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2012年12月8日土曜日

トラフィック(‘00)        スティーヴン・ソダーバーグ



<「麻薬戦争」という名を借りた、それなしに生きられない「脆弱なる人間の在りよう」>



 1  欲望の稜線が限りなく伸ばされる、麻薬の需給の接合点で 

 

「麻薬戦争」の底なしの闇の深さを描いた本作は、物語の二人の男の言葉の中に凝縮されている。

一人は、カリフォルニアの麻薬密売人のルイス。

ルイスは、国境の街、カリフォルニア州サンディエゴで、激しい銃撃戦の結果、DEA(麻薬取締局)の捜査官ゴードンとカストロの二人に捕捉され、麻薬組織の情報を洩らしたことで、DEAに保護されていた。

この男の告発によって逮捕された、麻薬王カール・アヤラへの裁判での証言を約束されたルイスは、組織からの報復を怖れる苛立ちの感情が、男の言葉を挑発的に補完していた。

「北米自由協定が密輸を楽に。お前らは敗戦を知らずに孤島にいた日本兵だ。政府は、とっくに麻薬戦争に負けた」

この言葉は、麻薬漬けと化している社会の現実の認知に鈍感であるか、或いは、社会の現実を直視することから回避している政府が、口先だけで「麻薬撲滅」を唱道しても、麻薬の密売を生命線にしているが故に、鋭角的な「戦争」をも辞さない「組織」との「戦力」の差は決定的であるという由々しき事態を暗示している。

北米自由協定(NAFTA)(ウィキ)
 更に、1990年代後半、アメリカ、カナダ、メキシコの3国で締結されたFTA(自由貿易協定)である北米自由協定(NAFTA)が、物やサービスの流通を自由にすることで通商上の障壁を取り除く経済的利便性の間隙を縫って、麻薬の垂れ流しを可能にしてしまった現実は、充分にアイロニーをも突き抜けている。

それは、この北米自由貿易協定によって、アメリカとメキシコ間の国境地域の都市、即ち、ルイスが捕捉された国境の街、サンディエゴの交通網やインフラが整備されるに至り、「サンディエゴから重武装した軍隊がティファナの貧しい郊外の一連の家を襲撃して11人の売人を逮捕、その際に没収した134トンものマリファナ」(ブログ・Gigazineより)が没収されるという、「麻薬戦争」の底なしの闇の深さを物語る戦慄すべき実態をも惹起させる劇薬と化したと言っていい。

男が語ったのはこれだけではない。

「俺が持っていたヤクが世間に出回って何が悪い。何人かがハイになって、お前の相棒は生きている。お前らがやっていることは無意味だぜ。空しいだけ。最悪なのは、無駄と知りつつ、捕まえている点だ。道化ってことだぜ。よく聞け。組織の拡大を狙う組織の密告で俺を捕まえた。手助けしている。麻薬組織の手先と同じだぜ」

ルイス
既に、「麻薬戦争」の泥沼の渦中で、相棒のカストロを殺された取締官に向かって、嫌みたっぷりに放たれた言葉である。

いよいよ証言台に立つその朝、ヤクの売人としてDEAに匿ってもらっていたルイスの言葉には、前述したように、国民国家の懐深くに蔓延している由々しき事態を挑発するだけでなく、「麻薬撲滅」に挺身する「正義漢」をも揶揄し、その無意味さを嘲笑する毒素が詰まっていた。

需要があるから供給がある。

その需要を、モンスターの如く膨れ上がった腹部を満たすための再生産によって、麻薬の生産水準を継続的に拡大していくアメリカ社会の闇の部分が、ルイスの弄(ろう)する挑発的言辞の中に拾われていたのである。

国境の街、サンディエゴの夕景(ウィキ)
国境の街、サンディエゴこそ、カリフォルニアを基点にアメリカ全土で蕩尽され、欲望の稜線が限りなく伸ばされる、麻薬の需給の接合点なのだ。

「我々の強欲な需要が違法な麻薬取引を焚き付けている」

これは、「ウィキ」から拾ったアメリカの国務長官ヒラリー・クリントンのコメントである。

アメリカ全土で蕩尽され、欲望の稜線が限りなく伸ばされる国民国家の内部で出来している現実を、当該国家の国務長官も認知せざるを得ないようであるが、その問題意識が、「ガラスの天井」(女性の昇進の障壁となる「見えない壁」)に弾かれていると嘆息する件のタフな長官の内側で、どこまで継続力を有しているかについては不分明である。

余計なことだった。

ともあれ、急転直下、朝食に含まれていた本物の毒を食べたルイスの死によって、証言台に立つことなく裁判は終了し、カール・アヤラは釈放されるに至ったのである。



2  「麻薬戦争」よりも「家庭の中の戦争」を選択した男の軟着点



もう一人の人物は、「全国麻薬対策本部長」に選任された、オハイオ州のウェークフィールド判事。

以下、ウェークフィールドの記者会見でのスピーチである。

「麻薬戦争には勝つべきです。そして必ずや勝てます。この戦争に勝ち、時代を担う若者を救うのです。6800万人の子供たちが、この戦争の標的にされているのです。その子供たちを第一に守らねばなりません。成功もあり、失敗もありました。しかし、その失敗をマイナスではなく、プラスと見るべきです。過ちを正すためのチャンスとなるのですから。そして将来に向けての基礎づくりをするのです。基礎作りには新しいアイデアのみでなく、忍耐もいる。そしてまた、能力だけでなく勇気も。そして政府だけでなく、各家庭の協力も。そこで私は・・・そこで私は10項目に及ぶ・・・無理だ・・・麻薬戦争を徹底させた場合、家庭の中でも戦争になる。家族を敵とみなして戦うのは残酷だ」

ウェークフィールド
そう言い残して、ウェークフィールドは、騒然とする会見場を後にした。

これは、三つの物語を色分けした物語の中で、ブルーの映像が際立つワシントンD.C.と、自宅のあるオハイオ州シンシナティのパートでのこと。

 かくも重大な役割を担いながらも、自分の娘キャロラインがドラッグ漬けになっていく現実を目の当たりにして、公務での「麻薬撲滅」よりも、家庭問題である娘の矯正にこそ全力を傾注せねばならないという矛盾の極点が、このスピーチの最後の部分で露わにされたのである。

元より、1990年代には、麻薬問題の深刻化に伴って、アメリカで有数の殺人都市になった程に、ワシントンD.C.と違法薬物との脈絡は目を覆い難いものがあった事実を想起するとき、ウェークフィールドのケースが特段に驚嘆するには当らないとも言える。

ワシントンD.C.の航空写真(ウィキ)
当初、「全国麻薬対策本部長」を引き受けたウェークフィールド判事には、役職の多忙さから、自らの家庭を蔑(ないがし)ろにする状況が続いていた。

しかし彼は、程なく、娘の現実を知って驚愕する。

他の多くの父親の例に倣うようにして、ウェークフィールドもまた妻を責めるが、十全な解決策を見出せないで翻弄される日々の中、次第に、彼は公務よりも自分の娘の更生に向けて動いていく。

アースカラーで統一されたメキシコのパートで、連邦警察の治安を預かるサラザール将軍の逮捕という重要な連絡を受けても、自分の娘の堕落の事実が続いていることを知り、娘を探し出すことを優先するウェークフィールド。

まず彼は、娘と共にドラッグを興じていたボーイフレンドに会いに行き、彼に向って怒りをぶちまけるが、その若者から逆に指弾されるのだ。

「今、この偉大なる国家で、十万人の白人が下町をうろつき、黒人に“ヤクは?”と聞いている。黒人の心にどんな影響を与えていると思う?逆に大勢の黒人が高級住宅地に来て、白人に、“ヤクは?”と聞いたとしたら、一日で子供までヤクを売り始める。買う者はいるし、儲けは原価の3倍だ。2時間で500ドル稼いで、あとは好きなことをする。それでも、法科大学を選ぶ白人がいるとでも?」

そこには世代間の断絶が窺えるものも、大人社会の欺瞞性を突く反転的な指弾でもあった。

その若者を随伴し、娘を探しに行くウェークフィールド。

娘キャロライン
そして遂に、ドラッグの金を手に入れるための娼婦になっていた娘を発見し、嗚咽する父の悲哀がそこに捨てられた。

 娘への能動的なアウトリーチと言うよりも、「家族を敵とみなして戦う」行為に関わる、一連のプロセス以前の行程において、「全国麻薬対策本部長」の肩書の重さを正確に認知し得ていないウェークフィールドは、麻薬供給源であるメキシコのファレスかティファナの組織の壊滅を考えていたが、「密輸をどう防ぐ?」というウェークフィールドの質問に対する彼の部下の反応は、諦念含みの素っ気ないものだった。

「無限の予算。捜査員の増強と予算の拡充を。それと融通の利く官僚機構」

麻薬組織に対して権力的に介入し、仮に一つの組織を壊滅したとしても、その結果は、別の組織の温存にしかならない現実を知らされるばかりなのだ

「組織が麻薬や仲間を失うと、必ず抗争が起きます」
「資金面でも警察の予算より、組織の方が上だ」

信じ難い部下の反応には、組織の堅固な砦を崩すことへの、殆どペシミスティックな感情が張り付いていて、ウェークフィールドの描くイメージとの落差が露呈されていた。

まさに、このシビアな現実の映像提示こそ、需要があるから供給があるというアメリカ社会の冥闇(めいあん)の世界の、先の見えない迷妄の深さを象徴するものだった。

そんな約束済みの負のラインをなぞるように、ウェークフィールドの意気込みは、まもなく呆気なく砕かれるに至る。

自分の娘のドラッグ漬けの現実に直面したからである。

「トラフィック」という麻薬ルートの最終到達点である薬物依存症者を、自らの家族のうちに発見する「悲劇」の映像提示 ―― これが、ウェークフィールドの記者会見でのスピーチの内実に凝縮されていたのである。

 そして今、この父と娘の捩(よじ)れ切った物語は反転し、セルフヘルプグループ(自助グループ)での援助を受け、精神の焦土と化した掃き溜めの如き「奈落の底」から更生した、娘キャロラインのスピーチのうちに結ばれていく。

「心が穏やかな時、分る気がするの。何もかも明らかに。そんな時には、将来への不安が消えてなくなる。全てがうまくいくと思えてくるの。不安な時には、すぐに電話をかけたくなる。そして、叫びながら、通りを走りたくなるの。でも、ここで会った人のお陰で、マーガレットやジムやサラよ。必ず立ち直れると思っている」

限定されたスポットを揺らす拍手がキャロラインを迎えて、室内の空気が浄化されていく。

「私はロバート。それから家内のバーバラ。娘を支えたくて来ました。聞き役です」

娘の話に聴き入るウェークフィールド夫婦
 キャロラインの父ウェークフィールドの簡便な挨拶には、「麻薬戦争」よりも「家庭の中の戦争」を選択した男の安堵と、その「戦争」に「勝利」したと信じる矜持が睦み合っていた。

因みに、「ウィキ」によると、「ランド研究所(アメリカのシンクタンク)は1990年代半ばに、アメリカにおける麻薬の消費を減らすために麻薬常習者の治療を用いる事は、警察活動を単独で行うよりも7倍費用効果がよく、それは3分の1の消費を潜在的に減らすことが出来ると公表した」ということ。

この情報は、「麻薬戦争」の解決が、いかに困難であるかということと、麻薬常習者の治療を徹底的且つ、継続的に遂行していくことの重要性を能弁に示唆している。

ここで、この章を批評含みでまとめてみよう。

―― 麻薬ルートを描く「トラフィック」と題する映画の最終到達点である薬物依存症者を、以上のような設定にしたのは映像構成的に了解可能だが、それにしても、僅か短期間で更生を遂げるというハッピーエンドの括り方には、正直納得できないものがある。

後述するが、本作には、「麻薬戦争」という名を借りた、それなしに生きられない「脆弱なる人間の在りよう」に対する問題意識が射程に入っていると思われるので、私は、麻薬という極上の快感供給物質に最近接し、そこにズブズブに浸かっていく人間それ自身に対する「戦争」という風に考えている。

それ故に、まるでそれだけは、「ホームドラマ」の予定調和のラインに流れていくかのような一連のシークエンスに不満を抱かざるを得なかった。

これは、「トラフィック」の最終到達点である薬物依存症者を、麻薬対策本部長に就任した男を父に持つ一人の女子高生にのみ特化したことで、麻薬の真の怖さを反映するシーンが限定されてしまって、本来、もうそれなしに生きられない最下層の者たちの、救い難い「人間の崩れ方」の様態を映像が拾い上げていなかったこと ―― それが気になるのである。

オハイオ州(ウィキ)
例えば、16歳の女子高生キャロラインが、娼婦に堕ちてまでコカインやヘロインを求め続けたときの、相手の黒人密売人との関連を通して、人口の13%が貧困線以下の暮らしをしていると言われるオハイオ州であればこそ、そこから広がる腐敗し切った「需要の前線」での、救い難い「人間の崩れ方」を拾い上げられることも可能だったと考えられるからである。



 3  「闇への一灯」をシンボライズした、本作の最終的メッセージ



「麻薬戦争」の只中で、麻薬組織と命を賭けて闘う二人の男。

前述したように、カリフォルニア州サンディエゴで任務を遂行するDEA(麻薬取締局)の捜査官ゴードンと、メキシコ最北端の都市・ティファナで、メキシコの最北州であるバハ・カリフォルニア州警察の麻薬捜査官として働くハビエル・ロドリゲス。

最重要証人ルイスを保護しながら、迂闊にも殺されてしまい、カール・アヤラの起訴に失敗したゴードンは切歯扼腕(せっしやくわん)するばかり。


アヤラの顧問弁護士メッツガーと、アヤラの妻ヘレーナ

既に、息が合った相棒のカストロを喪い、今また決定的な証人をも喪って、湧き上がる憤怒を抑えられないゴードンは、太平洋が眺望できる豪邸に戻っていたカール・アヤラに一矢を報いんとして、攻撃的に「暴発」していく。

一頻(ひとしき)り暴れ捲った間隙を縫って、テーブル下に盗聴器を仕掛ける早技を見せる手腕は、麻薬捜査官としての、せめてものリベンジの証だが、何よりゴードンは、組織の摘発への執念を捨てていないのだ。

 ゴードンには、自らの行為が相応のインセンティブを得る効果について、全く保証の限りではなかったが、今や、それなしに済まない暴発的感情の処理のうちに、麻薬捜査官としての、拠って立つアイデンティティを確保する術がなかったのだろう。


ゴードン
本篇の作り手は、ゴードンの暴発的行為が、彼の思惑の成就を予約させることがなかったにしても、このような「蟻の一穴」の如き地道な努力を繋ぐ行為に対して肯定的に映像提示しているのである。

 そして、もう一人。

ゴードンの「暴発」に込められた復讐的行為と無縁でない男の振れ方をも、物語は「英雄譚」に流れることへの一定の抑制を保持させつつ拾い上げていた。

アースカラーで統一されたメキシコのパートで州警察の麻薬捜査官として働くハビエル・ロドリゲスである。

麻薬組織と癒着しながら、敵対組織を壊滅させる意図を隠し込んでいた、メキシコ連邦警察の治安を預かるサラザール将軍の本性を知ったハビエルは、その情報をアメリカの麻薬取締局に売ろうとしたために、相棒のカストロを殺害された恨みを晴らす目的も手伝って、自らアメリカ当局に情報提供するに至った。

ハビエルとカストロ
その契機は、既に死亡の発表を告知されていた、“ファレスのサソリ”と言われる組織のドン、マドリガルの生存が確認されたことで、その虚偽情報を流したサラザール将軍の野望、即ち、ティファナの敵対組織であるオブレゴン一味を壊滅させるという本来の意図を知ったこと。

 それが、もう一人の麻薬捜査官の、「裏切り」を辞さない「暴発」が開かれていく契機になっていく。

カストロの死を知って、号泣し、嘆き悲しむ夫人を慰撫するハビエルは、このとき覚悟を括ったのだろう。

 そんなハビエルと、アメリカの麻薬取締局の捜査官との会話。

 「野球は好きか?」とハビエル。
 「好きだよ」と捜査官。
 
 予想された反応に対して、ハビエルは、それ以外にない確信的言辞を結んだ。

 「夜も遊べるように公演に照明が欲しい。明るければ安全だし、野球だってできる。誰も運び屋にならない。皆野球が好きだし、公園も好きだ」

 ハビエルには、貧困こそが「麻薬戦争」のバックグラウンドになっているという把握がある。

カストロの死・右はハビエル
 秘密の漏洩への警戒を堅固にするはずの、この由々しき会話の場所を、相互に裸になることで、見通しの良いプールを選んだハビエルの思惑に仮託されたイメージには、そこだけをユーモアの筆致で流したと言うよりも、「麻薬戦争」の底なしの闇の深さを、陽光眩いスポットの挿入によって相対化し、無化し切るという、救いなき状況へのアンチテーゼのインプリケーション(含意)が読み取れると同時に、命を賭けた男の「覚悟」(逃避拒絶)と「胆力」(恐怖支配力)の証左であると言っていい。

 だからこそ、ハビエルの身を案じる麻薬取締局に対して、彼は、「それよりも、協力のことだけ考えろ」と念を押したのだろう。

結局、「立派な決断だぞ」と捜査官から称賛された、ハビエルの「裏切り」を辞さない「暴発」によって、一時(いっとき)の事件処理が遂行されるが、事態が内包するものの闇の深さを、貧困問題の解決のうちに一切が浄化されるというハビエルの把握の限定性は、途上国からの一定の脱却を図っても、今なお続くメキシコ麻薬戦争の泥沼の現実が教えるところでもある。

それは、途上国を抜け出しても、民主化やイノベーションを遂行しなければ、貧富の差が拡大する一方になるという、所謂、「中進国の罠」に嵌っていくジレンマと無縁でないかも知れないが、「麻薬戦争」の底なしの闇の深さとの因果関係については、必ずしも十全の説明になっていないのだ。

少なくとも、私はそう思う。

そして、感銘深いラストシーン。

ハビエルとの約束は履行されたのだ。

ナイターを観戦するハビエル
ナイターの下で野球に興じる少年たちと、それに見入るハビエルの充足感溢れる表情が映し出されて、ドキュメンタリーの筆致で駆け抜けた物語が閉じていく。

その構図は、「闇への一灯」をシンボライズした、本作の最終的メッセージだったのである。

 閑話休題。

―― 本作の評価すべき点は、偶然性に依拠することなく、限りなく安易な感情移入を擯斥(ひんせき)し、麻薬の交易ルート(トラフィック)を通して、需要と供給の爛れ切った現実を、3つの物語のパートが複雑に絡み合った一級の群像ドラマとして、包括力のある映像構成のうちに構築し得た点にある。

スティーブン・ソダーバーグ監督(ウィキ)
 そんな群像ドラマとしての本作が描いた世界は、供給前線において肥大し切った欲望の稜線の広がりの中で、醜悪なる「組織間戦争」が野放図に延長され、その延長を食い止めんとする公権力の厚みなき表層的発動が、爛れ切った前線にどれほど出し入れされようとも、コカイン、ヘロインといった依存性の強いドラッグを求める者たちが蝟集(いしゅう)する、欲望の需要前線の拡大的定着という負の連鎖が変わらない限り、「麻薬戦争」の冥闇(めいあん)の向こうに一筋の光明をも見出せない人間社会のシビアな在りようを、たとえそこに、予定調和のホームドラマが映画的にインサートされたとしても、どこまでも悪循環を断ち切れない解決困難な現実を炙り出していくものだった。

なぜなら、それは欲望の暴走を十全にコントロールする、「自我」と呼ばれる私たち人間の本質の拠って立つ能力の脆弱性が露わにされるだけで、結局、このような制御不能な悪循環を根治することの絶望感によって、「人間の敵は人間それ自身にある」という厄介な命題を突き抜けられない破壊力の凄みだけが暴れてしまうのである。

これについては、本稿の肝でもあるので、稿を変えて言及していきたい。



 4  「麻薬戦争」という名を借りた、それなしに生きられない「脆弱なる人間の在りよう」



「あの連中は自分で治療します。勝手にオーバーユーズ(過剰摂取)し、死んでくれます」

敵対組織のオブレゴンを潰すためのマドリガルの組織の一員として動いていた、サラサール将軍の言葉は、あまりに重い。

 人間の本質を言い当てているからだ。

同時に、この挑発的言辞のうちに、本作を凝縮させた二人の男の絶望的言辞が収斂されていくのである。

だからこれは、本作で最も由々しき言辞になったのだ。

コカイン・東京都福祉保健局
コカイン、ヘロインが大量に密輸されてくるアメリカ国内で、オーバーユーズの挙句、死んでいく者たちにとって、その強い依存性・毒性の故に、今や、脳内の神経伝達物質に作用することで信じ難き酩酊感や多幸感をもたらす、麻薬という極上の快感供給物質が、それを摂取する人間それ自身を搦(から)め捕り、一気に耐性を獲得していく負の連鎖に対する非武装ぶりは、本質的に、それなしに生きられない「脆弱なる人間の在りよう」を露わにすると言っていい。

人間は、あまりに脆弱な存在体なのだ。

 薬物の最大の怖さが、この「耐性獲得」にあるとする事実を否定することは困難であるだろう。

 依存性の有無について個人差があるにも関わらず、それを吸引することで自我機能を麻痺させる恐れを持つ者が必ず現出するからである。

モスクワ麻薬常用者の蝋人形展(ブログより)
そこにこそ、この問題の本質があるということだ。

 人間は一度人工的に快楽の世界に浸かってしまうと、その「何とも言えない気持ち良さ」から、簡単に脱出することが困難な存在体である。

 人間は、必ずそこで、より強い快楽を求める心理に駆られてしまうことで、そこからの軟着点を確保し得る根源的な解放には、相当程度堅固な自我の武装の強靭さが必要となるだろう。

 人間の自我はそれほど強靭なものではないのだ。

 私たちの眼前にそれらの類の固塊や結晶体が存在し、且つ、その蠱惑(こわく)的なイメージに捉われていて、それを自在に使用し得る状況下に置かれたとき、そこで生まれた心理の微妙な波動を、私たちは常に確信的に統御すると言い切れるだろうか。

例えば、マウスに麻薬を反復投与すると、薬物の投与回数の増加に伴って、マウスの「自発運動活性」が増大する現象が観察されるという報告がある。

これを「逆耐性現象」と呼ぶ。

「逆耐性現象」とは、薬剤に対する抵抗性を獲得することで、薬剤の効用濃度を低下させていく「薬物耐性」をも突き抜けて、「覚せい剤やコカインといった中枢興奮薬を反復投与すると、惹起される異常行動が進行性に増大する現象」(PDF文書・「逆耐性現象の新展開」より)のことであるが、この現象の真の怖さは、「再燃準備性」という概念によって説明されている。

「再燃準備性」とは、次第に少量の麻薬の摂取によっても具現するようになる体の反応現象のことである。

押収した大麻を焼却するDEA特殊部隊(ウィキ)
いつしか麻薬の摂取を途絶させても、「感受性の亢進」によって、幻覚や妄想などの精神病的な症状が具現することの恐怖 ―― それが、情動反応の処理と記憶 に関与する扁桃体(大脳辺縁系の一部)との関連で研究されている「逆耐性現象」の真の怖さである。

従って、自我によってしか生きられない私たち人間の抑制系の機能が劣化した、救い難い「人間の崩れ方」を約束させてしまうので、「逆耐性現象」を常態化させてしまった人間の治療の困難さを決定づけると言っていい。

だから本作は、「麻薬戦争」という名を借りた、それなしに生きられない「脆弱なる人間の在りよう」を露呈することで、人間それ自身に対する「戦争」の、「闇への一灯」をイメージし得ないエンドレスな「人間の崩れ方」をも見せてしまったのである。

後述するが、フェリペ・カルデロ大統領が仕掛けた大規模な「麻薬戦争」がメキシコで惹起しても、死体の数を増やすばかりで、一向に解決の道筋の見えない厄介な状況を俯瞰する限り、アヘン戦争の例を挙げるまでもなく、人間の本質的な裸形の欲望のラインを餌にして、じわじわと食(は)んでいく麻薬が内包する得体の知れない破壊力を認知せざるを得ないのである。

大麻も扱うオランダのコーヒーショップ(ウィキ)
決してそれらを、自分たちの生活圏の最近接ゾーンに近づけてはならないのだ。

 この世には、そのように観念させるものが明瞭に存在するということ。それを知るべきである。

 それが困難であると言うなら、ソフトドラッグとハードドラッグに分類し、大麻をソフトドラッグとして認知した大麻のみを合法化し、指定店舗で販売するという、オランダの実践的試行にシフトするという方略も可能であるだろう。

この試行によって犯罪組織の介在を遮断し得たことで、最も厄介なドラッグであるヘロイン常用者が減少したという報告を耳にする限り、一定の有効性を確認し得るだろうが、それは今なお、実践的試行のレベルに留まっている現実を認知すべきなのだ。

 そんな折、AFP通信がタイムリーな国際ニュースを配信したので、ついでに紹介しておこう。

「全米初、ワシントン州で嗜好用大麻が合法に」

 このヘッドラインで紹介されたニュースの内実は、以下の概要に要約されるもの。

ワシントン州(ウィキ)
 「合法化は米大統領選に合わせて11月6日に行われた住民投票で可決されていた。嗜好用マリフアナは連邦法では依然として禁じられている。

 報道によると、同州各地では新法が発効した12月6日午前0時(日本時間同日午後5時)に合わせ、マリフアナ合法化を祝うパーティーが開催された。シアトル(Seattle)にあるタワー『スペース・ニードル(Space Needle)』の外では約200人が集まり、マリフアナを吸いながら新たな『自由』の獲得を祝った。

 新法では、21歳以上に最高1オンス(28グラム)のマリフアナ所持を認めている。医療目的でのマリフアナ使用を認める州はすでに多く存在するが、単に『楽しみ』を目的としたマリフアナ使用の合法化は全米初。コロラド(Colorado)州でも11月6日、これに似た提案が住民投票により可決されたが、施行されるのは来年1月5日の予定だ」(AFPBB News・12月7日)



5  「メキシコ麻薬戦争」の冥闇の中に照射されていない「闇への一灯」


 
フェリペ・カルデロン前大統領(ウィキ)
 フェリペ・カルデロンという男がいる。

 2006年12月から約6年間、中道右派の国民行動党党首として、メキシコ合衆国の大統領を務めた男である。

 中道左派の民主革命党を接戦の末に破って、第56代の大統領に就任したカルデロンが遂行した内政の中で最も有名な施策が、アメリカの捜査当局と共同歩調を取りながら、軍を動員して国内の麻薬組織を撲滅するための「戦争」だった。

度々、カルデロン自身が命の危険に晒されながら遂行した「麻薬戦争」の冥闇(めいあん)の森の中で、一貫して強硬姿勢を崩さなかった結果、5万人とも6万人とも言われる人命が喪われるに至る。

この行動が、国家を挙げての、麻薬組織との初めての、退路を断った本格的な「戦争」だったことが瞭然とするだろう。

メキシコ政府が麻薬組織にダメージを与えれば与えるほど、国の治安が悪化し続けていくという厄介なパラドックスが、そこに現出したのだ。

メキシコ麻薬戦争①(ウィキ)
言うまでもなく、治安の悪化がピークアウトに達しても、国軍と「戦争」する麻薬組織の抵抗が激しかったのは、麻薬密売によるダーティ・マネーに群がるカルテルの、その拠って立つ存在基盤が揺らぐ事態への危機感があったからである。

 拠って立つ存在基盤を死守するための「防衛的大義」で武装した組織は、なりふり構わず、組織の撲滅を意図する国軍と「戦争」を先鋭化させていった。

「防衛的大義」で武装した組織は、抹殺すべき警官の名前を記した「暗殺リスト」を作成し、それを遂行していく。

暴力と脅迫の拡大は、国家の中枢機関である司法や立法機関にまで及び、裁判官・政治家への恫喝常態化するに至り、逆らう者は躊躇なく殺害された。
 
組織を糾弾す報道機関への攻撃も日常的になり、レポーターは誘拐された果てに殺害されるキャスターも後を絶たず、テレビ局の爆破という常軌を逸した犯罪が、麻薬犯罪の報道を遮断させてしまうのだ。

メキシコ麻薬戦争②(ウィキ)
 また、麻薬組織のボスの死亡や逮捕等によって「軍事の空白」ができるや、立ちどころに、麻薬利権を巡る「組織間戦争」が惹起し、「戦争」による死者が加速的に累加る。

コロンビアで生産されたコカインが、メキシコ経由でアメリカに密輸されていく流通ルートの存在によって判然とするように、今やメキシコは、アメリカ西海岸向けのヘロイン製造を含む、卸売の供給拠点と化していて、自国の国軍と「戦争」を継続させる「予算」をも確保している始末。

 そして2012年12月「麻薬戦争」の最前線に立っていたフェリペ・カルデロンが、大統領選で敗北したことで、国民行動党に代わって、かつて71年間も政権を独占していた制度的革命党(PRI)が政権を奪取した。

 以下、それを伝える記事を、AFPBB Newsから転載する。

「メキシコで1日、制度的革命党エンリケ・ペニャニエト新大統領(46)が就任した。就任後ペニャニエト氏は、貧困対策と治安回復に取り組む決意を明言した。

 71年間も政権を独占していたPRIは2000年の選挙で敗退し、今回12年ぶりに政権復帰を果たした。これに反対する勢力が就任式の最中、議会の内外で抗議活動を行い、騒然となる場面もあった。

 ペニャニエト氏はフェリペ・カルデロン前大統領から、中南米で第2の経済力を持つメキシコを引き継いだ。しかし国内では麻薬組織掃討のあおりで過去6年間に6万人超が死亡し、治安が悪化している。

 ペニャニエト氏は成長促進と貧困飢餓対策に加え、人口1億1000万人余りのメキシコ各地を恐怖に陥れた銃撃戦や斬首、誘拐などの犯罪撲滅を柱とする13項目の計画を発表。『わたしの政権の最初の仕事は治安回復だ』と述べ、包括的犯罪対策や刑法改正、懸案となっている犯罪被害者保護法案の成立を提案した」(AFPBB News・2012年12月2日)

 これは何を意味するのか。

 少なくとも、これだけは言える。

PRI・メキシコシティの本部(ウィキ)
 かつて制度的革命党(PRI)は、長期にわたる政権下で、麻薬組織との間に暗黙の了解が形成されていて、その実態は癒着の構造と言える関係だったと批判されている。

以下ロイター通信の配信記事である。

「『何のために6万人の命が奪われたのか』──。メキシコ大統領選で当選したぺニャニエト氏(45)が、麻薬犯罪の撲滅を訴える姿を見て、国境を接する米テキサス州エルパソの実業家リカルド・フェルナンデスさん(33)は怒りを覚えた。
生まれ故郷のメキシコで麻薬戦争を目の当たりにしてきたフェルナンデスさん。

『本当に多くの人が殺され、苦しんでいる。何のためだろうか。われわれは、昔の状態に戻ろうとしているだけではないか』と語気を強める。【エルパソ(米テキサス州)12月3日 ロイター】

バハ・カリフォルニア州の北部・ティファナ(ウィキ)
制度的革命党(PRI)政権復帰によって、「麻薬組織と交渉を行うことで問題を解決しようとするだろう」という不安を吐露する人がいる事実を伝える一方、「彼(ぺニャニエト氏)は、メキシコに苦痛と悲しみをもたらしている暴力の抑制に集中しようとしている。カルデロン大統領から劇的に変化することになると思う」ロイター通信と語る人の記事が掲載される現実こそ、混沌とする「麻薬戦争」の冥闇(めいあん)の森の中に、未だ「闇への一灯」が照射されていない状況を露呈するものだろう。

 「メキシコ麻薬戦争」は、今日(こんにち)に至っても、由々しき喫緊のテーマになっているのである。

(2012年12月)


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