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2016年9月27日火曜日

山椒大夫(’54)   溝口健二


左から姥竹、厨子王、玉木、安寿
<映像化された「語りもの」の逸品が、奇跡的な「復讐・再会譚」として炸裂する>





1  人買いに売られた貴族の悲哀





「人は慈悲の心を失っては、人ではないぞ。己を責めても、人には情けをかけ、人は均しくこの世に生まれて来たものだ。幸せに隔てがあっていいものではない」

父・平正氏(たいらのまさうじ)は息子の厨子王に、「父の心は、これだと思え。これが、わしの形見だ。肌身離さず持っておけ」と言って、家宝の如意輪観音像(生きとし生けるものを救済する菩薩の一つ)を手渡すのである。

この会話の背景にあったのは、平安朝の末期、陸奥(東山道に属する。現代の青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県北東部)の国の農民の窮状を救うために奔走した平正氏が、鎮守府将軍(陸奥国に置かれた軍政府である鎮守府の長官)の逆鱗に触れ、免官となり、筑紫(つくし/現在の福岡県に左遷される運命となり、家族との別離を余儀なくされる事態を招来したこと。

かくて、自らを「一刻者」と呼ぶほど、頑迷な性格である正氏の命令で、妻・玉木の実家がある、岩代の信夫郡(しのぶごおり/現在の福島県)で6年間を過ごした玉木と子供らは、平正氏が流された筑紫に向かう長旅に打って出た。

長旅に打って出たは、妻・玉木と、幼い兄妹(厨子王と安寿)、そして、女中・姥竹(うばたけ)。(トップ画像)

場所は直江の浦(現在の上越市直江津浜)。

巫女と四人
旅人を装う盗賊や人買いの横行で、旅人を泊めることを禁じる国守くにのかみ/律令制における国司の長官の掟があり、この四人のリスキーな長旅の初発から野宿を強いられるが、幸いにも、巫女の援助を受け、一夜を過ごすに至る。

翌朝、群盗が山にいるので、船の旅を勧める巫女の助言で船頭衆を紹介され、船着き場にやって来た。

しかし、玉木が丁寧に挨拶するや否や、姥竹と共に強引に船に乗せられ、玉木は子供たちと引き離されてしまう。

巫女は人買いの仲間だったのだ。

必死に船を戻すよう懇願する玉木。

そして、抗う姥竹は海に落とされ、絶命する。

泣きながら、母を追いかけていく厨子王と安寿の呼びかけも虚しく、船は遠ざかっていく。

人買いから、母・玉木が佐渡に売られてしまったと聞かされた厨子王と安寿は、丹後の由良(ゆら)の港の長者として名を馳せている山椒大夫に売られてしまうのだ。

山椒大夫
役にも立たない厨子王と安寿は、柴刈り(雑木を刈り取る作業)、汐汲み(しおくみ/塩を作るための海水を汲む作業)という苛酷な労働を強いられるが、脱走しようとした女が、焼きごてを額に押される現場を見て、無力感と絶望感だけが兄妹の心を支配していた。

そんな状況下で、兄妹に同情する山椒大夫の息子・太郎は、父の所業を嘆くばかりだった。

厳しい年貢の取り立てによって貢物(みつぎもの)が増える「功績」を、都から来た右大臣家の使者から評価され、喜色満面の父・山椒大夫に我慢の限界を超え、人情の厚い太郎は出奔してしまうのだ。





2  兄と妹の受難





10年経った。

いよいよ、山椒大夫の暴虐は収まらない。

あろうことか、成人した厨子王に命じ、逃亡を企てた老人に焼きごてを押させるのだ。

それを見て、安寿は居たたまれない気持ちになるが、どうすることもできない。

そんなときだった。

小萩(こはぎ)という名の娘が佐渡から人質に売られて来たと知り、・玉木の所在を聞くが、その名も聞いたことがないと言われ、失望する安寿。

安寿と小萩
しかし、傍らで、小萩が唄う文句を聞き、安寿は驚きを隠せなかった。

厨子王恋しや、安寿恋しや

小萩は、そう唄ったのだ。

「ひところ、佐渡ではやった唄です」と小萩。
そんな悲しい歌を誰が歌い出したの」と安寿。
「遊女だそうです」
「遊女?」
「中君(なかぎみ)と言う」
「それで、その人は今でも達者でいるの?」
「さあ、分りません」

安寿は小萩に、「もう一度、唄って」と頼み、繰り返し唄う小萩の一節に、嗚咽を抑えられなかった。

このシーンの直後、人身売買で佐渡に送られた玉木が、出発する小舟に、「連れて行って」と乗り込もうとする現場を捕えられ、足の筋を切られてしまう無残な描写が挿入される。

佐渡の玉木
足の筋を切られながらも、佐渡の小高い丘から、厨子王と安寿を求める玉木の声が、画面いっぱいに広がっていく。

それ二人の子供と引き離されてしまった母・玉木の最初の受難だった。

小萩から聞いた肝心要(かんじんかなめ)な情報を厨子王に知らせても、自暴自棄になり、人生を諦め切った若者には全く通じなかった。

「兄さんは…こんな人じゃなかったのに…」 

安寿と厨子王
安寿は憂いを深めるばかりだった。

病気になったことで、もはや奴隷としての戦力とならない女を棄てることを命じられ、安寿の反対を押し切って、山に棄てに行く厨子王。

兄に随行していった安寿は、厨子王、安寿」と呼ぶ母の声を聞くが、この声を同時に聞いた厨子王の心に決定的な変化が生まれに至

「逃げよう」

思いがけない兄の言葉に、強い意志を確認した安寿は、「兄さんだけ逃げて。二人で逃げたのでは、すぐに捕まります」と言い放ち、追手を食い止めるための犠牲になるというのだ。

安寿は一人で動いていく。

番人を騙し、戻っていく時間を稼いで、兄を逃がすのだ。

自分で遺棄した女を背負って、逃走する厨子王。

兄を逃がした安寿が、池に入水したのは、その直後だった。

山椒大夫の魔の手から逃れ切れない、自分の運命を受け入れたのである。

一方、中山の国分寺に逃げ込んだ厨子王は、寺の僧侶に匿われていた。

この僧侶こそ、10年前に出奔した太郎だった。

「都に出るつもりです。都で一番偉い方はどなたですか?」

国分寺の僧侶となった太郎から、身の振り方を聞かれた際の厨子王の言葉である。

以下、二人の会話。

「まず、関白様だろうが、それを聞いてどうするのだ?関白様に訴え出ようと言うのか」
「はい」
「昔、わしもそなたと同じことを考えて、都に出た。しかし、世の中というものは、そのようにたやすくなかった。わし一人の力ではどうにもならなかったのだ。人間はな、我が身の世過(よす)ぎに関わりがなければ、人の幸せ、不幸せには、ひとかけらの同情心なんて持たぬ。残酷なものだ。この濁った世の中で、自分の心を曲げずに生きていこうと思えば、御仏の救いに縋るしかないのだ」
「お言葉でございますが、今の私は、どのようにしても、この望みを叶えないではおかぬ覚悟でございます」
「そうか。それならば、思うままにやってみるがよい。しかし、難儀がかかるかも知れんぞ。よし。それでは律師様にお願いして、関白様へのお添え書きをいただいてやろう」

厨子王の覚悟を読み取った僧侶は、本来の義侠心を、きっぱりした言語に結んだのである。





3  復讐から奇跡的な再会譚への遠くて長い道のり





僧侶の姿に変えた厨子王は、密かに都に入り込み、時の関白・藤原師実(ふじわらのもろざね)の館に行き、平正氏の嫡子(ちゃくし/最年長の子)であると訴えても、全く相手にされなかったが、持参した如意輪観音像を見せたことで、藤原氏の繁栄の頂点を極めた摂政・藤原道長が平家に与えた観音像だと認められ、御目通(おめどお)りが叶うに至った。

以下、藤原師実と厨子王との会話。

「関白様。父の罪は罪でございましょうか。人を憐れみ、慈しんだことが無法なのでしょうか」
「それは無法ではない。だが、上司の命に背くことは許されまい。しかしながら。近頃、横暴を極める武士に対し、臆せず、道理を説いたお前の父は、珍しい気骨ある男であった。わしがあの時、今の職に就いていれば、あんなことをさせずに済んだ」
「それなら、父を許してくれますか」
「今となっては、許すも許さぬもない。厨子王、力を落すでないぞ。お前の父は、もう、この世の人でないのだ。去年の春、配所において亡き人となっている」

父の死を知らされ、嘆き悲しむ厨子王。

「ついては、父の所業に愛(め)でて、お前にその跡を継がせようと思うが、どうじゃ?」

思いも寄らない師実の言葉に、感動のあまり絶句する厨子王。

そればかりではない。

平正道(たいらのまさみち)という名を戴き、丹後国の国守を命じられるのだ。

間、髪を容れず(かん・はつをいれず)、ここで厨子王は、山椒大夫の悪行を告発し、奴婢たちの解放を訴えた。

この領分を侵す告発に対し、師実は、山椒大夫の荘園が右大臣家の所領であり、国守と言えども、荘園に手出しは許されないと厳しく説諭した。

「それくらいのことを知らずして、役目が務まると思うか」

無念な思いで、この言葉を受け止めざるを得なかった厨子王。

まもなく、丹後守となって、丹後に戻った厨子王は、部下の役人の反対を押し切って掟を出すに至る。

人買いの禁止、公の領地や荘園を含む奴婢の使用を禁ずること、自由になった奴婢を故郷に返すが、居つきたい者には田畑を与えること。

この3点である。

当時としては、あまりに大胆な掟の発布であるが、厨子王の本来の狙いは、右大臣家と通じている山椒大夫の奴婢を解放することだった。

「禁則」という名の高札
かくて、「禁則」という名の高札(こうさつ)を掲げ、それを読む土地の民衆たちの歓喜の声が、其処彼処(そこかしこ)で渦巻いた。

この一件を知り、怒り捲る山椒大夫は、部下を使って、高札を徹底的に破壊する。

その山椒大夫に直接会いに行った厨子王は、迷うことなく、山椒大夫を拘束し、追放することを命じた直後、山椒大夫の奴婢たちに、自由にになった現実を高らかに宣言する。

「本日、ただ今限り、皆は、この山椒大夫の家とは関わりがなくなったのだ!自分の思うがままに働くことができるのだ」

そして、厨子王は、一番気掛かりだった妹の安寿の所在を奴婢に聞くが、入水自殺した事実を知り、入水した池の傍に立ち、安寿の小さい墓の前で悲嘆に暮れるばかりだった。

「望みを失っていた私を、人らしく立ち返らせてくれたのはのは、お前なのに。なぜ、兄を待っていてくれなかったのか」

山椒大夫への復讐
まもなく、山椒大夫への復讐を完結した厨子王は官を辞し、母を探すために佐渡に渡る。

中君(なかぎみ)と言う名の遊女である母・玉木が、佐渡の岬の廃屋のような家で暮らしていることを聞き、訪ねていく厨子王の前に現れたのは、「厨子王恋しや、安寿恋しや」と唄っている一人の老女だった。

佐渡の漁民から、津波で死んだと漏れ聞いた母・玉木は、二人の子供を想う気持ちを唯一の生きがいにして、盲目となった今なお、一人で生きていたのだ。

感情を抑えられず、母に抱きついていく厨子王。

「性悪め。また、人をなぶりに来たのだな」

人を信頼できない苛酷な環境に置かれてきたことを示す、母・玉木の反応だった。

「あっちに行け。いつまでも、お前たちの笑い者にはならん」

そう言うや、厨子王から離れていく母が、厨子王を特定できたのは、家宝の如意輪観音像を手渡された時だった。

「厨子王…本当にお前は…」

厨子王の顔を手の平で触れ、愛おしむように、息子である現実を確認するのだ。

「お母様をお迎えに参ったのです」

嗚咽しながら、母を抱き締める厨子王。

「厨子王…厨子王…お前、一人ですか。安寿も一緒でしょう。安寿…安寿はどこにおります。会わせてください、早く」
「安寿は、お父さまのそばに参りました」
「お父さまはお元気ですか」
「いいえ。お母様と厨子王と、二人きりになってしまいました…お母様をお迎えに来たのですが、お父さまの教えを守り通すために、その身分を捨ててまいりました。どうか、お母様、許してください」

厨子王と母・玉木
嗚咽の中から、必死に自分の思いを吐露する厨子王。

「何を言うのです。お前は何をしたか知りませんが、お父さまのお教えを守ったから、こうして…こうしてまた、会うことができたのかも知れません」

心優しい母の言葉を受け、母の懐に、我が身を預ける厨子王。

いつまでも抱き合っている母と子が、佐渡の浜辺の一角にいて、俯瞰するカメラが、その構図を点景にし、復讐から奇跡的な再会譚への遠くて長い道のりの物語は閉じていった。





4  映像化された「語りもの」の逸品が、奇跡的な「復讐・再会譚」として炸裂する





網野善彦(中世日本史を専攻する歴史学者)が提唱した「荘園公領制」という重要な概念がある。

貴族や寺社、豪族などの私有地である荘園の広がりによって、律令国家の理想である「公地公民制」(全ての土地と人民が天皇に帰属するとした制度で、大化の改新によって始まったとされる)が崩壊し、繰り返し荘園整理令が出されても、平安末期になると、荘園と公領の区別すら困難になる。

漸(ようや)く、厳格な荘園整理令が遂行された結果、荘園と公領の区別が明瞭な土地制度が成立することによって、荘園と公領を基盤とした重層的な土地支配構造が確立する。

これが「荘園公領制」である。

しかし、武力を背景に台頭してきた武士が、「摂関家」(摂政・関白の地位を占有した最高位の貴族の家系)や皇室の権威を軽視するに及び、徐々に公領・荘園が侵略され、消滅してゆき、豊臣秀吉の「太閤検地」(検地奉行が全国の土地を検査し、帳簿を作り、土地の価値を、収穫した米の数量である石高で表した)の実施によって、「荘園公領制」による重層的な土地支配構造の矛盾は解消されるに至る。

従って、12世紀に起こった「保元の乱」・「平治の乱」(後白河天皇と崇徳上皇の分裂に、源氏と平氏の武力が加わった政変)を通じて、武士の政治的地位が上昇し、平安時代末期の時代背景は、東国の支配権、軍事警察権を獲得し、朝廷から独立した地方政権へと成長していく頼朝以降の武家政権が確立するまで、勢力の拡大のための境界を巡る争いが多発し、全盛期の平安貴族の煌(きら)びやかさと対照的に、成人でも、平均寿命が30歳にも満たない農民の暮らしは苦しく、流民も増え、板を打ち付けただけの「掘っ立て小屋」で生活していたとされている。

「戦、地震、辻風、火事、飢饉、疫病(えやみ)・・・来る年も来る年も災いばかりだ。その上、盗賊の群れが津波のように荒し回らぬ夜はない。わしもこの眼で、虫けらのように死んだり、殺されたりしていく人をどのくらい見たか分らん」(「辻風」とは、つむじ風のこと)

旅法師
これは、黒澤明監督の名作「羅生門」の中で、旅法師が洩らした慨嘆である。

また、売買の対象とされた賤民の身分である「奴卑」(ぬひ/奴は男子、婢は女子のこと)は、平安時代前期まで存在していたが、「奴婢」の制度が崩壊しても、「譜代下人」(ふだいげにん/人身売買によって獲得された零細民がルーツ)という言葉があるように、平安時代末期の社会秩序の崩壊と共に、「子捕り」と称する略取が横行し、人身売買も増え、日本中で機能していたのは事実である。

もっとも、80万人がいると言われる、ミャンマーのイスラム教少数民族「ロヒンギャ」の人身売買が横行する現象を考えるとき、世界各国で横行する人身売買の問題が、現代の闇を照射していると言えるだろう。

まさに、「盗賊の群れが津波のように荒し回らぬ夜はない」ということか。

中世をルーツにする口承文芸である、「語りもの」として庶民の人気を集めた「説経節」(せっきょうぶし)。

その芸能の淵源が仏教における唱導や説経であったが、仏教教義に収斂される宗教性の濃度の高さよりも、「戦、地震、辻風、火事、飢饉、疫病」、そして、「子捕り」による人身売買横行に苦しめられていた中世の民衆の悲惨な現実を写し取った、極めて情念性の強い物語と化して、時代を超えて繋がれていく。

耳を傾ける聴衆もまた、文字を読めない貧民層が多く、「語りもの」の主人公の悲惨な現実に、自らが置かれた境遇を感じ取って、物語の「約束された復讐譚」に過剰なまでに同化し、嗚咽を漏らしながら聞き入っていたと言う。

物語に過剰に同化する貧民層の反応の本質は、心理学で言う「同質効果」の作用であると言っていい。

「語りもの」である「説経節」での物語の内実が、自らの精神状態に近いが故に、感情移入しやすくなるのである。

説経与七郎正本『さんせう太夫』
この「説経節」の中でも、「さんせう太夫」は「五説経」と呼ばれた有名な演目の一つだった。

これが、「山椒大夫」という、とっておきの「約束された復讐譚」の世界に昇華されて、時代を超えて繋がれていくのだ。

当然ながら、本作は、「語りもの」である「説経節」の文脈を受け継ぐが故に、「勧善懲悪」という類型性のカテゴリーから脱却できない物語となった。

それ故、「勧善懲悪」という類型性のカテゴリーの制約が、「展開のリアリズム」の瑕疵を生むのは必至だった。

その象徴的な挿話が、「山椒大夫」への「奇跡の復讐譚」に集約されるだろう。

丹後国の国守となった厨子王が出した高札に、公の領地や荘園を含む奴婢を完全解放し、居つきたい者には田畑を与えるという、殆どあり得ないようなエピソードは、「展開のリアリズム」の瑕疵の極点である。

でも、それでも良かった。

観る者が、かつての文字を読めない貧民層の聴衆のように共感し、存分なカタルシスを被浴するからである。

そして、このような「展開のリアリズム」の瑕疵を補填した技巧が、「描写のリアリズム」だった。

これが、悲惨で残酷な場面の多用の理由である。

伊藤比呂美【説経節】
しかし、復讐から奇跡的な再会譚の物語の本質が、一貫して、「勧善懲悪」のカテゴリーに収斂させていく約束事から免れないならば、「描写のリアリズム」による補填の意味は、「語りもの」としての「説経節」の情念性の強度を高める効果にしかならないだろう。

要するに、「説経節」の情念性の強度を高める効果に収束される、究極の「勧善懲悪」の物語の根本的な性質と内部要素が堅固に保持されている限り、艱難辛苦(かんなんしんく)の挙句、「善人が栄え、悪人は滅びる」という、極めて凡庸で俗っぽいコンテクストとして映像化されざるを得ないのである。

「同質効果」と存分なカタルシス。

もう、この濃厚なテイストで充分なのである。

だから、私にとって、この作品は、映像化された「語りもの」の逸品が、奇跡的な「復讐・再会譚」として炸裂する、侵しがたいラインの範疇に集約する何かだったのだ。

―― ここで、森鴎外と溝口健二という、稀有なアーティストの観念系への印象に触れておきたい。

陸軍軍医総監(中将相当)への昇進を果たした森鴎外だが、文筆活動のフィールドにあって、写実主義的な作風を嫌い、文学では、理想や理念など主観的なものを描くべきだとする理想主義を掲げていた事実は広く知られている。

森鴎外
その鴎外が、「芸術に主義というものは本来ないと思う」(「文芸の主義」/青空文庫)と言いながらも、「利己主義は倫理上に排斥しなくてはならない。個人主義という広い名の下に、いろいろな思想を籠めておいて、それを排斥しようとするのは乱暴である」、「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない」(前掲書)などと言い切った骨太の精神が、「山椒大夫」において、残酷な場面の大半を切り捨て、最終的に、以下の一文に見られるように、一家の繁栄に収斂させた物語に結ばれたのは必至だったのである。

「一族はいよいよ富み栄えた。国守の恩人曇猛律師は僧都(そうず)にせられ、国守の姉をいたわった小萩は故郷へ還(かえ)された。安寿が亡きあとはねんごろに弔われ、また入水した沼の畔には尼寺が立つことになった」(青空文庫)

姉弟を兄妹に変えることなく描いた、この鴎外のオリジナルな作品と比較すれば、ラストシーンの長回しが印象深い、溝口健二監督の「山椒大夫」の作風に残酷な描写が際立つのは、彼が一貫して、女性の人物造形において、男性中心の社会で虐げられた現実を、苛酷なリアリズムで描いているという一点に収束されるだろう。

しかし、溝口映画を、それだけの表層的イメージで決めつけるのは早計である。

溝口健二監督
虐げられた現実の中で、十把一絡(じっぱひとから)げに括れてしまう、欲得尽くな男たちと対比させるかのように、男性中心の社会に異議申し立てをする、「心優しく、強い女」をも描き出しているのだ。

その典型が、私の最も好きな「近松物語」と「祇園囃子」という逸品。

とりわけ、近松門左衛門の浄瑠璃をベースにした不義密通事件を描く名画・「近松物語」の中で、おさんを演じた香川京子の肝の据わり方は圧巻だった。

「こないな楽しい旅はないのや。ほんまに嬉しいと思うてる」

香川京子はもう、突き抜けてしまっていた。

茂兵衛を演じた長谷川一夫だけが、まだ突き抜けられていない。

女から逃げた男は、峠を一人で下っていく。

まもなく、女が、その事態の異変に気が付いた。

女は血相を変えて茶屋を飛び出し、声をあげ、必死に男を追っていく。

男はその声を振り切るように、ひたすら、峠を下っていく。

自分の足の痛さを忘れたかのように、女は男を追っていくのだ。

「なぜ、なぜ逃げるのや!なぜ、私一人置いて!お前はもう奉公人やない。私の夫や!旦那様や!」 

 女はきっぱりと、思いの丈を、男に激しく投げつけていく。

近松物語」より
この重要なシーンを、拙稿・「人生論的映画評論・近松物語」の中で、「峠の爆発」と呼び、「ラインを重ねた者の突破力」というサブタイトルをつけたのは、見応えがあるこの映画のクライマックスとして受け止め、恒久に忘れることのない残像と化しているからである。

だから、私の中で、溝口映画の女性像とは、「近松物語」の香川京子の人物造形にシンボライズされる、「肝の据わった女」という心象が最も腑に落ちるのである。

「山椒大夫」の香川京子もまた、その例外ではなかったという訳だ。

(2016年9月)

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