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2013年3月7日木曜日

隠し剣 鬼の爪(‘04)         山田洋次



<「純愛譚」のピュアな絡みをベースにした「娯楽時代劇」の逸品>



 1  「暗殺剣」の行使必要とせざるを得ない、拠って立つ立場を相対化したとき



テレビ時代劇に見られるような、権力を笠に着て藩の政治を牛耳る悪徳家老と、嫁を死ぬまで酷使する商家の鬼姑という、典型的な「悪」を設定することで、さして強そうにも見えない、人情深い青年武士の「スーパーマンもどき」と、自分の本音を隠し、好きな男の命令に殉じる、万事控えめな日本女性という、極めつけの「善」を際立たせた、典型的な勧善懲悪の映画。

しかし、極めつけの「善」を象徴させた、後者の二人の「純愛譚」のピュアな絡みをベースにしたためか、この作り手特有の説教臭さが、相当程度、希釈化されていていたことによって、観る者に感情移入をナチュラルに導く人物造形のシンプリズムが功を奏し、ふんだんのユーモアで包み込んだ、ヒューマニズム基調の「娯楽時代劇」の逸品と言っていい作品に仕上がっていた。

とりわけ、この映画の成功は、「純愛譚」を演じた二人の俳優、永瀬正敏と松たか子の抜きん出た表現力に因っていたと言っていい。

加えて、本作のスクリプトの中に、説教臭い嫌味な「決め台詞」が捨てられていたことが、「純愛譚」の中で出し入れされた男女の情感の交叉の生命線と化して、相当の訴求力を保証していたと思われる。

 「なども、なしてだがのう、この空しさは・・・俺はこれから、どうしぇばいいのかのう・・・」

 これは、東北の小藩に仕官する下級武士・片桐宗蔵が、かつての同門の友人・狭間弥市郎を藩命によって斃した後、藩政を牛耳る悪徳家老を、「隠し剣鬼の爪」によって一切の証拠を残すことなく、一瞬にして殺害し、件の悪徳家老の犠牲になった者の墓碑の前で吐き出した内的言語。

既に用済みの「暗殺剣」である、「隠し剣鬼の爪」を手に持つ宗蔵が、今、墓碑の前に盛られた土壌の奥深くに、それを埋め込ませていく行為は、このようなツールを必要とする特権的世界からの決別を告げる、決定的なイニシエーションであったと言えるだろう。

もうそれ以外にない「最後の手段」として残されていた、「隠し剣鬼の爪」によるテロを遂行した宗蔵にとって、憎悪に充ちた復讐の唯一のツールである「暗殺剣」の行使は、小藩に仕える下級武士としての、拠って立つ立場を超えたタブーへの自己投入だった。

この時点で、本作の主人公である、「スーパーマンもどき」の片桐宗蔵は、上司の命令に逆らえない仕官武士の、権力構造の末端の立場の悲哀を帯びた物語展開の中で、二人の男を殺害しているが、そこで使用された武器としての剣の役割は、「殺人遂行のためのツール」と化した、「卑怯な剣技」の戦法と見られるような機能を果たしていた。

第一の相手である、狭間弥市郎に対して採った戦法は、相手に背中を向け、油断させて斬るという「邪剣竜尾返し」。

「どこで覚えた卑怯な手を!」

狭間弥市郎を怒号させた戦法は、無論、「隠し剣鬼の爪」ではない。

たとえ「卑怯な剣技」であったとしても、元々、剣の究極の役割は、「殺人遂行のためのツール」以外ではないのだ。

「剣の美学」などという、聞こえの良い言辞は、「殺人遂行のためのツール」を全く必要としない時代に、「特権階級」としての武士の権威を保持するための観念系の産物でしかないのである。

また、二人目の悪徳家老の殺害での「殺人遂行のためのツール」は、階級の物理的シンボルとしての、「武士の命」である長い剣身を持つ脇差などではなく、完璧なテロ用の「隠し剣」であった。

それは、緊急時には手裏剣にも変じる、日本刀に付属する便利な小刀の小柄(こづか)のこと。

 いずれも、かつて、藩の剣術指南役だった戸田寛斎からの直伝であり、とりわけ、狭間弥市郎を怒号させた「邪剣竜尾返し」という、「卑怯な剣技」の戦法は、狭間殺しの藩命を受けた宗蔵が、勝ち目がないと悟った上で、急遽、戸田寛斎を訪ねて授与された、言ってみれば、その場凌ぎの俄か剣技でもあった。

「邪剣竜尾返し」を、単なる剣技の範疇に押し込めたとしても、完璧なテロ用の「隠し剣鬼の爪」ばかりは、その範疇を超える最も危険な秘法であると言っていい。

従って、二つの殺人を遂行した男の中で、「隠し剣鬼の爪」を必要とする状況下に置かれた者の空虚さが広がって、それを遂行せざるを得なかった、「特権階級」としての自らの身分を相対化し、それと対峙するに至ったのは、人情深い青年武士の必然的振れ方であったと言えるだろう。

「特権階級」としての自らの身分を放棄させた、人情深い青年武士が選択したもう一つの人生は、一切の煩わしい束縛から解放された、自由自在な生き方だったという訳だ。



2  「純愛譚」のピュアな絡みをベースにした「娯楽時代劇」の逸品



人情深い青年武士・宗蔵は、今や、拠って立つ立場の継続力を失ったことで、彼に「暗殺剣」という秘儀を授けた変人の生き方をなぞるかのように、自らを、誰にも縛られることのない「自由人」へと解き放っていく。

 「俺は、録、返上して、侍止めることにした。二度と人を殺すのは嫌だ」(モノローグ)

 藩の録を返上した宗蔵は、その足で、「純愛譚」の対象人物である女の下に向かった。

実家で農業を営む女の名は、きえ。

きえは、かつて、宗蔵の簡素な屋敷の女中奉公をしていたが、嫁入りしていった商家で酷使され、病に侵された危機を宗蔵に救われたものの、世間や藩内での厳しい視線を浴びる渦中で、きえの未来を優先した宗蔵によって、実家に戻されていた。

 そんな薄倖の女と、二人だけになった宗蔵は、自分の思いを吐露していく。

 「きえは、もう嫁入り先は決まったなか?」
 「父親は、何度か話を持ってきましたども・・・」 
 「んだか。まだ、決まってはいねぇか」

安堵する宗蔵。

宗蔵は、このときとばかりに、告白を開いていくのだ。

 「実はな、きえ。俺は、これから蝦夷さ行くんだ。俺は侍が嫌になってのう、録返上して一介の町人になったんだ。蝦夷の地で、商売でも始めてみっかと思っての」

思いもかけない宗蔵の言葉の前に、驚きを隠せない女は、最も肝心なことを問うていく。

「もう、一生、お会いできないでがんすか?」

この瞬間しかなかった。

男もまた、一気に畳み掛けていく。

「きえ、俺と一緒に行ってはくれねぇか。お前と一緒だば、どげな辛いことでも我慢できる。俺がここさ来たのはな、それ言うためなんだ。どんだ、俺と夫婦になってくれねぇか」

その言葉をこそ待っていた女は、自分の本音を隠し込むのが精一杯だったが、その表情だけは隠し切れなかった。

「あたし、そげなこと聞かれても」

女の心を読み取っていた男には、回りくどい表現を捨てて、直截(ちょくさい)に吐露する。

「なんも、難しいことはねぇ。俺がお前を好きで、お前が俺を好きだば、それでいいなや。俺はお前が好きだ。初めて会ったときから、ずっと好きだ。きえ、お前はどんだ?」
「そげなこと、私、考えたことありすねぇ」
「だば、今、考えてくんねぇか?」

ここで、「間」ができる。

万事控えめな女の自我には、直截な表現を簡単に返すことが、「尻軽」に見られることへの不安も張り付いているが、それ以上に、「町人」宣言をしたと言っても、かつての主人との身分の壁の大きさを、一瞬にして崩してしまうメンタリティが追いついていけないのだ。

「どんだ?考えてくれたか」

ここで、再び「間」ができる。

「それは、旦那はんの、御命令でがんすか?」
「んだ!俺の命令だ!」
「ご命令なら、仕方ありますめぇ」

笑みを返す女の手を握る男のカットが物語の括りになっていく、「純愛譚」のピュアな絡みをベースにした「娯楽時代劇」の逸品を象徴する、この暑苦しくない淡泊な閉じ方は、「自分に正直に生き、信念を貫け」というメッセージが読み取れるものの、全篇を通して説明過剰なくどさがあるが、それが説教臭さに結ばれない分だけ、私にとって救われた思いでもあった。

(2013年3月)

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