは、「近接してくる者たちへの、得体の知れない恐怖」と言っていい。

南部のプアー・ホワイト層にとって、黒人は近接することすら許されない存在であった。近接することが禁じられた者たちが、あろうことか、SNCC(学生主体の米国の公民権運動組織で、「学生非暴力調整委員会」の略)などの過激な思想をバックボーンにして、その権利の拡大運動を果たそうと言うのだ。

公民権の獲得は、近接の度合いを一歩進める何かであった。

歴史の流れ方を客観的に俯瞰すれば、プアー・ホワイト層の暴走は、奴隷としてこの国に送られて来た「人間ではない者たち」が、人権という名で近接の歩を進めていく一連の行為への、彼らなりの
正義の行使であったと言えるだろう。

【参照資料】

拙稿・人生論的映画評論「ミシシッピー・バーニング」  「奴隷制の米国への拡大」(Adobe PDF

(2015年4月)


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